オーディオの殿堂(感じていること)
三年前、別項「評論(ちいさな結論)」で、
いい悪いではなく、
好き嫌いさえ超えての
大切にしたい気持があってこその評論のはずだ、
と書いている。
ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めて、
大切にしたい気持があってこその評論、とはまったく思えない。
三年前、別項「評論(ちいさな結論)」で、
いい悪いではなく、
好き嫌いさえ超えての
大切にしたい気持があってこその評論のはずだ、
と書いている。
ステレオサウンドの「オーディオの殿堂」を眺めて、
大切にしたい気持があってこその評論、とはまったく思えない。
たとえばジャディスのJA200やマイケルソン&オースチンのM200のような、
大規模な真空管アンプを手がけるとしたら、
整流管ではなく私でも整流ダイオードを選択するであろう。
けれど私が作りたい真空管アンプは、そんな大規模なモノではない。
数十Wクラス、それも50Wを切るくらいの出力のアンプだから、
いくつかの理由から整流管を選択するのだが、
今回の50CA10は、流用する電源トランスが倍電圧整流が前提ということもあって、
それに巻線の関係もあって、整流管をあきらめざるをえない。
ダイオードで整流するわけだが、
せっかくだから、それに実験的なアンプでもあることから、
ダイオードには、SiC SBDを使う。
SiC SBDとは、シリコンカーバイド・ショットキーバリアダイオードのこと。
自作に関心のある人ならば、数年前から使っているだろうし、
関心を寄せているとも思う。
整流ダイオードの種類と、その音については、
いろんな意見があるのは知っている。
SiC SBDは絶賛する人がけっこういる。
でも否定的な人もいるといえばいる。
でも、ダイオードとしては高価なほうだが、
絶対的な価格としてはさほど高いわけではない。
うまくいかなければ、一般的なダイオードにすればいいし、
私自身、SiC SBDを試してみたいのだから、
今回の50CA10の単段シングルアンプでは、まずはSiC SBDで作る。
すでに注文済み。
昨夏からソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルのアルバムが、
すごいいきおいでTIDALでMQA Studioで聴けるようになっていった。
このアルバムも、あのアルバムもある。
昨年8月は、毎日TIDALにアクセスするのがほんとうにワクワクだった。
グレン・グールドのアルバムもMQA Studioで聴けるようになった。
これだけでも嬉しい限りなのだが、他にもここに書き切れないくらい、
MQAで聴きたかったアルバムの多くが聴けるようになっている。
そういうアルバムをMQAで聴くたびに、
いまaudio wednesdayをやっていたら、次回は、これをメインにかけるだろうな──、
そんなこともおもってもいた。
たとえばもし、いまもaudio wednesdayを続けていたら、
9月には“FRIDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”と“SATURDAY NIGHT IN SAN FRANCISCO”、
それから“ESCAPE”をかける。
いまはaudio wednesdayはやっていない(やれずにいる)から、
単なる妄想にしかすぎないのだが、
このことがaudio wednesday (next decade)を、
音なしではあるけれど始めるきっかけ(動機)の一つになっているのは確かなことだ。
TIDALで見つけた曲(アルバム)を、次の月のaudio wednesdayで鳴らす。
そういう日が来るのかどうかは、いまのところなんともいえないが、
そういう気持で音楽を聴けるというのも、楽しいことの一つである。
8月19日に日付が変った直後に、
e-onkyoのサイトにアクセスしたら、ジャーニーの“ESCAPE”がジャケットに目に入った。
2022年リマスター、とある。
TIDALでもあるかな、と思って見たが、まだなかった。
どうも時差の関係で少し遅れるようで、今日の午後、TIDALをチェックしたら、あった。
e-onkyoではflacで、48kHz、96kHz、192kHzがあるが、
MQAはなかった。
TIDALはMQA Studioで、192kHzのみである。
音がいい。
聴いていて楽しくなる音のよさである。
“ESCAPE”は1981年のアルバム。
当時の若者は(私もその一人なのだが、リアルタイムでは聴いていない)、
“ESCAPE”を聴いていたわけだ。
別項で「熱っぽく、とは」を書いているけれど、
“ESCAPE”を当時夢中になって聴いていた若者ならば、
買ったアンプをトートバッグに入れて持ち帰ることぐらいなんでもなかったのかもしれない。
そんな、こじつけめいたことも聴き終ってから思っていた。
50CA10単段シングルアンプのシャーシーには、鈴蘭堂のSL8を考えている。
鈴蘭堂といっても、いまでは会社がなくなっているが、
タカチがSLシリーズを引き継いで製造してくれている。
タカチの型番はSRDSL8である。
SRDは、鈴蘭堂の略。
できればもっと小さなシャーシーがほしいし、
伊藤先生のアンプに憧れてきた私にとっては、シャーシーの高さが50mmであれば、
もっといいのに、と思うのだが、それでもタカチはいまも製造してくれている。
このことは、ありがたい。
SRDSL8のサイズは、W350×H58.2×D224.5mm。
まだシャーシーは注文していないが、
トランス類はすべて自作アンプから取り外して、
SRDSL8の天板と同じサイズの紙の上に並べている。
こうやって全体のバランスをおおまかに決めていく。
そして次は発泡スチロールを用意して、真空管を挿せるようにして、
こまかく配置を決めていく。
こんな地味なことから、始まっていく。
《熱っぽく》に関することで、思い出すことがある。
東京に来たばかりのころ、1981年ごろのことである。
このころ、ダイナミックオーディオにはトートバッグがあった。
並の大きさのトートバッグではなかった。
プリメインアンプがすんなり入る大きさのトートバッグである。
もちろんアンプ一台分の重量に耐えられるだけのしっかりしたつくりでもあった。
いまでは考えられない光景だろうが、
あのころの若者は、アンプを、このトートバッグに入れて持ち帰っていた。
頻繁に見掛けるわけではなかったけど、
秋葉原で何度か、そうやって持ち帰っている人がいた。
あのころはそれが当り前のように受け止められていた。
けれど、普通のことではないわけで、
そこには熱っぽさがあってことのはずだ。
しかもその熱っぽさは伝染していくのかもしれない。
昨晩、五味先生の、この文章も思い出した。
*
死のつらさを書かぬ作者は、要するに贋者だ。
そいつは初めから死馬である。幾らだってだから書ける。狂うことも、自殺することもないわけで、死馬ほど安楽な状態はあるまい。シューマンはその点、所詮、死馬に耐えられなかった。彼の作品は、悉く若い時代に為したもので、私に言わせればシューマンは音楽家よりは文学者になるべき人だったとおもう。彼の作品活動は、その良いものは三十二歳までだ。音楽に向っては、若い裡にしか流露しないそういう才能なのであり、あとの十余年は、死馬になった己れとの闘いだったろうと思う。ライン川への投身はその意味では、潔い行為で、精神錯乱と呼ぶのは死馬の輩だ。しかもシューマンには、しっぺ返しを喰うほどの才能の結実さえ(作品四一の弦楽四重奏曲、同四四のピアノ五重奏曲、それにピアノ四重奏曲を除いては)なかったと、私なら言う。少なくとも作曲上不可欠な構成力といったものが、彼には欠けていたのではなかったかと。
(「音楽に在る死」より)
*
思い出したから、シューマンのピアノ五重奏曲を聴いた。
ボザール・トリオの演奏で聴いた。
昨晩「audio wednesday (next decade)」を公開したあとに、
ふとおもったことがある。
何も音を出すことにこだわることもない、ということにだ。
audio wednesdayと呼ぶ前はaudio sharing例会といっていた。
そのころは集まって、テーマを決めて話すだけだった。
音を出すようになったのは、けっこう経ってからだった。
音を出して聴いてもらうことは楽しい。
だから、ついそのことにこだわってしまっていた。
またaudio wednesdayを始めて、続けていれば、いつかは音を出せる日が来るかもしれない。
そうおもったから、再開することにした。
9月7日が、audio wednesday (next decade)の一回目である。
一年半以上やっていなかったから、今回は集まることがテーマといえる。
場所は決めていない。
多くの人が来てくれるわけではないから、
数人でジャズ喫茶、名曲喫茶めぐりをする予定である。
昨年9月にようやく公開された映画「MINAMATA」。
Netflixで、今日から配信が始まっている。
別項「いま、そしてこれから語るべきこと」で書いている。
映画「MINAMATA」の最後のシーン。
あの写真の撮影シーン。
あれもピエタである。
LotooのPAW S1はバッテリーを搭載していない。
バスパワーで動作するモデルである。
ゆえに接続される機器の電源の状態でも、音は影響を受けているはずである。
私はiPhone 12 Proしか接いでいない。
他メーカーのスマートフォンに接続した音は聴いていない。
なのではっきりしたことは何もいえないのだが、
少なくともiPhone 12 Proと接続した音、
いいかえればiPhone 12 Proからのバスパワーで動作するPAW S1の音は、
けっこういい感じである。
ならばPAW S1にバッテリーが搭載されたら、もっといい音になるのか。
そんなことを想像するわけだが、
でも本当にそうだろうか、とも考えてしまう。
電源(ここではリチウムイオンバッテリー)が、
iPhone 12 ProとPAW S1とで共通である。
そのことによる音の良さということもある気がするからだ。
電源を独立させれば、そのことによる音の変化ははっきりと出る。
いい音になるといえば、そういえるところもけっこう多い。
でもそれだけだろうか。
メリットだけだろうか。
世の中のどんなことにも、メリットとデメリットがある。
ならば電源がトランスポート(iPhone 12 Pro)と、
D/Aコンバーター兼ヘッドフォンアンプ(PAW S1)で共通(一つ)、
そのことによるメリットが音の面であるような気がする。
といっても、それを確かめるのはけっこうやっかいなのだが。
先日、audio wednesdayは再開しないのか、と訊かれた。
今年になって三人の方から、再開しないのか、と訊かれている。
2020年12月で終了したaudio wednesday。
やりたい気持はある。
やれそうなスペースを探したこともある。
けれど難しいのは、オーディオ機器である。
毎回、自分のシステムを運ぶ気にはなれない。
かといって、そこにずっと置けるわけでもない。
50CA10単段シングルアンプの構想を練っていると、けっこう楽しい。
回路に関しては、すでに出来上っている、というか、
単段シングルアンプを作ろうと思った時点で、すでに出来上った、といえる。
あれこれ考えて楽しいのは、全体の構成である。
電源トランス、出力トランス、チョークコイル、
これらはすべて私のところにやって来た自作アンプから流用する。
私としては整流管を使いたいところなのだが、
電源トランスの巻線の関係で、それは難しい。
ならば電源トランスだけでも買ってくれば──、となるわけだが、
そうすると構想が膨らんでしまう。
もっといい電源トランスにしたのだから、
出力トランスも、とか、チョークコイルも、とかになってくるし、
それに個人的にタンゴのトランスの外観は好きではない。
ラックス、タムラ、タンゴが、私が真空管アンプに興味を持った頃、
日本のトランスメーカーとして名が知れているのは、この三つのブランドだった。
まだサンスイのトランスも現役だったはずだが、
ラジオ技術、無線と実験で見る製作記事では、これらのトランスが大半だった。
野暮ったいな、がタンゴのトランスに対する印象だった。
それはいまも変らない。
でも、そんなことを言っていては製作は進まなくなる。
だから、ここはタンゴのトランス類をそのまま使うことで、
とにかく作ることを優先したい。
シャーシーも市販のモノを使う予定だ。
シャーシーも特註したい気持はあるが、
そこまですると予算オーバーだし、製作が止ってしまう。
市販シャーシーにタンゴのトランス。
それで、どうまとめるかを考えていると、けっこう楽しい。
瀬川先生のフルレンジからスタートする4ウェイ構成のシステム構築。
これまでも何度か書いてきている。
いま、これをやってみようという人は少ないだろう。
実際にやってみるかどうかも大事なことだが、
やってみたい、と思うかかどうかも大事なことだと思う。
オーディオをながくやってきた人でも、
自作スピーカーなんて面倒なだけでしょう、
メーカー製のスピーカーを買ってきたほうが、ずっといい、
そういう人はけっこういる。
それはそれでいい、と思っている。
スピーカーもそうだし、アンプもそうなのだが、自作は簡単なことではない。
それでも思うのは、
瀬川先生の、この4ウェイのプランは、
得られた音と失われた音を、いつでも確認できるということだ。
《勿論いたずらに馬齢のみ重ね、才能の涸渇しているのもわきまえず勿体ぶる連中はどこの社会にもいるだろう。》
五味先生が「私の好きな演奏家たち」で、そう書かれている。
22年目。
五味先生の、この言葉が浮んできた。
audio sharingは2000年8月16日に公開した。
今日で22歳。
20よりも22のほうが、個人的にはなぜか感慨深かったりする。
いろいろあった。
あと22年やれるかどうかは、なんともいえない。
あと10年くらいかもしれないが、
これまでの22年よりも、いろいろあるのかもしれない。