Archive for category テーマ

Date: 9月 4th, 2022
Cate: ステレオサウンド

3.11とステレオサウンド(その4)

その2)で触れている「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」という問い。
これを発した人にとって、そのころすでにステレオサウンドはつまらなく感じていて、
それゆえの「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」だった。

ステレオサウンドは変っていっている。
おそらく私に「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」と訊ねた人も、
そう感じている。

そうであっても、その人は「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」と訊く。
くり返すが、それはステレオサウンドがつまらくなっていて、
そのことが変らないからである。

ステレオサウンドがつまらない──、
そういう人もいるし、そうでない人もいる。
面白い、という人ももちろんいる。

223号の「オーディオの殿堂」を、オーディオの歴史の勉強にもなる、
そんなふうに高く評価している人が、ソーシャルメディアにいた。

そうなのかぁ……、としかいえないのだが、
受けとり方は人によって大きく違うのだから、
「ステレオサウンドは、なぜ変らないんですか」が、
ステレオサウンドはつまらなくなったまま、という捉え方も、
その人個人のものでしかないわけだ。

それでも、その人は私に、そう訊ねてきたのは、
その人は私もそう感じていると思ったからなのだろう。

私は、どう感じているのか。
ここ十年のステレオサウンドを眺めて思っているのは、
つまらない、とか、変らないなぁ、とか、そういったことではなく、
ダサくなった、である。

Date: 9月 4th, 2022
Cate: ディスク/ブック

音響道中膝栗毛(その1)

誠文堂新光社から出ていた伊藤先生の「音響道中膝栗毛」が、
復刊ドットコムから復刊される。

音響道中膝栗毛」と「(続)音響道中膝栗毛」の二冊ともである。

この二冊を熟読しても、伊藤先生のアンプが作れるようになるわけではないし、
真空管アンプを設計できるようになるわけではないが、
ほんとうに熟読すれば、感じるところはそうとう多くある筈だ。

Date: 9月 3rd, 2022
Cate: モニタースピーカー

モニタースピーカー論(家庭用スピーカーとは・その3)

アルテックのModel 19に深い思い入れはないのだが、
ふと何かの機会で思い出す存在であることは確かだ。

私は、ステレオサウンド 43号の特集ベストバイで、
瀬川先生が書かれていることを読んでから、である、このスピーカーに関心をもつようになったのは。
     *
 周波数特性のワイド化と、ユニットやエンクロージュアの無駄な共鳴音や夾雑音の類をできるかぎり抑え込むというのが新しいスピーカーの一般的な作り方だが、アルテックの新型は、周波数特性こそ従来の同社製品からは考えられないほど広帯域化しながら、キャビネットやホーンの共鳴音も適度に残してあって、それが何ともいえず暖かくふくよかな魅力ある音に聴こえ、新型であってもどこか懐かしさのようなものを感じさせる一因だろう。
     *
45号のスピーカーシステムの総テストでも、評価はよかった。

Model 19と同時にModel 15も登場していた。
型番からいっても、同じシリーズの兄弟機のように感じられるが、
アピアランスは随分違っていて、Model 15には魅力を感じなかったし、
Model 15のオーディオ雑誌での評価はあまりよくなかった。

アルテックもそのことは感じていたのだろう。
しばらくしてModel 14を発表している。
型番からすればModel 15の下のモデルのようであるが、
Model 15が当時189,000円(一本)に対し、Model 14は195,000円だった。

そして大事なことは、アピアランスはModel 19のそれと同じである。
Model 14は12インチ口径のウーファー搭載と、やや小型化されているが、
ホーンに関しては、
アルテックのコンシューマー用モデルとしてはいち早くマンタレーホーンを採用している。

Model 19のアピアランスの完成度はけっこう高い、と思っている。
決して、当時としての最新のスタイルではないが、見飽きないのだ。

いまから十数年前、あるオーディオ店にModel 19の中古が並んでいた。
ひさしぶりに見たModel 19だった。

その時も、やっぱりいいなぁ、と感じていた。

瀬川先生が、「続コンポーネントステレオのすすめ」でこう書かれている。
《私個人は、アルテックの鳴らす音の世界には、音の微妙な陰影の表現が欠けていて少しばかり楽天的に聴きとれるが、それでも、アルテックが極上のコンディションで鳴っているときの音の良さには思わず聴き惚れることがある。》

このことも思い出して眺めていた。

Date: 9月 2nd, 2022
Cate: モニタースピーカー

モニタースピーカー論(家庭用スピーカーとは・その2)

モニタースピーカーについて考えていくのであれば、
コンシューマー用スピーカー、つまり家庭用スピーカーについて考えていくのも、
一つの手であるから、このテーマで書こうとは、
モニタースピーカーをテーマにした時から考えていたことだ。

なのにいまになって書き始めたのは、
マジコのM9が登場したことがきっかけになっているといえば、そうである。

ペアで一億円を超えるM9。
今年1月ごろから、M9が登場するというニュース、
そして日本では一億円を超えそうだということは伝わっていた。

価格もだが、M9の重量もすごい。454kgと発表されている。
当然ペアで使うわけだから、908kg。ほぼ1tである。

このM9はいうまでもなくスタジオモニターではない。
その意味では家庭用スピーカーであるわけだが、
M9を家庭用スピーカーと言い切っていいのだろうか。

もうそんなことでスピーカーを考える時代ではない──、
そういう考えもできるけれど、
JBLのモニタースピーカーやUREIの813、BBCモニター、
K+HのOL10など、そういった1970年代後半のモニタースピーカーに憧れてきた世代の私は、
そういう捉え方をしてしまうところが残っている。

そして、もう一つ。
アルテックのModel 19のことを最近思い出すことが増えてきた。
このことも、このテーマで書き始めたきっかけである。

Date: 9月 1st, 2022
Cate: モニタースピーカー

モニタースピーカー論(家庭用スピーカーとは・その1)

いまも続いているJBL 4300シリーズの全盛期は、1970年代後半といっていい。
4343があり、4350もあり、
4333、4331、4311、4301などがラインナップされていて、
そのどれもが、4343ほどではなかったけれど、よく売れていたし、
このうちの一機種か二機種、もしくはそれ以上が、
オーディオ販売店に展示してあったし、聴く機会も少なくなかった。

この時代のJBLは、
これらのモニタースピーカーをベースにしたコンシューマー用モデルも用意していた。

4331の家庭用がL200、4333はL300、
4343の場合はL400(残念ながらプロトタイプで終ってしまった)などがあった。

アルテックはどうだったか、というと、
Model 19があった。

ウーファーが416-8C、ドライバーが902-8B、ホーンが811Bからなる2ウェイ・フロアー型。
15インチ口径ウーファー搭載のフロアー型といっても、
サイズはW76.2×H99.0×D53.3cmである。

縦に長くスマートな印象の外観ではなく、
愛矯のあるズングリしたプロポーションともいえるが、
スピーカーの場合は、安定感にそれはつながっていく。

Model 19はステレオサウンド 45号のスピーカーシステムの総テストにも登場している。

Date: 8月 31st, 2022
Cate: 選択

オーディオ機器を選ぶということ(再会という選択・その8)

別項で触れているラックスのKMQ60、
とある人が自作した50CA10のシングルアンプ、
これらのアンプは、ここでのテーマである「再会と選択」とは無関係といえば、
そうなのだが、でも一方で50CA10という真空管に目を向ければ、
それは私が初めて聴いた真空管のオーディオアンプに使われていた出力管であり、
50CA10には憧れも思い入れも特に持っていないが、
そう私が初めて聴いた真空管アンプ、ラックスのLX38には思い入れは、いまもある。

LX38を何らかの手段で購入していれば、
ようやくまた会えましたね、と心の中でつぶやく程度の再会といえなくもない。

けれど、私のところにやってきたのは、
50CA10を使っているし、SQ38FDのパワーアンプ部を独立させたといえるMQ60のキット版。
それでも、なんとなく再会という感じがしないわけではない。

とはいえ、今回KMQ60と50CA10のシングルアンプがやって来たのは、
選択した結果ではない。
偶然から、やって来たのだから、再会という選択をしているわけではない。

そんなことはわかっていても、やっぱり再会といっていいよね、とひとりごちる。

Date: 8月 31st, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(50CA10単段アンプ・その11)

真空管アンプの自作に強い関心をもつようになったのは、
無線と実験に載っていた伊藤先生のEdの固定バイアスのプッシュプルアンプである。

このアンプは、
ラジオ技術、初歩のラジオ、無線と実験などに掲載されていた真空管アンプとは、
とにかく佇まいがまるで違っていた。

伊藤先生以外の真空管アンプの記事は、
真空管、真空管アンプの勉強のために読んでいた、ともいえるが、
伊藤先生の記事だけは違って、これをそのまま作りたい、と初めて思ったほどだった。

つまり武末数馬氏の記事も、私にとっては、勉強のための記事であった。
武末アンプを作りたい、と思ったことはない。

その8)の最後に書いた、
武末数馬氏のアンプに憧れたことは一度もなかった──、
とはこういう意味を含めてである。

それでも武末数馬氏の記事は割と熱心に読んでいた。
ECC81のパワーアンプは、いまでも追試してみたいと思っている。

ECC81を複数本並列接続しての出力5W+5Wのパワーアンプは、
どんな音がするのか、なかなか想像がつかない面もある。

こういっていいのなら、私は武末数馬氏のアンプの音には関心がなかった。
勉強にはなる記事とは思っていたけれど、
だからといって、そのアンプが私の求める音、満足する音を聴かせてくれるようには、
なんとなくではあったけれど感じられなかった。

別に武末数馬氏のアンプだけではない、
ほとんどの自作アンプの記事が、私にはそうだった。

それでもここで武末数馬氏の名をあげているのは、
勉強になったからである。

Date: 8月 30th, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(50CA10単段アンプ・その10)

50XA10の単段シングルアンプをつくるにあたって、
こういう音を目指す、というようなことは何ひとつない。

ただただ単純に、50CA10の単段シングルアンプを作る材料が、
主にトランス類が揃っているということ、
それに50CA10の音を、自分の手で確認しておきたい──、
そのくらいの動機である。

真空管も最初から50CA10だし、
トランス類もすべて決っている。

私が選択するのは抵抗とコンデンサーぐらいであるが、
それだって、単段シングルアンプだけに使用する部品数は極端に少ない。

あれこれいじって音作りをしようという目的には、あまりそぐわない。
だからといって、とりあえず音が出ればいいや、という気持で取り組むわけではない。

作る以上は、自分で使う気になるモノでなければならない。
音が求めるクォリティに達していなければ、すべて無駄とはいわないものの、
六十を目前の男が作る意味はない。

十代のオーディオに興味を持ったばかり、
真空管アンプの音に興味があって、自分で作ってみたい──、
もうそういうこととはなにもかもが違う。

Date: 8月 30th, 2022
Cate: 純度

純度と熟度(とモービル・フィデリティの一件・その6)

9月1日に、ステレオサウンド 224号が発売になる。
ステレオサウンドのサイトでは、224号の内容について告知されていないが、
電子書籍を配信しているフジサンのサイトでは、告知されている。

それによると特集は、「一斉試聴で探る最新スピーカー40モデルの魅力」。
そして第二特集が、「[オーディオの殿堂]入りモデル愛用者訪問」。

その他にいくつかの記事が続いて、連載記事である。
224号から、和田博巳氏が復活のようである。

ちなみに表紙はエソテリックのアナログプレーヤーである。

少なくともフジサンのサイトで公開されている224号の内容をみるかぎり、
モービル・フィデリティの記事は、ない。

予想通りというしかない。

Date: 8月 29th, 2022
Cate: 基本, 音楽の理解

それぞれのインテリジェンス(その7)

ここ数週間、シューベルトを聴くことが増えている。
主に交響曲を聴いている。

九番を、主に聴いている。
一楽章から聴きはじめると、四楽章まで聴くことが多い。
長いから、途中で、と思うこともあるのだが、
聴きはじめると最後まで聴いている。

そのあいまに、シューベルトの他の曲を聴く。
聴きながら、というか、聴き終ってひとつ思い出すことがあった。

その前に、五味先生の文章を読んでほしい。
      *
 もともとシューベルトという人は、細ぶちの眼鏡をかけ、羽ペンを把った肖像画などから大へん風采のすぐれた青年のごとき印象を私たちに与えてくれるが、ほんとうは、短身で、ねこ背で、ひどい近視で、そのうえ顔色のさえぬ見すぼらしい人物だった。加えるに、会話がへたで、自分の思っていることも満足に表現できず、いつも、オロオロしていたそうだ。
 気心の知れた友人や、したしい者にはうちとけて話をしたが、初対面の相手には非常に臆病で、そわそわし、とくに女性に対してはこの傾向がいちじるしかったという。女性の前に出ると口もきけぬ、小心でちびで、貧乏なそんな男が女性にモテるわけがない。映画なんかでは、大へんロマンティックな恋をする音楽青年が登場して、伝記風にその生涯が描かれてゆくが、本当は、一度のロマンスにもめぐまれなかったシューベルトは青年なのである。彼の音楽が湛えているロマンティックな香気、抒情性は、あくまで彼の魂の内だけのもので、その才能が生み出したものであり、現実はみじめで暗い青春だった。
 私は、そんな実在のシューベルトが好きだ。女性に一度も愛されたことがなく、性病をわずらって(おそらくタチのわるい娼婦にかかったのだろう)その性病に苦しみぬいて死んだ青年が、あれだけ珠玉の作品をうみ出していることに泣けてくる。いつの場合にも、芸術はそういうものだし悲惨な生活で紡むぎ出された美の世界とはわかっているが、でも、ベートーヴェンやブラームス——あのマーラーに比してさえ——シューベルトの実人生は痛ましすぎる。
 そんなシューベルトの暗い影と、天分のあざやかなコントラストが手にとるようにわかるのが、作品一五九のこの『幻想曲』だ。曲としては、彼のヴァイオリン・ソナタの第四曲目にあたるが、ソナタ形式の伝統からかなり逸脱していて、全曲は途切れることなく(楽章別の長い休止をおかずに)演奏される。曲趣もボヘミア的、スラブ的な色彩がつよいので、ソナタの名称を用いず『幻想曲』風にまとめられた。
 まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、一度この曲を聴いてほしい。こんな旋律の美しい、哀しい、日本のわれわれにもわかりやすい、いい意味での甘さ、感傷に満ちた作品は、そうざらにはない。しかも優婉で、高雅である。どうしてこれほど天分ゆたかな青年芸術家を、周囲の女性——おもに良家の令嬢——はわかろうとしなかったんだろう、愛せなかったのであろう……そんな余計なことまで考えたことが、私にはあった。——もっともこれが初演されたとき、幻想曲としては長大すぎるので演奏の途中で、帰ってしまった批評家がいたそうだ。「常識以上の長さ」と冷評した専門家がいたともいう。大方の音楽家でさえ当時はそんな無理解でしか、シューベルトに接しなかったのだから、令嬢たちが無知だったとは、いちがいに言えないが、しかし、聴けば分ることである。
 一体、どこに退屈する余地があろう、全篇、いきをのむ美しさではないかと、私なんかは当時の批評家とやらのバカさ加減にあきれたものだが、まあ、そんなこともどうでもいい。とにかくお聴きになってほしい。
(「ベートーヴェンと蓄音機」より)
     *
シューベルトも天才である。
モーツァルトもベートーヴェンも、そうである。

いまから三十年ほど前のこと。
平成になって二年ぐらい経ったころだった、
新宿の紀伊國書店で本を探していた時、ある女性が店員に訊ねていた。

「モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトについての子育て、
教育法についての本はありませんか」と。

Date: 8月 29th, 2022
Cate: High Resolution, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その6)

HDtracksが数日前からMQAを取り扱うようになった。

TIDALでのMQAのタイトル数と比較すると始まったばかりということもあって、
かなり少ないけれど、HDtracksはダウンロード購入ができる。

TIDALは、というと、昨夏はソニー・ミュージック、ソニー・クラシカルが、
MQAに積極的に取り組むようになって、相当な数のアルバムが、
いまではMQA Studioで聴けるようになったことは、すでに書いてきた。

いま私が注目しているのは、ワーナー・クラシックスである。
こちらも夏あたりからMQAに力を入れてきている。

ソニーはアナログ録音や最新録音だけでなく、
44.1kHz、16ビットのデジタル録音もMQAにしている。

ワーナー・クラシックスも同じ方針でいっているようである。
デジタル初期の録音がMQAで聴けるようになりつつある。
旧EMIの録音が、MQAで、いままで以上に聴けるようになりつつある。

アンネ=ゾフィ・ムターと
アレクシス・ワイセンベルクによるブラームスのヴァイオリン・ソナタ、
廉価盤のジャケットではあるが、MQA(44.1kHz)であるのを昨晩見つけた時は、
かなり嬉しかったし、このアルバムがMQAになっているということは──、
と思い、いくつかのアルバムを検索してみると、いつのまにかMQAで配信されている。

昨夏のソニーの勢いほどではないが、なかなか積極的なようだ。
この分で行くと、来夏はユニバーサル・ミュージックの番か。

MQAに否定的な人は相変わらずだが、MQAは確実に拡充していっている。
なのに日本は……、といいたくなる。

Date: 8月 28th, 2022
Cate: 純度

純度と熟度(とモービル・フィデリティの一件・その5)

食品擬装。
今回のモービル・フィデリティの件を知って、
このことも思っていた。

私と同じように、食品擬装のことを思い出した人も少なくないだろう。
根っこは同じなのかもしれない。
そんな気もする。

私が東京に来た頃(ほぼ四十年前)は、食に関する情報はそれほど多くなかった。
美味しい店を取り扱った書籍も少なかった。

それが1980年代半ばごろから増えていったように感じている。
そしてインターネットの普及によって、四十年前とは比較にならないほど、
食に関する情報、美味しい店に関する情報は増えすぎてしまった。

そしていつのころからいわれるようになったのは、
日本人は、情報を食べている、である。

誰が言い始めたのは知らないが、そういわれてもしかたない面もある。
そしてオーディオマニアも情報を聴いている──、
そんなふうにもいわれるようになった。

でも、昭和の時代から、井上先生は「頭で聴くな」といわれていた。
昔から、情報を聴いていたのだろう。

情報を食べている、聴いている。
同時に幻想も食べている(聴いている)のではないだろうか。

この店が美味しい、これが美味しい。
こういった情報は、同じ情報源を見ているのであれば共通している。
その情報をどう捉えるかは人によって違ってこようが、
情報そのものは変らない。

けれど幻想は、人によって違う。

Date: 8月 28th, 2022
Cate: 純度

純度と熟度(とモービル・フィデリティの一件・その4)

モービル・フィデリティがやらかしてしまったことをあげつらうつもりはない。
やってしまったな、
というよりもやらかしてしまったなぁ、という感じで受け止めているだけだ。

私が興味があるのは、問題のモービル・フィデリティのアナログディスクの音である。

レコーディング事情に詳しい人の話によると、
海外の録音エンジニアは、デジタル録音しても、
マスタリングの過程で一度アナログに変換しなおして、アナログ処理。
そして再びデジタルに変換して、ということが特殊な事例ではなく、
当り前のこととして行われている、ということだった。

デジタルだからデジタルですべて完結しなければならない。
アナログだからアナログですべて完結しなければならない。

オーディオマニア側からすれば、そうしてくれたほうが変換作業が少なくなるわけだから、
音質の劣化は少ないと捉えがちだし、より純度が高いアプローチだとも思いがちだ。

純度を最優先すれば、確かにそうである。
けれど音の良さというのは、純度だけで決定されるわけではない。
ここでのタイトルでもある熟度も、また重要なことだ。

結局、純度と熟度の兼合い、バランスではないだろうか。
今回のモービル・フィデリティの件は、
音源制作過程における純度と熟度について考える一つのきっかけではあるはずだ。

Date: 8月 27th, 2022
Cate: 純度

純度と熟度(とモービル・フィデリティの一件・その3)

その1)へのコメントがfacebookであった。

それによるとモビール・フィデリティが疑われたことの発端は、
マイケル・ジャクソンの「スリラー」のアナログディスクを、
四万枚プレスするという発表である、とのこと。

モービル・フィデリティは、その方のコメントにもあるように、
アナログ録音のマスターテープをレコード会社から借りてきて、限定で復刻、
しかも高品質を保つために少量生産が特徴だったのに、
「スリラー」に関しては、発売枚数の桁が違う。

アナログディスクの場合、
いうまでもなくラッカー盤をカッティングすることから始まる。

モービル・フィデリティは、
このカッティング時にマスターテープを使用することが売りだったはず。

一回ラッカー盤をカッティングすれば、何万枚でもプレスできるのであれば、
今回のようなことは起らなかった。

実際はそうではない。
ラッカー盤をもとにスタンパーを作り、アナログディスクはプレスされていく。
このスタンパーが無限に同品質でプレスができれば、カッティングは一回で済む。

けれどプレスの度にスタンパーの形状もわずかずつではあるが変化していく。

つまり、何万枚とプレスするのであれば、カッティングも一回で済むわけがない。
モービル・フィデリティが「スリラー」の四万枚のために、
何回カッティングを行ったかはわからないが、
カッティングの回数の分だけマスターテープを再生するということを、
そのマスターテープの所有者であるレコード会社が許可するのか。

このあたり、レコード会社とモービル・フィデリティのあいだでどういう契約になっているのか。
部外者には知りようもないことだが、
何度でも再生してもいいよ、とレコード会社がいうとはとうてい思えない。

ならば、ということで、マスターテープのコピーをモービル・フィデリティは、
DSDに変換したのか。
それともレコード会社がDSDに変換したものを使用したのか。

Date: 8月 26th, 2022
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(50CA10単段アンプ・その9)

ある時期まで、日本で最も多くオーディオマニアに聴かれた真空管(出力管)といえば、
50CA10だったのかもしれない。

ラックスのSQ38シリーズでの採用、
MQ60、そのキット版のKMQ60でも使われている。

以前のステレオサウンドのベストバイでは、
読者の現在使用中の装置というアンケート結果が載っていた。

プリメインアンプでは、SQ38シリーズが一位だったことが続いていた。
そのころはパワーアンプでも、MQ60、KMQ60もけっこう高いところにランクされていた。

私がステレオサウンドにいたころ、井上先生は、
日本における真空管アンプの音の印象というのは、
ラックスのSQ38シリーズによって作られた、といってもいい──、
そんなことを何度かいわれていた。

あたたかくやわらかい音。
すべての真空管アンプに共通する音ではない。

真空管アンプでも、硬い音のアンプもあったし、あたたかくはない音もあった。
にも関わらず、日本では真空管アンプはあたたかくやわらかい音というのは、
やはりSQ38シリーズの影響がそうとうに大きい、といっていいだろう。

いうまでもなくSQ38シリーズ、MQ60に使われていたのが、50CA10である。

SQ38シリーズが製造中止になって、後継機種のLX38も製造中止になっても、
それまでにはかなりの数の、これらのアンプは売れていたのだから、
すぐに誰も使わなくなるということはなかったはずだ。

長い期間、これらのアンプの音は、日本の真空管アンプの音として現役だった。

いまでこそ50CA10を使ったアンプは聴いたことがない、という人が多いだろうが、
昭和の時代はそうではなかった。

だからといって、50CA10の単段シングルアンプを自作して、
そういう音を再現したいわけでもない。