i/o
20年ぶりのピーター・ガブリエルのニューアルバム“i/o”が、
今年もっとも待ち遠しい一枚である。
詳細はまだ発表になっていないが、昨年6月の時点では2022年発売だったのが、
11月になって2023年に変更になっていた。
5月からはi/o The Tourが始まるので、その前には発売になるのだろう。
勝手に2月13日(ピーター・ガブリエルの誕生日)あたりじゃないか、と期待している。
MQAで聴けるはず、とも期待している。
20年ぶりのピーター・ガブリエルのニューアルバム“i/o”が、
今年もっとも待ち遠しい一枚である。
詳細はまだ発表になっていないが、昨年6月の時点では2022年発売だったのが、
11月になって2023年に変更になっていた。
5月からはi/o The Tourが始まるので、その前には発売になるのだろう。
勝手に2月13日(ピーター・ガブリエルの誕生日)あたりじゃないか、と期待している。
MQAで聴けるはず、とも期待している。
大晦日の夜おそくに、グールドの平均律クラヴィーア曲集を聴いていた。
第一集を、TIDALでMQA Studioで聴いた。
今日の朝、やはりグールドを聴いた。
第二集ではなく、モーツァルトのピアノ・ソナタを聴いていた。
Vol.1、2、4を聴いた。
もちろんTIDALでMQA Studioだ。
最新のピアノ録音を聴きなれた耳には、
グールドの残した録音は、どれも古く聴こえる。
バッハとモーツァルトはアナログ録音だし、もう五十年ほど前のことだ。
聴いていると、そんなに経つのか──、とおもうこともある。
たしかに音は古さを感じさせるところがある。
けれど、それは音だけであって、しばらく聴いていると、そのことさえさほど気にならなくなる。
「録音は未来だ」ということだ。
2014年4月に書いたことを思い出している。
日本刀を研ぐ。
研究、研鑽の研と同じ。
音を良くするための行為は、この研ぐと共通するところがあるし、
研ぐにはとうぜん砥石が必要である。
音を研いでいく(磨いていく)には、いったいどういう砥石が必要となるのか。
研師は、そのシステムの所有者である。
研師と砥石があれば、それで研げる(磨げる)わけではない。
水が必ず必要となる。
音を磨いていくのに必要な水、
これはなににあたるのか。
いまだはっきりとした答を出せないでいる。
オーディオアクセサリーの187号は、186号を読んだ時から、
ある意味楽しみにしていた。
パラダイムのスピーカーシステムを、次はどう扱う(どう記事にするのか)、
それが楽しみだった。
187号は少し前からKindle Unlimitedで読める。
187号も、オーディオアクセサリー的に見事だな、と変な意味で感心した。
「パラダイムのハイブリッドスピーカーを聴こう」という記事が載っている。
パート1とパート2の二本立て。
二本あわせて8ページの記事。
続いてマーティン・ローガンの記事が4ページ続く。
ここが、オーディオアクセサリー的といえる。
パラダイムとマーティン・ローガンの輸入元はPDNである。
PDN取扱いブランドの記事が12ページ続いているわけだ。
186号からのこういう展開が、いかにもオーディオアクセサリー的だと感じる。
ここから脱することができるのか──、
と書きたいわけではない。
これこそがオーディオアクセサリーなのであって、
編集者たちも脱しようとはまったく考えてないだろうし、
そこに乗っかってくるクライアントもいる。
パチモンとパチモン的新製品は違う。
ここで書いているパチモン的新製品とは、過去の自社製品のパチモン的という意味である。
他社製品のパチモンという意味ではない。
他社製品のパチモンは、いわばまがいものといえる。
パチモン的新製品は、まがいものなのか。
過去の自社製品のパチモン的新製品なのだから、はっきりとまがいものとは言い難い。
とはいえ、まがいものではない、ともいえない。
微妙なところにある製品である。
昨晩、別項で引用した岩崎先生の文章。
そこには《ハイファイというのはそういうぜいたくが必要なのである。しかし、それはたとえ少しでもまがい者的ではいけないのだ》とある。
日本には、昔ジムテックというメーカーがあった。
JBLとアルテックのブランドをあわせたのが、ジムテックである。
もうブランド名からして、パチモンでありまがいものである。
実際の製品もそうだった。
どんな製品だったのかは、the re:View (in the past)をみてほしい。
ジムテックと比較すれば、パチモン的新製品はまだましといえる。
けれど、そこにまがいものの臭いを感じるのかどうかは、人によって違ってくるのだろうか。
パチモン的新製品は安価なモノではない。
むしろ高価なモノだったりする。
贅沢品である。
その贅沢は、岩崎先生がいわれるところの「ぜいたく」なのだろうか。
2022年、最後に観た映画は
「ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY」だった。
ホイットニー・ヒューストンのファンではないし、
ホイットニー・ヒューストンの歌をきちんと聴いたのは、
彼女が主演した映画「ボディガード」が最初だった、という程度なのだから、
そのくらいの聴き手でしかないのだけれど、
映画を観る(観ない)は、予告編の出来も関わってくることもあって、
年末、時間もあったから観ていた。
映画のなかで、アリスタ・レコードの社長クライヴ・デイヴィスの部屋が登場する。
そこでのオーディオ機器は、アンプはマッキントッシュだった。
ほんとうにクライヴ・デイヴィスの社長室にマッキントッシュがあったのかどうかは、
私にはわからないけれど、マッキントッシュが使われていてもおかしくはない。
カセットデッキはヤマハだった。
マッキントッシュが登場する映画やドラマはけっこうある。
私が観たなかでは、1986年の「ナインハーフ」で、
マッキントッシュはかなり大きくスクリーンに映し出されていた。
そのころは、おっ、マッキントッシュだ、とストレートに受け止めていた。
映画のなかでオーディオ機器が大映しされることを、素直に喜んでいた。
そのころよりも、マッキントッシュはアメリカの映画、ドラマによく登場するようになった。
頻繁に,といいかえてもいいぐらいに、
私が興味をもつ映画、ドラマには登場しているのは、偶然ではなく、
マッキントッシュの積極的な広告手段としてのことなのだろう。
別項で、マッキントッシュは自社製品のパチモン的新製品を出している、と書いている。
それだけではない、最近のマッキントッシュのデザインを美しいとはいえないどころか、
終っている──、そういいたくなる製品も出てきている。
アナログプレーヤーはまさにそうである。
MT10を見た時の衝撃は大きすぎた。
もちろん、いい意味ではない。
あきからにおかしくなっている(すべての製品ではないけれども)。
このおかしくなっていることと、
アメリカの映画、ドラマによく登場するようになったこととは無関係とは思えない。
別項で「好きという感情の表現」を書いている。
「好きという感情の表現」を書き始めたときには、さほど意識していなかったけれど、
今年一年、あれこれあっておもうようになったのは、
好きは感情であって、好きと愛は違う、ということだ。
オーディオ愛、音楽愛、
これらだけでなく、他にも○○愛という表記は、よく目にするし耳にもする。
けれど音楽愛にしてもオーディオ愛にしても、
実のところ、好きという感情だけでなく、
感情すべてを削ぎ落としていった先にあるのではないのか──、
そんなことを考えるようになった一年だった。
誰かを好きになる。
それは、その人を愛しているのか。
そのことに疑問を抱くようになった。
誰かを好きになって、
その人に会いたい、とか、いろいろなことをおもったりする。
好きという感情、会いたいという感情、
その他、いろいろな感情を根こそぎ削り落としていけるのか。
削ぎ落としていって、何もなかったとしたら、
そこには愛はなかったのではないか──。
そんなことを考えるようになったから、
ひとつ前の「オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる(その15)」である。
《オーディオはすでに消えてただ裸の音楽が鳴りはじめる》
感情を削ぎ落としていくことの末に、その境地はあるのだろうか──、と考えることがある。
別項でも引用したことを、ここでもしておこう。
スイングジャーナル 1972年8月号のオーディオ相談室に、こんな質問が読者から寄せられている。
*
質問:トリオPC300、TW61でサンスイSP100を6畳洋間にて鳴らす。20万円台でグレード・アップしたいが、アンプとスピーカーをそろえたいと思っています。店でジムテックの音を聴いてみて、好みにあった音なのでNo.1000を予定。ラックス507Xに組み合わせようと思いますが、SJでジムテックをとりあげないのはなぜでしょうか。音も評判もいいと思いますが。
回答:組み合わせに対してのお答えは、キミがイイと思ったらそれが一番イイ。ひとにいいといわれたってその気になれるもんじゃないし、やはり自主性、主体性がなにより先決なのは人生すべてそう。
「ジムテック」についても自主性、主体性の欠如が問題なのであって、音の良し悪し以前の問題。商品として、金をとって売る品物としての自主性が完全に欠如しているのでは? ひとの名声の無断借用的根性が、SJをしてとりあげさせない理由だろう。音楽にひたる心のふれあいのひとときを演出するのが、ハイファイ・パーツ。そこに気になるものがわずかなりとも存在することに平気なら、どうぞジムテックを。何10万もする高価な海外製品を使うのも心の安らぎと、ぜいたくに過ごしたいという夢からなのだ。ハイファイというのはそういうぜいたくが必要なのである。しかし、それはたとえ少しでもまがい者的ではいけないのだ。
*
回答者は岩崎先生である。
こんなふうに答えてくれる人は、あまりいなかった。
ゼロとはいわないけれど、
オーディオ雑誌の読者相談コーナーの担当オーディオ評論家は、
こういう質問に対して、岩崎先生のような答をする人は、ほぼいなかった。
たいていは、その組合せはいい、とか、アンプ(もしくはスピーカー)は別のモノにしたほうがいい、
そんな感じの回答が大半だった。
あのころはオーディオ雑誌には、読者相談コーナーはあたりまえのようにあった。
このコーナーが消えていったのはいつごろからなのだろうか。
なくなってよかった、と私は思っている。
けれど、オーディオ雑誌からはなくなっていたが、
結局、インターネット(ソーシャルメディア)に移っただけのようだ。
回答するのはオーディオ評論家ではない。
そのソーシャルメディアに参加しているオーディオマニアの人たちだ。
といっても、回答する人の顔ぶれは決っているようでもある。
私は、ソーシャルメディアのオーディオのグループには、
海外の自作関係のいくつかとSAE、GAS関係のもののいくつかには参加しているけれど、
日本のオーディオのグループには参加していない。
それでもソーシャルメディアでつながりのある人が、
そういうグループで投稿したりコメントしたりする表示される。
そういう投稿とコメントを、今年は何回か見た。
見たかったわけではないが、表示されるので眺める。
なぜ、アルテックのリボン状のリード線は断線しやすいのか。
おそらく、その理由は(その3)に書いていることと深く関係してはずだ。
604-8Gのダイアフラムも、タンジェンシャルエッジである。
タンジェンシャルエッジはダイアフラムの前後運動にともない、
右に左に(時計回り、反時計回りに)回転運動を起こしている。
エッジの形状からして、このことは推測できるし、
実際に測定もされている。
回転運動といっても、それはわずかな角度だ。
とはいえ、リボン状のリード線にとっては、
ダイアフラムのピストニックモーションのたびに右に左に捻られているわけだ。
これでは使っているうちに、いつかは断線してしまう。
古いアルテックのコンプレッションドライバーを持っている人は、
当時のアルテックのダイアフラムのリード線が断線しやすいことを知っている(体験している)。
あのリボン状のリード線は、見るからに断線しやすい形状だ。
実をいうと、私が持っている604-8Gのダイアフラムもこのタイプで、
片側+と−で二箇所、両チャンネルで四箇所、きっちりと断線している。
ダイアフラムを交換すれば済むことなのだが、
アルテックは実質的に存在しない。
いわゆる純正のダイアフラムは入手困難だし、
出てきたとしてもけっこうな値段がついている。
どうしてもオリジナルでなければならない、という強いこだわりを持っている人ならば、
かなり高額でもオリジナルのダイアフラムを買うことだろう。
でも、そうやってオリジナルのダイアフラムを買ったとしよう。
私の場合は、リボン状のリード線のダイアフラムとなる。
当然、断線しやすいのはそのままだ。
私は、オリジナルにこだわる気持とこだわらない気持との両方を持つ。
604-8Gの場合、オリジナルのダイアフラムをさがそうとはまったく考えていない。
そんな私が第一候補としているのが、アメリカのRADIANのダイアフラムである。
日本では、コージースタジオが輸入元になっている。
RADIANのダイアフラムをアルテックに取りつけると、
アルテックの良さが失われる、という意見が日本にはある。
何をアルテックの良さと捉えているかによって、このあたりの評価はわかれる。
今年劇場で観た映画は三十本弱。
20代のころは百数十本観ていたのだから、ずいぶん減っている。
もっと劇場で映画を、と思いながらも、
NetflixやPrime Videoをけっこうみているから、
つい、もう少し待てば──、そんなことを思ってしまう。
三十本弱という、多くない映画のなかで、
今年いちばん印象に残っているのは、「ミセス・パリス、パリへ行く」だ。
東京では、TOHOシネマズシャンテで、まだ上映している。
もう一度観たい、と思っているところ。
今年は、オーディオ機器がやって来た一年ともいえる。
春にヤフオク!でGASのTHAEDRAを手に入れた。
今年は、ここから始まったといえる。
いくつかはここでも書いたが、書いていないモノもいくつかある。
ひさしぶりに真空管アンプもやって来た。
三十数年ぶりか。
そして終のスピーカーもやって来た。
終のスピーカーといっしょにやって来たモノがいくつかある。
CDトランスポート、コントロールアンプ、パワーアンプ、
それにグラフィックイコライザーとデヴァイダーである。
すべてを使う予定はないので、コントロールアンプとグラフィックイコライザーは、
友人のところに、残りは私のところに、となった。
ここに書いていない、けっこう大型のモノもある。
これは友人に預ってもらっている。
置く場所もないし、使う予定もない。
とにかく、いろんなオーディオ機器がやって来た。
こんなに多くのオーディオ機器がやって来た年は、初めてである。
そんなふうにして今年は終ってゆくし、
これらをきちんとセッティングすることから来年は始まる。
別項で「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」を書いている。
そう、いまは、これからはずっと「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」が続いている。
その「岩崎千明と瀬川冬樹がいない時代」に、
私はジャーマン・フィジックスのTroubadour 40で音楽を聴いていく。
そのことを意識した2022年12月だ。