Archive for category テーマ

Date: 3月 10th, 2025
Cate:

いい音、よい音(通過点)

音は残らない。
どんなにいい音を出しても、それが残るわけではない。

だから、いいと思う。
私がいま鳴らしている音も、私が死ねばそれで終り。

システムはそのまま残ったとしても、
そうだからいって、私が鳴らしていた音が出てくるわけではない。

しばらくはなんとなく、そんな感じの音は出ていても、
それは遅かれ早かれ消えてしまう。

音とは、オーディオとはそういうものだということは、以前から感じていた。

audio wednesdayで音を鳴らすようになって、よけいに感じている。
毎月第一水曜日に鳴らす音は、その場かぎりの音である。
どんなにいい音で鳴っても、システムそのものもその日かぎりだったりするから、
儚さを感じるかといえば、そうでもない。

音は、オーディオはどこまで行っても通過点である。
いい音が鳴ってきた日の音は、はっきりと通過点となる。

そうしていくつもの通過点がある。
それらの通過点を、そのまま通過点として点在させているだけなのか、
それとも通過点を結んでいけるのか。
「音は人なり」とは、こういうことでもあるはずだ。

Date: 3月 9th, 2025
Cate: アクセサリー

仮想アース(こういう方法も……・その12)

3月5日のaudio wednesdayでも、今回の仮想アースをやっていた。
外した音、取り付けた音の確認は準備中にやっているので、
当日来られた方に比較試聴は体験してもらっていない。

今回は、アインシュタインのコントロールアンプのアース端子に接いだ。
今回使ったモノは、2月29日に、改めて作ったヴァージョン。

前回のモノと大きな違いはないが、今回のモノの方が効果は大きいように感じられる。

こうやっていくつかのヴァージョンを作って、比較試聴を行えば、
なぜ、これがいい方向に作用するのかの仮説は立てられるかもしれない。

Date: 3月 8th, 2025
Cate: audio wednesday

FRANCO SERBLIN Ktêma、ふたたびを終えて(その3)

今回、来られた方から、イタリアのスピーカーだから、
イタリアのオペラや音楽はかけられないんですか、ときかれた。

特に考えていなかった。

スピーカーには、その国ならではの音がある、と昔はよく言われていた。
ステレオサウンドでも、60号でアメリカン・サウンド、
61号でヨーロピアン・サウンド、
62号でジャパニーズ・サウンドを特集記事としていた。

このころは、そういった色合いが、各国のスピーカーから、その音から感じとれた。

それからずいぶん時間は経つ。
そういったことがまったくなくなったとは思っていない。
それでも、今回Ktêmaを鳴らすにあたって、
イタリアのオペラや音楽、イタリアの演奏家を特に選ぼうとは、
まったく考えていなかったのは、
私にとって、Ktêmaはイタリアのスピーカーというよりも、
フランコ・セルブリンのスピーカーという色の方が濃く感じられるからだ。

Ktêmaに使われているスピーカーユニットが、
すべてイタリア製ならば、少し違ってきただろうが、
いまの時代、そうでもない。

ただしイタリアということを完全に無視していたわけではない。

カンタービレ(cantabile)ということは、強くあった。
歌うように、美しく鳴らす。
このことが私にとっては、
イタリアのオペラ、音楽、演奏家のディスクをかけることよりも、
ずっと大事なことであり、意識していた。

Date: 3月 7th, 2025
Cate: audio wednesday

FRANCO SERBLIN Ktêma、ふたたびを終えて(その2)

3月5日のKtêmaでの「直立猿人」の鳴りは、
インターナショナルオーディオショウでのアーク・ジョイアのブースでしかKtêmaを聴いていない人には、
想像がつかないだろう。

そのくらい見事な鳴りだった。

Ktêmaも素晴らしかったわけだが、決してそのことだけで得られた音ではない。
「直立猿人」もMQA-CDだ。
MQAということ、それに加えてメリディアンのULTRA DAC、
それにアンプもあっての「直立猿人」だったと言える。

Date: 3月 7th, 2025
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その24)

ステレオサウンド 234号の313ページの字詰めのひどさは、紙の本でも同じとのこと。
ステレオサウンドも、いまではDTPで制作されているはず。

今回の字詰めは、いわゆる誤植とは違う。
どんなに校正しても、なぜだか誰も気づかずに、本になってしまう誤植というものはある。

でも今回の字詰めは、どんな人が見ても、すぐにわかることだ。
これにどれも気づかないというのが、不思議でならない。

今の時代の校正は、私がいた頃とは違っているのだろうが、
それでも何回かはチェックの目が入るはずである。
一回、誰か一人が見て終りではないはずだ。

少なくとも数人、数回見ているはずと思う。
なのに、編集経験者、校正経験者でなくともすぐに見つけられる字詰めのひどさ。

だらけきっているのだろうか。

Date: 3月 6th, 2025
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第十五夜(FRANCO SERBLIN Ktêma+1.0)

4月2日のaudio wednesdayも、フランコ・セルブリンのKtêmaを鳴らす。

三回続けて鳴らせることになり、試してみたいことができた。
タイトルの+1.0を見て、ピンときた人もいるだろう。

今回の試みがうまくいくのかいかないのか。
半々ぐらいかな、と思っている。それでもやってみたいのは、
うまくいったとしてもそうでなくても、Ktêmaというスピーカーを、
より理解することにつながると感じたからだ。

Date: 3月 6th, 2025
Cate: 老い

老いとオーディオ(とステレオサウンド・その23)

ステレオサウンド 234号をKindle Unlimitedで読んでいるところなのだが、
一点、すごく気になるところがある。

313ページ、本文上段の後ろから七行目、字詰めがひどすぎる。
これは編集者じゃなくともすぐに気がつく酷さである。
なぜ、これがそのままになってしまっているのか。
それとも、この字詰めの酷さは、Kindle Unlimitedだけのだろうか。

紙のステレオサウンドは、まともな字詰めなのか。

Date: 3月 6th, 2025
Cate: 使いこなし

セッティングとチューニングの境界(その31)

簡単なこと、簡単そうに思えることを、
より完璧にやろうとすることが精度。

簡単なこと、簡単そうに思えることは、オーディオにおいても無数と言っていいほどある。

その一つひとつを、きちんとやっていくこと、
そして積み上げていくことが、セッティング(精度)であり、
慣れてくると、そのことを疎かにしがちである。
本人はオーディオのキャリアを積んで慣れているから、
きちんとやっているつもりなのだろうが、そうでないことが結構ある。

そういうのを、いままで何度も見てきた。
やっている本人は、手際良くやっているつもりなのだろう。
けど、それは本当に手際良くやっているのか、と振り返ってみることを忘れてしまっているだけではないのか。

慣れを怖いと思わないことが、オーディオの使いこなしでは、
もっともやっかいで怖いことである。

Date: 3月 5th, 2025
Cate: audio wednesday

FRANCO SERBLIN Ktêma、ふたたびを終えて(その1)

今日のaudio wednesdayは、フランコセルブリンのKtêmaを、先月に引き続き鳴らした。
MQA-CDのみで鳴らした。

結果を先に書くと、予想以上によく鳴ってくれた。
あれこれMQA-CDをかけた中で、私のとっていちばん意外だったのは、
チャールス・ミンガスの「直立猿人」だった。

興味本位でかけた面もある。
でも最初に鳴ってきた音からして、私の予想をはるかに超えていた。
音がピンと立っているとでも言おうか。

その音は、黒田先生がチャールス・ミンガスの「直立猿人」は、
「もっとも大切なレコードのひとつである」と書かれていたことを思い出させた。

Date: 3月 4th, 2025
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第十四夜(FRANCO SERBLIN Ktêma + Meridian ULTRA DAC + MQA-CD・いよいよ明日)

明日(3月5日)、フランコ・セルブリンのKtêmaをふたたび鳴らす。
今回はKtêma以外の機器はがらりと入れ替わる。

前回はアナログディスクのみだったが、今回はCDのみ。
ストリーミングでもなく、さらにはMQA-CDのみに絞る。

アンプは、アインシュタインのセパレート型。
フランコ・セルブリンは、アインシュタインのプリメインアンプを使っていた。

プリメインアンプとセパレートアンプの違いはあるが、
いわば推奨アンプでもあり、Ktêmaにとってリファレンスともいえよう。

アインシュタインのアンプも、Ktêmaを貸してくださっているOさんのモノ。

つまり今回のシステムは入力系以外、Oさんのシステムをほぼまるごと持ってきた、と言える。

今回あえてMQA-CDに絞ったのは、このことと関係している。
OさんにMQAの良さをじっくり味わって欲しいからだ。
そのため、D/AコンバーターはメリディアンのULTRA DACしかない。

Speaker System: FRANCO SERBLIN Ktêma
Control Amplifier: EINSTEIN The Tube II
Power Amplifier: EINSTEIN The Final Cut MK70
CD Transport: Accuphase DP100
D/A Converter: Meridian ULTRA DAC

開始時間は19時。終了時間は22時。
開場は18時から。

会場の住所は、東京都狛江市元和泉2-14-3。
最寄り駅は小田急線の狛江駅。

参加費として2,500円いただく。ワンドリンク付き。
大学生以下は無料。

Date: 3月 4th, 2025
Cate: 「オーディオ」考

「音は人なり」を、いまいちど考える(その28)

腐らないために必要なことは、才能とか自信とかではなく、
結局、覚悟のみだと思う。
覚悟を持って立つことだけが、腐らずにオーディオをやっていける。

Date: 3月 3rd, 2025
Cate: スピーカーの述懐

スピーカーの述懐(その55)

別項でテーマとしている「骨格のある音」。
このことに関して思うのは、音と音らしきものとがあり、
音と音らしきものとは同じではないということだ。

音で音楽を奏でる演奏家と、
音らしきもので演奏する者とがいる、ともいえよう。

このことはスピーカーについても言える。
音を発するスピーカーと、音らしきものを発するスピーカーとがある。

Date: 3月 2nd, 2025
Cate: audio wednesday

audio wednesday (next decade) –第十四夜(FRANCO SERBLIN Ktêma + Meridian ULTRA DAC + MQA-CD)

3月5日のaudio wednesdayでは、MQA-CDのみをかける。

アナログディスクで聴いても、CDで聴いても、
スピーカーの音の判断はできる。
プログラムソースがなんであれ、音の評価はできるわけだが、
MQAで聴いてみたいと思わせるスピーカーと、
あまりそのことを思わせないスピーカーがある。

フランコ・セルブリンのKtêmaは、
私にとってMQAで聴いてみたい(鳴らしてみたい)スピーカーである。

2月のaudio wednesdayでも、そのことを感じていた。
だからメリディアンのULTRA DACを用意して、MQA-CDに絞って鳴らす。

Date: 3月 1st, 2025
Cate: 真空管アンプ

シーメンス Eurodynと真空管OTLアンプ(その3)

オーディオ雑誌の組合せ記事では、現行製品同士の組合せがまず前提となる。
実際のオーディオマニアのシステムは、というと、
オーディオ雑誌の記事そのままと言える組合せの人もいるけれど、
オーディオのキャリアが長くなれば、いくつかの世代のオーディオ機器が集まり、
それらの機器での組合せが作られている。

古い世代のスピーカーに新しい世代のアンプ、
反対に新しい世代のスピーカーに古い世代のアンプ、と言った組合せがある。

前者の組合せでは、古い世代のアンプでは感じとれなかった魅力を、
発見することもあり、そう珍しいわけでもない。

今回のシーメンスのEurodynとアインシュタインのアンプの組合せは、
古い世代のスピーカーと新しい世代のアンプの組合せとなるわけだが、
Eurodynとアンプの時代の違いは、かなり大きい。

Eurodynの原型からするとほぼ半世紀ほどの開きがある。

古い世代のスピーカーと新しい世代のアンプの組合せは、
うまくいくこともあれば、そうでないことももちろんある。

同世代のアンプでは聴きとり難かった音が聴こえたら、
このスピーカーにはこんな良さ(魅力)があったのか、とかんじながらも、
どこかに、何となくではあるものの違和感的なものを感じたりすることもままある。

アインシュタインのアンプで鳴らすEurodynの音に違和感がない、
と書いたのは、そういうことである。

だからといって、その音に新しい発見や魅力を見出せなかったわけではない。

Date: 2月 28th, 2025
Cate: 真空管アンプ

シーメンス Eurodynと真空管OTLアンプ(その2)

アンプにしてもスピーカーにしても方式や素材によって、
出てくる音の全てが決定づけられるわけではないことは、
もちろんわかっている。

それでも「真空管OTLアンプ」は、それだけで少し特別な存在なのは、
私ひとりだけではないはずだ。

オーディオに興味を持ち始めたころ、
無線と実験、ラジオ技術で、真空管OTLアンプの製作記事や、
それに関する記事を読むと、いつかは自作してみたい、とも思うようになる。

そのころ、真空管OTLアンプの火を灯し続けていたのは、日本だった。
カートリッジに関しても海外メーカーがMC型から徹底していく中で、
ずっと作り続けてきたのは、日本のメーカーであり、
真空管OTLアンプについても同じと言えた。

とはいえ、そのころの日本の真空管OTLアンプを聴く機会はなかった。
マックトン、エトーン、マクソニックなどがあった。

私が聴いた真空管OTLアンプといえば、
カウンターポイントのSA4、フッターマンのシリーズ全機種であり、
フッターマンのOTL4の音には、かなり惹かれるものを感じたし購入を迷いもした。
けれど購入にいたらなかったのは、
ステレオサウンドでの試聴の準備中に平滑コンデンサーが爆発したことがあったからだ。

SA4は、ステレオサウンド試聴室に常備されていて、
かなりの回数、いろんなスピーカーで聴いている。
いいアンプだと感じつつも、欲しい、とまでは至らなかった。

アインシュタインが真空管OTLアンプを出していることは知ってはいても、
聴く機会はなかったし、日本での取り扱いを、輸入元は辞めてしまった。
そのアインシュタインのThe Final Cut MK70を聴いた。
シーメンスのEurodynで聴いた。

違和感のない音が、聴けた。