Archive for category テーマ

Date: 11月 1st, 2015
Cate: 「スピーカー」論

トーキー用スピーカーとは(その12)

トーキー用スピーカーといえば、まずウェスターン・エレクトリックのスピーカーのことである。
その次にシーメンスのスピーカーが、私の場合は頭に浮ぶ。

ウェスターン・エレクトリック、シーメンスときいて、私はそれぞれのスピーカーの型番よりも、
まず先に思い出すのは伊藤先生のことだ。

伊藤先生はトーキーの仕事をされてきた方だ。
伊藤先生はトーキー用スピーカーのことをどう表現されているのか。

ステレオサウンド 24号掲載の「獄道物語(2)」で、
劇場用と家庭用の音のあり方、について書かれている。
     *
 映画の音に就いて甚だ感覚的な談をさせて頂くが、前号にも述べたように今まで自分が追求していた音のすべては自分の住居の広さ、つまり極めて狭い場所で鑑賞していたのに較べて映画の音は劇場のあの広さの中で聞くのである。しかも入場税までも払って鑑賞するのである。「新発売、当社のステレオ装置試聴会にご招待、粗品呈上」とはわけが違う。聴衆は貪欲に聴こうとする。
 とにかく金を払ったからには聞く方は必死であり、金を取ったからには聞かせる方も真剣である。スクリーンに画が映るというおまけがあるが私達には音の方が大切である。
 ウェスターンの再生装置を確認して入場するのである。勿論光学録音であるから自分の所有している再生装置と音を較べくもないが問題は休憩時間に演奏してくれるディスクである。一般に市販されているレコードをかけてくれるのである。
 ステージに据付けられた五五五型のレシーバーから流れ出るその音は、最早私に帰宅して自作のシステムを聞こうとする意欲を完全に喪失させてしまうほどの絶品であった。
 英国フェランティのスピーカーとトランス、そして英国マルコニのピックアップで組み上げた私の装置も顔色なく、よい音を出すには生やさしい金では不可能であるという諦めとも悲憤ともつかぬ、初恋の失恋でなく分別盛りの失恋に似たものを味わわされた。
 相当のパワーを出して、ある距離をおいて、ある拡がりを与えてから聞く目的のスピーカーは別格のものである。
     *
伊藤先生が映画館に、ウェスターン・エレクトリックの音を聴きに通われていたころは、
休憩時間にレコードがかけられていたことがわかる。
私が小さかったころ、いなかの映画館でも休憩時間には音楽が流れていた。
けれど、それはレコード(ディスク)ではなく、テープであったはずだ。

上京してからも、休憩時間には音楽が流れていたが、
あきらかに貧相な音で鳴っているのしか記憶にない。

休憩時間にウェスターン・エレクトリックのシステムでディスクが聴ける。
うらやましい時代である。

24号は1972年のステレオサウンドである。
ここで、伊藤先生は「休憩時間に演奏してくれるディスク」という表現されていることにも注目したい。

Date: 10月 31st, 2015
Cate: デザイン

「デザインするのか、されるのか」(その1)

デザインするのか、されるのか。

かなり前からひっかかっていた。
「デザインするのか、されるのか」、どこかで読んだことがあると思われる人もいよう。
ステレオサウンド 24号掲載の、黒田先生の連載「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」のタイトルが
「デザインするのか、されるのか」だった。

黒田先生の「デザインするのか、されるのか」の本文中には、デザインはどこにも出てこない。
この「デザインするのか、されるのか」は、
黒田先生がつけられたものなのか、それとも編集者の案なのか。
黒田先生がつけられたのだとしても、なぜ「デザインするのか、されるのか」とされたのか。

ステレオサウンド 24号は1972年に出ている。
私が読んだのはこのときではなく、「聴こえるものの彼方へ」におさめられているのを読んでいる。
1978年よりあとのことだ。

このころは川崎先生の書かれたものは読んでいなかった(出ていなかった)。

「デザインするのか、されるのか」から十数年後、川崎先生の文章とであう。
毎月MacPower誌での連載を読んでいくうちに、
この「デザインするのか、されるのか」を思い出していた。

同時に、グレン・グールドのことを考えていた。
グールドはピアノを使ったデザイナーなのではないか、
そう考えるようになってきた。

KK塾第一回の濱口秀司氏の講演をきいて、
グールドはピアノを使ったデザイナーなのだ、と確信した。

Date: 10月 29th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その4)

JBLの4350は4ウェイ5スピーカーのシステムで、
フロントバッフルにはウーファー用の開口部が二つ、ミッドバス用が一つ、
ミッドハイとトゥイーターに関してはバッフルの左右どちらにでも取りつけられるように、
計四つの開口部がある。
これにプラス、バスレフのダクトが六つある。
これだけで十四もの穴がフロントバッフルに開けられている。

もっといえばトゥイーターのレベルコントロール用の小さな穴もあるから、正確には十五である。

これだけの開口部をもつ4350のフロントバッフルに、
ガウスのユニットにすべて換装した状態で約18kgの重量がプラスして加わるわけだから、
フロントバッフルの強度について配慮する必要が出てくるだろうし、
フロントバッフルへの荷重が増えたことで振動モードも変化しているとみるべきである。

フロントバッフルの振動モードが変れば、
この影響はエンクロージュアの他の面に対しても波及していく。
フロントバッフルの変化ほど大きくなくとも、
フロントバッフルが振動的に遮断されていないのだから、
対向面のリアバッフルの振動も変化して、他の面に関しても変化していく。

それからシステム全体の重心も、よりフロントバッフル寄りになる。
4350を床にベタ置きしている場合は床への荷重が変化するし、床の振動も変化する。
なんらかの台にのせていたら、台への荷重が変る。

台の上での4350の位置を前後に動かした時の音の変化も、
JBLの純正ユニット装着時よりも大きくなるはずだ。

4350Aのユニットをガウスに換装して、音がどう変化するのかはなんともいえない。
うまくいくのかもしれない。

そうであっても、JBLのユニットよりガウスのユニットが優秀だからとは言い切れない。
スピーカーシステムとして捉えてみると、結局総合的に判断するしかないからだ。

いまはそんなこまかなことまで考えてしまう。
ガウスが登場したころは、こんなことは考えもしなかった。
ただただガウスに換装した4350Aの音を聴きたい、と思っていた。

Date: 10月 28th, 2015
Cate: コントロールアンプ像, デザイン

コントロールアンプと短歌(その3)

 船舶は、転覆をしないように重心を低くするため、船底に重いバラスト(底荷)を積んでいる。これは直接的な利潤を生まない「お荷物」ではあるが、極めて重要なものである。
 歌人の上田三四一(みよじ)氏は、「短歌は高い磨かれた言葉で的確に物をとらえ、思いを述べる、日本語のバラスト(底荷)だと思い、そういう覚悟でいる。活気はあるが猥雑な現代の日本語を転覆から救う、見えない力となっているのではないか」、このように書かれている。
     *
アキュフェーズの創業者である春日二郎氏の「オーディオ 匠のこころを求めて」からの引用である。
「オーディオはバラスト」とつけられた短い文章だ。

短歌は日本語のバラスト(底荷)だ、という上田三四一氏のことばがある。

多機能コントロールアンプの代名詞といえるヤマハのCI、テクニクスのSU-A2のデザインに、
短歌的といえるなにかを見いだすことができるのであれば、
そのひとつは、バラストということかもしれない。

バラストは底荷だから、機能として目に見える存在ではない。
でもバラストがなければ船舶は転覆する。

コントロールアンプでは、それはどういうことなのか。

Date: 10月 27th, 2015
Cate: ロマン

ダブルウーファーはロマンといえるのか(その8)

38Wにおける横に二発なのか縦に二発なのかは、
部屋の長辺にスピーカーを置くのか、短辺に置くのかに共通するところもあるように感じる。

これは同じ部屋に同じスピーカーだとしても、どちらを選ぶかは鳴らす人(設置する人)次第である。
私は原則として長辺に置く。左右のスピーカーの間隔を充分にとれるほうを選ぶのは、
もちろん瀬川先生の影響も強いからだが、
低音の鳴り方もこちらのほうがいい結果が得られやすいとも感じているからだ。

横配置なのか縦配置なのかは、低音の風圧なのか音圧なのかにも関係しているような気がしている。
私が欲しいのは音圧としての低音ではなく、風圧としての低音なのかもしれない。

このふたつのバランスが、私にとっては耳で聴く低音と肌で感じる低音感とのバランスなのだろう。

そういえば岩崎先生が言われていた。
     *
本物の低音というのは、フーっという風みたいなもので、そういうものはもう音じゃないんですよね。耳で音として感じるんじゃないし、何か雰囲気で感じるというものでもない。振動にすらならないようなフーっとした、空気の動きというような低音を、そういう低音を出すユニットというのは、今なくなって来ています。
(ステレオのすべて ’77「海外スピーカーユニット紳士録」より)
     *
空気の振動としての低音(つまり音圧)ではなく、
空気の動きというような低音(つまり風圧)が、音の形としての音像につながっている。

Date: 10月 27th, 2015
Cate: atmosphere design

atmosphere design(その3)

「色即是空、空即是色」なのかと思う。

Date: 10月 27th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(ガウスのこと・その3)

そんな妄想をしていた高校時代にはインターネットはなかった。
技術的な資料を得ようとしても、なかなか目的の資料にたどりつくことはできないことも多かった。

だから4350のネットワークがどうなっているのか、正確には何も知らなかった。
4350Aのユニットをガウスに換装する──、
これは実のところ、そう簡単なことではないというのは、後になってわかった。
4350のネットワークの回路図を見て、はじめてわかった。

以前書いているように、4350のミッドハイ(2440)に対するネットワークは、
ローカットフィルターのみである。
ハイカットフィルターはない。
2440がエッジの共振を9.6kHz利用して高域をのばしているため、
これより上の周波数では音圧が急峻に減衰していく。
いわば音響的ハイカットフィルターつきドライバーである2440(375もそうである)だから、
4350のようなネットワーク構成ができる。

ここに設計思想の異るドライバーを持ってくるとなると、
なんらかのハイカットフィルターが必要となる。
それに4350Aではミッドバスとミッドハイにはレベルコントロールもない。

4350において、音楽の中核を成す帯域に関しては、アンタッチャブルとなっている。
この点に関しても、JBLからガウスへの換装はすんなりいくわけではない。

でも、当時はこんなことは知らなかった。
だから妄想が楽しめた、ともいえる。

ガウスに換装したら、システムトータルの重量が増す。
大雑把にいって、ガウスのユニットはJBLのユニットよりも約4kgほど重い(カタログ上の比較)。
トゥイーターは約2kgの差だから、約18kg重くなる。

ユニット個々の価格もガウスが高かった。
重くなり高くなる。

こんな単純なことを電卓片手に計算しては喜んでいた。

Date: 10月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(続々ヘッドフォン祭)

昔からスピーカーの鳴り方・鳴りっぷりは、車の乗心地に例えられることがある。
時速50kmで走っていたとしても、小型車と大型車では乗心地が違うのと同じように、
同じ音量においても、小型スピーカーと大型スピーカーの鳴り方・鳴りっぷりは違ってくる。

完全密閉型(アコースティックサスペンション方式)時代のARのスピーカーシステムを、
井上先生は高回転・高出力のエンジンの車にたとえられていた。

大音量(つまりエンジンを高速回転させている)時は、
驚くほどの低音を聴かせてくれる。
パワーを上げれば上げるほど、活き活きと鳴ってくれる。
オーディオ的快感ともいえる鳴りっぷりがある。
一方で音量を絞ってしまうと、バランスは崩れやすく、
ウーファーの反応も鈍く感じられてしまう──、そんな話を井上先生から聞いている。

ARのスピーカー(正確にはプロトタイプ)がデビューした1954年、
ニューヨークのホテルで開催されていたオーディオフェアで、
250ℓのエンクロージュアのスピーカーシステムを出品していたワーフェデールのベースに、
ARのエドガー・M・ヴィルチュアは、一辺が40cmに満たない立方体のスピーカーを持ち込んでいる。
公開試聴をヴィルチュアは申込んでいる。

この時、ハイプオルガンのレコードで、充分な量感を聴かせたのは、大型のワーフェデールではなく、
小型のヴィルチュアのスピーカーだったことは、
ワーフェデールのブリッグスとともに会場の多くの人が認めている。

この公開試聴の音量はどれほどの大きさだったのかはわからない。
かなり大きな音量だったのではないか、と推察できる。

音量をかなり絞った状態であれば、ワーフェデールのスピーカーに軍配をあげる人もいたかもしれない。
想像でしかないが、このふたつのスピーカーは大きさだけでなく、鳴りっぷりと、
その鳴りっぷりの良さが活きる音量も大きく違っていたはずだ。

現行のARのスピーカーシステムには、そういう点はないであろう。
もう完全密閉型ではないし、時代も技術も変っているから。

こんなことをARのヘッドフォンアンプを見て思い出していたし、
そういえば……、と思い出したことがもうひとつある。

Date: 10月 27th, 2015
Cate: audio wednesday

第58回audio sharing例会のお知らせ(スピーカーの変換効率とは)

11月のaudio sharing例会は、4日(水曜日)です。

別項でオンキョーのスピーカーシステムGS1について書いている。
GS1の、能率を犠牲にしたシステムとしてのまとめ方について書いているところだ。

変換効率を犠牲にして周波数特性をよくするのは、GS1だけではない。
他にもいくつかの例がある。

スピーカーは変換器である。
変換効率は変換器として重要な項目であるはずなのに、
アンプの進化によってプライオリティは低くなっている。

私は、いま100dB/W/mをこえるスピーカーを鳴らしている。
98dB/W/mのスピーカーユニットを鳴らしていたこともある。

90dB/W/m以下のスピーカーもいくつか使ってきた。

やはり変換効率の高さは、いまも重要だと確信している。
それでも単に無響室での出力音圧レベルの値と初動感度の良さは、
完全に一致するとは感じていない。

本来ならば、出力音圧レベルが同じであれば初動感度も同じのように考えられそうだが、
聴感上の初動感度も出力音圧レベルも、また何かの要素が関係している。

今回は、スピーカーの変換効率と関連することについて話したい。

場所もいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 10月 26th, 2015
Cate: 素材

羽二重(HUBTAE)とオーディオ(その11)

音について語られた文章は、以前はオーディオ雑誌で読むのがほとんどだった。
少なくともオーディオ評論家と呼ばれている人たちの、しかも編集者の目を経た文章であった。

いまは違う。
インターネットには、あのころとは比較にならないほど多くの音について語られた文章が、溢れている。
どんな人が書いているのか、まったくわからないものもある。
それらの大半は、編集者という第三者の目を経ることなく、公開されている。

それらすべてをオーディオ評論と呼べるのなら、
オーディオ評論が溢れているし、これからも減ることはないであろう。

Facebook、twitterといったSNSをやっていると、
特に見ようと思っていなくとも、音について語られた文章が目に入る。

昔は個人の音の印象は仲間内だけであった。
いまはそうではない。
その人をまったく知らない人の目にも留る。

そうなると、仲間内で好きに語っていたときと同じ感覚で音について語っていいものだろうか。
「アマチュアだから、いいじゃないか」、そう言い切れるだろうか。

そうやって書かれた文章を読むと、耳のいい悪いではなく、聴き方の巧みさは必ずしも同じではないことを思うし、
鍛えられた耳とそうでない耳との違いについて考えてしまう。

自己流の聴き方の怖さも感じる。
「アマチュアだから、好きに聴いていいだろう」、たしかにそうである。
けれど仲間内から一歩でも出て、音について語るのであれば、そのままではまずい。

東京では、今年のオーディオのショウは終ってしまった。
去年もそうだったが、ショウがあると、音の触見本の必要性をいつもより強く感じる。

Date: 10月 25th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(続ヘッドフォン祭)

ヘッドフォン祭に、アコースティックリサーチのヘッドフォンアンプAR-M2があった。

ARのロゴは以前のロゴに少し変更が加えられていたが、一目で、あのARとわかる。
正直、ARはなくなっていたと勝手に思っていた。
だからARのロゴを見て、まだあったのか、が先にあった。

そこにはAR-M2のみの展示だったから、さっそく他の製品は出していないのか、
スピーカーシステムはどうなのか、ヘッドフォンアンプを出すくらいだから、ヘッドフォンも出しているのか、
そんなことが気になって、すぐにiPhoneで検索していた。

ARはあった。
本国のサイトには、D/Aコンバーターもあり、やはりヘッドフォン、イヤフォンもあった。
スピーカーシステムもあった。

ARSP80TGWNというモデルが、現在のARのスピーカーのトップモデルのようだ。
トールボーイの、このスピーカーシステムはリアバッフルにポートをもつバスレフ型である。

時代の変化とともに会社も変っていくのか……、と思う。

ARの完全密閉型のスピーカーシステムが、うまく鳴っているのは聴いたことがない。
コンディションもあまりよくなかったこともあっただろう。

私はARのスピーカーシステムに関心をもつことはなかった。
そんな私なのに、いまARのことを書いているのは、以前井上先生が話されたことが残っているからだ。

どの機種だったのかは聞いていないか、忘れてしまったか、
ARの完全密閉型をハイパワーアンプで思いっきり鳴らした音は、凄かった、と聞いている。

Date: 10月 24th, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その7)

オンキョーGS1の能率の低さに関しては、他の方も発言されている。
     *
山中 グランセプターの良さは充分認めた上でのことですが、さっき、菅野さんがちょっと振れられたけれど、ネットワークの問題というのは、ぼくはあのスピーカーでいちばん気になるところなんです。あれだけの高能率のスピーカーが、あそこまで能率を落とされてしまうというのは。例えばアクティブなイコライザーとか、そういうものを早く開発してもらいたいですね。そうしないと、本当のグランセプターの実力を発揮した音は出てこないんじゃないかと思うんです。
(中略)
 ぼくは、やっぱりホーンスピーカーというのは、能率がいいというのが大きなメリットだと思う。本当はそうあるべきなのが、86dB/W/mというのは、非常に低い。
菅野 単に能率が高いか低いか、大きな音を同じパワーで出せるか出せないかじゃなくて、リニアリティに関係してくるんですよ。もったいないですね。
     *
菅野先生はステレオサウンド 74号での特集では、
《今までこのスピーカーを聴いた体験から、200Wや300Wではちょっと足りない》
とされている。74号ではGS1を鳴らすパワーアンプとして、
マッキントッシュのMC2500を組合せの第一候補にされている。

MC2500の出力は500W+500W。
菅野先生は《本当は1kWぐらい欲しいところ》とされているが、
1985年時点ではコンシューマー用パワーアンプとしては500Wが上限だった。

オンキョーはGS1を鳴らすためにGrandIntegra M510を出している。
出力300W+300Wの、かなり大型のパワーアンプである。
外形寸法はW50.7×H26.4×D21.2cmで、重量63kgのパワーアンプである。

M510もステレオサウンド 73号で、Components of the years賞に選ばれている。

Date: 10月 24th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(ヘッドフォン祭)

今日から中野で開催されているヘッドフォン祭に行ってきた。
今年は聴いておきたいモノがあった。
シュアーが先日発表した、同社初のコンデンサー型のKSE1500が聴きたかった。

注目の新製品ということとイヤフォンという性格上、
試聴するには整理券が必要だった。
私が行った時間がタイミングが悪かったのか、
いちばん早い時間の整理券でも二時間後だった。

あの会場で二時間待つのはちょっとつらいので、結局聴かずに帰ってきた。
タイムスケジュールをみながら、二時間待とうかどうか思案していた私の横で、
シュアーのブースの受けつけの人に、ぶしつけなことを言っている人がいた。

見た感じ四十代後半か、それより上の世代の人。
スタッフの人に「シュアーにコンデンサー型なんてないでしょ。どこに作らせたの?」と言っていた。

KSE1500は発表になったばかりだから、その存在を知らなくともかまわないけれど、
訊ね方というものがある。
こんな訊ね方をされても、シュアーのスタッフはイヤな顏ひとつせずにきちんと説明されていた。

ヘッドフォン祭は若い人たちが圧倒的に多い。
今回もやはり多かった。女性ひとりで来場されている人もいる。

その中に昔からのオーディオマニアと思われる世代の人がいる(私もここに属する)。
インターナショナルオーディオショウやオーディオ・ホームシアター展(音展)と違い、
そういう世代の人たちのほうが少数であり目立つように感じている。

その中のひとりが、横柄ともとれる訊ね方をしている。
本人にはそういうつもりはなかったのかもしれない。
ただ単に、ものを知っていると思われたくての発言だったかもしれない。

それでも傍にいた私には、そういうふうには聞けなかった。
シュアーのスタッフは若い人だった。
もっと年輩の人がスタッフだたら、違う訊ね方をしていたのかもしれない。
そうだとしたら、この人は若い、オーディオに関心を持ち始めた人に対して、
今回と同じような話し方をするのかもしれない──、そんなことを思ってしまった。

数ヵ月前に、若者のバイク離れは、上の世代が原因のひとつという記事を読んでいた。
オーディオにも同じことがいえるのではないか、とその時思っていたから、
他の人からすれば、どうでもいいことに反応してしまったのかもしれない。

Date: 10月 23rd, 2015
Cate: 世代

世代とオーディオ(あるスピーカーの評価をめぐって・その6)

ステレオサウンド 73号の特集、Components of the years賞。
オンキョーのGS1はカウンターポイントのパワーアンプSA4とともに、この年のゴールデンサウンド賞でもある。

岡俊雄、井上卓也、上杉佳郎、菅野沖彦、長島達夫、柳沢功力、山中敬三、
七氏の座談会で、GS1について語られている。

GS1についての座談会のまとめは三ページ、
SA4のそれは二ページと、同じゴールデンサウンド賞受賞機種であっても、扱いに差があるとみることもできる。

GS1についての各氏の発言を読んでいくと、いくつかの注文がつけられている。

まず、その能率の低さがある。
カタログ値は88dB/W/mである。

いまどきのスピーカーシステムとしての低い値とはいえないけれど、
GS1は1984年登場のスピーカーシステムで、しかもオールホーン型でもある。

この88dBという値は、ホーン型としてはかなり低いといわざるをえない。
ただ、カタログをみると、100dB/W/mとも書いてある。
こちらの値は外部イコライザー使用時のもので、
この100dBがGS1本来の出力音圧レベルということになる。

なのになぜ12dBも低い値になっているのか。
この点について、菅野先生の発言はこうである。
     *
 ただし、スピーカーはどんなスピーカーでもそうですが、いろんな点であちらを立てれば、こちらは立たずということろがあり、このスピーカーも、何でもかんでも全面的にいいスピーカーというふうに理解すると問題もあろうかと思います。
 例えば、オールホーンシステムで、あんなに低い能率しか持っていない。その低い能率というのは、結果的に高い能率のものを、かなりアッテネーターで絞り込んで使っているからですが、そういう点では変換機としてある部分、全く問題がなしとも言えないと思います。
     *
72号のGS1の記事には、この点に関しての記述がある。
高域ホーン部の端子部分の写真の下に、
周波数特性補正用イコライザーをネットワークに内蔵するため能率は88dB/W/mでしかないが、とある。
周波数特性を良くするために能率を12dB犠牲にしているわけである。

もっともネットワークでそういう補正を行っている関係で、最大入力は高い。
カタログには300Wとあり、瞬間最大入力は3000W(3kW)である。

Date: 10月 23rd, 2015
Cate: オリジナル, 挑発

スピーカーは鳴らし手を挑発するのか(オリジナルとは・その2)

昨晩、JBLのハーツフィールドの外観だけをコピーしたスピーカーを作ろうと考えていた人のことを書いた。
私は、はっきりいって、こういうことは否定する。

だが一方で違う考え方ができる。
ハーツフィールドの外観だけそっくりのスピーカーを作ろうとしていた彼は、
少なくともオリジナルのハーツフィールドを手に入れて、
それに手を加えようとしていたわけではない。

その意味で、彼のことをオリジナル尊重者だとみることもできるし、
そう見る人もいると思う。

むしろ、私のように購入したオーディオ機器に手を加える者は、
オリジナルを尊重していない、けしからんやつだという見方もできる。

彼は彼なりにハーツフィールドを尊重しての考えだったのだろうか。
私には、どう考えてもそうは思えない。

私がオーディオに興味を持ち始めた1970年代後半は、
電波新聞社からオーディオという月刊誌が出ていた。
このオーディオ誌の別冊として、自作スピーカーのムックが何冊か出ていた。

スピーカーを自作するために必要な知識、実際の製作例の他に、
自作マニアの紹介のページもあった。

ここに登場する人たちは、JBLのパラゴンやハーツフィールドを自作するような人たちだった。
オリンパスの、あの七宝格子をコピーして自作のスピーカーに取りつける人もいた。

この電波新聞社のムック以外にも、
当時は、アマチュアとは思えない木工技術をもっているオーディオマニアが、
タンノイのオートグラフやその他のスピーカー・エンクロージュアをコピーしていた。

そんな人たちの中には木工を仕事とする人もいたようだが、
世の中にはすごい人がいるものだと、中学生の私は感心していた。

この人たちは、ハーツフィールドの外観だけをコピーしようとした彼とは違っていた。
この人たちの木工技術があれば、彼が計画していたスピーカーをつくることは造作も無いことだろう。
複雑な内部構造は無視して、外観だけをそっくりに作ればいいのだから。

けれど、この人たちの中に、そんなコピーともいえないコピーを作る人はいなかった。
少なくとも当時のオーディオ雑誌に登場する人の中にはいなかった。