続・再生音とは……(その18)
こんなことも考えている。
もしグレン・グールドが生きていたら、と。
アンドロイドのピアニストに最も強い関心を示すのは、やはりグールドのはず。
グールドは、アンドロイドのピアニストを、自分の分身として捉えるのではないだろうか。
だとしたら、グールドはアンドロイドのピアニストで何をするのか、
アンドロイドのピアニストに何をさせるのか。
スタジオでグールドが「録音」する。
そこでの演奏を、アンドロイドのピアニストに再現させる。
コンサートホールにおいて、アンドロイドのピアニストに、スタジオでのグールド自身の演奏を再現させる。
こんなことを考えている。
これは、そのコンサートホールに集まった人たちにとっては、何なのか。
グレン・グールドとそっくりの外観をもつアンドロイドのピアニストが、
グールドが「録音」した演奏を、同じピアノを使って再現している。
コンサート・ドロップアウトしたグールドが、コンサートホールに戻ってきた、と受け取るのか。
とすれば、そこでの聴衆はコンサートホールで実演と認識していることになる。
けれど、グールド自身はどう認識しているのだろうか。
スタジオでの「録音」を再現しているのだから、レコード・コンサートのつもりかもしれない。