Archive for category テーマ

Date: 11月 3rd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その80)

ステレオサウンド 55号の表紙は、JBLのウーファーLE14Aである。
夏号らしい、ともいえるけれど、51号の表紙と同じようでもあって、
書店で目にした時、ちょっとだけいやな予感がしたの憶えている。

55号の特集も51号と同じでベストバイである。
表紙の感じが同じであれば、特集のありかたも同じだった。
ベストバイは、51号の方針でいくのか、とがっかりした。

43号のベストバイは熱っぽく読んだ。
けれど51号、55号のベストバイは、熱っぽく読めなくなっていた。

50号での巻頭座談会での瀬川先生の発言を、
ステレオサウンド編集部はどう受けとめているのか、と思ってしまうほど、
ベストバイ(特集)がつまらなくなっている。

特集に読み応えがないと、その号のステレオサウンドの印象は、
他の記事がどうであろうと、薄くなるし、あまりいいものではなくなる。

52号、53号、54号の特集との落差を大きく感じてしまう。
落差は、編集部の仕事の楽さとも関係しているのか、とも思ってしまうほどだ。

55号のベストバイについては、このくらいでいいだろう。
55号の特集2は、おもしろかった。
「ハイクォリティ・プレーヤーシステムの実力診断」で、
瀬川先生と山中先生が、13機種のアナログプレーヤーのテストをされている。

総テストとは違う。
ここに登場するのは、いわゆる高級プレーヤーに属するモノばかりである。
13機種中、もっとも安価なのがトーレンスのTD126MKIIICで、250,000円である。
個人的に気になっていたプレーヤーのほとんどが、ここに登場していた。

Date: 11月 3rd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その79)

ステレオサウンド 54号の特集の最終ページ(269ページ)の裏は、
スペックスのモノクロの広告ページ。
隣の271ページはカラーの記事が始まる。

記事のタイトルは、
スピーカーシステムの未来を予見させる振動系質量ゼロのプラズマレーザー方式
〝プラズマトロニクス/ヒル・タイプI〟の秘密を探る、
菅野先生が書かれている。

これまでのスピーカーとはかなり異る外観のスピーカーシステムが写っている。
コーン型のウーファーとスコーカーの上にアンプが載っているような恰好だ。
内部の写真もある。
そこにはヘリウムのガスボンベが収められている。

もうこれだけで従来のスピーカーとは大きく違うモノだということがわかる。
記事は3ページ。カラー写真で、開発・実験過程、工場の様子などが紹介されている。

プラズマトロニクス(PLASMA TRONICS)のHill Type-Iは、
700Hz以上の帯域をプラズマドライバーが受け持つ。
つまり700Hz以上の帯域は振動板が存在しない。

記事中でも、プラズマドライバーの動作原理は特許申請中で明らかにされていない、とある。
このプラズマドライバーの開発者のアラン・ヒルは、
アメリカ空軍のエレクトリックレーザー開発部門に籍をおいていた、とある。
空軍での仕事の傍らに、
自宅でレーザープラズマの応用技術のひとつであるスピーカーの研究・開発を行ってきた。

詳しいことは54号を読んでいただきたいし、
インターネットで検索して調べてほしい。

Hill Type-Iは製品としては未熟なところはある。
ヘリウムのガスボンベは300時間ごとにガスを充填させる必要があるし、
プラズマドライバーは内蔵の専用アンプが駆動する。

五つの電極があり、それぞれに専用アンプがある。
つまり五台のアンプが内蔵されている。
その出力は一台あたり1kWであり、合計5kWとなる。
しかも内蔵アンプはA級動作である。

となると、このスピーカーの消費電力はどのくらいになるのだろうか。
54号の記事には、そのことは触れられていない。
HI-FI STERO GUIDEのスペック欄にも、消費電力の項目はなかった。

Hill Type-Iの価格は5,100,000円だった。
ステレオペアだと1000万円を超える。
1982年頃に製造中止(もしくは輸入元の取り扱いが終ってしまった)時点での価格は、
5,830,000円になっていた。

Hill Type-Iはそれきりになってしまった。
けれど、インターネットで、”plasma speaker”で検索すると、
アラン・ヒルと同じように、振動板をもたないスピーカーの実験を行っている人がいる。
YouTubeでも公開されている。

Hill Type-Iから40年近く経っている。
次世代のHill Type-Iが登場するのだろうか。

54号を開くたびに、そんなことをおもってしまう。

Date: 11月 2nd, 2016
Cate: plain sounding high thinking

一人称の音(その6)

三人称の音といえば、私が頭に浮べるのはトーキー用スピーカーである。
ウェスターン・エレクトリック、シーメンスといった旧いスピーカーである。
その次に(というか少し範囲をひろげて)アルテック、ヴァイタヴォックスが浮んでくる。

いずれもが劇場用として開発されたスピーカーばかりである。
つまり聴き手はひとりではない、必ず複数、それも多人数を相手にするスピーカーである。

これらははっきりと三人称の音といえる。
アンプに関しては一人称の音に惹かれがちの私なのだが、
スピーカーに関しては、必ずしもそうではなく、むしろ三人称の音に惹かれるがちである。

スピーカーに限らず、
スピーカーと同じトランスデューサーであるカートリッジに関しても、そうだ。
一人称の音と感じられるモノよりも、三人称の音と感じられるモノを選ぶ傾向があることを、
これまでのことをふりかえって気づいている。

私の中では、オルトフォンのSPU、EMTのTSD15といったカートリッジは、
一人称の音のするカートリッジではなく、三人称の音のカートリッジなのである。
どちらも無個性の音がするわけではない。

TSD15はかなり個性的ともいえる。
それでもどちらも三人称の音であり、
個性が強いから一人称、個性がないから三人称と感じているわけではない。

Date: 11月 1st, 2016
Cate: plain sounding high thinking

一人称の音(その5)

ラックスのアンプには、根強いファンが昔からいる。
私は、というと、あまりラックスのアンプに惹かれることはなかった。

何度か書いているように、
スペンドールのBCIIと組み合わせた時のLX38の音は、
いまも耳の底に残っていて、もう一度、この「音」を聴きたい、と思うことがあるくらいだ。

LX38よりも少し前に登場したラボラトリーシリーズの5L15、5C50、5M21は、
いま聴いてみると、どうなんだろう、という興味はある。
古くささを感じてしまうのか、それともいま聴いても、いいアンプだな、と思えるのか。

こんな関心の持ち方をしても、私はラックスのアンプのファンではなかった。
いまのラックスのアンプの音については、
きちんと聴く機会がないので、あくまでもここに書くのは、以前のラックスのアンプの音についてだ。

私には、ラックスのアンプの音は、二人称のように感じることがある。
三人称ではない、といえる。
すべてのラックスのアンプを聴いているわけではないが、
それでもラックスを代表するアンプを聴いていて感じることである。
だからこそ、ラックスのアンプのファンは、根強いのかもしれない。

では、一人称の音かといえば、なにか違う気がする。
なにが違うのか、はっきりといえないところにもどかしさを感じてしまうが、
私の耳(感性)には、一人称の音としては聴こえてこない要素が、
ラックスのアンプにはあるようだ。

Date: 11月 1st, 2016
Cate: 「オーディオ」考

デコラゆえの陶冶(その8)

ステレオサウンド別冊Sound Connoisseur掲載の五十嵐一郎氏の「デコラにお辞儀する」。
ここでの写真は、いままで見たことのなかったデコラの姿を伝えてくれる。

カラー写真だけではない、モノクロでも、正面からのカットは二枚並んである。
正面からのカットも似まいある、後からのカットも二枚あり、
どちらもグリル、カバーを装着した状態と外した状態のカットである。

その他にも、コントロールアンプ、チューナー、パワーアンプ、電源部、
スピーカーユニット、ネットワークなどのカットもある。

それらの写真の中で、220ページと221ページの見開きのカットを見て、気づいたことがある。
このカットは両サイドのグリルだけでなく、各部の扉を全開にしている。

デコラ右側のスピーカー上部の扉をあけるとコントロールアンプ、
左側の扉をあけるとチューナーがある。
そして中央の両開きの扉をあけると、レコード収納のためのスペースがある。

アクースティック蓄音器と電気式蓄音器の違いはいくつかあるが、
このレコード収納のスペースの有無も、そうである。

アクースティック蓄音器にはSPを収納するスペースは設けられていない。
大型のアクースティック蓄音器であってもそうだ。

電蓄と呼ばれるようになって、蓄音器は音量の調整ができるようになり、
チューナーも付属するようになったりしたが、レコードの収納のスペースも設けられるようになった。

デコラにも、それがある。
扉を閉じた写真をみているだけでは、そのことに気づかなかった。
あって当然のことなのだが、なかなか気づかないことはある。

デコラにある収納スペースを見て、(その1)に書いているS氏のことが結びついた。

Date: 11月 1st, 2016
Cate: plain sounding high thinking
1 msg

一人称の音(その4)

ステレオサウンド 54号の特集の座談会での瀬川先生の発言。
     *
 あるメーカーのエンジニアにその話をしたことがあるのです。「あなたがこのスピーカーの特性はいくらフラットだと言われても、データを見せられても、私にはこう聴こえる」と言ったら、そのエンジニアがびっくりして「実は、このスピーカーをヨーロッパへ持っていくと同じことを言われる」というのです。「それじゃ、私の耳はヨーロッパ人の耳だ」と笑ったのですが、しかし冗談でなくて、その後ヨーロッパ向けにヨーロッパ人が納得のゆく音に仕上げたもの──見た目は全く同じで、ネットワークだけを変えたものだそうです──を聴かせてくれたのです。
 満点とはいえないまでも、日本向けの製品に感じられた癖がわりあいないのです。ではなぜ、日本向けにはそういう音にするのかというと、実は店頭などで、艶歌、ポップス、ニューミュージックなどの歌中心のレコードをかけた時に、ユーザーがテレビやラジカセなど町にはんらんしているあらゆるスピーカーを通して聴いてイメージアップしている歌手の声に近づけるためには、中域をはらさなければダメなのだというわけです。つまり商策だということになりますね。
     *
このメーカーのスピーカーの音は、一人称の音、
それとも二人称の音、三人称の音なのだろうか。

あるメーカーとは、もちろん日本のメーカーである。
この日本のメーカーがヨーロッパ向けのモノは、ヨーロッパ人に音を仕上げさせる。
国内流通分は日本人のエンジニアが音を仕上げる。

同じ外観のスピーカー、ユニットも同じであっても、ネットワークだけが違っている。
おそらくサイン波による周波数特性を測定してみたところで、
はっきりとした違いは認められないかもしれないが、
ヨーロッパ人がヨーロッパ向けに仕上げたモノは、
日本向けのモノに感じられた癖が少ない、ということ。

しかもその癖は、商策から生じるものである。
ということは、このメーカーが日本向けとして販売しているスピーカーは、
一人称の音ではない、二人称の音でもない、つまりは三人称の音なのだろうか。

でもここでも疑問がわく。
ほんとうに三人称なのたろうか。実のところ、三人称でもないのではないか。

54号よりも少し前、
若者向けの音、ということもオーディオ雑誌でときおり目にしていた。
この若者向けの音に仕上げられた場合、三人称の音なのだろうか。

日本向けが想定している日本人、
若者向けが想定している若者は、ほんとうにいるのだろうか。

Date: 10月 31st, 2016
Cate: plain sounding high thinking

一人称の音(その3)

AGIのコントロールアンプ511もそうだ。
ごく初期の511の持っていた音の魅力は、
その後細部の改良、OPアンプの変更などによって失われていった。

けれどアンプとしての優秀さは増していっている。
完成度の面では、ごく初期の511よりもその後の511、511bの方が高い、といえる。
だから511は改良されていった、ともいえるわけだ。

けれど、その変化はなんなのだろうか、とあのころから考えていた。
別項で書いているが、クレルのPAM2とKSA100の初期モデルが聴かせてくれた音も、
短い寿命だった。

フロントパネルの仕上げの変更とともに消失してしまった。
クレルの場合もAGIと同じで、アンプとしては確かに改良されていっている。
クレルもAGIも、進む方向が間違っているとはいえない。

こういう例は他にもいくつも挙げられる。
しかも不思議なことに、そのほとんどがアンプである。

規模の小さいメーカーが最初に世に問うたアンプの音には、
いまでも忘れ難い魅力があったものだ。
でも、それらは音のはかなさを教えてくれる。

あっという間に失われてしまう。
つまり、それは一人称の音から脱却なのだと思う。

それまでは自分、せいぜいが周りにいるオーディオマニアからの評価がすべてであったアンプが、
メーカーのアンプとして世に出ることで、比較にならぬほど多くの評価を受けることになる。
それらの声がフィードバックされることで、一人称の音は消えざるをえないのだろうか。

ここでまたネルソン・パスを例にだせば、
パスはパス・ラボラトリーズの他に、First Wattからもアンプを出している。
ふたつのブランドのアンプの性格はまるで違う。

First WattのSIT1、SIT2をみていると、そして音を聴くと、
そこにはネルソン・パスの一人称の音がある、と思える。

スレッショルド時代の800Aと同じ音ではないが、どちらも一人称の音のようにも感じる。

Date: 10月 31st, 2016
Cate: 「ネットワーク」
1 msg

オーディオと「ネットワーク」(おさなオーディオ・その4)

五味先生の「フランク《オルガン六曲集》」に、こう書いてある。
17の時に読んだ。
まだまだオーディオマニアとしての経験は足りないけれども、
なるほどそういうものか、と感心していた。
     *
 私に限らぬだろうと思う。他家で聴かせてもらい、いい音だとおもい、自分も余裕ができたら購入したいとおもう、そんな憧憬の念のうちに、実は少しずつ音は美化され理想化されているらしい。したがって、念願かない自分のものとした時には、こんなはずではないと耳を疑うほど、先ず期待通りには鳴らぬものだ。ハイ・ファイに血道をあげて三十年、幾度、この失望とかなしみを私は味わって来たろう。アンプもカートリッジも同じ、もちろんスピーカーも同じで同一のレコードをかけて、他家の音(実は記憶)に鳴っていた美しさを聴かせてくれない時の心理状態は、大げさに言えば美神を呪いたい程で、まさしく、『疑心暗鬼を生ず』である。さては毀れているから特別安くしてくれたのか、と思う。譲ってくれた(もしくは売ってくれた)相手の人格まで疑う。疑うことで──そう自分が不愉快になる。冷静に考えれば、そういうことがあるべきはずもなく、その証拠に次々他のレコードを掛けるうちに他家とは違った音の良さを必ず見出してゆく。そこで半信半疑のうちにひと先ず安堵し、翌日また同じレコードをかけ直して、結局のところ、悪くないと胸を撫でおろすのだが、こうした試行錯誤でついやされる時間は考えれば大変なものである。深夜の二時三時に及ぶこんな経験を持たぬオーディオ・マニアは、恐らくいないだろう。したがって、オーディオ・マニアというのは実に自己との闘い──疑心や不安を克服すべく己れとの闘いを体験している人なので、大変な精神修養、試煉を経た人である。だから人間がねれている。音楽を聴くことで優れた芸術家の魂に触れ、啓発され、あるいは浄化され感化される一方で、精神修養の場を持つのだから、オーディオ愛好家に私の知る限り悪人はいない。おしなべて謙虚で、ひかえ目で、他人をおしのけて自説を主張するような我欲の人は少ないように思われる。これは知られざるオーディオ愛好家の美点ではないかと思う。
     *
オーディオ・マニアというのは実に自己との闘い──疑心や不安を克服すべく己れとの闘いを体験している人、
と書いてある。
おしなべて謙虚で、ひかえ目とも書いてある。
他人をおしのけて自説を主張するような我欲の人は少ないように思われる、ともある。

五味先生の周りの人たちはそうだったのであろう。
でも、ここまでインターネットが普及し、SNSを誰もがやっている時代を生きていると、
この点に関しては、「五味先生、どうも違うようです……」といわざるをえない。

facebookには、オーディオ関係のグループがいくつもある。
それのどれにも入っていない。
理由のひとつは、見たくないからだ。

それでも、友人、知人のタイムラインに、それらのグループでの話題が出たりする。
とんでもない人がやっぱりいるんだ、とその度に思う。

そのとんでもない人たちは、五味先生が書かれているオーディオマニア像とはまるで違う。
謙虚、ひかえ目の真逆である。
自説を主張するだけの我欲のかたまりのような人たちがいるようである。

自分の持っているオーディオ機器を最高だ、と思うのは悪いことではない。
けれど、その良さを強調するために、他のオーディオ機器をボロクソに貶してしまう。

完璧なオーディオ機器なんて、ひとつもないのだから、
どのオーディオ機器にも欠点といえるところはある。
にも関わらず、とんでもない人たちは、自分の機器だけは完璧で、
他は……、と思っているのだろうか。

Date: 10月 31st, 2016
Cate: plain sounding high thinking

一人称の音(その2)

スレッショルドのアンプ。
800Aから始まり、いくつものアンプが登場した。
STASIS 1は、いいアンプだと思っている。
コンディションがいい状態であれば、いま聴いてもいいアンプと思えるかもしれない。

ネルソン・パスが離れるまでのスレッショルドのアンプでは、
STASIS 1がもっとも優れたパワーアンプだと思っている。

けれどスレッショルドのパワーアンプの中で、私がいまでも欲しいと狙っているのは800Aである。
スレッショルドの最初のアンプである800Aの音は、
いま聴くとおそらく古めかしさも感じるだろう。
それでも、800Aが登場したころに聴けた音は、なんとも魅力的だった。

それが美化されていない、とはいわない。
それでも、その後の400A、4000 Custom、
それにSTASISシリーズからはついに聴けなかった魅力があった。
少なくとも私にはあった。

いま振り返れば、800Aは、ネルソン・パスにとっての一人称のアンプ(音)であった。

800Aの音を聴いて、スレッショルドというアンプメーカーは、
私のなかでは特別な存在になっていた。

中古を探したこともある。
ステレオサウンドにいたころ、
巻末にあるused component market(売買欄)の「買います」に、
いわば職権濫用で800A買います、と写真付きで載せたことがある。

800Aの音については、瀬川先生がぴったりくる表現をされている。
《800Aのあの独特の、清楚でありながら底力のある凄みを秘めた音の魅力が忘れられなかった》、
ほんとうにそういう音がしていた。

だからスレッショルドのアンプの中で、800Aは好きなアンプであり、
個人的に別格のアンプでもある。
でもSTASIS 1よりも、その他の、その後に登場したアンプよりも優秀であるとは思っていない。

Date: 10月 31st, 2016
Cate: plain sounding high thinking

一人称の音(その1)

マランツの真空管時代のコントロールアンプといえば、
Model 7を誰もが挙げるであろうが、
Model 7の完成度の高さを認めながらも、
音はモノーラル時代のModel 1の方が好ましい、という人もいる。

Model 1の音は一度だけステレオサウンドの試聴室で聴いたことがある。
岡先生所有のモノが、メンテナンスのためステレオサウンドにあったからだ。
作業を行ったのは、サウンドボーイ編集長のOさんだった。

なので私が聴いたのはモノーラルの音である。
それにステレオサウンドの試聴室でModel 7を聴いてはいない。
Model 1とModel 7、
どちらの音が好ましいのかはなんともいえないが、わかる気はする。

Model 1はマランツの最初のアンプである。
それは最初の製品ではなく、最初のアンプと書く方がより正確である。

ソウル・バーナード・マランツが自分のために作ったアンプが、
彼の周りのオーディオマニアにも好評で市販することにした──、
という話はいろんなオーディオ雑誌に書かれているので、お読みになっているはず。

Model 1と書いてしまったが、正しくはAudio Consoletteであり、
のちにツマミの変更などがあり、Model 1となる。

Model 7とはそこが違うといえよう。
もちろんModel 7も、
ソウル・バーナード・マランツが自身のためのつくったアンプともいえなくもないが、゛
Model 7の前にModel 1を二台とステレオアダプターのModel 6をウッドケースにおさめたモデルがある。

それにModel 7を手がけたのはシドニー・スミスだともいわれている。
Model 1とModel 7。
どちらがいい音なのかを書きたいわけではない。

いわば処女作のModel 1だけがもつ音の好ましさがあって、
それに惹かれる人がいる、ということである。

つまりModel 1の音は、ソウル・バーナード・マランツの一人称の音といえる。

Date: 10月 31st, 2016
Cate: 新製品

新製品(Nutube・その10)

アンプのウォームアップの問題を最初に指摘したのは誰なのかは知らない。
私がステレオサウンドを読みはじめたころには、すでにウォームアップについては指摘されていた。

そのころアンプテストやその他の記事でウォームアップについて頻繁に書かれていたのは、
私にとっては瀬川先生という印象がある。

おもしろいことに瀬川先生が高い評価を与えているアンプの多くは、
ウォームアップに時間がかかるものだった。
セパレートアンプだけではなく、プリメインアンプにおいてもそうだった。

このころウォームアップに時間をたっぷりと必要とするアンプとしては、
まずトリオがそうだった。それからSAEのMark 2500もそうだった。

トリオはプリメインアンプ、セパレートアンプ、どちらもその傾向があったことが、
瀬川先生の書かれたものから読みとれた。

このウォームアップの問題は、アンプだけでなく、
サーボ技術をとりいれたアナログプレーヤーについても指摘されるようになってきた。
だからCDプレーヤーも、その点ではまったく同じである。

このウォームアップの問題が割とやっかいなのは、
すでに書いているように電源を入れておくだけでは不十分であること。

それからケーブルの好感などでいったん電源を落すと、
たとえそれが数分間という短い時間であっても、アンプによってはすぐに本来の音、
つまり電源を落す前の音に復帰できるわけではない。

少なくとも数分間の音出しを必要とするアンプがある。
同じことはサーボ採用のアナログプレーヤー、CDプレーヤーに関してもいえる。

ディスクのかえかけごとにターンテーブルプラッターを止めてしまうと、
サーボが安定状態(ウォームアップの完了)まで、いくばくかの時間を要する。
だからステレオサウンドの試聴室においては、ターンテーブルは廻しっぱなしであった。

CDプレーヤーはそうはいかないので、厳密な試聴の場合はディスクのいれかえを行わず、
さらにはストップボタンも押さずに、ポーズボタンを使っていた。

それほどウォームアップの問題は、気にしはじめるとやっかいである。

Date: 10月 30th, 2016
Cate: audio wednesday

第70回audio sharing例会のお知らせ(理屈抜きで聴くオーディオ・アクセサリー)

磁石の同極同士の反発する力を利用したフローティングのアクセサリーとしては、
SAPのRELAXAがよく知られている。
日本に登場したのは2001年。

その20年前に、ソニーがエスプリ・ブランドでFW80を出しているのを憶えている人は、
いまでも少なくなったのかもしれない。
ソニーはFW80をフローティングサウンドベースと呼んでいた。

ゴムやスプリングといったインシュレーターは、
固有の弾性にあった周波数に対しては効果的であっても、その範囲はそう広くないし、
共振周波数をももつため、インシュレーターとして機能しない帯域もあるし、
逆に振動が増す帯域ももつことになる。

FW80は磁力を利用するため、ゴムやスプリングよりもワイドレンジのインシュレーターといえる。
直径は10cmの円筒型で、一個あたりの適合加重は3.5〜7kgとなっていて、
フローティング型ゆえ、加重を守る必要はあった。

価格はひとつ15,000円していた。
四つ使えば60,000円。

いまではアクセサリーとしての価格としてはそう高いものではないと受けとめられても、
1981年ごろはけっこうな価格に感じていた。

試してみたいと思っていたけれど、学生にはすぐ手が出せるものではなかった。
当時はアナログプレーヤーに使うのが誰もが考えることだった。

インシュレーターをもっていないアナログプレーヤーとしては、マイクロの糸ドライヴがあった。
モーター込みの重量は50kgを超える。
FW80の上にベースをのせて、その上にプレーヤーとなると、
FW80は十個ほど必要で、150,000円となる。

FW80の効果はどうだったのだろうか。
少なくとも悪いものではなかったはずだ。
SAPのRELAXAはFW80の20年後に登場し、話題になった。
FW80の登場は早すぎたのだろうか。

11月2日(水曜日)のaudio sharing例会は、
オーディオ・アクセサリーを持ち寄っての音出し。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 10月 29th, 2016
Cate: 新製品

新製品(Nutube・その9)

コルグのNutubeを使った製作記事が、いま書店に並んでいる無線と実験と管球王国に載っている。
近いうちにラジオ技術にも載るだろうし、
来年になれば、いくつかの製作記事が載っていくはずだ。

いまのところ二本の製作記事を読んだが、
私がもっとも知りたいことはどちらにもなかった。

音のことではない。
音に関係してくることではあるが、ウォームアップによる音の変化についてである。

真空管アンプはヒーター(フィラメント)が十分に暖まるまで、
音は出るには出ても、満足な音ではない。
その点、トランジスターアンプの方が、すぐに音は出る。

けれどアンプにはウォームアップの問題がある。
1970年代半ばごろから、アンプにもウォームアップが必要だといわれるようになった。
それも電源を入れておくだけではな不十分で、
音楽信号を入れてのウォームアップが必要であり、
そのアンプ本来の音が出るようになるには、
アンプによっては数時間かかるモノもめずらしくなかった。

一時間ほどで一応のウォームアップが終るアンプもあるけれど、
三、四時間ほどかかるアンプもある。
三時間といえば、仕事を終え帰宅して、夕食をとり入浴して聴きはじめても、
そのアンプ本来の音が出るころには日付が変っていることだってあるわけだ。

その点、真空管アンプのウォームアップはそれほど時間をとらない。
真空管アンプの中にもウォームアップの遅いモノはあるだろう。
でも、きちんとつくられている真空管アンプならば短い。

でも、これは従来の真空管を使ったアンプの話であって、
蛍光表示管の技術を採用したNutubeはその点、どうなのだろうか、
と非常に興味がある。

ウォームアップに関しては、従来の真空管と同じなのか、
それとも意外に時間を必要とするのか。
いまのところ、どちらの製作記事には、そのことは触れられてなかった。

Date: 10月 28th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その14)

「JBLのすべて」巻末の「発刊によせて」には、
ブルース・スクローガンも書いている。
そこにも瀬川先生のことが、やはり出てくる。
     *
 新しく開発した製品の試聴は、つねに、ある種の興奮と期待が伴います。私は、20年間において何度も落胆したり元気づけられたりしました。いまでも、K2シリーズのブラックボックス・プロトタイプを最初に聴き、私達の期待どうりのすはらしい性能であることを知った時の喜びを思いだします。もっと溯れば、4341モニターシステムで、初めてビッグスピーカーシステム本来のパワーとリアリズムを実感したことを思いだします。この4341体験は、私をJBLの完全な信奉者にしてしまいました。’70年代末、コバルトの高騰で、アルニコからフェライトマグネットに転換しなければならなくなったときは不安でした。実際、フェライトマグネットを搭載したスピーカーは、私達にとって、一聴においてショックを与えるものだったのです。フェライトでは大きな歪みが起きていました。アルニコとフェライトの再生音の違いは明らかでした。そこで、それまでのフェライトマグネットを搭載した磁気回路の欠点をなくし、アルニコよりもさらに優れた特性ももつものとして、SFG回路を開発したのです。私達はこの新しいSFGが、アルニコより優れていると確信していましたが、まず日本で、オーディオの専門家の意見をうかがうことにしました。故・瀬川冬樹氏の自宅で、夜通しリスニング・セッションが行われました。結果は大成功でした。私達はその場にはいませんでしたが、その結果を電話で聞いた時、私達は喜びで泣き出さんばかりでした。この時が、JBLにとっての大きな転換期であると私達は感じていました。
     *
ブルース・スクローガンも4341だったのか、とまず思った。
SFG以前のフェライトマグネット搭載のユニットは、やはりダメだったのか、とも思い、
当時のJBLにとって、もし瀬川先生が「Good」ではなく、「Bad」といわれていたら、
SFG回路はどうなっていたんだろうか……、そんなことも考えてしまった。

ゲイリー・マルゴリスとブルース・スクローガンの「発刊によせて」を読み返していると、
4301を無性に鳴らしてみたくなる。
何も最新の、高額な、優秀なアンプで鳴らしたいわけではない。

あの頃に戻りたくとも、戻れはしない。
そんなことはわかっているけれど、あの頃の私に何かひとつ伝えることができるのならば、
後一年ほど待て、といいたい。

サンスイのプリメインアンプで鳴らし、プリ・パワー分離機能を使って、
サブウーファーとパワーアンプを加えるとともにバイアンプ駆動にする。
そうやってグレードアップ(ステップアップ)していくことを選択するように──、そう伝えたい。

Date: 10月 28th, 2016
Cate: 世代

世代とオーディオ(JBL 4301・その13)

JBLの4301の値下げがもう一年早かったら……、
ここで書いてきたようなシステム(組合せ)で始まり、
グレードアップをしてきたかもしれない。

でも現実はそうならなかった。
4301は当時はそこまで入手しやすい価格ではなかった。

本格的なスピーカーとして4301を自分のモノとできていれば、
その後の私のオーディオは、どうだったのだろうか、と想像してみるのは楽しいし、
4301について調べていくと、当時はわからなかったことがはっきりしてくる。

4301の開発責任者はゲイリー・マルゴリスである。
ステレオサウンド 51号から始まった4343研究に登場している。

ゲイリー・マルゴリスは1974年にJBLから勧誘され入社している。
彼が最初に取り組んだのが4301である。

ゲイリー・マルゴリスはステレオサウンドの誌面に、もう一度登場している。
53号掲載の、瀬川先生によるJBLの新ユニットの記事である。

アルニコマグネットからフェライトマグネットへの移行、それにともなう磁気回路のSFG化。
4343搭載の2231Aが2231Hに、2121が2121Hになっている。

ゲイリー・マルゴリスはこれらのユニットを瀬川先生のリスニングルームに持ち込んでいる。
ステレオサウンド別冊「JBLのすべて」に、
ゲイリー・マルゴリスが、そのときのことを書いている。
     *
 ブルース・スクローガンから私が受けた特命は、プロトタイプのSFGユニットを日本のオーディオ関係者に紹介するとともに、瀬川氏が当時使用していた4343のウーファーとミッドバスをSFGのそれと交換し、その評価を聞くというものでした。瀬川氏は、日本でもっとも尊敬されていた評論家のひとりであり、彼がJBL4343を称賛してくださったことが、このスピーカーが日本のオーディオファイルに受けいれられる大きな助けとなりました。このことから、瀬川氏によるプロトタイプSFGユニットの評価は、われわれにとって決定的なことだったのです。
 当日は、夜の8時すぎからテストセッションがはじまりました。瀬川氏所有の4343のウーファーとミッドバスのユニットをSFGタイプに交換して試聴を始めましたが、最初にでてきた音は、決して満足のいくものではありませんでした。ノースリッジのJBL試聴室で聴いた音とは違い、深みもパワーもない音です。私はてっきり、スピーカーが輸送によって破損したのだと思ったほどです。しかし、パワーアンプを交換してみたところ、いままでの音が嘘のような、鮮明な音が聴こえてきたのです。どうやらパワーアンプに異常があったようでした。
 その後何時間もの間、私たちはさまざまなレコードを試聴し、その間、瀬川氏はSFGユニットの新しい音響特性を注意深く観察していました。ちょうど真夜中を過ぎようというころ、瀬川氏は私に大きな笑顔をみせ「Good」とおっしゃってくださいました。私たちはさらに何時間もレコードを聴き、新しいスピーカーの音について議論を重ねました。
 試聴が終わり、新しいSFGユニットを取り外すとき、瀬川氏はとても残念がったものです。しかしわれわれには、このSFGユニットをJBL社に持ち帰り、量産製品のスタンダードとする必要があったのです。瀬川氏には量産品が完成次第、さっそく発送することを約束して、深夜というより早朝に近い時間に氏のお宅をおいとましました。ホテルに戻ったのは明け方でした。アメリカで結果を待ちわびているブルース・スクローガンに電話で第一報をいれたときの、何ものにもかえがたい充実感を忘れることはできません。長時間にわたる真剣な試聴で非常に疲れてはいても、たいへん元気づけられました。
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メーカー側の人間からのリポートである。
53号の瀬川先生の記事は読んでいた。
54号では特集で4343と4343Bを直接比較されていて、それももちろん読んでいる。
暗記するほど読んでいる。

その裏側というか、あまり表に出てこない話が、14年経ってあきらかになる。
そして、こういう人(マルゴリス)が4301の音質決定をしていたことが、
実に興味深い。

瀬川先生とゲイリー・マルゴリスとの会話がどういうものであったのか、
その詳細を知りたいとも思う。