似ていると思う感覚の相違(その1)
誰かを見て、あの人に似ている、と思う感覚がある。
海外ドラマ好きの私は、
このドラマの、この人、あの人に似ている(そっくり)と感じることがまあある。
ここでの、この人とは、ドラマの中で演じられている役柄であり、
あの人とは、私の身近にいる人のことである。
つまり役者と身近にいる人が似ている、と感じるのではなく、
役柄と身近にいる人が似ていると感じることがある、ということだ。
でも、このことを周りの人に話しても同意を得られることは、ほとんどない。
先日の忘年会でも、そんな話をしたけれど同意はゼロだった。
いまはiPhoneがあり、私が似ていると思ったこの人(役柄)をすぐに見てもらうことができる。
確認作業はすぐにできる。
それでもほとんどの場合、同意は得られないから、考える。
私が似ていると感じた要素と、他の人が似ていると感じる要素は同じこともあるだろうが、
違っていることもある(こちらの方が多いようだ)。
私がここで「似ているでしょ」と周りの人に同意を求めているのは、
この人とあの人の印象についてであって、
単に顔形が似ている、といったことではない。
人の印象でも、似ているということに関しては、大きく違う。
まして、それが音の印象となるとどうだろうか。
何(誰)を似ていると思っているのか、という感覚は、
そして、その感覚の相違は曖昧のままに、音について語られている。