Archive for category テーマ

Date: 12月 15th, 2016
Cate: レスポンス/パフォーマンス

一年に一度のスピーカーシステム(その7)

すぐれた人で、即席やお座なりには何もできない人がある。そういう人は性質として、その時々の事柄に静かに深く没頭することを必要とする。そういう才能の人からは、目前必要なものが滅多に得られないので、われわれはじれったくなる。しかし、最も高いものはこうした方法でのみ作られるのである。
(ゲーテ格言集より)
     *
人もスピーカーシステムも同じだと思ってしまった。
そしてゲーテの時代(約200年前)からそうなのだ、と。

その6)を書いてから二年半。
そのあいだに「ゲーテ格言集」(新潮文庫)を買って、気が向いたところを開いては読んできた。

間違っていなかった。

Date: 12月 15th, 2016
Cate:

いい音、よい音(その2)

その1)で書いたことは、
自分にとっての「いい音、よい音」である。

「いい音で聴きたい」という気持をオーディオマニアならばみな持っている。
けれど「人よりいい音で聴きたい」という気持もないとはいえない。

この「人よりもいい音」の「いい」には、
どの漢字があてはまるのだろうか。

Date: 12月 15th, 2016
Cate: 1年の終りに……

2016年をふりかえって(その4)

JBLの70周年記念モデルが、4312SEであったから、
今年一年をふりかえって気になるスピーカーとはいえない。

今年の新製品で気になったスピーカーは、ひとつある。
ヤマハのNS5000がああいう結果になってしまったから、NS5000ではなく、
ソナス・ファベールのCHAMELEON Bという小型スピーカーである。

サイドパネルを交換できることが特徴なだけに、あなどっていた。
インターナショナルオーディオショウでのノアのブース。
入った時に、ちょうどCHAMELEON Bに切り換えられているところだった。
ワディアのシステムで鳴らされていた。

ソナス・ファベールは、フランコ・セルブリンによって設立されたスピーカーメーカーである。
セルブリンを、スピーカーづくりの達人もしくはそれ以上の存在と評価している人もいる。

セルブリンのつくったスピーカーはすべて素晴らしい、という人もいる。
私はそこまでは思っていないけれど、セルブリンが離れてしまったソナス・ファベールには、
正直興味がなくなっていた。

にも関わらずCHAMELEON Bから鳴ってきた音は、もう少し聴いていたいと思わせた。
まったく期待していなかったスピーカーだけに驚きが先に立ったが、
聴いていくうちに、好ましいスピーカーだと実感できた。

ワディアのシステムも大袈裟ではない。
CHAMELEON Bも同じだ。

他のアンプでも聴いてみたいと思っていたけれど、
ワディアのシステムとの相性も良いように感じた。

Date: 12月 15th, 2016
Cate: 型番

デンオンの型番(その1)

DENON。
いまではデノンとカタカナ表記すべきなのだが、
いまの20代くらいならばデノンに対して抵抗感もないだろうし、
デンオンというカタカナ表記に違和感をおぼえるのかもしれないが、
それ以上の世代になるとデンオンの方が親しんでいる。

デノンになってからのモデルに関しては、素直にデノンの○○と書くけれど、
デンオン時代から続いているロングセラーのモデル、
つまりカートリッジのDL103に関しては、デノンのDL103とは書きたくない。

やはりデンオンのDL103なのである。
このDL103の型番のアルファベットは何を意味しているのだろうか。

デンオンのプリメインアンプはPMAで始まる。
Pre Main AmplifierだからPMAである。

コントロールアンプのPRA、Pre Amplifierだからであり、
パワーアンプのPOAはPower Amplifierだからである。
わかりやすい。

アナログプレーヤーはDPから始まる。
最初はDENON Playerで、DPなのかと思ったが、
アンプにはデンオンのDがつかないのだから、
おそらくDはディスク(disc)なのだろう。

ディスクプレーヤーで、DP。
だとするとカートリッジはDLのDはディスクとなる。
Lは何を意味するのか。

デンオンの型番でもうひとつ意味がはっきりとしないのが、スピーカーのSCである。
Sはおそらくスピーカー(speaker)のはず。
ならばCは?

ヤマハの型番と同じように、ここでもCの意味するところがわからない。

Date: 12月 14th, 2016
Cate: audio wednesday

第72回audio wednesdayのお知らせ(セッティングとチューニングの境界)

2017年最初のaudio sharing例会改めaudio wednesdayは、1月4日(水曜日)。

1月4日は、まだ正月休みであろう。
仕事始めは5日から、というところが多いと思う。

毎回来てくれる人も、帰省しているので、とか、先約があって、ということで、来られない。
ほとんど誰もこない回になりそうだから、
来てくださった方には、細かなチューニングの実際を披露しようと考えている。

セッティングとチューニングの境界線は曖昧なところがある。
それでもセッティングとチューニングは同じではない。

2016年の音出しではセッティングは見せてきたが、
私がチューニングと考えている領域は見せてこなかった。

1月のaudio wednesdayでは、セッティングとチューニングの境界のあたりから始めたい。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 12月 14th, 2016
Cate: 1年の終りに……

2016年をふりかえって(その3)

ハーマンインターナショナルに関することで、もうひとつある。
JBLの創立70周年記念モデルのことだ。

一方的に、勝手に私は期待していた。
EverestシリーズのトップモデルとしてDD66000が60周年記念モデルだったから、
K2シリーズのトップモデルとして、JBL ProfessionalのM2をベースにしたスピーカーが出る、
そう思い込んでいた。

見事に外れてしまったわけだし、実際に登場した70周年記念モデルの4312SEも、
音を聴いてみると、納得できるのかもしれないが、
そうであったとしても一抹の寂しさは拭えない。

70周年記念モデルがそうであったということは、もしかすると75周年記念モデルが……、
などという期待も持っている。

70周年よりも75周年なのかもしれない──、
そう思いはじめたところに、ハーマンインターナショナル買収合意のニュースだった。

五年後、ハーマンインターナショナル、JBLがどう変化しているのか、
まったく予想できない。
そう大きくは変化していないのか、それとも大きいといいたくなる変化をしているのか。

勝手な妄想にすぎないのだが、
JBL創立75周年記念モデルには少なからぬ影響があるような気がしてならない。
(そんなモデルはまったく存在していないのかもしれないが……)

Date: 12月 14th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その19)

専門家は、ならばわかっている人なのだろうか。
もう30年ほどの前のことだ。

東京藝大でヴァイオリンを学んできた人がいた。
私よりもいくつか年上だった。
両親もクラシックの専門家だった、ときいていた。

生れたときからずっとクラシックに囲まれた環境で、
東京藝大でヴァイオリンなのだから、彼をクラシックの専門家と誰もが思っても不思議ではない。

でも彼は私に言った。
「ベートーヴェンにオペラはない」と。

ベートーヴェンにはフィデリオという歌劇がある。
クラシックを聴いてきた人ならば、誰もが知っていることである。

彼のいう「ベートーヴェンにオペラはない」は、
フィデリオという作品を知った上で、フィデリオをオペラとして認めていない、という話ではなく、
フィデリオという作品自体を知らない、というだけであった。

彼を貶めるつもりはまったくない。
彼が東京藝大で学んできたことは、おそらくヴァイオリン独奏なのだと思うからだ。
彼自身はオーケストラの一員としてのヴァイオリン奏者を目指していなかったのかもしれない。

そういう彼にとっては、ベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタには強い関心があっても、
それ以外の作品となると、さほどでもなかったのかもしれない。

友人の友人に、やはり東京藝大で作曲を学んできた人がいる。
私と同じ年である。
彼は卒業制作として、エレキギターを使った作品を発表したそうだ。
すると他の人たちは、きょとんとしていて、
「その楽器、なんというんですか」と訊ねてきた。
エレキギターだと答えると、
「それがエレキギターというものですか、初めて見ました、聴きました」と返ってきた。

又聞きではなく、友人の友人本人から直接聞いた話だ。
私よりもずっとずっと上の世代ならば、こんなこともあり得ると思えるのだが、
1980年代でもそうだったのである。

彼は自嘲気味に「藝大の学生は専門バカばかり」といった。
それから30年ほど経っているから、エレキギターを見たことも聴いたこともない学生はいないであろう。

でも30年前には確かにいたのである。
育った環境が違えば、そうなのである。
エレキギターの音は、テレビの歌番組から流れていた。
それでも知らない人がいるということは、環境の違いとしかいいようがない。

彼以外の学生は、みなクラシック一筋の人たちだったようだ。

彼らはそういう意味では専門バカなのだろうが、
少なくともわかったつもりの人たちではなかったようだ。
知らないこと、わからないことがあったから、彼に「その楽器は?」と訊いているのだから。

Date: 12月 13th, 2016
Cate: Noise Control/Noise Design

Noise Control/Noise Designという手法(続audio sharing例会でのこと)

今年のaudio sharing例会では、音を出すことを第一にやってきた。
十二回すべての音出しはできなかったが、九回は行えた。

参加してくれた人たちを見て、ある変化があった。
些細なことではあるが、12月のaudio sharing例会では、
CDプレーヤーの上にCDのケースを置く人がいなかった。

1月に行ったときは、違った。
私はオーディオ機器の上には雑共振の元となるモノは置かない。
CDのケースひとつ置かない。

これはステレオサウンドの試聴室で、井上先生から学んできたことのひとつである。

そんなこと……、と思われるかもしれない。
だがきちんとセッティングされたシステムでは、
CDプレーヤーの上にCDのケースを置いただけで、聴感上のS/N比ははっきりと劣化する。

このことは逆にいえば、CDのケースを上に置いてもその差がはっきりと聴きとれなければ、
そのシステムのセッティングにはかなりの不備がある。

この項で書いているNoise Control/Noise Designにおいて、
聴感上のS/N比には敏感でなければならないし、
CDのケースを上に置くなど、もってのほかといえる。

これまでCDプレーヤーの上に置かれたCDのケースは、他のところに移動していた。
そうした私を見てのことかもしれないが、いまでは誰もCDプレーヤーの上に擱かなくなった。

Date: 12月 13th, 2016
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その18)

この項でとりあげている「わかったつもり」は、実にやっかいな問題である。

わかったつもりで留まっている人は、そこかしこにいる。
読み手にも残念ながらいる。
書き手には、当然のようにいる。
そしてオーディオ雑誌の作り手(つまり編集者)もだ。

わかったつもりで留まるのは、何度も書いているように楽である。
読み手をわかったつもりにさせるのも楽である。

楽であるからこそ、読み手をわかったつもりのレベルに留まらせておくほうが、
作り手にとっては好都合なのだ。

わかったつもりのレベルで、本をつくっていけるのだから。
とはいえ、オーディオ雑誌の編集において、オーディオがわかる、とはどういうことなのか。

オーディオの世界は広いし深い。
私は、オーディオのすべてをわかっているとは、到底言えない。
わかっていないことの方が、わかっていることよりも多いし、
いまわかっていることは、はっきりとわかっていることといえるけれど、
それはほんのわずかなのかもしれない。

私より、オーディオの技術的な知識の豊富な人はいる。
そういう人でも、技術的な知識が豊富なだけであって、
オーディオのことがどれだけわかっているかとなると、話は違ってくる。

ようするに誰もよくわかっていないのだ、私を含めて。
だからこそ、みなオーディオに真剣に取り組んでいる、ともいえる。

その17)の最後に引用した
《そうやってきいているうちに、ぼくは、オペラが音のドラマであるということを、理屈としてではなく、感覚的に理解できるようになりました。》
黒田先生が書かれていること、
感覚的に理解できるようになることこそが、わかるの出発点のはずだ。

Date: 12月 13th, 2016
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(SNS = SESか・その5)

数日前のDeNAのキュレーションサイトの全面閉鎖。
このニュースを見て、(その3)に書いたような人は、
また「インターネットはくずだね」と声高に言うんだろうな、と思っていた。

閉鎖になったDeNAのキュレーションは、どれも見たことがなかったので、
そこで公開されていた記事について触れないが、
今回の問題はインターネットだけの問題なのだろうか。

DeNAのキュレーションサイトについて言及しているサイトのいくつかには、
編集者不在の問題が書かれてあった。
編集者がいないから……、はあまりにも短絡的すぎる。

ならば編集者がいたら、今回の問題は発生しないと断言できるのだろうか。

インターネットの記事は、コピー&ペーストでできるから、こんなことになるわけではない。
いまや雑誌もDTPによってつくられている。
コピー&ペーストの問題は、インターネットにも紙の雑誌にも、
つまり編集者がいることになっている雑誌にもある。

今回の問題で考えなければならないのは、編集者の存在・不在ではなく、
情報の単一性のはずだ。

Date: 12月 13th, 2016
Cate: 戻っていく感覚, 書く

毎日書くということ(戻っていく感覚・その6)

一ヵ月ほど前、ラジオから山下達郎の「アトムの子」が流れた。
CDは持っていない。
ラジオから、偶然流れてくるのを何度か聴いている。

聴くたびに、思うことがある。
「アトムの子」という曲そのもののことではない。

ここでのアトムとはいうまでもなく、手塚治虫によるキャラクターであるアトムである。
だからこそおもうことがある。

「アトムの子」よりも「ブラック・ジャックの子」といえるだろうか、と。

「ブラック・ジャック」は連載開始の1973年から読んできた。
まだ小学生だった。
ブラック・ジャックに憧れて医者になろうとは思わなかったけれど、
ブラック・ジャックの生き方に、どこか憧れていた。

アトムのように生きていきたいと思う人もいれば、
私のようにブラック・ジャックのように……、とおもう人もいるだろう。

2008年9月から、このブログを書き始めて、数回「アトムの子」を聴いている。
そのたびに「ブラック・ジャックの子」といえるだけのことを書いているだろうか、と思う。

Date: 12月 12th, 2016
Cate: 1年の終りに……

2016年をふりかえって(その2)

あと三週間ほどあるから、
もっと大きなニュースが飛び込んでくる可能性がまったくないわけではないが、
オーディオ業界で今年もっとも大きなニュースといえば、
サムスンによるハーマンインターナショナル買収合意の件だ。

このニュースを、ステレオサウンドはどう取り扱うのか。
それを楽しみにしていたけれど、201号の内容をウェブサイトで確認した限りでは、
記事にはなっていないようである。

やっぱりな、と思ったし、そういうものか……、とも思った。
ニュースは11月14日だったから、
週刊誌、月刊誌にとっては十分な時間であっても、
季刊誌のステレオサウンドにとっては一本の記事をつくるには不十分な時間だったのかもしれない。
来年春の202号に載るのかもしれない(載らないと思っているけれど)。

SNSでは、このニュースに対して悲観的なコメントが圧倒的だったけれど、
少なくともこのニュースのおかげで、ハーマンインターナショナルという企業の、
オーディオマニア的な立場からは見えていなかったところの一部を知ることはできた。

このブランドの、この部門も持っていたのか、ということも知ることができた。

日本にあるハーマンインターナショナルの体制も数年前に大きく変っている。
そのこともあって、インターナショナルオーディオショウからハーマンは撤退した。
大阪のオーディオショウではJBLを聴けても、
東京のオーディオショウではJBLが聴けないという状況が、当り前になりつつある。

ユーザー、オーディオマニアの望むところとは無関係に、企業は変化していっている。
時に非常に大きく変化することがある。

サムスンによる買収で、まったく何も変化しないということはありえない。
何が変化していくのか、変化しないのか。
どう変化していくのか。

その変化を、オーディオ・ジャーナリズムは読み手に伝えてくれるのだろうか。

Date: 12月 11th, 2016
Cate: 平面バッフル

「言葉」にとらわれて(その21)

平面バッフル(私にとっては立体バッフル)について考えていっていると、
ピストニックモーションのスピーカーユニットの効率の悪さを改めて実感することになる。

93dB/W/mで、入力された信号の1%が音になる。
いまでは93dBを切るスピーカーが当り前になっているわけだから、
スピーカーに入力された信号の99%以上は音になっていないわけである。

スピーカーの変換効率は、昔から決して高いものではなかった。
ここでいいたい効率の悪さとは、単に数値上の変換効率だけではなく、
バッフル、エンクロージュアなどで、スピーカーユニットの前後を遮らないと、
低音に関しては、スピーカーユニットの前後の音が打ち消し合ってさらに音圧は低下することだ。

ピストニックモーションのスピーカーユニットは、前後の音の位相が180度異るため、
打ち消し合うことになる。
低い変換効率が、打ち消しが生じればさらに低くなる。

実際にはスピーカーユニットのサイズがあるため、
すべての周波数において打ち消しが生じるわけではないが、
波長が長くなるに従って、そのままでは打ち消しは無視できなくなる。

だからこそ平面バッフルに取りつけ、そのサイズが低域再生に直接関係してくるし、
エンクロージュアでユニット背面の音を囲ってしまうわけだ。

この点、ハイルドライバーは前後で同位相の音なので、打ち消し合うことは生じない。
つまりスピーカーユニット(特にウーファー、フルレンジ)が、
ピストニックモーションではなく、前後で同位相の動作方式であれば、
平面バッフル(立体バッフル)ということについて考える必要はなくなる。

けれど実際にはハイルドライバーでも、
ジャーマンフィジックスのDDDユニットであっても、
現在のコーン型ウーファーと同等の低域再生能力はもっていない。

だから、こうやってあれこれ考えている。

Date: 12月 10th, 2016
Cate: 1年の終りに……

2016年をふりかえって(その1)

2016年も、あと三週間ほどで終る。
今年は、毎月第一水曜日に行っているaudio sharing例会(次回からはaudio wednesday)で、
音を鳴らしたことが、今年の個人的な「今年をふりかえって」の筆頭に来る。

2011年2月から始めた。
来年1月で丸六年になる。
来てくれる人は少ない。

音を鳴らすようになったからといって、増えたりもしなかった。
話題の新製品の試聴を行っているわけではないし、
そんなところだろう、と受けとめている。

来てくれる人は、毎回楽しみにしてくれていると、思っている。
楽しまれている、とも思っている。

今年は九回、音出しを行った。
実験的な要素を、どこかに加えての音出しだった。

先日行った12月のaudio sharing例会でも、実験的なことをふたつほどをやっている。
今年やった実験的なことで大きかったのは、
やはり直列型ネットワークである。

ここでもウーファーとトゥイーターのどちらを優先する接続をするかに対して、
バイワイアリングでも直列型ネットワークでも、ウーファーを優先するということは、
変わりないということが、はっきりした。

ただし直列型ネットワークの場合の、ウーファーを優先する場合の接続方法は、
最初に考えていたのとは逆になる。

音を聴いて判断したうえで、もう一度回路図を見て考え直せば、
直列型ネットワークで、どちらの接続方法がウーファーを優先することになるのかは、
試聴結果と一致する。

九回の音出しをやりながら、
ステレオサウンド試聴室での試聴時の気持を思い出していた。

Date: 12月 9th, 2016
Cate: 憶音, 録音

録音は未来/recoding = studio product(続々・吉野朔実の死)

駅の改札を出ると、その奥に書店がある。
ふだんは帰り道にある別の書店に寄ることが多い。

この書店には数えるほどしか寄っていない。
今日はふと寄ってみた。
さほど広い書店ではない。
一周するのにも時間はかからない。
そのまま出ようと思っていたが、
レジの近くに平積みになっているコーナーを見てから帰ろう、と思い直した。

目に留った装丁の本があった。
なんだろう、と手にとった本は、吉野朔実の、今日発売になったばかりのものだった。
いつか緑の花束に」だった。

帯には「吉野朔実から、あなたへ。」とある。
おそらく、これが吉野朔実の最後の本なのだろう。

これだけだったら、ここで書くつもりはなかった。
「いつか緑の花束に」には、未公開ネームが収録されている。

ネームとは、マンガになる前のいわばスケッチ的なもので、
コマやセリフの割振りが割に描かれている。

本は印刷されたものだから、それは肉筆ではない。
でも収録されているネームを読んでいると、どこか肉筆に近いといいたくなるものを感じる。

この肉筆とは、録音・再生の系では何になるのか。
そんなことを考えていた。