毎日書くということ(戻っていく感覚・その6)
一ヵ月ほど前、ラジオから山下達郎の「アトムの子」が流れた。
CDは持っていない。
ラジオから、偶然流れてくるのを何度か聴いている。
聴くたびに、思うことがある。
「アトムの子」という曲そのもののことではない。
ここでのアトムとはいうまでもなく、手塚治虫によるキャラクターであるアトムである。
だからこそおもうことがある。
「アトムの子」よりも「ブラック・ジャックの子」といえるだろうか、と。
「ブラック・ジャック」は連載開始の1973年から読んできた。
まだ小学生だった。
ブラック・ジャックに憧れて医者になろうとは思わなかったけれど、
ブラック・ジャックの生き方に、どこか憧れていた。
アトムのように生きていきたいと思う人もいれば、
私のようにブラック・ジャックのように……、とおもう人もいるだろう。
2008年9月から、このブログを書き始めて、数回「アトムの子」を聴いている。
そのたびに「ブラック・ジャックの子」といえるだけのことを書いているだろうか、と思う。