Archive for category テーマ

Date: 3月 23rd, 2017
Cate: 新製品

新製品(Backes & Müller・その3)

BM30のMFBについても、朝沼、長島の二氏が、
全帯域にわたってMFBがかけられたスピーカーは初めてだ、というふうに語られている。

あまり例がないのは確かだが、くり返すがB&MはMonitor 5で実現している。
B&Mは1975年創立だそうだから、
Monitor 5以前にも実現していた可能性もある。

いまのところはっきりといえるのは、1977年のMonitor 5もそうである、ということ。
ただMonitor 5のウーファーは四発使われているが、
ひとつひとつのウーファーユニットに専用アンプが用意されていたのかどうかは、
ステレオサウンド 45号の記事からは読みとれない。

45号は1977年12月発売の号、
117号は1995年12月発売の号。
まる十八年経っているわけだが、
編集部の誰一人、45号にMonitor 5が登場していることを思い出さなかったのだろうか。

人は忘れるものである。
ど忘れということだってある。
座談会の時点では、そういうことだったのかもしれない。

けれど座談会を収録したテープを文字起しして、まとめる過程で、
B&Mが過去に紹介されたことがなかったのか、
全帯域にMFBがかけられたモデルが過去になかったのか、
いっさい調べなかったのだろう。

だから117号の記事になってしまっている。

Monitor 5がステレオサウンドでなく、
他のオーディオ雑誌に紹介されただけというのならば、まだ理解できないこともないが、
十八年前のステレオサウンドにしっかりと載っている。

私はステレオサウンドの編集者は、
ステレオサウンドの愛読者であるべき、という認識をもっている。
現実はそうではないようだ。

Date: 3月 23rd, 2017
Cate: 新製品

新製品(Backes & Müller・その2)

Backes & Müller(B&M)のスピーカーは、
ステレオサウンド 117号の表紙を飾っている。
BM30というモデルで、’95-’96コンポーネンツ・オブ・ザ・イヤー賞を受賞している。

横幅は41.0cmながら、高さは178.0cmというプロポーションをもち、
ウーファーは25cm口径、ミッドバスは20cm口径、ミッドハイは13cm口径のコーン型を、
それぞれ二発を使用し、トゥイーターは3.7cm口径、スーパートゥイーターは1.9cm口径のドーム型。
5ウェイ8スピーカーという構成である。

八つのユニットには、それぞれ専用のパワーアンプが、
つまり八台のパワーアンプが搭載されている。

ウーファー、ミッドバス、ミッドハイはユニットを並列接続してやれば……、
と考えがちだが、ここまで徹底したマルチアンプ構成にしているのは、
すべてのユニットに対しMFBをかけるためのはずだ。

ステレオサウンド 45号の新製品紹介の記事でも、そのことにはふれられていた。
3ウェイで、すべてのユニットにMFBがかけられている、と。

通常MFBはウーファーだけにかけられる。
インフィニティのIRSシリーズでも、MFBはウーファーにのみ採用されている。
それをB&Mは1970年代後半ごろから、全帯域(すべてのユニット)にかけている。

ステレオサウンド 117号の座談会も、そのことから始まっている。
ただ、この座談会がおかしいのは、B&Mが日本に紹介されるのは初めてだと書いてあることだ。

菅野、山中、朝沼の三氏が、このB&Mを知らなかった、と発言されている。
でも……、と思う。

確かに45号ではB&Mとして紹介されている。
117号ではバックス&ミューラーとして紹介されている。

輸入元もシュリロ貿易からバルコムへと替っている。
それでも日本に紹介されるのは初めて、といってしまうのは、どうだろうか。

それはB&Wがバウワース&ウィルキンス、
B&Oがバング&オルフセンとして紹介されたら、日本に初めて紹介された、というのと同じことである。

Date: 3月 22nd, 2017
Cate: 新製品

新製品(Backes & Müller・その1)

ドイツのスタジオモニターは、昔からアンプ内蔵のモノが多い。
シーメンスのオイロフォン(Europhon)もそうだし、
K+Hのスピーカーもそうである。

ドイツにBackes & Müller(B&M)というメーカーがある。
1970年代後半ごろ、バイエルン地方に創立されたメーカーで、
日本にはシュリロ貿易からMonitor 5というモデルが輸入された。
1977年ごろである。

Monitor 5もドイツのスタジオモニターの例にもれずアンプを内蔵していて、
マルチアンプ仕様となっている。
さらに当時としては、他のアンプ内蔵型から一歩進んで、MFBをかけていた。

ウーファーは13cm口径コーン型を四発、
スコーカーは4.1cm口径、トゥイーターは2.7cm口径の、どちらもソフトドーム型。

ユニット構成からわかるようにそれほど大きなサイズではない。
中型のモニターシステムといったところだが、
アンプ内蔵、MFB採用ということもあって、価格は50万円(一本)していた。

ステレオサウンド 45号の新製品紹介に登場している。
ドイツ製のスピーカーとは思えないしなやかな音を出す、という評価だった。

聴いてみたい、と思ったが、機会はなかった。
ステレオサウンドで働いていたときも聴く機会はなかった。

先日、facebookに、なつかしいスピーカーのことが話題になっていた。
K+HのO92である。
それでB&Mのこと、Monitor 5のことを思い出した。

いまもあるのだろうか、と検索してみたら、すんなり見つかった。
PrimeシリーズとLineシリーズのスピーカーを、いまもつくっている。
創立40周年をむかえた、とある。

日本に輸入元がながいことなかっただけのようだ。
だから新製品とはいかないけれど、
ひさしぶりに見るB&Mのスピーカーシステムは、Monitor 5とはずいぶん違っていた。

そっけない外観のMonitor 5のイメージは、まったくない。
それでもアンプ内蔵であるのは同じだ。

そして現代の製品らしく、FPGA(field-programmable gate array)を使い信号処理を行っている。
かなりおもしろそうなスピーカーだと感じたので、
あえて新製品として、ここで書いている。

特にLine 100の存在感は、すごい。
Line 100だけ、専用のウェブサイトが用意されている。
私が言葉で説明するよりも、まずリンク先のサイトをみてほしい。

Date: 3月 22nd, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その5)

《それがひいては物を作る態度にも、いつのまにか反映している》

このことはステレオサウンドをはじめとするオーディオ雑誌においては、
本づくりの態度に反映してしまうだけにとどまらず、
物(モノ)を評価する態度にも、いつのまにか反映してしまうところに、
大きな、根深い問題へとなってしまう。

これは編集部だけに留まらず、
編集部がいいかげんな技術用語を使っていることに気づかずにいる執筆者もそうだ。

気がつかない、そんないいかげんな技術用語を自身がやっているということは、
その執筆者(オーディオ評論家)の、
オーディオ機器を評価する態度にも、いつのまにか反映してしまっている、ということだ。

技術用語の乱れは、すぐにはなくならないだろう。
メーカー、輸入元の資料を写しているだけの執筆者、編集部。
つまりは校正といっても、その元となるのが、技術用語が乱れたものでしかなかったりするのだから、
参考にできるものが、あまりないという状況でもある。

結局は、編集者、執筆者自身が、きちんと技術用語を勉強するしかない。
そんなめんどうなこと、基本的なことをいまさらやられるか、と少しでも思っているとしたら、
ずっとそのままであり、
携わっている雑誌の評価を確実に下げていくことになる。

Date: 3月 22nd, 2017
Cate: ジャーナリズム

オーディオにおけるジャーナリズム(技術用語の乱れ・その4)

ステレオサウンド 47号の特集の巻頭、
「オーディオ・コンポーネントにおけるベストバイの意味あいをさぐる」で、
瀬川先生が書かれていることを、ここでも書き写しておこう。
     *
 だが、何もここで文章論を展開しようというのではないから話を本すじに戻すが、今しがたも書いたように、言葉の不用意な扱いは、単に表現上の問題にとどまらない。それがひいては物を作る態度にも、いつのまにか反映している。
     *
物とはオーディオ機器だけではない。
オーディオ雑誌も含まれている。

チョーク(コイル)をわざわざチョークトランス、
平滑コンデンサーを整流コンデンサーなどと、
技術的におかしい、言葉の不用意な扱いをしているのが、
いまのステレオサウンドである(他の雑誌も同じようなもの)。

瀬川先生が亡くなって三十年以上が経っている。
いまのステレオサウンド編集部にとって、瀬川先生は古い人なのだろうか。

そんな古い人の書かれたことを持ち出されても……、という声がきこえてきそうだ。

Date: 3月 21st, 2017
Cate: デザイン

プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザイン(その1)

プリメインアンプとコントロールアンプのコントロール機能は同一である。
最低でも入力セレクターとレベルコントロールは必要で、
その他にテープセレクター、バランスコントロール、モードセレクター、
各種のフィルターとトーンコントロールなど、同じことが求められる。

つまりプリメインアンプとコントロールアンプのフロントパネルは、
ひとつのメーカーにとって、同じであってもおかしくはない。

実際にそういう製品はいくつもあった。
よく知られるところではラックスとマランツ(ともに1970年代)があり、
その他にもソニー、テクニクス、サンスイなどが挙げられる。

フロントパネルを共通、もしくはほぼ同じにすることで製造コストが抑えられる、
価格も抑えられるのであれば、購入を考えている人にとっては、
このことはデメリットにはならないだろう。

それでもプリメインアンプとコントロールアンプとで、
デザインをきっちりと変えているメーカーもいくつもあった(ある)。

ここで考えたいのは、そのことの是非ではなく、
タイトルにもしたように、
プリメインアンプとしてのデザイン、コントロールアンプとしてのデザインの区別を、
私のなかではどうしているのかについて、である。

例を挙げればラックスのSQ38FD/IIとCL35IIIのデザイン。
私にとっては、このふたつに共通するデザインは、プリメインアンプとしてのデザインである。

そのベースとなっているデザインに、
マランツのModel 7というコントロールアンプの存在があっても、そうである。

Date: 3月 21st, 2017
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(OPPOと逸品館のこと・その6)

逸品館の人は、OPPOのSonica DACを試聴して、
感じたことそのままを文字にされたのだろう。

聴いて感じたままを文字で表現して、オーディオ機器の評価をする。
他人がどう感じようと、自分の耳にはこう聴こえた、こう感じた──、
そのことをすべて文字にすることは不可能であっても、できるだけ正確に文字にして伝える。

いまはインターネットという媒体があるから、その気になれば誰にでもやれることである。
文字数の制約もない。
個人であれば、ほとんど気兼ねすることなく書ける。

正直に書いた──、
ただそれだけで、誠意のある評価とほんとうにいえるのだろうか。
いいかえれば、うそいつわりのない評価と、ほんとうにいえるだろうか。

聴いた人(書いた人)は、うそは書いていない、というだろう。
聴いたままを、能力の及ぶ範囲で文字にした、と。

その意味では、うそいつわりは、そこにはない、ということになる。
それは誠意のある評価ともいえよう。

けれど、その評価が的外れなものであったら、どうなるか。
独りよがりすぎる聴き方で、うそいつわりがないとしても、
果して誠意のある評価となるのだろうか。

聴き方の問題だけではない。
独りよがりとはいえない聴き方であっても、
音を言葉で表現することの難しさに直面して、
そこで独りよがりに陥ることだってある。

そこでの評価に、誠意はあるといえるのか。

なにも逸品館の人の聴き方、表現がそうである、ということではない。
どんな人なのかも、私はまったく知らないので、一般論として書いている。

Date: 3月 21st, 2017
Cate:

オーディオと青の関係(その19)

歳は関係ないだろう、
オーディオを始めて日の浅い人は、
こんなことは考えたりはしないだろう。

考えたとしても、青とはおもわないのではないか。

オーディオをながく続けている。
十年はながい、とはいわない。
二十年、三十年……、このあたりからながい、といえるかもしれない。

四十年くらいから、はっきりとながいといえよう。

四十年のあいだに聴いてきた音、
己で鳴らしてきた音、誰かの音、そんなふうにさまざまな音を聴いてきているということは、
その音の総量は、空や海が青くみえるのと同じほとに積み重なっているはずだ。

わずか水や空気が、青く見えないのと同じで、
音の総量が、青くみえるほどにいたってなければ、
青とはおもわないだろうし、考えもしないであろう。

Date: 3月 20th, 2017
Cate:

オーディオと青の関係(その18)

コップのなかの水に、色はない。
無色透明といっていい。

目の前に空気がある。
空気の色も、水と同じで意識することは無い。
無色透明といえる。

どちらも色がついているわけでもないのに、
空の色、海の色は青である。

なぜ青に見えるのかについては書く必要はないだろう。

空は青い。
海も青い。

音も、そうなのかもしれない。
青い、のではないだろうか。

遠くに拡がっている音は、空や海と同じように青く見える、はずだ。

Date: 3月 19th, 2017
Cate: 欲する

iPhoneの十年とJBLの十年

昨年12月に書いているように、
2016年、JBL創立70周年記念モデルとして、
JBL PROFESSIONALのM2をベースに、コンシューマー仕様に仕上げたものだと予想していた。

結果は大外れだった。
登場したのは4312SEだった。

それでも、こんなことを考えていた。
JBLはM2のコンシューマー版を開発していた。
けれどうまくいかなかったから、急遽4312SEを仕上げてきた、と。

M2は専用のエレクトリッククロスオーバーによるバイアンプ駆動で、
そのままコンシューマー用とするわけはなく、
内蔵LCネットワークでM2に匹敵するパフォーマンスを目指したけれど、
70周年記念モデルとしては間に合わなかった……。

もしかすると75周年記念モデルとして発表するかもしれない、とまで思っている。
予想が当るのは半々かな、ぐらいに思っているが、出てきてほしい。

今年はiPhone誕生10周年である。
JBL創立60周年(2006年)の時点では、iPhoneはなかった。

つまりJBL創立60周年から70周年の十年間は、iPhoneとともにあった、といえる。
事実、JBLの製品ラインナップも、この十年でかなり変化したところがある。

このことに気づけば、JBLが70周年記念モデルに4312SEをもってきたのは、
70周年記念モデルということよりも、
60周年からの十年間を象徴するモデルなのか、と納得できるところもある。

Date: 3月 19th, 2017
Cate: 輸入商社/代理店

輸入商社なのか輸入代理店なのか(OPPOと逸品館のこと・その5)

逸品館のウェブサイトの別ページにも、
今回のOPPO Digitalとの件についての記述がある。
     *
※このページを作成する前に行った「Sonus Faber Venere S(Signature)の音質テスト」で、Sonica DACを高く評価しなかったと言うことが「oppo製品を誠意を持って販売する」という契約条項に違反したと言うことで、oppo Japanから一方的に契約解除され、逸品館ではoppo製品の販売を行うことができなくなりました。逸品館としては「お客様に誠意のある情報をご提供すること」を「メーカーへの忠誠心」よりも大切にしています。
     *
Sonica DACは聴いていない(興味もない)ので、
その実力がどの程度で、逸品館による評価が信用できるものであったのかはわからない。

それでもここで書きたいのは、誠意についてである。
逸品館は「oppo製品を誠意を持って販売する」という契約条項に違反したということで、
OPPO Digitalから契約解除された──、というのが逸品館の言い分である。

誠意とは、うそいつわりのない心。私利・私欲のない心のことである。
少なくとも辞書には、そう書いてある。

Sonica DACを聴いて、いくつかの欠点に気づいたとする。
そのことについて書かずには、持ち上げてしまう行為は、誠意からかけ離れたものである。

「oppo製品を誠意を持って販売する」ということは、
「oppo製品をうそいつわりのない心を持って販売する」ということのはずだ、本来ならば。

逸品館は、その意味では誠意を持ってSonica DACを販売していた、といえそうである。
ただOPPO Digitalの考える誠意が、うそいつわりのない心なのか、
それとも違うものなのかは、OPPO Digitalの代表者による言い分がほしいところだ。

Date: 3月 18th, 2017
Cate: 「オーディオ」考

豊かになっているのか(その8)

40年以上前の富士フイルムの広告。
モノクロであり、洗練されているとはいえなかったが、
いま改めてみると、考えさせられるヒントとなることがあったりする。

ステレオサウンド 16号の富士フイルムの広告もそうだ。
モノクロ見開き二ページ。

左上に、
オーディオ評論家リスニングルーム深訪シリーズ(2)
瀬川冬樹氏
とある。

右側には、広告のコピーがある。
     *
音楽とは、ずっと
蓄音機時代から……。
うーん……〈太公トリオ〉が
ぼくの初恋。
あまりの感激に
床にしゃがみこんじゃったな。
衝撃的なフィーリング
だったんですよ……。
     *
瀬川先生(というよりも大村少年)の音楽の初恋は、
ベートーヴェンの大公トリオなのは、すこし意外な気がした。

大公トリオについては「虚構世界の狩人」でもふれられている。
     *
 オーディオとは、しかしいったい何なのだろう。音を良くする努力は、自分の音楽体験に何をもたらしたのだろうと、ときどき考え込むことがある。ずっと以前、いまからみればよほど貧弱な装置で、モノーラルをこつこつと集め、聴いていたころからくらべて、自分の中の「音楽」は果して豊かになっているのだろうか。むかしの方が、よほど音楽は自分にとって身近にあり、もっと切実だったように思われる。むかし小さなラジオで聴いたカザルス・トリオの「大公」や、ヤマハのコンサートで聴いたフルトヴェングラーの「エロイカ」や、M氏のお宅で聴いたカペエの「131」や、そしてブリヂストンの土曜コンサートで聴いた──こればかりは演奏者をどうしても思い出せないシベリウスのヴァイオリン協奏曲の、めくるめくような衝撃が、どこへ逃げて行ってしまったのか──。自分自身の環境や感受性の違いなのかあるいは年齢がそうさせるのか。もしかしたら装置そのもののせいなのか──。
     *
ここにも《果して豊かになっているのだろうか》とある。

Date: 3月 17th, 2017
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その23)

今日facebookを見ていたら、数年前に見た話がまた登場していた。
数年前にも、そして今日も、そこには「実話」とある。

タイトルは
【実話】満員バスの中、赤ちゃんが泣き止まないため降りようとしたお母さんに、運転手さんがこう言った…

いい話だ、心暖まる話だ、と読む人の方が多いのだろう。
でも東京に住んでいる人ならば、違和感にすぐ気づくはず。

この記事の2ページには、こうある。
     *
そのお母さんが運転手さんの横まで行き
お金を払おうとしますと運転手さんは

「目的地はどこまでですか?」

と聞いています。
     *
このバスは中野坂上方面から新宿に向うバスである。
この経路のバスで運賃後払いはない。
前乗り、後降りであるから、
運転手のところまで料金を払おうとする必要はない。

前のドアから乗車する際に料金は払っている。
この記事の冒頭に16年前とあるが、16年前も、ずっと前から先払いである。

この話がまったくの創作なのか、
どこかで似たような話があったのを東京に置き換えただけなのか、そのへんはわからないが、
少なくとも実話とはいえない。

にも関わらず数年おきにインターネットに登場してくる。

これもpost-truthであるし、
「理解なんてものは概ね願望に基づくものだ」の例のひとつともいえる。

Date: 3月 17th, 2017
Cate: 戻っていく感覚

もうひとつの20年「マンガのDNA」と「3月のライオン」(その2)

「3月のライオン」は単行本の一巻だけは読んでいた。
それからNHKで放送されているアニメをみた。

ていねいにつくられているアニメであり、すぐれたアニメである。
一話目冒頭のモノクロのシーンは原作のマンガにはない。
アニメで加えられたシーンであるが、このシーンが静かな迫力を生んでいる。

アニメの監督は新房昭之氏。
「3月のライオン」の作者・羽海野チカ氏が「この人に!」とおもっていた人だそうだ。

アニメ「3月のライオン」に登場する人たちは、みな表情豊かだ。
アニメが画が動くし、音声もつく。
アニメをみなれた後で、
それもすぐれた出来のアニメ(そう多くはないけれど)を見たあとで、原作のマンガ、
つまり音声もなし、動きもなし、色もなしの二次元の領域に留まっている表現に触れると、
その世界に慣れるまでに、わずかな寂しさのようなものを感じることがある。

けれど「3月のライオン」にはそれがない。
むしろ動きも、音声も、色もないマンガの表情の豊かさに気づかされる。

特に川本三姉妹の表情は、じつに豊かだ。
その表情を生み出しているのは線である。
その線をみていると、この人はいったいどれだけの線を描いてきたのか、
そして見てきたのか、ということを考える。

才能をどう定義するか。
そのひとつに、どれだけの圧倒的な量をこなしているかがある、と私は思っている。

Date: 3月 17th, 2017
Cate: 新製品

新製品(TANNOY Legacy Series・その9)

Eatonは、聴く前から欲しい、と思っていた。
理由は、瀬川先生のフルレンジから発展する4ウェイのシステム構築案を読んでいたからだ。

このブログでも何度か書いているので詳しくは書かないが、
フルレンジから始めて、次にトゥイーターをつけて2ウェイにして、その次はウーファーを足して3ウェイ、
最後にミッドハイ(JBLの175DLH)を加えての発展型4ウェイである。

もちろん一度にすべてのユニットを揃えて4ウェイを構成してもいいけれど、
学生の私にとってフルレンジから、というのはそれだけで魅力的にうつった。

オーディオのグレードアップには無駄が生ずるものだ。
けれど、この案ならば無駄がない。
スピーカーというものを理解するのにも、いい教材となるはず、と思っていた。

Eatonから始めれば、フルレンジといっても同軸型2ウェイだから、
周波数レンジ的にも不満はでない。
つぎにウーファーをたして3ウェイにして、最後にスーパートゥイーターをつければ、
瀬川先生の4ウェイ案と同じになる。

人によってはウーファーよりもトゥイーターを先に足すだろうが、
私はウーファーを先に足すタイプである。

4343のミッドバスの2121とHPD295Aはどちらも10インチ口径。
4343のミッドバスとミッドハイを同軸型ユニットに受け持たせることで、
ここのスピーカーユニットが距離的に離れることもある程度抑えられる。

Eatonという完成したシステムが中核になるわけだから、
自作にスピーカーにおこりがちな独りよがりなバランスになる危険性も少なくなるはず。

同口径のユニット搭載のStirlingでも、同じことはやれる、といえばやれるけれど、
Eatonとはエンクロージュアのデザインの違いがあることが大きい。
特に現在のStirlingは、こういう使い方には完全に向かないデザインになっている。