Archive for category テーマ

Date: 5月 6th, 2017
Cate: 再生音

続・再生音とは……(英訳を考える)

音の英訳はsoundが、まず浮ぶ。

では再生音の英訳は? というと、
Google翻訳では、playback soundと出る。
直訳すぎる。

再生の英訳は、playbackの他に、reproductionも出てくる。
再生音の英訳ならば、playback soundよりも、
reproduction soundのほうが、まだしっくりくる。

忘れがちになるが、acoustic wavesも音の英訳である。
playback acoustic wavesとかreproduction acoustic waves、
そんな英訳はしたくない。

でも確かに音はacoustic wavesである。
ならばartificial wavesが、再生音の英訳であってもいいのではないだろうか。

Date: 5月 6th, 2017
Cate: ディスク/ブック

THE DIALOGUE(その1)

「THE DIALOGUE」は、オーディオラボからでていた菅野録音の中で、
最も多く聴いたLPである。

1978年に出ている。
録音は1977年、もう40年経っている。

当時のステレオサウンドの試聴レコードとしても、よく登場していた。
熊本のオーディオ店の招待で定期的に来られていた瀬川先生も、
「THE DIALOGUE」を試聴レコードとして持参されていた。

一度、その熊本のオーディオ店に菅野先生が来られた時も、
JBLの4350Aで「THE DIALOGUE」を鳴らされた。

私にとって「THE DIALOGUE」はJBLの4343と4350Aで聴いた音が、
ひとつのリファレンスとなっているともいえる。

スピーカーから、こういうドラムスの音が聴けるのか、とおそれいった。
同時期のチャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」におけるドラムスの音にも、
4343で聴いて驚いたけれど、「THE DIALOGUE」はより生々しかった。

LPをすぐさま買った。
33 1/3回転盤だけでなく、UHQR仕様の78回転盤も、
アナログプレーヤーをトーレンスの101 Limitedにした機会に見つけて買った。

菅野録音のオーディオラボのレコードは、他にも何枚か買っていた。
買わなくとも、ステレオサウンドで働いていると、他のレコードを聴く機会はあった。

「THE DIALOGUE」を、あるジャズ好きの人は、
「音はいいけど、音楽的(ジャズ的)にはつまらない……」といっていた。

反論したかったけれど、当時はジャズをほとんど聴いていなかった私にはできなかった。
それに、「THE DIALOGUE」を音楽として聴いていたかどうかに自信ももてなかったこともある。
そのくらい、「THE DIALOGUE」のディスクから聴くことのできる音は、
オーディオマニアにとって、ひとつの快感でもあったのではないだろうか。

少なくとも、10代の終りからハタチごろの私にとっては、そういう面を否定できない。
そのためだろうか、ある時期からパタッと聴かなくなった。

CDが登場してからも聴くことはなかった。
SACDとして2001年に登場した時も、見送っていた。

オーディオラボのSACDは、他のディスクは聴く機会があった。
菅野先生のリスニングルームでも聴かせていただいた。
けれど「THE DIALOGUE」はずっと聴いていない。
もう30年ほど聴いていないのに、ここにきて無性に聴きたくなっている。

Date: 5月 6th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアと取り扱い説明書(その1)

ずっと以前、とあるところから、
あるオーディオ機器の取り扱い説明書を書いてくれないか、という依頼があった。

ことわる理由もなかったし、取り扱い説明書を書くのも、何かの勉強だと思い受けたことがある。
とはいうものの、これまでオーディオ機器の取り扱い説明書を読んだことはほとんどない。
かなり多くのオーディオマニアが、私と同じではなかろうか。

なのでいくつかの取り扱い説明書を取り寄せて、読んだことがある。
オーディオ機器の取り扱い説明書も、各社さまざまなのを知った。
こういう機会でもないかぎり、取り扱い説明書をじっくり読むことはなかった。

基本的に、オーディオ機器であれば取り扱い説明書はなくとも使える。
そういう自信を持っていた。
けれど先日のaudio wednesdayでは取り扱い説明書を読むことになった。
オーディオ機器の取り扱い説明書を読むのは二十年以上なかった。

喫茶茶会記の新しいアンプ、マッキントッシュのMA7900のフロントパネルには、
それほど多くのツマミがあるわけではない。
最初MA7900を前にして、あれっ? と思った。

モードセレクターが見当たらなかったからだ。
MA2275にはついていた。
モードセレクターなんて要らない、と考える人もいるが、
モードセレクターの有用性を知らない(気づいていない)人は、
そういう調整の仕方をしているわけとなる。

マッキントッシュもついになくしたのか……、と思っていた。
途中でMA7900の内蔵D/Aコンバーターの音を聴こう、ということになった。

私は単純に、入力セレクターをまわしていけば、
デジタル入力がディスプレイに表示されるのだと思っていた。

Date: 5月 5th, 2017
Cate:

いい音、よい音(その5)

M&KのSatellite-IA + Volkswooferを、
ごくふつうに鳴らした音は、品位に欠ける音、とまず言いたくなる。

使用されているユニットのクォリティがそれほど高くないのだろうか、
最初に鳴ってきた音を聴いた瞬間は、
なぜこのスピーカーが、アメリカで売れているのか、理解できなかった。

コンセプトとしては、おもしろいスピーカーシステムといえる。
サブウーファーに関しては、フィルターの信号処理、
内蔵アンプの高効率化など、1980年のころとは大きく変化している。

BOSEの501は、M&Kに近いスタイルのスピーカーでもあった。

とはいえ、スピーカーは出てくる音がすべて、ともいえる。
出てくる音は、スピーカーの能力だけでなく、鳴らし手の能力も深く関係してるのはいうまでもない。

井上先生の手にかかると、M&Kのスピーカーから品位ある音が聴けるようになるわけではない。
それでもSatelliteスピーカーの結線をあれこれ試して、
Volkswooferの位置、レベルなどを調整されていくと、
不思議と、楽しいスピーカーシステムなんだ、と思えてくる。

聴いていると楽しい、と思う。
オーディオの面白さは、単にクォリティの追求だけではないことが、
井上先生の鳴らすM&Kのスピーカーの音を聴いていると感じる。

オーディオには遊びの要素もあることに気づかされる、ともいえる。
けれど井上先生が鳴らされるM&Kと同じ音を当時、私一人で鳴らせるかといえば、無理だった。

ステレオサウンドの試聴室では、
基本的なセッティングは編集部がやるし、
試聴しながらのチューニングも、井上先生の指示で編集部がやる。

体を動かしていたのは編集部(つまり私)だったけれど、
一度システムをバラして、もう一度セッティングし直して、同じ音を出す自信はなかった。
つまりM&Kのスピーカーを楽しむことを、一人ではできなかった。

いまはどこも輸入していないのだから試しようがないけれど、
M&Kのスピーカーシステムのもつ楽しさを抽き出す自信はある。
そうなると、この項のテーマについても、
20代前半のころといまとでは違っているところも出てきている。

Date: 5月 5th, 2017
Cate:

いい音、よい音(その4)

書きたいことは、つねにいくつもある。
にも関わらず、まだ書いていないこともいくつもある。

その書きたいことをどこに書こうか、と迷うからだ。
どのテーマ、どのタイトルのところに書こうと同じであるならば、
思いつくままに書いていくのだが、
書いている人ならば、どのテーマ、どのタイトルに書くかによって、
書き始めは同じでも、途中から変っていくのを感じているはずだ。

このことも以前から書こうと思っていた。
結局、ここに書くことにした。

アメリカにM&Kというスピーカーブランドがある。
1980年代は、三洋電機貿易が輸入元だった。
その後、輸入元がなくなったが、数年前に一時期タイムロードが輸入していた。

M&Kのスピーカーシステムは、Satelliteと呼ばれる小型スピーカーと、
Volkswooferと呼ばれるサブウーファーから成るのが特徴だ。

単独での使用も可能だし、単売していたものの、
実際にはSatellite + Volkswooferの組合せが前提であったし、
ステレオサウンドの試聴室では、いつもこの組合せで聴いていた。

Satelliteスピーカーには二種類あり、主に聴いたのは上級機のSatellite-IA。
13cm口径ウーファーを縦方向に二発、
ドーム型トゥイーターも縦方向に二発配置していて、
それぞれのウーファー、トゥイーターの結線方法を変えることで、
六つの音が楽しめるようになっていた。

これにパワーアンプ内蔵のサブウーファーVolkswooferを組合せるわけだから、
調整の幅は、通常のスピーカーシステムよりも大きかった。

アメリカではけっこうな数売れていたらしいが、
日本での評価は高いものではなかった。

だから輸入されなくなったわけだし、タイムロードもいまは輸入していない。
そんなスピーカーをあえて取り上げているのは、
井上先生が鳴らした場合だけ、このM&Kのスピーカーは楽しい音を聴かせてくれるからだ。

Date: 5月 5th, 2017
Cate: 録音

録音は未来/recoding = studio product(トスカニーニの場合)

トスカニーニがNBC交響楽団と録音したものは、ほぼすべてがモノーラルである。
しかもそれらスタジオでのモノーラル録音のすべて(といっていいだろう)が、
残響を徹底的に排除した、ともいえる録り方である。

結局、それはモノーラルだったからではないのか。
ステレオ録音がもう数年ほど早く実用化されていたら、
トスカニーニがあと数年、現役を続けていて録音を残していれば、
あそこまでドライな録音ではなかったはすである。

トスカニーニは、確かに録音において残響を嫌っていた。
それは演奏の明晰さを、モノーラル録音・再生において損なわないためだとして、
再生側で、トスカニーニの意図通りに再生するには、
デッドなリスニングルームで、間接音をできるだけ排除して、
直接音主体であるべきなのか、というと、どうもそうではないようである。

何で読んだのかは忘れてしまったが、
トスカニーニは部屋の四隅に大型のコーナー型スピーカーを配置してレコードを聴いていた、という。
トスカニーニは1957年に亡くなっているから、
トスカニーニの、この大がかりなシステムは、モノーラルと考えられる。

モノーラルで、四隅に設置されたコーナー型スピーカーを同時に鳴らす。
残響を嫌った録音とは異るアプローチの再生である。

Date: 5月 5th, 2017
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(「瑣事」より)

 人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。
 人生を幸福にする為には?――しかし瑣事を愛するものは瑣事の為に苦しまなければならぬ。庭前の古池に飛びこんだ蛙は百年の愁を破ったであろう。が、古池を飛び出した蛙は百年の愁を与えたかも知れない。いや、芭蕉の一生は享楽の一生であると共に、誰の目にも受苦の一生である。我我も微妙に楽しむ為には、やはり又微妙に苦しまなければならぬ。
 人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。
     *
芥川龍之介の「瑣事」からの引用である。
まさしくそういうことである。

Date: 5月 4th, 2017
Cate: ショウ雑感

2017年ショウ雑感(その1)

来週末(13日、14日)は、OTOTEN(音展)である。

今年、開催が秋から春に変更、
会場もインターナショナルオーディオショウと同じ国際フォーラムで開催されるようになった。

私の周りではインターナショナルオーディオショウに比べ、
OTOTENへの関心は低いようで、開催時期が早まったことを知らない人もいる。

年々規模が縮小していって、今年もそうであるのならば、
関心がもたれなくなっても仕方ない、といえるが、
少なくとも今年はこれまでとは違うように感じている。

それにOTOTENには、
インターナショナルオーディオショウから撤退したハーマンインターナショナルが出展する。
大阪でのオーディオショウには出展していても、
東京でのオーディオショウには……、という状態が数年続いていた。

古いヤツだといわれようと、JBLのないオーディオショウはすこしさびしい……、
と思うような私は、
ハーマンインターナショナルが戻ってきた、というよりもJBLが戻ってきた──、
そんな感じで受けとめている。

Date: 5月 4th, 2017
Cate: audio wednesday

第77回audio wednesdayのお知らせ

6月のaudio wednesdayは、7日。

音出しの予定である。

場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。

Date: 5月 4th, 2017
Cate: ディスク/ブック

ESSENCE

一週間ほど前に書いているように、
audio wednesdayをやっていると、喫茶茶会記へのお客さんが覗きに来られることがある。

昨晩もそうだった。
和田明さんという方が入って来られた。

いまの時代のジャズに関心をもっている人ならば、
和田明という名前に反応されることだろう。

ジャズにうとい私は、ちぐさ賞のことはなんとなく知っていても、
どんな人が受賞していたのかまでは知らない。
和田明さんは、昨年、第四回ちぐさ賞 最高賞を受賞されている。

喫茶茶会記の店主、福地さんが、その時手にしていたのは、「ESSENCE」。
和田明さんのCDである。

つまり和田明さん本人を前にして、「ESSENCE」を鳴らすことになった。
(今回はセッティングを手抜きしてなくてよかった)

和田明さんは、写真で見るより、がっしりとした体格。
日本人に多い薄い体つきではなく、前後に厚い。
「ESSENCE」で聴ける和田明さんの歌は、体格の良さをきちんと捉えている。

楽しい体験だった。

和田明さんのディスクは、ちぐさレコードから発売されている。
CDだけでなく限定ではあるがLPもある。

Date: 5月 4th, 2017
Cate: オーディオマニア

最後のオーディオマニア(その2)

昨晩の「最後のオーディオマニア」は、続きを書くつもりはまったくなかった。
昨晩は、audio wednesdayだった。

4月のaudio wednesdayでは手抜きの鳴らし方だったことは、以前書いた通り。
今回は手抜きをせずにセッティングした。

喫茶茶会記のスピーカーは、いわゆる自作スピーカーの範疇にはいる。
15インチ口径のウーファーを収めたエンクロージュアの上に、
中域のドライバーとホーン、高域のドーム型のユニットがのる。

それゆえいじろうと思えば、ずっといじっていられるほど、あれこれ試せる。
三つのユニットの位置関係はいじらなくとも、
中域と高域のユニットの置き方をいじっていくだけでも、音はころころ変っていく。

スピーカーとは、そういうモノである。
ただ、そのことを面倒に思う人がいるのも事実である。
いまでは、そう思う人のほうが多いのではないだろうか。

それから、自作スピーカーを未完成品、
既製品スピーカーを完成品と捉えてる人も、また多いのかもしれない。

いつのころからか、オーディオ機器がブラックボックス化している。
いやむしろオーディオマニアがブラックボックスとして捉えているようでもある。

デジタル機器はそういうところを感じさせがちだが、
アンプもブラックボックス化していたといえるし、スピーカーもブラックボックス化している。

メーカーにその気がなくとも、オーディオマニアがブラックボックスとして見ている、
受けとめている、という傾向は増しているように感じている。

それがいいことなのか悪いことなのかについて、ここでは触れないが、
傾向としては、そうなりつつあるし、
このことは、好きな音楽をいい音で聴きたい、と思い行動する人が増えたとしても、
オーディオマニアは減っていくのではないだろうか。

Date: 5月 3rd, 2017
Cate: オーディオマニア

最後のオーディオマニア(その1)

あれこれ考えてしまうから、このブログを書いているといえるけれど、
毎日ブログを書くためにあれこれ考えているともいえるところもある。
だからなのか、このブログを書きはじめる前には考えたことのない範囲まで、あれこれ考えるようになったのか。

ふと思いつくことがある。
「最後のオーディオマニア」ということもふと思いついた。

私はオーディオマニアだ、と自認している。私の周りにもオーディオマニアがいる。
私が生きている間は、最後のオーディオマニアということは起りえないであろうが、
いつの日か、そういう日が来ないとはいえないのではないか。

オーディオマニアが減りはじめる。
言いかえれば、若い世代からオーディオマニアが誕生しなくなる日が来て、
それまで生きてきたオーディオマニアがいなくなっていけば、
最後のオーディオマニアといわれる人が出てこよう。

オーディオマニアが誕生しなくなった日から、
最後のオーディオマニアまでのカウントダウンが始まる。

Date: 5月 2nd, 2017
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴとカートリッジのコンプライアンス(その2)

昔のラジオ技術を読み返していると、ハッと気づかされることがいくつもある。
1961年7月号「ベテラン8氏にきく現用再生装置」で、
瀬川先生はガラード301のことを、
《目下のところ自家用としてベルト・ドライブの必要を感じないほど》
と書かれている。

これが1965年1月号「ステレオ再生装置の総合設計」の中では、次のように変っている。
     *
 わたくし自身は、モノ時代から長いこと、ガラードのプロフェッショナル・ターンテーブル〝301〟を愛用してきて、とくに不満を感じなかった。ところが、ハイ・コンプライアンス・カートリッジの採用にともなってSMEのライト・シェル・タイプなどに切りかえてみると、急にゴーゴーというウナリが気になりはじめて、ついにもっと優れたターンテーブルに交換する必要をせまられるほど、プレーアの問題は大きくなるいっぽうである。
 結論からいえば、ターンテーブルはベルト(あるいは糸)ドライブ以外は使いものにならない。しかし具体的にはどうするかということになると、やはり問題が多い。
     *
まだこのころはEMTの930stを使われていないし、
ダイレクトドライヴ型も登場していない。

アイドラードライヴ、ベルトドライヴ、ダイレクトドライヴ、
というふうに順をおって体験してきたわけではない世代の者にとっては、
そうか、そうなのか、と思うわけだ。

ダイレクトドライヴ型が登場したころは、
1965年当時よりも、もっとハイコンプライアンス化されている。
MC型カートリッジよりも、MM型、MI型カートリッジがかなり使われていた時代でもある。

カートリッジがますますハイコンプライアンス化(軽針圧化)していく時代に添うように、
ダイレクトドライヴ型は登場した、ともいえる。

Date: 5月 2nd, 2017
Cate: アナログディスク再生

ダイレクトドライヴとカートリッジのコンプライアンス(その1)

私がオーディオに興味を持ち始めた1976年は、
国産のアナログプレーヤーはほぼすべてダイレクトドライヴ型といえた。

海外製品でもアイドラードライヴは、EMTの930stと927Dst、
ガラードの401にマイクロトラックのModel 740、デュアルの1225、BSRくらい、
ベルトドライヴも少なかった。
リンのLP12、トーレンスのTD125、エンパイアの698、EMTの928、
これらの他にデュアル、シネコ、B&Oなどがあった。

ベルトドライヴを出していた海外メーカーも、
翌年、翌々年にはダイレクトドライヴに移行していた。

にも関わらず1970年代が終ろうとしていたあたりから、
ダイレクトドライヴ型プレーヤーの音質への疑問がいわれるようになってきた。
このことは別項「ダイレクトドライヴへの疑問」でも書いている。

ダイレクトドライヴ型があっというまに席捲し、
数年後には疑問がもたれたことには、
カートリッジのコンプライアンスも関係しているように思われる。

MC型カートリッジのブームが1970年代の終りにやってきた。
ステレオサウンド別冊として、
長島先生による「図説・MC型カートリッジの研究」が1978年秋に出ている。

MM型、MI型カートリッジに比べれば、
このころ新しく登場したMC型カートリッジであっても、針圧は重めである。
つまりローコンプライアンスである。

もしMC型カートリッジのブームが訪れなかったなら、
ダイレクトドライヴ型への疑問は生れなかったか、
もしくはもっと後のことになっていたかもしれない。

Date: 5月 1st, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(その36)

長岡鉄男氏の、トータルバランスが重要という視点には、
多く欠けているものがあると、私は感じている。

それはデザインである。
オーディオにおけるトータルバランスを語る上でも、
どのジャンルにおいてもトータルバランスを語るのであれば、
デザインを除いて語ることはできない。

長岡鉄男氏の文章を当時読んでいたときには、このことは感じなかったが、
いまいくつか読み返してみると、
そして曖昧な記憶ではあるが思い出してみると、
デザインという視点を欠いたままトータルバランスであったことに気づく。

このことについて書いていくと、
ここでのテーマ、598のスピーカーから離れていくのは明らかだから、
ここではこのへんに留めておく。
別項で、書いていく。