最後のオーディオマニア(その2)
昨晩の「最後のオーディオマニア」は、続きを書くつもりはまったくなかった。
昨晩は、audio wednesdayだった。
4月のaudio wednesdayでは手抜きの鳴らし方だったことは、以前書いた通り。
今回は手抜きをせずにセッティングした。
喫茶茶会記のスピーカーは、いわゆる自作スピーカーの範疇にはいる。
15インチ口径のウーファーを収めたエンクロージュアの上に、
中域のドライバーとホーン、高域のドーム型のユニットがのる。
それゆえいじろうと思えば、ずっといじっていられるほど、あれこれ試せる。
三つのユニットの位置関係はいじらなくとも、
中域と高域のユニットの置き方をいじっていくだけでも、音はころころ変っていく。
スピーカーとは、そういうモノである。
ただ、そのことを面倒に思う人がいるのも事実である。
いまでは、そう思う人のほうが多いのではないだろうか。
それから、自作スピーカーを未完成品、
既製品スピーカーを完成品と捉えてる人も、また多いのかもしれない。
いつのころからか、オーディオ機器がブラックボックス化している。
いやむしろオーディオマニアがブラックボックスとして捉えているようでもある。
デジタル機器はそういうところを感じさせがちだが、
アンプもブラックボックス化していたといえるし、スピーカーもブラックボックス化している。
メーカーにその気がなくとも、オーディオマニアがブラックボックスとして見ている、
受けとめている、という傾向は増しているように感じている。
それがいいことなのか悪いことなのかについて、ここでは触れないが、
傾向としては、そうなりつつあるし、
このことは、好きな音楽をいい音で聴きたい、と思い行動する人が増えたとしても、
オーディオマニアは減っていくのではないだろうか。