Archive for category テーマ

Date: 10月 25th, 2017
Cate: ケーブル

ケーブル考(銀線のこと・その11の補足)

巻線に銀を使った昇圧トランスは、過去にいくつかあった。
ラックスの8020(ハイインピーダンス用)、8030(ローインピーダンス用)は、
一次巻線に銀を使っている。二次巻線はリッツ線ということだから、おそらく銅であろう。

ダイナベクターDV6Aは、一次、二次巻線ともに銀線のはずだ。
しかもDV6Aの一次巻線には中点タップがあり、上部スイッチにより中点接地が可能。
つまりバランス入力に対応していた。

これらの製品が登場した1970年代後半は、
いまふりかえっても銀線ブームのはじまりだった、といえよう。

Date: 10月 25th, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その12)

汚れてしまった己の手をじっとみつめる力、
その力をあたえてくれる、力の源となるものとしての音楽があるならば、
汚れてしまった手を、
汚いという、ただそれだけみもせずにすぐさま洗い流そうとする、
つまり水としての音楽があろう。

「純粋さとは、汚れをじっとみつめる力」だと、シモーヌ・ヴェイユは綴っている。

すぐさま洗い流そうとする者に、じっとみつめる力は必要ない。
洗い流してくれるきれいな水があればいいだけのことだ。

Date: 10月 25th, 2017
Cate: audio wednesday

第82回audio wednesdayのお知らせ(飲み会)

11月1日のaudio wednesdayは喫茶茶会記では行いません。
会場をかえて、というか、飲み会をやります。

12月6日のaudio wednesdayは、喫茶茶会記での音出しを予定しています。

参加されたい方は私までメールをお送りください。

Date: 10月 25th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その7)

スペンドールにD40というプリメインアンプがあった。
1977年に登場し、ステレオサウンド 44号の新製品紹介のページで取り上げられている。

価格は145,000円(1980年頃には、198,000円に値上り)だが、
国産の同価格帯のプリメインアンプと比較するまでもなく、見た目は貧相ともいえる。
内部も、これが15万円もするアンプなの? と思われただろう。

それでもスペンドールのBCIIと組み合わせたときの音は、素晴らしかった。
BCII専用アンプといってもいいくらいに、よく鳴らしてくれた。

私はD40を他のスピーカーと組み合わせた音は一度も聴いていない。
BCIIIを、D40はうまく鳴らせるのだろうか。

ステレオサウンドは、年末に「コンポーネントステレオの世界」を出していた。
’78年度版で、山中先生がBCIIとD40の組合せをつくられている。
’79年度版に、BCIIIの組合せが、二例ある。
岡先生による組合せと瀬川先生による組合せだ。

岡先生、瀬川先生はともに予算120万円の組合せで、
BCIIIをスピーカーとして選択されているが、どちらにもD40のことはひと言も出てこない。

このふたつの組合せで注目したいのは、
岡先生の組合せでは、BCIIIの専用スタンド込みの価格に対し、
瀬川先生の組合せでは専用スタンドは除外されている、ということだ。

44号の、瀬川先生の試聴記に、こうある。
     *
今回何とか今までよりは良い音で聴いてみたいといろいろ試みるうち、意外なことに、専用のスタンドをやめて、ほんの数センチの低い台におろして、背面は壁につけて左右に大きく拡げて置くようにしてみると、いままで聴いたどのBCIIIよりも良いバランスが得られた。指定のスタンドを疑ってみなかったのは不明の至りだった。
     *
だから、「コンポーネントステレオのステレオの世界 ’79」で、
瀬川先生は専用スタンドを使われていないし、
組合せ写真においても、岡先生の組合せでは専用スタンドのうえにBCIIIが置かれているが、
瀬川先生の組合せ写真ではスタンドの姿はない。

Date: 10月 25th, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その6)

スペンドールのBCIIとBCIIIのインピーダンスカーヴの違いをみていると、
BCIのインピーダンス特性もぜひとも知りたくなるところだが、
いまのところ見つけられないでいる。

BCIIIがBCIをベースに、スーパートゥイーターとウーファーを追加したモデルと仮定して、
20cmウーファーとトゥイーターHF1300間のネットワークは、
BCIもBCIIIも同じだとしたうえで、
BCIIIのインピーダンスカーヴを考えてみると、低域、高域両端のカーヴは不思議である。

以前書いているように、ボイスコイルのインダクタンス成分によって、
トゥイーターのインピーダンスは高域に従って上昇していくものだ。

コイルに使う線材の断面が丸ではなく四角のエッジワイズ巻きのほうが、
インピーダンスの上昇は抑えられるが、下がるということは基本的にはありえない。

低域に関しても、20cmウーファーの下側をカットして、
30cmウーファーの上側をカットして、といういわゆる通常の方法で接続しているのであれば、
こういうカーヴになるだろうか。

低域のインピーダンスはユニット、ネットワークの他にエンクロージュアも関係してくる。
いったいBCIIIの内部はどうなっているのか。
BCIIIのインピーダンス特性をみれば見るほど、BCIIIの内部をつぶさに見たくなる。

低域で高く高域にいくに舌癌手インピーダンスが下がっていくスピーカーといえば、
コンデンサー型が、まさにそうである。
QUADのESLのインピーダンス特性が、ステレオサウンド 37号に載っている。

ESLとBCIIIのインピーダンス特性。
アンプの選択が難しいといわれるESLのほうが、BCIIIよりも素直なカーヴといえる。

BCIIIはアンプを選ぶのだろうか。

Date: 10月 24th, 2017
Cate: 「ネットワーク」

オーディオと「ネットワーク」(伊藤喜多男氏のことば)

サウンドボーイ 1981年2月号で、小林貢氏が、
アルテックの755Eを使ったスピーカーシステムの製作記事を担当されている。

755Eというユニットについて、
調べれば調べるほどわからないことだらけになる、と、
とけない謎を解くために伊藤先生が登場されている。
     *
小林 今日は身の上相談にうかがったのではなく、スピーカーの正しい鳴らし方を教えていただきにまいりました。
 アルテックの755E、W・E時代は755Aですが、このオリジナルのエンクロージュアはあったのでしょうか。
伊藤 W・Eにくわしい人はそれこそたくさんいますよ(笑い)。
 ただ、私はW・Eで職工していただけだから、どんな思想でどんな開発の仕方をしていたかなどという点については判りません。ただ、どんな使い方をするのが正しいのか、どういう音なのかについてはすっかり勉強させてもらいました。私にいわせればそれだけで十分で、それ以上のことは知る必要もないし、W・Eで教えてくれるわけでもない。だから、私の知っている範囲内でよければすべてお教えできると思います。
     *
W·Eとは、いうまでもなくウェスターン・エレクトリックのこと。
ウェスターン・エレクトリックのスピーカーや部品などについて、
ことこまかなことを知っている人は、伊藤先生のいわれるように当時からいた。

いまではインターネットが普及しているから、もっともっと多くいるだろうし、
知識の量も、当時よりも増えていることだろう。
ますます《W・Eにくわしい人はそれこそたくさんいますよ》となっていっている。

これは何もウェスターン・エレクトリックのことだけに限らない。
知識量が多いのは、決して悪いことではない。
けれど知識量だけが多い人が増えているようにも感じられるし、
その知識の多さが、まるで脂肪の多さのように感じさせる人もいる。

それよりも大事なのは、伊藤先生がいわれている。
《どんな使い方をするのが正しいのか、どういう音なのかについてはすっかり勉強させてもらいました》と。

Date: 10月 24th, 2017
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(ブームだからこそ・その7)

ソニーミュージックがアナログディスク生産を再開することは、
オーディオ雑誌だけでなく、新聞でもニュースになってから半年以上が経つ。

新聞の記事では、カッティングマシンをどう調達したのか、
そのへんのことは書かれてなかった。
無線と実験 6月号が、オーディオマニアが知りたいことについて触れた記事だ。

2ページの記事だが、そうなのか……、と考えさせられる写真と説明文があった。

説明文には、こうあった。
     *
カッティングシステムの対向面にあるマスタリングデスクには、DAWと各種イコライザーなどが組み込まれている。モニタースピーカーはB&WのMatrix801S2
     *
このことがどういうことを意味するのか、
最近になってやっと記事になりつつある。

無線と実験 6月号の写真と説明文を読んで、そういうことなのか、と思った。
いまアナログでマスタリングできるエンジニアがいないのでは……、ということである。

DAWとはDigital Audio Workstationの略である。
つまりデジタルでマスタリングしていることを、写真と説明文は伝えていた。
記事本文には、そのことについてひと言も触れられていないけれど、
アナログディスクの現状がどうなっているのかが伝わるようになっている。

無線と実験の、この記事を見て、東洋化成のことが浮んだ。
東洋化成にアナログのマスターレコーダーがないことについて、以前に書いたが、
なぜ導入しないのか、その理由のひとつがわかった、ともいえる。

Date: 10月 23rd, 2017
Cate: 録音

録音は未来/recoding = studio product(圓生百席・その2)

「レコード落語百席」の数ページあとに、
特別インタビュー「ピーター・ヴィルモース レコーディングを語る」がある。
     *
レコードというものは、コンサートホールでの演奏をできるかぎり忠実に再現することが、第一の目的であるのか、それともレコードならではの演奏というか、演奏再現を主体的に考えてレコーディングすべきなのか、ヴィルモースさんのご意見をうかがわせてください。
ヴィルモース 私は、生演奏とレコードの演奏とはまったく違うものだと考えています。そして生演奏をそのままレコードに忠実に写しかえるということは、ルポルタージュとしての意味しかないでしょう。たしかに優れた演奏のライヴ・レコードは、きわめてエキサイティングなものですが、それはその瞬間を捉えたからであって、いいかえるとその瞬間がきわめてエキサイティングなものだったわけで、レコードそのものかエキサイティングであるというわけではありません。たとえばフリッツ・ブッシュがベートーヴェンの第九番を指揮しているライヴ・レコードは、たいへんすばらしいものですが、それはその夜のブッシュの指揮のすばらしさということ、つまりはその夜の優れたルポルタージュということなんですね。そしてそれは、いま私たちが〈レコード〉と呼んでいることと、少し違っているわけです。
 レコードは、先ほどもいいましたが、生演奏の裡に生きているものを殺してはならない、ということがまず第一に必要ですが、だからといってルポルタージュにとどまってもならないのです。優れたレコードはが追求しているものは、たとえばカラヤンやベームの、ある作品に対する解釈がどんなものであるのか、ということだと思います。そして聴きては、同じ曲の違った演奏を聴き比べて、それぞれの演奏家の解釈の違いを知ってゆくことに興味をおぼえてゆくはずです。
 それからコンサートでは、ごく少数の例外をのぞいて、そのコンサートのはじめから終りまで通して、精神を集中したままで演奏を行なうというのは不可能でしょう。どこかで息抜きして、とくに難しい場面にそなえるということは、よく見受けられます。これは技術的にということではなく、心理的にそうした緊張感の連続に耐えられないからですね。
 しかしレコードでは、そうした緊張感をずっと持続させることが可能です。そうした精神の集中させた演奏の持続ということは、レコードならではのものではないかと思います。そういった精神の集中とか緊張の感覚というものは、コンサートホールでよりも、レコードでのほうがより大きく強く出ると思いますね。
     *
「レコード落語百席」と「ピーター・ヴィルモース レコーディングを語る」が、
ステレオサウンド 37号に載っているのは偶然なのだろうが、
それにしても、単なる偶然では片付けられない一致が、読みとれる。

Date: 10月 23rd, 2017
Cate: 録音

録音は未来/recoding = studio product(圓生百席・その1)

圓生百席」という録音物(レコード)がある。
1970年代前半から録音がスタートして、十年までいかないが、けっこうな年月をかけて完成された。
CBSソニー(現ソニーミュージック)からLPで発売され、
いまもCD(116枚+特典CD2枚)として発売されている。

ステレオサウンド 37号の音楽欄に、「レコード落語百席」という記事が載っている。
CBSソニーの京須偕充氏による「圓生百席」の録音に関する話だ。

いまもむかしも、落語に強い関心は持っていないため、
ステレオサウンドにいるときも、37号の他の記事は読んでいても、
この「レコード落語百席」は読まずじまいだった。

さきほど調べもののため37号を開いていた。
いまごろ「レコード落語百席」を読み終えた。

ひところステレオサウンドは、バックナンバーを編集したムックを出していた。
オーディオ機器中心、オーディオ評論家中心の内容だから、
「レコード落語百席」のような記事は、そういったムックに収録されることは、まずない。

もったいない、とおもう。
全文を掲載したいところだが、そうもいかないので、最後のところだけを引用しておく。
     *
 こういう苦心はひとくちではいえないから、つい黙っていると、「いくらよく出来ていても、テープ編集したものは死んだ芸だ」とか、「客の笑いをともなわい落語は落語にあらず」というような批判をあびせられる。ほめてくれるひとでも、じつをいうと、客の反応がきこえないのが寂しい、とつけくわえる。祝宴のつもりがお通夜になったといいたげなのだ。
 無理もないことかもしれない。落語は実演の枠を出たことがほとんどないのだ。落語が今日ほどに普及したのは、戦後のラジオ放送のお陰だが、それはほとんど例外なしに公開録音、寄席中継だった。落語家をお座敷によんで、結構な酒食とともに、サシ同然で一席楽しむ──そんなぜいたくのできるひとは、世の中にひとにぎりもいない。だからラジオのお陰で、茶の間で落語をきく習慣ができたということは、会場のお客と一緒にきくという錯覚を楽しむ習慣ができたことなのだんた。インスタント・ホーム寄席。そして、たいがいの落語ファンは、レコードも実演の代用品としてきこうとしている。レコードもまた、インスタント・ホーム寄席なのだろう。
 私も当初は迷い、おおかたのお客の好みに合わせようかと思った。しかし圓生師は、かたくなにスタジオ制作を主張した。実演は実演、レコードはレコード、中途半端はいやだというわけだ。
「実演をそのままレコードにするのはいやですねえ。実演とレコードとでは、あたくしの考えでは、演出を変えなくてはいけないと思うんです。実演だってお客様が千人のとき、百人(いっそく)のとき、それぞれやり方を変えています。実演のウソてェこともあるんですよ。たとえば内緒話の描写ですが、リアルにやったら、うしろのお客様にはきこえません。だから内緒話らしくやるんです。実演はそれでいいんです。ですがレコードならリアルなひそひそ声でやるべきでしょう。実演をそのままレコードにすると、そういうところが大味になるはずなんです。ですから実演とレコードは一長一短、そもそもは別ものなんで比較は出来ませんよ。レコードはレコードらしく、いいものにしようじゃありませんか。とにかくこわいものですよ、あたくしが死んでもレコードはのこる。」
 徹底的にスタジオでいこう、と私は思った。あるひとが、レコードをきいていってくれた。圓生師匠が自分ひとりのために、サシでやってくれているようなきぶんになり、心おきなくききこめる。登場人物や情景のイメージものびのびとひろがって、これまで気がつかなかった芸のうまみや奥行きがわかってきた、と。
 こういうひとがひとりでもいてくれれば、「レコード落語」も浮かばれるというものだ。
     *
音楽と落語は同一視できない面もある。
それは音楽の録音、落語の録音についてもいえようが、
それでも「レコード落語百席」は、完成度ということについても考えるきっかけを与えてくれる。

Date: 10月 22nd, 2017
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その11)

「毒にも薬にもならない文章」を書くことを選択し、
好んでマーラーを聴くことはしなかった知人は、
よく「音楽を聴くことで浄化される」ということを口にしていた。

知人は、五味先生と同じ意味で言っているようだったが、
私の耳には、同じように言っているだけにしかきこえなかった。

毒のある音楽を拒絶するのは、その人の自由である。
知人が好んで聴く音楽は、そして演奏は、毒のあるものではなく、
清らか、という言葉で表現できるものが多かった。

汚れていない音楽(演奏)ときこえるものを、知人は好んでいた。
そして清潔感という言葉もよく使っていた。

彼は、だからワーグナーも好んで聴くことはしなかった。

それが知人の音楽の聴き方であり、
そういう音楽を鳴らすためのオーディオ(音)であり、
それが知人にとって必要と思えるものだったのだろう──、
と一応の理解は示せても、やはり違うだろう、といいたくなる。

あなたがいう浄化と五味先生がいう浄化は、はっきりと違う、と。

Date: 10月 22nd, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その5)

ステレオサウンド 44号掲載のBCIIIのインピーダンス特性を最初見たとき、
測定ミス? と思うくらい、他社のどんなスピーカーよりも変ったカーヴだった。

けれど測定ミスということは冷静に考えるとありえない。
BCIIIのカーヴに疑問を抱けば、再確認でもう一度測定するはずである。
測定ミスでないことを確認したうえでの掲載であろう、と思った。

事実、ステレオサウンドで働くようになって、測定は三回行なっていた。
測定ミス、測定誤差をなくすためである。
44号ての測定も、長島先生なのだから三回やっているはずである。

測定ミスでない証拠に、46号でもBCIIIのインピーダンス特性は、やはり不思議なカーヴだった。
しかも44号のBCIIIと46号のBCIIIは、同じ個体ではないようだ。

46号の試聴記に、瀬川先生は次のように書かれていることからも、それはわかる。
     *
 44号(219ページ)でも触れたが、BCIIIを何回か試聴した中で、たった一度だけ、かなりよく鳴らし込まれた製品の音をとても良いと思ったことがあった。今月のサンプルは、44号のときよりもさらに鳴らし込まれたものらしく生硬さのないよくこなれた音に仕上っていた。
     *
インピーダンス特性にわずかな違いがあるだけでなく、
残響室内での能率(リアル・エフィシェンシー)は、91.0dB(44号)と94.0dB、
リアル・インピーダンスは10.0Ω(44号)、13.3Ω(46号)という違いがあり、
入・出力リニアリティ、トーンバースト波による低域第3次高調波歪率のグラフを比較しても、
少なからぬ違いがみてとれる。

インピーダンス特性もその数値に少なからぬ違いはあるが、
カーヴそのものの形はほぼ同じといえる。

BCII同様に50Hzにゆるやかピークがある。
その値は約50Ω(44号)、約80Ω(46号)。
30Hzまではインピーダンスは低下するが、それ以下でインピーダンスは上昇する。
20Hzでは約40Ω(44号)、約80Ω(46号)である。
10Hz、もっと下の周波数まで測定してあれば、もっと多くのことが読みとれるが、
残念ながら20Hzまでの測定である。

50Hz以上になると、全体としてはゆるやかに下降していく。1kHzで5Ω前後になり、
2kHzにゆるやかなピークがあり、約10Ω(44号)、約15Ω(46号)となり、
また下がり5kHzあたりで少し盛り返して、10kHz以上でまた下降していく。
20kHzでは約4.5Ω(44号)、約4Ω(46号)まで低下する。

44号のBCIIIと46号のBCIIIとでは、
インピーダンス特性の変動は、46号のBCIIIのほうが大きい。
可聴帯域内での傾向としては、うねりはあるが右肩下がりのカーヴである。

スーパートゥイーターの違いはあるものの、
20cmベクストレンウーファーとトゥイーター(HF1300)のクロスオーバー周波数は3kHz、
HF1300とスーパートゥイーターとのクロスオーバー周波数は13kHzと、
BCIIもBCIIIもカタログ発表値は同じである。
にも関らず、中高域のインピーダンス特性は、BCIIとBCIIIとではカーヴの形が違う。

詳しく知りたい方は、ステレオサウンド 44号、45号、46号、それに47号をご覧いただきたい。

Date: 10月 22nd, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その4)

BCII、BCIIIの型番のBはウーファーの振動板に採用しているベクストレン(Bextrene)、
CはトゥイーターHF1300のメーカーであるセレッション(Celestion)の頭文字である。

BCのあとのII、IIIは二番目のモデル、三番目のモデルという意味で、
BCIというモデルが、スペンドールの第一作にあたる。

BCIは日本では発売されなかったが、BBC仕様モニターである。
使用ユニットは、20cmベクストレンウーファーとHF1300の2ウェイで、
エンクロージュアの外形寸法はBCIIと同じ。

BCIIはBCIをベースに、ウーファーの磁気回路を強化し、
スーパートゥイーターとして13kHz以上を受け持つITTのSTC4001を追加している。
このふたつの変更により、耐入力はBCIの40Wから100Wに向上している。

BCIIは、BCIAとして、LSナンバーをもつ正式モデルはないが、BBCでも使われている。

BCIIIは、BCIIに30cmベクストレンウーファーを追加し4ウェイとしたシステムであるが、
スーパートゥイーターはBCIIとは違い、セレッションのHF2000に変更されている。
つまりBCIに、30cmベクストレンウーファーと、
スーパートゥイーターとしてHF2000を追加したモデルと考えた方が、より正確といえる。

BCIは日本に入ってきていないので、ステレオサウンドでも取り上げていない。
なのでインピーダンス特性がどうなっているのか確認できないが、
BCIIのインピーダンス特性は45号に載っている。

5Hzにゆるやなピークを持ち、500Hzから2kHzにかけて10Ω以上、
そこから上の帯域になると低くなり、4kHzあたりからゆるやかな傾斜で上昇していく。

この当時の他社製のスピーカーシステムと比較しても、特に変っているとはいえない。
BCIIよりも、優秀なインピーダンス特性のスピーカーもあるが、
同程度にうねっているスピーカーシステムは他にもあった。

ところが44号掲載のBCIIIのインピーダンス特性は、相当に奇妙なカーヴを描いている。

Date: 10月 21st, 2017
Cate: 技術

捲く、という技術(その3)

DENON(デンオン)というブランドから何を真っ先に思い出すかは人によって違ってくるけれど、
もっとも多くの人が挙げるのはDL103であろう。

放送局用として開発されたカートリッジとはいえ、
いまでも製造されていることは、それが日本製であることも考え合わせると、
非常に稀な例といえる。

しかもバックオーダーをつねにかかえている、ときく。
いまDL103のコイルを捲ける人は、ベテランの女性ひとりだけ、ということも知られている。
ひとりということは後継者が、いまのところいない、ということでもある。

いまいないということは、将来も期待できそうにない、ということになる。
DENON(デノン)という会社は続いても、DL103はいつの日か製造中止になろう。
どんなに売れるモデルであっても、肝心のコイルを捲ける人がいなくなれば、造れなくなる。

そうなったら、DENONはカートリッジ専業メーカーに製造を依頼するようになるのだろうか。

MC型カートリッジの原価の大半は人件費だ、と以前、瀬川先生がいわれていた。
そのくらいコイルを丁寧にきちんと捲くことは大変な技術だということである。

しかも一個とか二個といった、ごく少数をうまく捲ければいいというものではない。
DL103は工業製品であって、ほとんどバラつきなく、相当な数のコイルを捲いていかなければならない。
ここがすごいところであり、プロフェッショナルの仕事だと感心する。

アメリカの人工衛星のハンダ付けは、たったひとりの人が行っているという話を読んだことがある。
人工衛星一基のハンダ付けの箇所は、アンプなどの比ではない。
桁が違う。

その記事に載っていた数字をいまでは憶えていないが、
少なくとも万を超えていた、十万箇所くらいだった……、もっと多かったかもしれない。
それをたったひとりで、ひとつずつ丁寧に仕上げていく。

ハンダ付けの不良があっても、ロケットに積まれ打ち上げられてしまったら、
修理することはできないわけだから、ミスは絶対に許されない。
だから、ひとりなのだ、と記事には書かれていた。

Date: 10月 21st, 2017
Cate: スピーカーとのつきあい

スペンドールのBCIIIとアルゲリッチ(その3)

スペンドールはBCIIの復刻は手がけても、BCIIIは復刻しなかった。
理由はいくつかあるのだろう。

新しくなった輸入元からのリクエストもあったのかもしれない、
そのリクエストにしても、売行きがあまり見込めない機種の復刻を打診することはない。

BCIIIは、イギリスでの評価はどうだったのか知らないが、
日本ではBCIIばかりが評価されていたし、
BCIIIを早くから(BCIIよりも)評価されていたのは岡先生ひとりくらいだった。

オーディオ評論家ではないが、トリオの創業者の中野英男氏もBCIIよりもBCIIIを高く評価されていた。
     *
 私の仕事部屋、つまりトリオの会長室には、今十二本のスピーカーが並んでいる。正確に申せば六セット。うちニセットは机の前あとの四セットは左手の壁ぎわに置かれてある。最近机の前に据えられて定位置を獲得したスピーカーのひとつにスペンドールBCIIIがある。このスピーカーは永い間名器BCIIの名声に隠れて世に喧伝されるところまことに少なかった。BCIIは、菅野沖彦、瀬川冬樹両先生をはじめ、何人かの方によってしぱしぱとりあげられ、その独特の硬質かつ艶麗な語り口が世のクラシック愛好者の注目を集めたが、BCIIIについては今迄推す人はほとんどなく、かの瀬川さんすら幾分疑問視する向きがないでもなかった。
 私はここ何ヵ月かBCIIを聴き込ん来たが、その良さは認めるにせよ、ブルックナーやマーラーの再生時におけるスケール感の貧しさは覆うべくもなかった。
(「音楽、オーディオ、人びと」より)
     *
《かの瀬川さんすら幾分疑問視する向きがないでもなかった》とある。
たしかにそうだった。

ステレオサウンド 44号の試聴記の冒頭に書かれている。
     *
 弟分のBCIIがたいへん出来が良いものだから、それより手のかかったBCIIIなら、という期待が大きいせいもあるが、それにしてはもうひとつ、音のバランスや表現力が不足していると、いままでは聴くたびに感じていた。たった一度だけ、かなり鳴らし込んだもので、とても感心させられたことがあってその音は今でも忘れられない。
     *
《たった一度だけ、かなり鳴らし込んだもので、とても感心させられたことがあってその音は今でも忘れられない》
とある。
これは中野英男氏のBCIIIのことなのではないのか。

もちろん別の人なのかもしれないが、
私には中野英男氏のことだと思えてならない。

Date: 10月 21st, 2017
Cate: 598のスピーカー

598というスピーカーの存在(長岡鉄男氏とpost-truth・その15)

長岡鉄男氏がオーディオ評論をはじめる以前は、
放送作家だったことは、よく知られている。

長岡鉄男氏が手がけられた番組がどういうものであったのか、
放送作家としての長岡鉄男氏の評価はどうであったのかは直接は知らない。

中野英男氏の「音楽、オーディオ、人びと」の中に、
オーディオ評論家ではない長岡鉄男氏についての記述がある。
     *
 成城の我が家の書斎──四畳半の腰掛け式コタツのある、我が家では音だし機械が置いてない唯一の部屋──の小さな本箱には、長岡鉄男さんの著書が何冊か並んでいる。オーディオの本ではない。奇智、頓智、隠し芸に関する新書判である。二十年前、長岡さんはラジオ、テレビのコミック・ライターであった。天才的、としか評しようのない創造力で幾つかの人気番組を作り上げておられたが、同時にコミックな本も次々にものされ、その方面でも人気作家のひとりであった。その頃、新しい本が出版されるたびに、長岡さんは献呈の辞を添えて私に贈って下さった。当時の宴会における私の隠し芸の種本は、ほとんど長岡さんの作であった。人気が出ないわけはないではないか。
     *
才能ある放送作家だったのだと思う。
その才能がオーディオマニア(キチガイでない)に向けられたからこそ、
長岡教と呼ばれる、ある種の集団が生れたのではないだろうか。