Date: 9月 17th, 2017
Cate: オーディオマニア
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五条件(その2)

五味先生のオーディオ愛好家の五条件。

「①メーカー・ブランドを信用しないこと」では、
《音を出すのは器械ではなくその人のキャラクターだ。してみれば、メーカーブランドなど当てにはならない。各自のオーディオ愛好ぶりを推量する一資料にそれはすぎぬ、ということを痛切に経験したことのない人と私はオーディオを語ろうとは思わない。》
と書かれている。

「②ヒゲのこわさを知ること。」では、
《三百枚余の大事なレコードを私は所持するが、今、その一枚だってヒゲはないのをここに断言できる。レコードを、つまりは音楽をいかに大切に扱い、考えるかを端的に示すこれは一条項だろう。
 したがって、一枚に何万円を投じてレコードを買おうとその人の勝手だが、ヒゲだらけの盤でパハマンやシュナーベルやカペーがいいとほざく手合いを、私は信用しないのだ。》
と書かれている。

「③ヒアリング・テストは、それ以上に測定器が羅列する数字は、いっさい信じるに足らぬことを肝に銘じて知っていること。」では、
《テストで比較できるのは、音の差なのである。和ではない。だが和を抜きにしてぼくらの耳は音の美を享受はできない。何にせよ、測定結果やヒアリング・テストを盲信する手合いとオーディオを語ろうとは私は思わないものだ。》
と書かれている。

「④真空管を愛すること。」では、
《真空管のよさを愛したことのない人にオーディオの何たるかを語ろうとは、私は思わない。》
と書かれている。

「⑤金のない口惜しさを痛感していること。」では、
《この時ほど、金がほしいと思ったことはない。金さえあれば四十九番のレコードが買える、それをいい音で聴ける……そんな意味からではない。どう言えばいいか、ハイドンの味わった貧しさが無性にこの時、私には応えたのだ。ハイドンの立場で金が欲しいと思った。矛盾しているようだが、彼が教えてくれた贅美のうちにある悲しみは、つまりは過去の彼の貧しさにつながっている。だからこそ美しく響くのだろうと私はおもう。
 少々、説明が舌たらずだが、音も亦そのようなものではないのか。貧しさを知らぬ人に、貧乏の口惜しさを味わっていない人にどうして、オーディオ愛好家の苦心して出す美などわかるものか。美しい音色が創り出せようか?》
と書かれている。

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