Archive for category テーマ

Date: 1月 17th, 2019
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これまで(上原晋氏のこと・その6)

上原晋氏のリスニングルームに庭に面している一辺はアルミサッシである。
おそらく、ではあるが、リスニングルームの設計段階、
それに完成した当初は、このサッシを背にしてスピーカーを置かれていたはずだ。

庭の景色をながめての音楽鑑賞を描かれていたように思う。
そのことはリスニングルームのカベに飾られていた写真からもうかがえる。

花の写真があったが、長男の嵩史氏によると、庭に咲いている花であろう、とのこと。
ならば庭をながめながら、だったはずだ。

けれど意に反して、満足のえられる音が出なかったのか。
それでラックスの冊子、それに現在のように、
作業室へと通じる引き戸側にスピーカーを移動された、と推測できる。

そういえば、瀬川先生がステレオサウンド 54号に書かれていることを思い出す。
     *
 部屋の基本的な音、響きについては十分に満足をし、成功したものの、実は当初予測し切れなかった小さな誤算がひとつあった。
 以前から私は、部屋の中でのスピーカーの置き方として、長方形の部屋の場合、長手方向の壁面をスピーカーの背面として使ってきた。つまり部屋を長手方向に使うのではなく、短手方向に、左右のスピーカーのさらに外側を広くあけて使う、という置き方をしてきた。それはかつて、6畳ないし8畳という、決して広くない空間で、できるかぎり音の広がりと奥行き、定位といったステレオエフェクターを最大限に活かすために、体験的にあみ出した方法だった。
 スピーカーの二つの間隔がせますぎ、なおかつスピーカーの左右両わきに十分な空間がとれないと、どうしても音の広がりが得られない。いったんスピーカーを十分に広げて音の広がりを体験してしまった耳には、ひどくもどかしく感じられる。それを6畳ないし8畳、あるいはせいぜい本誌試聴室の15畳の広さで実験してみた場合、部屋を短手方向に使う以外にないようだ。ここ数年来の本誌のテストでも御承知のように他のリポーターが部屋を長手方向に使う場合でも、私だけは頑固に短手方向に使うということを一貫して行なってきたというのも、その主張のあらわれに他ならない。
 にもかかわらず、自分のリスニングルームを計画した時、部屋の短辺の壁面が内寸(実効寸法)で4・5メートル以上とれれば、部屋を長手方向に使っても2つのスピーカーの間隔はほぼ十分にとれ、従来のように部屋を短手方向に使う必要がないと、この部屋に関しては最初から決めてかかり、当然、視覚的な窓の配置等を含めたインテリアもその方向で仕上げてしまった。
 ところが、スピーカー運び込み、初めて鳴らしてみた時に、予測しないトラブルが生じた。十分聴き慣れていたはずのJBL♯4343が、部屋の短辺に置いたのではひどくこもった、まるで魅力のない音でしか鳴らない。魅力がないどころか、その音はむしろ、欠点だらけといいたいほどひどいバランスで、一時は♯4343を手離すことさえ考えた時期もあった。転居してしばらくの間は、♯4343はそうして部屋のすみに放り出されていた。ある日フト思いついて、部屋の長辺のほうに左右の両はしを十分にあけた形で、♯4343を置いてみた。するとどうしたことだろう、長手方向でまったくサマにならなかった♯4343が、これまた一変して予測もしなかった、たいへん見事な音で鳴り始めたではないか。
 この♯4343の置き方がヒントになって、各種のスピーカーを部屋の長手方向、短手方向に置き変えてみた結果、少なくとも音の響きの美しさを活かしながら、細かな音をよく聴き分けるには、やはりこの部屋でも短手方向に使う方がすぐれていることが確認できた。前述のようにこの形で聴くかぎり、視覚的にはやや落着きのない結果になってしまった。リスニングルームを計画するにあたっての小さな、しかし重大な誤算であったと反省している。
 この体験を通して確認できたことは、従来さまざまな部屋で体験していたことだが、同じ部屋の中で、同じスピーカーが、置かれる場所(面)によってまるで別物といいたいほど性格を変えるということだ。そのことからも、リスニングルームを計画するにあたって、スピーカーの位置をあらかじめ決めて、つくり付けにしてしまうというようなことは、とうてい私にはできないと再確認した次第である。
     *
瀬川先生は
《リスニングルームを計画するにあたっての小さな、しかし重大な誤算であったと反省している》
と書かれている。

上原晋氏も同じように思われていたのだろうか。

Date: 1月 16th, 2019
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(シェルリード線試聴会・その2)

EADレコードに撞いたとき、すでに銀線のシェルリード線の音が鳴っていた。
初めての店だし、当然初めて聴くシステム。

その音を聴いて、銀線の音がどうだったとは、あたりまえのことだがいえるわけがない。
銀線から、OFC線0.08mm/16本のシェルリード線に交換。

いわば、私にとって、ここからシェルリード線の試聴が始まった、といえる。

audio wednesdayでは、自分でセッティングして、ディスクをかけて、セッティングも変えたりする。
でも、ここでは私は聴くだけの側である。
店主の方が、リード線を交換して、レコードをかけかえて、プレーヤーを操作して、である。
楽でもあるし、店主がどうされるのかも興味の対象となる。

シェルリード線とはいえ重さがある。
芯線の数が増えれば、わずかといえ重量の違いが生じる。
このことに意外と無頓着な人もいる。

EADレコードの店主は、オルトフォンの針圧計でシェルリード線の交換後、
針圧をチェックされている。
1.7gに合わせられている。

16本のモノを聴き、24本、56本と、
レコードはそのままで聴いた。

16本と24本では重量の違いは0.1g程度だったそうだが、
56本ともなると0.2g程度違っている、とのこと。

16本、24本、56本の、
どのシェルリード線の音がよかったのか、
どういう違いがあったのか、その詳細についてここで細かく書いたところで、
システムが変り、カートリッジも違ってきて、使いこなしの腕も違えば、参考にあまりならない。

24本から56本になったときの音の変化量は大きかった。
それでも自分で使うのならば、ということで、16本をもう一回聴かせてほしい、とリクエスト。

56本の時に二枚目のレコードにかけかえられていたので、同じレコード16本を聴く。
聴いて確認したいこともあった。

だから16本の音をふたたび聴き終って、針圧を0.2g増えやしてほしい、と。
16本/1.9g針圧で聴く。

この音ならば、アナログプレーヤーのこまかなセッティングの詰めをやってみようという気になる。

Date: 1月 16th, 2019
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その3)

私が考えている月刊ステレオサウンドは、文字だけのステレオサウンドだ。
図や写真などが一切なく、文章だけのステレオサウンドである。

なので判型もステレオサウンドのB5ではなく、その半分でいい。
片手でも持てて、じっくりと読む。

こんなことを考えたのは、連載がキーワードだった。
マンガ雑誌では、それぞれのマンガ家が連載を目指している。
連載を勝ち取ったとしても、人気がなければ打ち切りになる。
それまでの実績は関係なしに打ち切られる。

打ち切りになったら、次の連載を勝ち取られなければならない。
どんな雑誌でもページ数という物理的制約がある以上、
何かが打ち切りになれば、別のマンガ家の作品が連載となりページは埋まっていく。

マンガ雑誌とオーディオ雑誌が違うのはわかっている。
そのうえで、オーディオ評論家も、オーディオ雑誌に連載をもつべきではないか、と思う。

そうするには季刊誌ステレオサウンドではページが足りなさすぎる。
それに三ヵ月に一度の連載なんて、ぬるい。
週刊誌とはいわないが、月刊誌での連載である。

ならば月刊ステレオサウンドだ。

端折っているところもあるが、こんなふうに考えての、月刊ステレオサウンドである。

オーディオ評論家に担当編集者が必ず一人つく。
連載のテーマを決め、タイトルを決める。

編集者は一人で、二人か三人のオーディオ評論家を担当することになるだろうが、
取材や試聴は、連載のために原則としてしない。

それからなんらかの評価システムを設ける。
だらだらと連載を続けさせないためにである。

月刊ステレオサウンドの編集長は、
季刊誌ステレオサウンドの編集長とは別にする。別の人がやったほうがいい。

編集者・編集部を分けることは必要ないはずだ。
文章だけの月刊誌だから、最初にフォーマットをきちんと作り上げておけば、
原稿があがってきてからの作業は、さほど手間ではないはず。

Date: 1月 15th, 2019
Cate:

いい音、よい音(いい音響、よい音響)

2018年4月、「いい音、よい音(きこえてきた会話)」で、
隣のテーブルからきこえてくる数人の女性の会話のなかに出てきた「いい音響」、
そのことにふれた。

オーディオマニアでもなんでもない人たち(そうみえた)が、
映画の話であっても、そこに「いい音響で観るとほんといい」と頷きあっていた。
「いい音で……」という人は珍しくないけれど、
「いい音響」とみなが言っていたのが興味深かった。

川崎先生が「コーラルはオークションで手に入るから、教えたい」を公開されている。
そこでも、いい音響が出てくる。

以前から音響ということばについて書こう、と考えていた。
とはいえ、少し斜めからの解釈による音響について書く、ということだ。

音響とは、音と響き、と書く。
これを少し違う言葉でおきかえると、質感と量感ではないか、と、
ここ数年思うようになってきたからだ。

質感はともかく、量感は、どうも誤解されているような気もする。
私にしてみれば、それは量感とは捉えない鳴り方を、量感と一般的にはいっているような気もしている。

それだけでなく、量感のよさというのが、最近のスピーカーシステムからは失われつつあると感じている。

Date: 1月 14th, 2019
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その2)

月刊のオーディオ雑誌といえば、
音楽之友社のステレオがある。
技術系のオーディオ雑誌としては、誠文堂新光社の無線と実験がある。
書店売りはしなくなったが、ラジオ技術もある。

月刊ステレオサウンドと書いてしまうと、
ステレオのようなイメージを思い浮べる人もいるかもしれない。
私がイメージしている月刊ステレオサウンドは、
季刊誌ステレオサウンドの弟分的な存在とか、
劣化版としての月刊誌ということでは、まったくない。

株式会社ステレオサウンドは、以前サウンドボーイという月刊誌を出していた。
このサウンドボーイも、私が考えている月刊ステレオサウンドとはまったく違う。

私がマンガを積極的に読むことは、これまでにも書いている。
マンガ雑誌は、メインとして週刊誌である。
少年ジャンプとか、少年マガジン、少年サンデー、少年チャンピオンなどがある。

これらには週刊誌のほかに、月刊誌も存在する。
月刊マガジン、月刊ジャンプなどがそうだ。

だからといって、
これらマンガ雑誌のような意味での月刊ステレオサウンドでもない。

私がいいたいのは、
マンガ雑誌におけるマンガ家と編集者との関係の深さというか強さ的なことを考えてのことだ。

マンガ雑誌では、マンガ家一人に担当編集者が必ずつく。
マンガ家と編集者との関係については、
インターネットにはいくつかの記事がある。
興味のある人は検索して読んでみてほしいし、
以前、別項で紹介した「バクマン。」というマンガも、
そのあたりのことが興味深く描かれている。

私は前々から、マンガ雑誌のような編集者のありかたが、
オーディオ雑誌ではやれないのか、と思っていた。

季刊誌ステレオサウンドのように、特集記事があって、
新製品紹介の記事があって、その他にいくつかの記事があるという状況では、
まず無理といえる。

ならばどうすればそういうことができるのか、といえば、
その答が月刊ステレオサウンドである。

Date: 1月 14th, 2019
Cate: ステレオサウンド

月刊ステレオサウンドという妄想(というか提案・その1)

ステレオサウンドは、3月、6月、9月、12月に出る季刊誌。
ステレオサウンドを初めて手にした中学生だったころは、三ヵ月かかって読み切っていた。

くり返し読むということもあったし、
初めて目にする単語や固有名詞もあったりして、
それに内容も、いまよりも濃かったこともあって、
オーディオの世界に足を突っ込んだばかりの中学生には、
いまのステレオサウンドのように、すぐに読み終えてしまうなんてことはなかった。

読み終えてしばらくしたら、もう次のステレオサウンドが書店に並ぶ。
そんな感じがしていた。
なので季刊誌でよかった、と思っていた。

小遣いのこともあった。
ステレオサウンドが毎月出ていたら、小遣いが不足してしまう。
当時1,600円の雑誌は安くはなかった。

一ヵ月に換算すれば500円ちょっということになるが、
他に買いたいものがいろいろある中学生に、
ステレオサウンドが毎月発売されたら、何かを犠牲にすることになったはず。

私がいたころも、編集会議という場ではなく、
雑談として、季刊誌から隔月刊へ、という話題は何度かあった。

いつの時代も、「これからはスピードの時代」的なことがいわれてきた。
あのころも、いわれていた。
だから、季刊誌ではなく隔月刊に──、
そんなことを雑談ではあっても、けっこう真面目に話していた。

ステレオサウンドが隔月刊になったら、
2月、4月、6月、8月、10月、12月に出る。

私がいたころは写植の時代だった。
いまはDTPき時代である。

一冊のステレオサウンドが仕上がるまでに必要な時間は、
試聴や取材の時間を除けば、短くなっている。
今ならば隔月刊化も無茶なことではなくなっている、と私は思う。

けれど、ここで書こうとしているのは、
隔月刊化ではなく、月刊ステレオサウンドについて、である。

隔月刊をとびこえての月刊、ということではない。
季刊誌ステレオサウンドは、もういまのままでいいと思う。
というよりも、もう変らない(良くならない)のだから、現状維持ができるのならば、
それでいいのではないか。

私が提案したいのは、ステレオサウンドと名のつく雑誌を、もうひとつ増やすことである。
季刊誌ステレオサウンドとともに、月刊ステレオサウンドを出す、ということである。

Date: 1月 14th, 2019
Cate: ディスク/ブック

ブラームス 弦楽六重奏曲第一番 第二番(その2)

ラルキブデッリの録音は、ヴィヴァルテというレーベルから出ている。
このレーベルは、ソニークラシカルのオリジナル楽器専門のレーベルである。
ゆえに中世から古典派あたりまでをおもに録音している。

ヴィヴァルテの、すべての録音のプロデューサーは、ヴォルフ・エリクソンである。

クラシック音楽好きで、録音にも関心が高い人ならば、
ヴォルフ・エリクソンの名前はどこかで見たり聞いてたりしていよう。

ヴォルフ・エリクソンは、テルデック、セオン、そしてヴィヴァルテと、
つねにオリジナル楽器による演奏を録音しつづけてきている。

ラルキブデッリのCDを買ってみようかな、と思ったのも、
それがヴィヴァルテの録音であり、ヴォルフ・エリクソンによる録音だからである。
ただ、(その1)でも書いたように、
ヴィヴァルテからは、ラルキブデッリ以外の録音も当然出ている。

でも、ラルキブデッリを選んだ理由は、いまでははっきりと思い出せないし、
なんとなく選んだのだろうか。

そんな、どこか不純な好奇心から手にしたのが、ラルキブデッリのディスクであり、
モーツァルト、シューベルト、それにブラームスだった。

モーツァルトのディスクから聴いた。
次にシューベルトを聴いた。
日をおいて、ブラームスを聴いた。

ブラームスの弦楽六重奏曲ということだけでなく、
そのジャケットも好みではなかったこともあって、あとにしていた。
どんなジャケットなのかは、検索してみてほしい。

こういうジャケットが嫌い、というより、苦手である。
若いころはそうでもなかったのだが、十数年ほど前から新緑の季節になると、
植物の、その勢いにたじろぐおもいをするようになった。

濃い、というよりも、こちらが歳をとったせいなのであろう、
あまりにも青々しくて(緑が濃すぎて)、なにか植物に侵略されるのではないか、
そんな気分にすらなるし、
ラルキブデッリのブラームスのジャケットも、それに近い。

でも、聴けば、なぜ、このジャケットなのか、も理解できる。
好きにはなれないけれど。

Date: 1月 13th, 2019
Cate: アナログディスク再生

アナログプレーヤーの設置・調整(シェルリード線試聴会・その1)

中央線・高円寺駅から徒歩数分のところにEADレコードというレコード店がある。
今日、そこでシェルリード線の試聴会が行われるのが、来ませんか、という誘いがあった。

出掛ける用事もあったし、時間も用事が済んだころからだったので、
17時からの試聴会に行ってきた。

高円寺は気が向いたら途中下車することはある。
それでも北口、南口も、阿佐谷よりのほうには行っても、
中野よりにはほとんど行ったことがないなぁ、と思いつつ、ESDレコードをめざす。

このへんを歩くのは初めてである。
EADレコードは、もう20年以上やっているそうだ。

今回試聴できるシェルリード線は、Koike Lines製のモノ。

純銀線0.1mm/7本
OFC線0.08mm/16本
OFC線0.08mm/24本
OFC線0.08mm/56本

この四種類の比較試聴会だった。

30年以上前は、シェルリード線の比較試聴はやっていたけれど、
もうとんとやっていない。

シェルリード線の長さは、
カートリッジのコイル、トーンアーム内の配線、
トーンアームの出力ケーブル、これら全体の長さからすれば、その割合は小さい。

それでも音は、その割合とはおもえないほどに変ることは、
一度でも、この部分の交換をやったことのある方ならば、経験されていよう。

今回は同じ芯線で、本数の違う三種類のシェルリード線を比較試聴できる。
こういう機会はそうないだろう。

EADレコードは、小さなレコード店けである。
そこに大型のスピーカー、大型のアンプが並んでいるわけではない。
そういうシステムを期待されている方は行かれるとがっかりされるだろう。

店の規模に見合ったシステムが置いてある。

Date: 1月 10th, 2019
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(テクニクス SL-G700)

CES 2019でテクニクスのSACDプレーヤーSL-G700が発表されたことが、
いくつかのオーディオ関係のサイトで紹介されている。

テクニクスがSACDプレーヤーを開発中なのは知られていたことなので、
特に驚きはないけれど、それでもMQAフルデコード対応なのは、意外な嬉しさである。

価格はまだ発表されていないし、音が聴けるようになるのはもう少し先のことだし、
SL-G700そのものについてあれこれ書きたいわけではない。

書きたいことはただひとつ。
Blu-Ray Audioに対応していないことである。

SACDとBlu-Ray Audioの両方に対応するのは技術的に不可能なのであればわかる。
けれど、すでにOPPOの製品は実現している。

クラシック好きにとってBlu-Ray Audioは、いまでは無視できないものになりつつある。
テクニクスの開発陣もそのことは承知のはず。
なのにSL-G700はBlu-Ray Audioに対応していない。

将来性はあまりない、という見方なのだろうか。

以前のテクニクスはSU-A2というコントロールアンプを誕生させた。
コントロールアンプとしての機能を、考えられる限りのすべてを搭載したといえる。

パナソニックは、以前AG-W3という、VHS全世界対応デッキも出していた。

私のなかでは、そういうメーカーでもある、という認識だ。
SL-G700の価格はいまのところわからない。
さほど高くないのかもしれないし、
上級機として SL-G900とかSL-G1000というモデルが出てきて、
そこでBlu-Ray Audioをふくめて、全パッケージメディア対応になるのだろうか。

Date: 1月 8th, 2019
Cate: 世代

世代とオーディオ(その表現・その4)

フツーにおいしい、とか、フツーにかわいい、とか、
そんな表現が一般的に使われるようになったのはいつからなのだろうか。

インターネットで検索すると、2008年頃には使われていたようである。
どこから広まってきたのだろうか。
テレビで、誰かが使ったからなのか、
それともまったく別のところから使われるようになったのか。

この「フツー」が生れてきた背景には、
SMAPの「世界の一つだけの花」が関係してきているようにも感じている。

歌詞に《もともと特別なOnly one》とある。
私は、この歌詞をきいて、なんとバカな……、と思った人間だ。

「世界の一つだけの花」という歌を否定する気はないし、
この歌が好きという人のことをとやかくいうつもりはない。

ただ《もともと特別なOnly one》には、反撥したい。
歌詞の、この部分に救われた、とうい人がいるという話もきいている。

本当だろうか、と訝るとともに、本当にそういう世の中になってきたのか……、とも思う。

私は、ここでも、マーク・トウェインの、別の言葉を思い出す。

“The two most important days in your life are the day you are born and the day you find out why.”
あなたの人生で最も重要な二つの日は、あなたが誕生した日と、なぜ生れてきたかを見出した日である。

《もともと特別なOnly one》は、
重要な二つの日のうちのひとつだけの世界にしか思えない。
なぜ生れてきたかを見出してこそ、オンリーワンのはずなのに、
ただ誕生してきた日、その一つの日だけで《もともと特別なOnly one》とは、
どうやってもそうは思えない。

Date: 1月 8th, 2019
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その19)

取材・試聴が大変だった号がよく売れ、
そうでない号はあまり売れないのであれば、話は違ってこよう。

けれど現実は必ずしもそうではない。
その17)で書いているように、
二冊のチューナー特集号の取材・試聴は大変だったはず。
けれど売れない。

チューナー特集号のころは、すでにFM放送がブームになっていた時期のはず。
それでも売れなかったのは、不思議な気もする。
ステレオサウンドの読者は、あまりチューナーに関心がなかったのか。
そのくらいしか理由は思い浮かばない。

そのころの原田勲氏は、
株式会社ステレオサウンドの社長(経営者)であり、
季刊誌ステレオサウンドの編集長であった。

編集者としてやるだけのことはやった、と自負できる号が売れていれば、
社長としての原田勲と編集長としての原田勲は仲良くできただろうが、
現実はそうでもなかった。

雑誌は売れ残れば返本される。
前の号の売行きが芳しくないと、書店に置かれる数にも影響してくる。

それに返本された分に関しても、保管して置くためのスペースが要り、
それには費用も発生するし、売れなかった本とはいえ、それは資産として扱われる。

だから裁断処分されることになる。
これにも費用がかかる。

売行きは安定してほしい。
経営者は誰もがそう考えるはずだ。

そのためにどうするか。

ここまで書けば十分だろう。
つまりステレオサウンドを変えてしまったのは、
特集の内容によって買ったり買わなかったりしていた読者でもある。

Date: 1月 8th, 2019
Cate: オーディオ評論

「新しいオーディオ評論」(その18)

原田勲氏から直接きいたはなしでは、
チューナーの特集号は芳しくなかった、ということと、
不思議なことにトーンアーム、カートリッジが表紙だと、
これもあまり売れない、ということだった。

例えばアンプを買い替えようと考えているオーディオマニアがいたとする。
そこにステレオサウンドの特集がアンプの総テストであったりすると、
そのオーディオマニアは、なんとタイミングがいい、と喜んで、
そのステレオサウンドを買うことだろう。

アンプの買い替えを考えているオーディオマニアに、
チューナーの特集号を渡しても、関心をもってもらえないこともあるだろう。

でも、ステレオサウンドのようなオーディオ雑誌の読み方は、そういうものではないはず。
そう思っていたからこそ、私は中学二年のころから、なんとか小遣いをやりくりしては毎号買っていた。

ステレオサウンドを読みはじめたばかりの中学生にとって、
43号のベストバイは、確かに面白い特集だった。
世の中には、こんなにも多くのスピーカー、アンプ、カートリッジ、プレーヤーがあるのか、
そのことを知ることができただけでも、43号のベストバイの価値はあった。

それに43号のベストバイのやり方は、これまででいちばん良かった。
結局、その後のベストバイは編集経験者からみれば、手抜きでしかない。

43号のあとは、44号、45号、46号と三号続けてのスピーカーの特集である。
ある意味、おなかいっぱいの特集である。
読み応えがあった。

スピーカーの買い替えなどまったく検討していなかった中学生であっても、
無関係な特集とは、まったく思わなかった。

アンプの買い替えを検討しているオーディオマニアで、
チューナーの特集号、スピーカーの特集号だったら買わない、というのは、
その人はステレオサウンドをお買い物ガイドとしかみていないわけだ。

そういう人にはベストバイの号はぴったりだし、
ベストバイの号が売れるのも理解できなくはない。

それでも、ステレオサウンドは、そういうオーディオ雑誌ではないはずだ、
と当時は思っていたが、現実は売行きが変動するわけで、
だからこそ、原田勲氏が、ステレオサウンドを弁当にたとえて、
幕の内弁当でなければ、というのは、株式会社ステレオサウンドの経営者としては、
当然の帰結なのだろう。

Date: 1月 7th, 2019
Cate: ディスク/ブック

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR(その1)

CALLAS IN CONCERT THE HOLOGRAM TOUR
昨年秋に出たCDであり、
タイトルからわかるように、マリア・カラスのホログラムコンサートのCDである。

BASE HOLOGRAM社の技術によるマリア・カラスのホログラムコンサート。
昨年秋から全世界ツアーが始まっている。

日本でも予定されているそうで、2019年初頭という話だったが、
検索してみても、具体的な日程はどこにもない。

BASE HOLOGRAM社のウェブサイトには、マリア・カラスのページがある。
2月と3月の予定が公開されているが、現時点で日本公演は含まれていない。

日本でほんとうにやるのかどうかも、すこしばかりあやしい気もするけれど、
それにホログラムコンサートでのカラスの歌声は、
EMIに残した録音からカラスの声のみを抽出して、オーケストラとの協演である。

そういうものを観に行く価値はあるのか、と思わないでもないが、
行きたいという気持も、けっこう強い。

Date: 1月 7th, 2019
Cate: audio wednesday

audio wednesdayのこと(その4)

audio wednesdayで音を鳴らすようになって三年経つ。
音出しは面倒と思うこともないわけではないが、やはり楽しい。

来られている人たちも楽しまれている。
けれど、音を鳴らすのもいいけれど、
以前のようにあれこれ話すのも楽しかった、という声もある。

facebookでのコメントを読んでいて、思いついたことがある。
若いオーディオマニアの方と徹底討論をやってみたい、と思っている。

一対一でもいいし、
若い方が数人対私一人でもいい。

若いオーディオマニアといっても、
ひとまわり若い人、ふたまわり以上若い人たちが来てくれれば、いいな、と思う。

私がオーディオに興味ももってから40年以上が経つ。
オーディオブームといわれていた時代はとっくに過ぎ去ってしまった。

私が熱心に読んでいたオーディオ評論家の人たちもみないなくなってしまった。
いくつものオーディオ雑誌も消えていっていったし、
残っているオーディオ雑誌も変ってしまった。

オーディオ店の数も減っている。
いろんなことが変化している。

それでもオーディオの世界に興味をもつ若い人がいる。
そういう人たちがどう感じているのかを知るには、
直接声をきくのがいちばんではないだろうか。

一人では話しにくいことも、若い人たちが数人集まれば違ってくるかもしれない。

audio wednesdayの常連の大半は、私と同世代かそれ以上の世代の人たちである。
それでもズレのようなものを感じることがある。

世代がもっと違う人たちとならば──、
若いオーディオマニアの方たちを集めるのが意外と大変かもしれないが、
やってみたい企画である。

Date: 1月 6th, 2019
Cate: 「スピーカー」論

「スピーカー」論(ピストニックモーションにまつわる幻想・その3)

1976年にサンスイのスピーカーシステムSP-G300が登場した。
スラントプレートの音響レンズをもつ2ウェイであった。

当時の山水電気はJBLの輸入元であった。
SP-G300はJBLのスピーカーの影響を受けた製品ともいえた。

SP-G300は国産スピーカーとしては異例の長期的計画によって誕生したモノであった。
SP-G300の開発に関する詳しいことは、
ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」のサンスイ号に載っている。

SP-G300のコンプレッションドライバーのダイアフラムは、
当初はタンジェンシャルエッジだった。

けれどテストと測定の結果、
タンジェンシャルエッジはダイアフラムの前後運動にともない回転運動を起こしていることを確認。
最終的にSP-G300はロールエッジに変更されて世に出ている。

タンジェンシャルエッジがもつ、形状からくる回転運動の発生については、
JBLも気づいていたのかもしれないし、
もしくは山水電気からの指摘があったのかもしれない。

JBLは1980年にダイアモンドエッジを発表した。
タンジェンシャルエッジの2420は2421になり、
ロールエッジの2440は2441になった。

ダイアモンドエッジは、日本の折り紙からヒントを得た、といわれていた。
そうかもしれない。
タンジェンシャルエッジを、アルテックのエッジの向きとJBLのエッジの向き、
このふたつを合体させたものがダイアモンドエッジのようにも、当時は見えた。

ダイアモンドエッジは高域特性の改善がまず謳われたが、
むしろタンジェンシャルエッジにつきもののダイアフラムの回転運動が発生しないことのほうが、
より大きな改善点である。