いい音、よい音(いい音響、よい音響)
2018年4月、「いい音、よい音(きこえてきた会話)」で、
隣のテーブルからきこえてくる数人の女性の会話のなかに出てきた「いい音響」、
そのことにふれた。
オーディオマニアでもなんでもない人たち(そうみえた)が、
映画の話であっても、そこに「いい音響で観るとほんといい」と頷きあっていた。
「いい音で……」という人は珍しくないけれど、
「いい音響」とみなが言っていたのが興味深かった。
川崎先生が「コーラルはオークションで手に入るから、教えたい」を公開されている。
そこでも、いい音響が出てくる。
以前から音響ということばについて書こう、と考えていた。
とはいえ、少し斜めからの解釈による音響について書く、ということだ。
音響とは、音と響き、と書く。
これを少し違う言葉でおきかえると、質感と量感ではないか、と、
ここ数年思うようになってきたからだ。
質感はともかく、量感は、どうも誤解されているような気もする。
私にしてみれば、それは量感とは捉えない鳴り方を、量感と一般的にはいっているような気もしている。
それだけでなく、量感のよさというのが、最近のスピーカーシステムからは失われつつあると感じている。