日本のオーディオ、これまで(上原晋氏のこと・その6)
上原晋氏のリスニングルームに庭に面している一辺はアルミサッシである。
おそらく、ではあるが、リスニングルームの設計段階、
それに完成した当初は、このサッシを背にしてスピーカーを置かれていたはずだ。
庭の景色をながめての音楽鑑賞を描かれていたように思う。
そのことはリスニングルームのカベに飾られていた写真からもうかがえる。
花の写真があったが、長男の嵩史氏によると、庭に咲いている花であろう、とのこと。
ならば庭をながめながら、だったはずだ。
けれど意に反して、満足のえられる音が出なかったのか。
それでラックスの冊子、それに現在のように、
作業室へと通じる引き戸側にスピーカーを移動された、と推測できる。
そういえば、瀬川先生がステレオサウンド 54号に書かれていることを思い出す。
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部屋の基本的な音、響きについては十分に満足をし、成功したものの、実は当初予測し切れなかった小さな誤算がひとつあった。
以前から私は、部屋の中でのスピーカーの置き方として、長方形の部屋の場合、長手方向の壁面をスピーカーの背面として使ってきた。つまり部屋を長手方向に使うのではなく、短手方向に、左右のスピーカーのさらに外側を広くあけて使う、という置き方をしてきた。それはかつて、6畳ないし8畳という、決して広くない空間で、できるかぎり音の広がりと奥行き、定位といったステレオエフェクターを最大限に活かすために、体験的にあみ出した方法だった。
スピーカーの二つの間隔がせますぎ、なおかつスピーカーの左右両わきに十分な空間がとれないと、どうしても音の広がりが得られない。いったんスピーカーを十分に広げて音の広がりを体験してしまった耳には、ひどくもどかしく感じられる。それを6畳ないし8畳、あるいはせいぜい本誌試聴室の15畳の広さで実験してみた場合、部屋を短手方向に使う以外にないようだ。ここ数年来の本誌のテストでも御承知のように他のリポーターが部屋を長手方向に使う場合でも、私だけは頑固に短手方向に使うということを一貫して行なってきたというのも、その主張のあらわれに他ならない。
にもかかわらず、自分のリスニングルームを計画した時、部屋の短辺の壁面が内寸(実効寸法)で4・5メートル以上とれれば、部屋を長手方向に使っても2つのスピーカーの間隔はほぼ十分にとれ、従来のように部屋を短手方向に使う必要がないと、この部屋に関しては最初から決めてかかり、当然、視覚的な窓の配置等を含めたインテリアもその方向で仕上げてしまった。
ところが、スピーカー運び込み、初めて鳴らしてみた時に、予測しないトラブルが生じた。十分聴き慣れていたはずのJBL♯4343が、部屋の短辺に置いたのではひどくこもった、まるで魅力のない音でしか鳴らない。魅力がないどころか、その音はむしろ、欠点だらけといいたいほどひどいバランスで、一時は♯4343を手離すことさえ考えた時期もあった。転居してしばらくの間は、♯4343はそうして部屋のすみに放り出されていた。ある日フト思いついて、部屋の長辺のほうに左右の両はしを十分にあけた形で、♯4343を置いてみた。するとどうしたことだろう、長手方向でまったくサマにならなかった♯4343が、これまた一変して予測もしなかった、たいへん見事な音で鳴り始めたではないか。
この♯4343の置き方がヒントになって、各種のスピーカーを部屋の長手方向、短手方向に置き変えてみた結果、少なくとも音の響きの美しさを活かしながら、細かな音をよく聴き分けるには、やはりこの部屋でも短手方向に使う方がすぐれていることが確認できた。前述のようにこの形で聴くかぎり、視覚的にはやや落着きのない結果になってしまった。リスニングルームを計画するにあたっての小さな、しかし重大な誤算であったと反省している。
この体験を通して確認できたことは、従来さまざまな部屋で体験していたことだが、同じ部屋の中で、同じスピーカーが、置かれる場所(面)によってまるで別物といいたいほど性格を変えるということだ。そのことからも、リスニングルームを計画するにあたって、スピーカーの位置をあらかじめ決めて、つくり付けにしてしまうというようなことは、とうてい私にはできないと再確認した次第である。
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瀬川先生は
《リスニングルームを計画するにあたっての小さな、しかし重大な誤算であったと反省している》
と書かれている。
上原晋氏も同じように思われていたのだろうか。