Musical Illusions and Phantom Words(補足)
“Musical Illusions and Phantom Words”に関係してくる内容のサイトがある。
“Illusory sound texture reveals multi-second statistical completion in auditory scene analysis”である。
聴覚の錯覚のデモが、いくつも公開されている。
“Musical Illusions and Phantom Words”に関係してくる内容のサイトがある。
“Illusory sound texture reveals multi-second statistical completion in auditory scene analysis”である。
聴覚の錯覚のデモが、いくつも公開されている。
私が参加する側だったから、今回のaudio wednesdayにはさほど興味を抱かない。
いまさらカセットテープ? と思うだろうし、
カセットテープだけに音源を限定してしまうと、
同じ曲ばかり聴くことになる。
おまけに梅雨でもある。
来る人は少ないだろうな、と思っていた。
(実際少なかった)
だったらゆるーいセッティングもありかな、と考えたこともある。
セッティングするのは楽しいが、
終ってからセッティングのバラしていくのは、時には面倒だ、と感じることもある。
ゆるーいセッティングは、だから通常の喫茶茶会記のセッティングということである。
そうすれば片づけも楽になる。
でも、それはカセットテープだから……、と私自身が侮っているわけで、
おそらくaudio wednesdayでカセットテープを鳴らすのは今回が最初で最後だから、
やっぱりセッティングはきちんとしようと思い直していた。
いつもと同じセッティングをしていたら、愛知から来てくれている常連のHさんの顔が見えた。
カセットテープだし、Hさんはぎりぎり20代で、カセットテープ世代ではないから、
今回は来ないだろうな、と勝手に思い込んでいた。
なので「今日カセットテープだよ」といってしまった。
Hさんは三本のミュージックテープを競ってきてくれた。
ジョン・デンバー、サイモン&ガーファンクル、安全地帯の三本である。
これで九本。
それから常連のTさん(Hさんと同世代)は、
FMをエアチェックしたテープをもってきてくれた。
すべて歌ものである。
昨晩のaudio wednesdayは、ラジカセ的音出しがテーマだった。
プログラムソースはカセットテープのみ。
CDは一度も鳴らさなかった。
きっかけは、先月のaudio wednesdayで、
喫茶茶会記に、グッドマンの AXIOM 150をおさめたスピーカーが一基戻っていたことだった。
そういえば、以前、
B&Wの小型スピーカーが鳴らされていたころにあった記憶がよみがえってきた。
一本だけである。
モノーラルでしか鳴らせない。
けれどラジカセ的な音出しならば、むしろ、このほうが面白い、と思った。
喫茶茶会記には、ソニーのTC-K555ESXがある。
カセットテープを、一度余興で鳴らそう、と考えていた。
結局、これまでは時間がなくて鳴らすことなく終っていた。
今回は趣向をかえて、
スピーカー一本による、カセットテープのモノーラル再生をやろう、と、
先月のaudio wednesdayが始まる前から決めていた。
けれど、どのくらいの人が関心を持ってくれるか。
それにかけるソースが、どのくらい集まるのか。
私が持っているのは、グラシェラ・スサーナのミュージックテープ六本だけ。
常連の人たちだって、CD、アナログディスクはもっていても、
カセットテープとなると、持っていない可能性が高い。
そんな予想をしていたから、最初はゆるーく鳴らすのもいいかな、と考えていた。
“Musical Illusions and Phantom Words”。
火曜日の夜に見つけた本である。
翻訳版は出ていない。
今後、出版されるのかどうかはわからない。
著者のDiana Deutsch(ダイアナ・ドイチュ)について、私は何も知らないが、
聴覚の錯覚について半世紀ほど研究・追求されている人らしい。
書名からして、興味深い。
おそらく読めば、ほんとうに興味深い内容なのだろう。
それに出版社がオックスフォードだから、いいかげんな内容ではないはずだ。
火曜日夜に、facebookでシェアした。
私自身は、まだ買うかどうか決めかねていた。
昨晩のaudio wednesdayで、常連のHさんが、
「あの本、Kindle版を買いました」といわれた。
早い! と思った。
Kindleは、知らない単語をクリックすると訳が表示される。
英語に堪能な人ならば、そんな機能は必要としないだろうが、
確かにkindleの、この機能はありかだい。
それに紙の本よりも安い。
Hさんによると、まだ序文のところでも、非常に興味深い内容らしい。
8月のaudio wednesdayは、7日。
テーマは未定でも、音出しの予定。
場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。
300Bのプッシュプルアンプの前に作る予定の6F6のプッシュプルアンプは、
本番(300Bのアンプ)のために試しておきたいことがあるからでもある。
昨晩の「オーディオの楽しみ方(つくる・その42)」、
ここでの自作の電源コードの一工夫は、そのまま真空管アンプの内部配線にも使える。
大袈裟、大掛りでもよければ、出力管を含めてヒーターの定電流点火にしたいところだが、
すでに書いているように、ここでの300Bのアンプでは、そこまでするつもりはまったくない。
それでもヒーター(フィラメント)の点火の仕方は、
試したことのない方にとっては想像以上の音の変化だと思う。
真空管アンプ内部には、信号ラインの他に、
電源系も高電圧・小電流の直流、低電圧・大電流の交流とがある。
ここをどう処理するのか。
配線テクニックの腕のみせどころとなるわけだが、
それよりも、周囲のケーブルに影響を与えない、
周囲のケーブルからの影響を受けにくいような方式を採用すべきである。
今回の自作の電源コードの構造は、ずっと以前から試そうと考えていた。
自作の電源コードのヒントは、中学生時代に読んだ技術書の中にあった。
こういう手法があるのか、と思ったし、
オーディオ機器はなぜ採用しないのか、とも疑問に思っていた。
システムコンポーネントの組合せの自由度の高さを、
その方式は少しばかり損うことになる場合もある。
それでもメリットは大きい。
とはいえ、私もずっと頭のなかにあるだけで、手を動かして試してはこなかった。
それを思い出したようにいまごろ実践したのは、いくつか理由がある。
自作の電源コードに使用したのは、それほど高価なケーブルではない。
というよりも安価なケーブルである。
なので高純度を誇るケーブルでもないし、
特殊な構造をもつモノでもない。
ごく一般的なケーブルで、一工夫しているだけである。
その一工夫は、周囲のケーブル(電源・信号含めて)に影響を与えない、
影響を受けないを目的としたものだ。
もちろんまったく影響を与えない、受けないわけではないが、
理屈からいっても与えにくい、受けにくいようになっているはずだ。
「手放せない存在になってしまった」といってくれた人のところに、
自作の電源コードは行っている。
いろんなところに持ち歩いて、試されているようである。
先日も、その話をきいた。
とある個人宅に持ち込んだ、とのこと。
たいていのところはラックの裏は、
信号ケーブル、電源コードが複数本ずつあり、
すっきりとしているところのほうが少ないのかもしれない。
そのお宅もぐちゃぐちゃの状態であった。
にも関らず、自作の電源コードは、期待通りの音を出してくれた、とのこと。
オーディオアクセサリーにありがちなのは、
自分のシステムでは非常に効果的で、
冷静に聴いても音を良くしてくれていると自信をもっていえても、
環境の違うところに持っていき試してみると、あれっ? ということは少なくない。
「手放せない存在になってしまった」といってくれた人も、
そういう体験をこれまでにいくつもしてきたそうだ。
特にケーブルはそういう傾向が強い、と私は思っている。
にも関らず、自作の電源コードは、
これまで試してどこででも期待通りの音を出してくれる──、
そのことに感心してくれていた。
電源コードの意図・目的については、まったく話していなかった。
にも関らず、そういう話をしてくれた。
カセットテープ全盛時代であれば、
カセットテープ、カセットデッキをテーマにした音出しならば、
あれもやってみよう、これも、といったふうに準備もできるけれど、
もういまやそんな時代ではない。
メタルテープは、新品はどこにも売っていない。
カセットデッキの新製品(といってもほとんどないが)にドルビーが搭載されなくなった。
ドルビーがドルビー用ICを製造しなくなったためである。
カセットテープの人気復活という記事を、昨年何度か目にしたけれど、
そういう状況下であることも事実だ。
つい数日前に思い出したのだが、
そういえは、瀬川先生が熊本のオーディオ店に定期的に来られていたとき、
カセットデッキの試聴の日があった。
今回はカセットか……、と思いながらも参加してみれば、やはり面白い。
どんなことをやられたのか憶えているけれど、
同じことをいまやるのは、ほんとうに大変である。
そしてもうひとつ思い出したのは、次の日のことだ。
瀬川先生の試聴会は、土日二日間行われていた。
土曜日がカセット、日曜日がトーレンスのREferenceを聴く、であった。
日曜日、その日の音、特に最後にかけられたストラヴィンスキーの「火の鳥」は凄かった。
けれど、瀬川先生はぐあいが悪そうだった。
いつもなら、終った後にリクエストに応じてくれたのに、
その日ばかりは、さーっと奥に戻られてしまった。
「火の鳥」が鳴っていた時も、顔色は悪かった。
店を出ると、駐車場から瀬川先生を乗せたクルマが出て行った。
後の座席でぐったりされていた瀬川先生の姿が、目に焼きついている。
カセットでの、こういう場での音出しというと、どうしてもおもいだす。
明日(3日)のaudio wednesdayは、カセットテープがテーマである。
場所はいつものとおり四谷三丁目のジャズ喫茶・喫茶茶会記のスペースをお借りして行いますので、
1000円、喫茶茶会記にお支払いいただくことになります。ワンドリンク付きです。
19時からです。
アナログプレーヤーを輸入している出展社のブースで、
スタッフ(40歳くらいだろうか)の方が、
アナログディスク再生の大事な五つのポイントを話された。
輸入しているアナログプレーヤーの開発者から直接レクチャーを受けたもの、とのこと。
その五つのことは、確かに大事なことである。
トーンアームの調整にあたって、この五つのポイントはその通りである。
けれど、私くらいの世代、上の世代にとっては、
その五つのポイントのなかに、新しいことはひとつもなかった。
それはそれでかまわない。
話を聞いていて思っていたのは、
スタッフの人にとっては、そこでのレクチャーはとても新鮮で、
大事なことだと感じたからこそ、OTOTENで来場者に伝えたかったのだろう。
でも、その五つのポイントは、
1970年代のアナログディスクの再生について書かれたものにはすべて載っていた。
けれど、スタッフの人の世代にとっては、
その手の書籍も入手できなかった(読めなかった)のかもしれない。
見た目は40歳くらいに見えたけれど、実際のところはいくつなのかは知らない。
40歳前後だとして、私とひとまわりくらい違う。
その十年ちょっとのあいだに、アナログディスク再生に関する断絶は、
私の想像以上に大きいのかもしれない。
まずこのことを思っていた。
もうひとつ思っていたのは、
五つのポイントは大事なことであるけれど、
知っていたけど忘れてしまった人もいるだろうし、
知っているよ、という人であっても、どこまできちんと調整できるのかといえば、
甚だあやしいのが、現実である。
しかも、この現実は、ここ最近のことではない。
CD登場前から続いていることであり、
日本だけのことではなくアメリカにおいてもそうであることは、
以前マッキントッシュのゴードン・ガウが語っている。
ヨーロッパにおいてもそうなのかもしれない。
大事なことはしつこいくらいにくり返しくり返し語っていかなければならない。
それでも、きちんと理解して実行できる人は、どのくらいいるのか。
OTOTENでもインターナショナルオーディオショウでも、
各ブースの入口の側にはテーブルがあり、
そこにはカタログ、ブースによってはアメが置いてある。
今年のOTOTENでのソニーのブースの、そのテーブルにあったのは、
ウォークマンだった。
初代(TPS-L2)と二代目(WM2)があった。
どちらも約四十年前の製品、
しかも持ち運ぶ製品にも関らず、そうとうに程度のいいモノだった。
ソニーで保管していたものなのだろうか。
そんな感じのする二台のウォークマンだった。
20代くらいの来場者が、ちょっとばかり興奮気味に、ソニーのスタッフに、
写真、撮っていいですか、ときいていた。
彼の年代にとって、実機を見るのも触るのも初めてなのかもしれない。
しかも新品同様といえるウォークマンである。
興奮気味なのも無理ない。
WM2の方にはテープも入っていて、再生状態だった。
おそらくソニーの関係者と思われる女性(30前後か)が、
スタッフの男性に、聴いていい? と訊ねていた。
ヘッドフォンで聴きながら、「80年代の音ですね」と感想を述べていた。
そうか、80年代の音なのか、と私は、そのフレーズをくり返していた。
TPS-L2は1979年、WM2は1981年発売だから、
WM2の音を聴いて「80年代の音ですね」は間違ってはいない。
それでも、30前後に見える女性が、
何をもってして「80年代の音ですね」といった、その理由は知りたいところ。
今年のOTOTENに、あれっ? と感じたことがある。
これまでのOTOTENでは見かけなかっただけに、よけいにそう感じた。
ちょうど昼ごろ、出展社のスタッフの人たちが、
廊下のベンチで弁当を食べている姿を、数箇所でみかけた。
こういう展示では昼食をとるのはけっこう難しい。
時間的余裕もないし、
国際フォーラムにも飲食店はあるけれど、
そういう店でゆっくり食事をとることは難しい。
弁当で済ますという人が多いはずだ。
けれど、いままでは、ベンチで食事をしている人をみかけたことはなかった。
なぜ、今年は? と思う。
憶測にすぎないが、
おそらく出展社のスタッフの人たちが、
休憩や食事をとるためのスペースが用意されていなかったのではないだろうか。
国際フォーラムには、そのためのスペースがないはずはない。
けれどスタッフの人たちが、廊下のベンチで、大急ぎで弁当を食べているということは、
そのためのスペースを、日本オーディオ協会の人たち専用にしていたのではないのか。
どこかに休憩や食事のためのスペースが用意されているならば、
誰だって、そこで食事をするはずだ。
食事をしているところを不特定多数の人に見られたい、なんて思っている人は、
皆無にちかいだろう。
それでも数人のスタッフの方たちが、別々のベンチで食べていた。
私は、この人たちを責める気はまったくない。
運営側の問題なのではないだろうか。
皆がわかっていることなのではないのか、と(その7)の最後に書いた。
この、皆がわかっていることではないのか、は、
5月24日に小池百合子都知事が定例記者会見で発表したかぶる傘も、まったくそうだろう。
東京オリンピックの暑さ対策と一つであるかぶる傘は、
どうみても滑稽でしかない。
あれをかっこいい、と思う人はいるのか。
あれを考えた人は、いったいどんな人なのだろうか、
そのことにも私は興味がある。
少なくとも会議にかけられている、と思う。
いくらなんでも小池都知事の独断だけで決ったとは思えない。
誰一人として、かぶる傘は滑稽だ、と思わなかったのか。
思っていたのではないのか、滑稽だとわかっていたのではないのか。
でも、誰も何もいわなかった──。
定例記者会見でかぶっていた人の表情は、
何かいいたそうでもあった。
皆がわかっていることなのではないのか、
でも誰も何もいわなかった。
その結果が、あのかぶる傘のような気がしてならない。
オーディオの世界に若い人を──、
というのが、今年のOTOTENのテーマの一つであり、
例えばオンキョーとパイオニアの合同ブースは、
「ガールズ&パンツァー」のためだけのブースであった。
「ガールズ&パンツァー」は、いま人気のアニメということぐらいは知っているし、
「ガルパン」と略して呼ばれているぐらいまでは知っている程度で、一度も見たことはない。
「ガールズ&パンツァー」について何かいいたいのではなく、
この「ガールズ&パンツァー」一色といえる展示は、
今年のOTOTENのテーマに添うものなのだろう。
でも成功していた、といえるのかは微妙な感じだった。
私が、このブースに入った時、椅子はほぼ埋まっていた。
人は大勢集まっていた。
けれど若い人が多かったのかといえば、そうではなかった。
たまたま私が入った時がそうだったのかもしれないし、
もしかするとずっとそうだったのかもしれない。
パッと見渡した感じでは、中年以降の方が多かった。
したりげに、こういう企画をしたからといって……、なんてことはいいたくない。
いろんな試みをやるのはいい。
でも会場の国際フォーラムに若い人が入ってこないかぎり、
それぞれのブースで、どういう企画(試み)をやったところで、
若い人のほうが多かった、ということにはなかなかなりにくいのは、
皆がわかっていることなのではないのか。
“Summer Time”がかかっていた。
今日のOTOTENで、光城精工のデモが行われているときに、ちょうどブースに入った。
鳴っていたのは、アンジェリーク・キジョー(Angélique Kidjo)の歌う“Summer Time”だった。
“Summer Time”だということは、聴けば誰でもわかることだけど、
誰が歌っているのか、まったく見当がつかなかった。
iPhoneにインストールしているShazamで調べると、
アンジェリーク・キジョーと表示された。
私が好んで聴く音楽の範囲は、偏っていて狭い。
アンジェリーク・キジョーがどういう人なのか、まったく知らなかった。
知らなくてもiPhoneで、すぐに調べられる。
“Summer Time”は、2012年発売の“SPIRIT RISING”に収められている。
アンジェリーク・キジョーの“Summer Time”、
今日のOTOTENで強く惹かれた一曲である。
C1000は、ステレオサウンド 38号に登場している。
新製品としてではなく、
38号の特集「オーディオ評論家──そのサウンドとサウンドロジィ」のなかで登場している。
C1000は井上先生、上杉先生、長島先生のリスニングルームの写真に登場している。
38号を初めて読んだ時に、ここにもC1000、ここにもある、と思ったほどだ。
こんなことを書くと、メーカーが各オーディオ評論家にばらまいたんだろう、
と自称・事情通の人はそういうに決っている。
その可能性を完全に否定はしないが、
仮にそうだとしても、気にくわないオーディオ機器を、ふだん目につくところに置くだろうか。
長島先生は、C1000を左チャンネルのスピーカーの横に置かれていた。
レコード棚の上であり、机の隣でもある。
C1000の周囲に、他のオーディオ機器はない。
つまりC1000は飾ってあるだけである。
ほとんどの人が、音楽を聴いているときに、必ず目に入ってくる位置に気にくわないモノは置かない。
気にくわないモノを眺めながら、好きな音楽を聴きたい、と思う人はいないはず。
ということは、長島先生はC1000のデザインを気に入っておられたのか。
上杉先生はアンプ棚の上段に、C1000を収納されていた。
この位置も、音楽を聴いているときに、必ずC1000が目に入っている。
井上先生にしても、多少位置は違うが、少し視線をずらせば視界に入ってくる位置だ。
38号の、これらの写真を見て、
みんなC1000のデザインを気に入っているんだろうなぁ、と思った。
いまもそう思っている。
そういうアンプだから、Aさんの友人のCさんも、ずっと長いこと使いつづけてこられたのだろう。
そのC1000のデザインを受け継ぐCL1000のプロポーションを、
ここ数年のずんぐりむっくりにしなかったのは、賢明である──、
というよりやっと気づいてくれた、という感のほうが強い。