Archive for category テーマ

Date: 3月 30th, 2021
Cate: 40万の法則, D130, JBL, 岩崎千明

40万の法則が導くスピーカーの在り方(D130と岩崎千明氏・その27)

スピーカーシステム、
この場合のスピーカーシステムとはマルチウェイのことである。

そのスピーカーシステムを、どういう構成とするのか。
さまざまな考え方があるのは、市場に登場したスピーカーシステムからもうかがえるし、
スピーカーを自作してみようと考えてみれば、
考え方の数の多さを楽しむこともできる。

40万の法則をベースにして考えるならば、
3ウェイの場合、100Hzから4kHzまで一本のユニットでカバーして、
100Hz以下、4kHz以上を、それぞれウーファー、トゥイーターで、という構成が考えられる。

つまりJBLのD130をスコーカーとして、ウーファーとトゥイーターを追加する3ウェイであり、
D130が15インチ口径で、しかも高能率ということを考えると、
そうとうに大型なシステムになる。

けれど、それは非現実的なシステムなのだろうか。
40万の法則に則った3ウェイのスピーカーシステムを、
池田 圭氏は構築されていた。

中心となる100Hzから4kHzを受け持つのは、
ウェスターン・エレクトリックの555Wドライバーに15Aホーンである。

555W+15Aのコンビは、D130以上の規模である。

15Aホーンの開口部は、56 3/6インチ×57インチである。
一辺が1.4mほどある巨大なホーンである。

折り曲げホーンとはいえ、奥行きは53 1/8インチで、
そうとうに広い空間でなければ、ステレオ用に二本設置することは、まず無理である。

これだけの大きさのモノに、池田 圭氏は100Hzから4kHzを受け持たせていた。
これと比較すれば、D130に、同じ帯域を受け持たせるのはかわいいものだし、
はるかに現実的でもある。

Date: 3月 30th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(余談・その1)

TIDALのウェブサイトに“Local Editor, Japan TIDAL”という、
求人のページが出来ている。
これが何を意味するのかはいまのところはっきりしたことは何もわからないが、
つい、いよいよか、と期待してしまう。

日本でのサービスが近々開始されるのか、
そうでなくてもTIDALのラインナップに日本の楽曲が大幅に追加されることになるのか。

Date: 3月 30th, 2021
Cate: High Resolution

MQAのこと、TIDALのこと(その10)

ハイレゾリューションの配信を、
インターネットを介しているという理由だけで否定している人は、
MQA-CDには期待している、と自身のブログに書いているそうだ。

その人のブログを直接見たわけではないから、
その人がどこまでMQAについての理解があるのかはわからない。

おそらく、その人は、MQAエンコードに関して、
専用のハードウェアが存在していて、
録音スタジオにはそれがあると思っているのではないのか。

MQAエンコードは、MQA(会社)が行っている。
つまりPCMのデータをMQAに送り、MQAがエンコードしたデータを受けとり、
配信やMQA-CDのマスターとするわけだ。

ようするにMQAにPCMデータを送るときにも、
MQAからエンコード・データを受けとるときにも、インターネットを介して行われる。

調べれば、わりとすぐにわかることだ。
その人は、このことを知らずにMQA-CDに期待したい、といっているのだろう。

MQA-CDに期待したい、というのは、
MQAのエヴァンジェリストを自認する私にとってはうれしいことではあるが、
その人がMQA-CDに期待したい、とする理由(根拠)があまりにも無知なところに立ってのものだ。

その人が、このブログを読んでいるのかどうかは私にはわからない。
読まずにいてくれたほうがいい。

そしてMQA-CDを聴いて、いい音だ、と感じてくれたら、
MQAについて調べてほしい、と思う。
そうすれば、その人のストリーミングに対するアレルギーは消えていくだろうから。

Date: 3月 29th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……・その10)

AliExpressが中国のオーディオ事情をどれだけ反映しているのかは、
はっきりとしたところはわからないし、特に調べようともしていない。

それでもAliExpressの雑多さは、
ずっと以前の日本のオーディオと同じか、それに近い。

オーディオの世界に雑多さはふさわしくない、とか、
雑多なもの(世界)は嫌いだ、という人がいてもいい。

でも、私は、その雑多さがなんとも面白く感じる。
そして、少しばかりの懐しさも感じている。

「五味オーディオ教室」で出逢ってから、さまざまなオーディオ雑誌を手に取った。
無線と実験、ラジオ技術、電波科学、初歩のラジオなども読んだ。
記事もだが、それと同じくらいに広告が楽しかった。

この時代の、これらの技術系のオーディオ雑誌には、
ステレオサウンドには載らない広告がいっぱいあった。

そこに掲載されていた製品、キット、部品などは、
いまのAliExpressの世界そのままといえる。

比較すれば、AliExpreeのほうが数も多いし、雑多感も濃い。

当時の私は、ステレオサウンドを読みながら、
予算がこれだけあれば、こういう組合せ、もっと予算があれば、こんな組合せ──と、
電卓を片手にHI-FI STEREO GUIDEとにらめっこ。

そんな感じで妄想組合せの楽しんでいた。
妄想だから現実的な組合せだけでなく、予算の制限なしの組合せもつくっていた。

そういう組合せとは大きく違う組合せを、無線と実験などに載っている広告をみながらつくっていた。

そこに載っている広告には、
パワーアンプのプリント基板セットやトーンコントロールのプリント基板セットなど、
そういうものがいくつもあった。

いまのAliExpressで売っているのと同じ世界である。

安かった。
それらの基板を組み合わせて、アンプを作るならば……、そんな妄想をやっていた。
そんな中学時代をおくっていたから、いまAliExpressを眺めていると、
ほぼ同じことを、妄想組合せを楽しんでいるわけである。

Date: 3月 29th, 2021
Cate: 四季

さくら餅(その4)

人形町の三はし堂が二度目の閉店から久しく経つ。
もう十年ほどか。

その十年で、新しく知りあった親しい人たちに、
三はし堂のさくら餅を食べてほしかったな、と思うのだけれど、
それはもうかなわないことだから、「こういうさくら餅があってね……」という話もしない。

三はし堂のさくら餅が食べられているころは、ほとんど意識しなかったことがある。
若いころ見ていたドラマで、死期が迫っている人に「桜の季節までがんばりましょう」、
そんなことをいって励ますシーンがあった。
わりとあったように記憶している。

そのころは、そんなものか、というぐらいの感情しかなかった。
桜が咲く日まで──、
そういうことで生きる気力が多少なりとも湧いてくるのか。
まるで実感がなく、そんなドラマ(セリフ)を見て(聞いて)いた。

東京は、桜が少し散り始めているが、
私が住んでいるところは都心から離れていることもあって、
まだまだ見頃(多少散ってはいるけれど)。

毎日、駅までの往復、桜並木のところを歩く。
三はし堂のさくら餅はもう食べることはできないけれど、
桜が咲く日まで──、ここにこめられたおもいが、少しは実感できるようになってきた。

Date: 3月 29th, 2021
Cate: 真空管アンプ

五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか(その27)

伊藤先生が、無線と実験に6V6のシングルアンプを発表されたことがある。
私の記憶違いでなければ、これがオーディオ雑誌に発表された最後のアンプである。

手元にあったアンプがすべて持ち去られて、音を聴くことが出来なくなった。
それで手持ちの部品で作った、と書いてあった。

シャーシーは、だから市販のモノだった。
伊藤先生のパワーアンプにもちいられるシャーシーとはまったくの別物。
にもかかわらず、できあがったアンプは、伊藤アンプのたたずまいをしていた。

市販のトランス、市販のシャーシー、
これらの組合せにも関らず、間延した感じが、そのアンプにはなかった。

無線と実験、ラジオ技術などのオーディオ雑誌で数多くの真空管アンプの写真を見てきた。
どれも真似をしたいと思わなかった。
伊藤先生のアンプだけが、私にとっては違っていた。

そのためにはシャーシーを特注しなければ、と思っていた。
あのシャーシーがあってこその伊藤アンプの面は否定できない。

なのに6V6シングルアンプのシャーシーは全面黒色で、
シャーシーの高さも、40mmと伊藤アンプのシャーシー(50mm)よりも低い。

それでも伊藤先生のアンプに見える。
それは出力管のソケットの周囲に放熱用の穴が開けられているから、ともいえる。
この穴がもしなかったら、伊藤アンプとは思わなかった可能性は高い。

塗装済みのシャーシーに穴開け加工を施すわけだから、
切り口は金属の質感が顔を覗かせる。
だから伊藤先生は再塗装されている。

穴を開けなければ、こんな手間は不要になる。
穴を開けるのも手間である。

しかも(その26)で書いているように、
ソケット周囲の穴は出力管の放熱にほとんど効果はないはずだ。

手間をかけて穴を開けて、塗装する。
これらのことを考え合わせて、
この穴はデザインなのか、デコレーションなのを判断すべきである。

Date: 3月 27th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……・その9)

いまいくつものウェスターン・エレクトリックの300Bの模倣管が出ている。
300Bの型番をもつ、それらの模倣管のなかで、どれがいちばんいいのか。
比較試聴したことはないので、なんともいえないのだが、
現時点で、私が模倣管のなかから選ぶとすれば、PSVANEのWE300Bである。

PSVANEの300Bには、たしかWEのつかないタイプもあるはずだが、
あえてWEとつけているほうを選ぶ。

実物を見てもらえばわかるのだが、ベース部分のPSVANEのロゴが消されていれば、
ウェスターン・エレクトリックの300Bと錯覚しそうである。

まず真空管としての形が、300Bにそっくりである。
ST管の肩のところなど、よく作ったなぁ、と感心するほどだ。

そりゃ刻印の300Bさ、といいたい気持はあるけれど、
あまりにも高騰しているオリジナルの価格をどう捉えるのかは人それぞれだろう。

なんとしてもオリジナルこそ最高なのだから、一切の妥協はしない、
そのためにはお金は惜しまない、いくらでも出す(出せる)人ならば、
オリジナルの刻印を探せばいい。

けれど、いまの私はPSVANEのWE300Bならばだまされていい、ぐらいに思うようになった。
私の考え方も変っていったし、PSVANEの出来もよくなっていっている。

PSVANEのWE300Bを見ていると、中国の真空管アンプのパーツも、
けっこうよくなってきているのではないだろうか。

AliExpressには、トランスもけっこうある。
写真だけの判断では、トランスの良否について語るのはなかなか難しいが、
写真通りの出来であるならば、悪くはないように感じている。
それに、けっこう安価だ。

少し前までの中国のオーディオ機器(部品)に関しては、
安かろう悪かろうというイメージがしっかりとあったが、
いくつかの中国のオーディオ機器を使ってみると、
いまではそれは偏見に近い、とさえ思うように変ってきた。

Date: 3月 27th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(韓国、中国は……・その8)

(その7)を書いたのは2019年12月だから、一年数ヵ月前。
そのあいだに韓国のオーディオのことを調べようかな、と思いつつも、
ついAliExpressで、中国のオーディオのほうを眺めてしまう。

どうしてかといえば、中国のオーディオのほうにおもしろさを感じているからだ。
私がオーディオに興味をもったころの日本のオーディオ、
1970年代後半の日本のオーディオに、どこか近い雰囲気を感じとれるからだと思っている。

いろんなモノが揃っている。
玉石混淆といえば、そうであろう。
こんなモノまで、といいたくなる製品もあったりする。

それでも、別の意味で、こんなモノまで、という製品もある。
勢いというか、エネルギッシュとでもいおうか、そんなところに興味を惹かれる。

韓国のオーディオは、私の調べ方が悪いのかもしれないが、
そんな面を見出せない。
どこか、そんな時代は過ぎ去った(もしくはなかった)とでもいいたいのだろうか、
中国のオーディオと比較すると、どこかすましているかのようでもある。

それに中国のオーディオに、どこか実用的なところも感じている。
ここが、目を離せない点でもある。

別項で「五極管シングルアンプ製作は初心者向きなのか」を書いているが、
(その1)、つまり書き始めたのは2015年5月である。六年前である。

そのころは、ここまで中国のオーディオにおもしろさを感じていなかったし、
AliExpressも知らなかった。
それに中国の真空管アンプが、真空管は単なる飾りでしかなかった製品があって、
どこか醒めた目で見てしまっていた。

私は賀中国のオーディオに関心をもち始めたのは、三年ほどである。
この三年間、真空管アンプはかなりおもしろく、そして実用的になってきている。

五年前に、真空管アンプが欲しければ、
予算が限りがあれば、自作するか中古品を手に入れるぐらいだった。

それがいまや中国の真空管アンプの品揃えは、なかなかである。
真空管を製造している会社がいくつかあるのだから、
それも当然といえば当然なのだろうが、自作するにしても完成品にしても、
なぜ、こんな価格で? といえるほど安価だ。

Date: 3月 26th, 2021
Cate: 「本」

オーディオの「本」(近所の書店にて・その8)

その本(雑誌)を、どのコーナーに置くのか、
書店によって微妙に違ってくることがある。

オーディオ雑誌も、書店によって違うことがある。
最近、近所の書店に寄ったときに、いつものコーナーに無線と実験がなかった。

この書店は(その1)で書いている書店である。
なので、ついに無線と実験の取り扱いをやめたのか、と思った。

でも、もしかするとコーナーを変えたのかも、と思い、
トランジスタ技術がある技術関連の雑誌のコーナーを見たら、そこにあった。

書店によっては、トランジスタ技術と無線と実験は同じコーナーにあったりする。
なので、珍しいことではないのだが、
先月号まで音楽関係の雑誌コーナーにあったのに、技術関係の雑誌コーナーへの移動。

無線と実験を知っている人にとっては、
取り扱ってくれれば、それでいい、ぐらいのことだろうが、
オーディオに興味を持ち始めたばかりの人にとっては、この変更はどうなのだろうか。

その書店では、ステレオサウンド、ステレオなどのオーディオ雑誌は、
音楽関係の雑誌コーナーにある。
無線と実験も、先月号まではそこだったのが移動した(された)ということは、
その書店の人は、無線と実験をオーディオ雑誌とは見做していなかったのか。

オーディオに関心をもち始めた人が、
技術関係の雑誌コーナーまで見るとはかぎらない。

音楽関係の雑誌コーナーだけしか見ないかもしれない。
そうなると無線と実験は、その人の目に留らないことになる。

一軒の書店にしか行かない、ということはあまりないから、
そんなことどうでもいいことだ──、そんなことを言う人は、
おそらく東京とか大阪などの大都市に生れ育った人だろう。

田舎だと、近所に書店が一軒しかないこともある。

Date: 3月 26th, 2021
Cate: オーディオマニア

オーディオマニアとして(圧倒的であれ・その8)

オーディオマニアを自認するのであれば、圧倒的であれ──、
というのは、私の本音だ。

周りのオーディオマニアを挑発するほどに圧倒的であり、
周りのオーディオマニアのレベルを上げていくほどに圧倒的ということだ。

Date: 3月 25th, 2021
Cate: ディスク/ブック

ARTURO TOSCANINI -PHILHARMONIA ORCHESTRA- BRAHMS(その2)

TIDALで聴くことができる“ARTURO TOSCANINI – PHILHARMONIA ORCHESTRA – BRAHMS”も、
おそらくはテスタメントのマスタリングが使われているのだろう。

今日、二十年分ぐらいに、トスカニーニとフィルハーモニアのブラームスを聴いた。
昔聴いた音が驚くほど鮮明になっているわけではないが、
特に不満はないぐらいによくなっていると感じた。

そのこともあってだろう、昔聴いた印象よりも、ずっといい。
福永陽一郎氏がいわれるように、素晴らしいブラームスである。

オーケストラがイギリスということもあるのだろう、
自発的なしなやかさが、NBC交響楽団とのブラームスに加わっているような感じがする。

そしてMQAのよさは、トスカニーニの指揮の特徴をうまく引き出しているのではないだろうか。
トスカニーニの指揮の特徴は、これまでに聴いた録音だけでなく、
トスカニーニについて書かれた文章からも、知識として得ているところがある。

確か、福永陽一郎氏は、トスカニーニ/フィルハーモニアのブラームスでは、
トスカニーニの最良のところが発揮されている、と書かれていた、と記憶している。

今日、MQAで聴いて、そうだそうだ、と首肯けた。
トスカニーニの最良のところを、今日、再発見したのではないだろうか。

TIDALにMQAで配信されていなかったら、
テスタメント盤かワーナーのボックスのどちらかを、いつかは買っただろう。

どちらであっても、昔私が聴いた盤よりはいい音なのだろう。
そう思いながらもMQAで、今日聴けて幸いだった。

Date: 3月 25th, 2021
Cate: ディスク/ブック

ARTURO TOSCANINI -PHILHARMONIA ORCHESTRA- BRAHMS(その1)

福永陽一郎氏の「私のレコード棚から──世界の指揮者たち」(音楽之友社)。
トスカニーニを、これほど貶した文章は、他で読んだことがない。

福永陽一郎氏は、トスカニーニ/NBC交響楽団の録音をまったくといっていいくらいに、
全否定されていたけれど、
トスカニーニとフィルハーモニアによるブラームスの録音だけは、絶賛されていた。

1980年代のレコード芸術の特集、名曲・名盤でも、
福永陽一郎氏はブラームスの交響曲のところで、
トスカニーニ/フィルハーモニア盤を、高く評価されていた。

どちらも手元にないので正確な引用ではないが、
トスカニーニに関しては、フィルハーモニアとのブラームスだけを聴いていればいい──、
そんな感じのことを書かれていたはずだ。

ここまで書かれていると、興味がわく。
そのころアナログディスクで、トスカニーニ/フィルハーモニアのブラームスは出ていた。

買って聴いた。
演奏の前に、音が貧相だったのが気になった。

福永陽一郎氏のように断言できるほど、当時はトスカニーニの演奏を聴いていたわけではなかった。
でもトスカニーニが残した録音のなかでも、フィルハーモニアとのブラームスは、たしかにいい。

あとすこしだけ音が良好であったならば……、そう感じてもいた。

当時、トスカニーニはRCA専属だったため、
フィルハーモニアとの演奏の録音は発売できずに、
プロデューサーのウォルター・レッグがマスターテープを所有したままだった。

それでもなんらかのコピーがレコードとして発売になっていた。
2000年に、イギリスのテスタメントが、
ようやくレッグ所有のマスターテープを元にCD復刻をした。

2020年、フィルハーモニア創立75周年のCDボックスが、ワーナーから発売になった。
トスカニーニのブラームスも含まれていた。
このボックスでも、テスタメントによるマスタリングが使われている。

気にはなっていたが、どちらも買わないままだった。
さきほどTIDALで検索してみた。

あった。
トスカニーニ/フィルハーモニアによるブラームスが、MQA(44.1kHz)であった。

TIDALを使うようになってすぐに検索したときは、なかった(私の見落しかもしれないが)。
それが、いまはある。

Date: 3月 24th, 2021
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(iPhone+218・その17)

インターネットで検索、
検索結果のURLをクリック。
そのウェブサイトで、またリンク先をクリックすることはままある。

つまりはネットサーフィンである。
インターネットが普及しだしたころは、ネットサーフィンがあたりまえに使われていたけれど、
いつのころからはすっかり死語になっているようだ。

私がインターネットを始めたのは1997年だった。
そのころはまだGoogleがなかった。

ヤフー(そのころはディレクトリによる検索だった)、それからgooを使っていた

それでもネットサーフィンしてしまった、といえるぐらいにあれこれ、
いろんなウェブサイトを見てまわっていた。

いまはそんなことは、ほぼない。
なのにこんなことを書いているのは,TIDALで、あれこれ検索しては、
いろんな音楽を聴いていて、これはネットサーフィンそのものだ、と思ったからだ。

roonがあれば、それはGoogleが登場したのと同じくらいに、
より深く広くネットサーフィンができるようになるのだろうが、
いま私がやっているTIDALでのネットサーフィンは、Google以前のそれに近い。

おもしろいもので、スピーカーで聴いていると、
TIDALでのネットサーフィンは、ほぼやらない。

TIDALでのネットサーフィンをついやってしまうのは、
きまってiPhoneとヘッドフォンで聴いているときである。

なぜなのか、いまのところよくわからない。

Date: 3月 23rd, 2021
Cate: 「ルードウィヒ・B」

「ルードウィヒ・B」(ジャズ喫茶の描写・その2)

二ヵ月ほど前、ある繁華街にいた。
私の前を、あるカップルが歩いていた。

20代なかばごろのように見えた二人だった。
男のほうが、あるビルを指さして、
「ここ、けっこう有名なジャズ喫茶なんだ」と相手の女性に話しかけた。

「じゃ、話せないんだ」と女性。
それでジャズ喫茶に関する会話は終っていた。

男性は、そのジャズ喫茶に彼女と二人、入ってみたかったのかもしれない。
そんな感じにみえた。

けれど、女性の一言で、あっさり却下された。

ジャズ喫茶では黙って、音楽(ジャズ)を聴いていなければならない、
そういう認識が一般的なのだろうか。

そうだから「じゃ、話せないんだ」で、ジャズ喫茶に関する会話は終ったわけだ。

この若い二人のジャズ喫茶への認識は、どこからの影響なのだろうか。
何によってつくられたものなのだろうか。

そういうジャズ喫茶があるのは事実だが、
そうではないジャズ喫茶も、東京にはある。

Date: 3月 23rd, 2021
Cate: 「ルードウィヒ・B」

「ルードウィヒ・B」(その11)

すべてのマンガがそうだとはいわないが、
マンガのなかには、バックグラウンドに音楽が流れているように感じる作品がある。

いまの時代、マンガの数はとにかく多い。
マンガ雑誌だけでなくウェブでも公開の場が広がったことにより、
いったいどれだけのマンガがあるのかは、もうわからない。

なので音楽を感じさせる、
音楽が通底しているとなんとなく感じられるマンガが、
全体のどの程度の割合なのかも私にはわからない。

それでも描き手が意識しているのかどうかすらも私にはわからないが、
音楽が流れていると感じるマンガが昔からあるのだけは確かにいえる。

ただ、そのマンガにしても、すべての人がそう感じるかといえば、これもまたなんともいえない。

コマとコマとをつないでいくのが、音のない音楽のようにも感じる。

そういえば、萩尾望都が、こう語っている。
     *
漫画は、読み進めている内は思考するところは働いていなくて、じゃあ何が動いているんだっていったら、音楽を聴くような情動系がずーっと働いている感じがします。
(「萩尾望都 少女マンガ界の偉大なる母」より)
     *
世の中には、マンガを頭から否定する人がいる。
音楽好きを自称している人であってもだ。

それはそれでいい。
おそらく、そういう人は、マンガから音楽、
それがなにかの音楽なのかは、ほとんどの場合、わからないけれど、
確かに感じるものが流れていることをまったく感じとれないのであろう。

念のため書いておくが、
だからといってマンガから音楽を感じとれるかどうかが、
音楽の聴き手としてどうかということではない。