Archive for category テーマ

Date: 12月 16th, 2021
Cate: 表現する

オーディオ背景論(その5)

最近の、というか、もう少し前からなのだが、
人気マンガの連載期間が、
私が中学生、高校生だったころとくらべると、かなり長くなってきている。

あのころは単行本も十巻までいかない作品がけっこうあった。
二十巻をこえる作品は、そうとうに長い、という感覚であった。

ところがいまでは五十巻超えの作品はけっこうあるし、
百巻超えの作品も珍しくなってきている。

その理由は、一つではなくて、いろんなことが絡み合ってのことなのだろう。
でも、ここでテーマとしていることと関連していえることは、
背景の描写が緻密になるとともに、
作品の連載期間の長期化があたりまえのこととなってきた──、と。

背景描写が緻密でない作品でも、
たとえば「サザエさん」のように長期の連載、五十巻をこえる単行本という作品はあった。
「サザエさん」は四コマ・マンガなので、同列には比較できないところもあるのはわかっている。

それでも、背景の描写の緻密化と連載の長期化は、無関係とは思えない。

Date: 12月 16th, 2021
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その23)

トロフィーオーディオとして選ばれたスピーカーは、
いかなるモノであったとしても、
そして、そのスピーカー(トロフィースピーカー)で聴く人がどういう人であったところで、
心に近い音は、絶対に聴くことはできない。

Date: 12月 15th, 2021
Cate: ディスク/ブック

バーンスタインのブラームス第一番

TIDALで音楽を聴くようになってから、
クラシックに関しては、同じ曲を、別の演奏家で聴くことがものすごく増えた。

いままでもこういった聴き較べはしていたといえばそうなのだが、
それほど積極的ではなかった。

なのにTIDALでは、そうとうにやっている。
12月はブラームスの交響曲第一番を、ほぼ毎日聴いていた。

バーンスタイン/ウィーンフィルハーモニーを聴いたのがきっかけだった。
この録音を、発売当時に聴いて、バーンスタインに夢中になった。

ドイツ・グラモフォンではブラームスの前に、
同じウィーンフィルハーモニーとによるベートーヴェンの交響曲全集があった。

高く評価されているのは、知っていた。
聴いてみたい、という気持はったけれど、すぐには手を出すことはなかった。

なのにブラームスに関しては、発売されてすぐに買って聴いた。
いまも聴いているわけだから、その時も、素晴らしい演奏だ、と感じていた。

特に四楽章を聴いて、バーンスタインって、こんなに素晴らしい指揮者だったのか──、
お前の認識不足だよ、といわれようが、そう感じたことを、いまもはっきりと憶えている。

素晴らしいだけではなく、美しいのだ。
オーケストラがウィーンだから、ということもあるのはわかっている。

今回久しぶりにバーンスタインのブラームスを聴いて、あらためてそう感じて、
それがきっかけで、他の指揮者のブラームスの一番を次々と聴いていくことになった。

いままで聴いてきた指揮者だけでなく、初めての演奏(録音)もけっこうあった。
いいな、と感じた演奏を聴き終ったあとには、
バーンスタインをまた聴いていた。

そんなことを飽きもせず、12月の半分を過ごしていた。
結論は、やっぱりバーンスタインのブラームスはいい、ということ。
それも四楽章の美しさは、私にとって格別だ、ということ。

三十数年前に感じたことを確認しただけ、ともいえる。

Date: 12月 15th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その16)

Kindle Unlimitedで読めるようになるまで待つつもりだったけれど、
ステレオサウンド 221号のベストバイで、JBLの4309がどう扱われているのか、
それだけが気になって、このところだけを立読みしてきた。

4309の評価はまずまず高かった。
黛 健司氏が、220号での新製品紹介記事に続いて、コメントを担当されている。
まぁ、そうだろうな、と思う。

その文章には、八城一夫、ベーゼンドルファーと出てくる。
ベストバイの一機種あたりのコメントの文字数は少ない。
その制約のなかでの表現なのはわかっている。

それでも、八城一夫、ベーゼンドルファーが、何を意味しているのか、
すぐにわかるのは、私ぐらいがぎりぎりの世代であろう。

私より若い世代になると、何のことだろうか──、となるであろう。
いうまでもなく菅野先生録音のことである。

オーディオラボのレコード(録音物)を聴いてきた、
少しでもいい音で鳴らそうとしてきた人ならば、
八城一夫、ベーゼンドルファーが意味するところを掴める。

こういう書き方をした黛 健司氏に対して何かをいいたいわけではない。
この文章をそのまま掲載したステレオサウンド編集部に、何か言いたいわけでもない。

ただ、そのまま掲載したということが意味するところを考えてみてほしい。
それで意味がわかる人が多い、という判断なのだろう。
つまり、ステレオサウンドの現在の読者の中心年齢層がどこなのか、である。

Date: 12月 14th, 2021
Cate: アンチテーゼ

アンチテーゼとしての「音」(その17)

清潔な音をめざし、清潔な音を出している──、
そう自負している者は、
清潔であることを損う音は、一切出したくなかった。

つまり聴きたくなかったわけだ。

汚れた音、不清潔な音、雑な音──、
そういった類の音はいっさい出したくない(聴きたくない)。

そのため、そういった類の音を排除するようにつとめる。
けれど、ほんとうに排除できるのか。
本人は、排除できると思っていたであろうし、
排除できていた、と思い込んでいた。

でも、それは清潔な、と本人が思っている音で、覆い隠していただけかもしれない。
いくらは排除できていたとしても、残っていたのが、
澱のようにその奥(底)に、溜っていたようにも感じることがあった。

ほんとうのところは、清潔な音をめざしていた本人も、
その音を幾度となく聴いた私にもわからないのかもしれない。

Date: 12月 14th, 2021
Cate: ジャーナリズム

オーディオの想像力の欠如が生むもの(その74)

オーディオの想像力の欠如した者は、過去と直向きになれそうにない。
直向きになれる者の背中にだけ未来がある。

Date: 12月 13th, 2021
Cate: 日本のオーディオ

S氏とタンノイと日本人(番外)

別項「ワイドレンジ考(その83)」で、
登場したばかりのタンノイのKingdom Royalの外観にがっかりしたことを書いている。

オリジナルのKingdomは、いまでも自分の手で鳴らしてみたいスピーカーの最右翼である。
それに外観も気に入っている。

Kingdom Royalの音は聴いていない。
Kingdomよりも、いい音に仕上がっているのかもしれない。
そうであったとしても、私はKingdomの方が断然いい。

タンノイは、なぜ、こんなふうにKingdomを変えてしまったのか。
それがずっと心にひっかかっていた。

ソーシャルメディアを眺めていると、
オーディオ関係の写真が、けっこう登場してくる。

つい先日、ある写真が、そんなふうに目に留った。
Kingdom Royalがあった。
二基のKingdom Royalのあいだには、エソテリックの一連の製品群がある。

この一枚の写真をみて、納得がいった。
お似合いなのだ。

褒め言葉で、「お似合い」を使っているのではない。

Date: 12月 12th, 2021
Cate:

ふりかえってみると、好きな音色のスピーカーにはHF1300が使われていた(その11)

グラハムオーディオのLS5/1の復刻が、
なぜか日本の輸入元のウェブサイトに載っていて、
その価格が3,000,000円なのは高い、と思うけれど、
グラハムオーディオのサイトにLS5/1が載っていないということは、
もしかするとLS5/1の復刻モデルは、日本にある1ペアだけなのかもしれない。

何の確証もないので、他にも存在している可能性もある。
けれど、仮に1ペアだけしか存在してなくて、
その1ペアが日本にある、ということであれば、3,000,000円(税抜き、ペア)も、
希少価値を重視する人にとっては、むしろ安いと感じられるのかもしれない。

Date: 12月 11th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その15)

来週月曜日に、ステレオサウンド 221号が出る。
けれどKindle Unlimitedで221号が読めるようになるのは先のことで、
たぶん来年になってからのはず。

なので217号から220号までの四冊をKindle Unlimitedで読み返して、
2021年に登場した新製品で、どれをいちばん聴きたいのかをふり返っていた。

私が聴きたいと思ったのは、JBLの4309である。
220号の新製品紹介で、黛 健司氏が書かれている。

4309の黛 健司氏の文章は、いい。
黛 健司氏の文章すべてがそうだとは言わないけれど、
読んでいると、瀬川先生の文章をよく読んでいる人の文章であり、
ただ読んでいるだけでなく、よく研究している人の文章でもある、と感じることがある。

4309の文章が、まさにそうだった。
ゆえに聴きたい、と思わせてくれた。

Date: 12月 11th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その14)

CR方法については、何度も書いてきている。
2020年いっぱいで終ってしまったaudio wednesdayでは、
CR方法のあるなしの音の変化を、何度か聴いてもらっている。

今年は、CR方法についてのメールを、数人の方からいただいた。
実際に試してみて、効果があった、というメールが数通。

試してみたいけれど、
既製品のスピーカーをいじることには抵抗を感じる、というメールもあった。
そうだろうなぁ、と思うし、同じ人は少なくないとも思う。

友人の一人も、ようやくやってみた、と言っていた。
効果に驚いた、とも言っていた。

とにかく今年はCR方法への反応があった。

Date: 12月 11th, 2021
Cate: オーディオ評論

ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(先生という呼称・その2の補足)

その2)で、ラジオ技術 1957年5月号の「誌上討論会 OTL是非論」に触れた。

いま書店に並んでいるラジオ技術(2022年1月号)の復刻コーナーに、
「誌上討論会 OTL是非論」が載っている。

Date: 12月 10th, 2021
Cate: スピーカーの述懐

あるスピーカーの述懐(その22)

心に近い音がある。心に遠い音もある。
耳に近い音がある。耳に遠い音もある。

耳に近く、心に遠い音がある。
耳に遠く、心に近い音がある。

耳に遠く、心に遠い音と耳に近く、心に近い音ならば、
耳に近く、心に近い音を、誰もが選ぶだろう。

まさか耳に遠く、心に遠い音を選ぶ人はいないはずだ。

耳に近く、心に遠い音と耳に遠く、心に近い音。
どちらをとるのかは、人によってわかれるように思う。

この選択が、パッシヴな聴き手とアクティヴな聴き手の別れ道なのかもしれない。

Date: 12月 9th, 2021
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるエリザベート・シュヴァルツコップ(その5)

今日(12月9日)は、エリザベート・シュヴァルツコップの誕生日。

エリザベート・シュヴァルツコップを聴いていた。
モーツァルトの“Ch’io mi scordi di te?… Non temer, amato bene, K. 505”を聴いていた。
MQA Studio(96kHz)である。

ここ数日、あらためてシュヴァルツコップ以外の、この曲の歌唱を聴いていた。
よく知られるのは、テレサ・ベルガンサである。

ベルガンサの「どうしてあなたを忘れられましょうか」も、久しぶりに聴いた。
ベルガンサの歌唱をいちばんに推す人が多いのは知っている。

他にも、新しい人の歌唱も聴いた。
それでも私にとってはシュヴァルツコップの歌唱が、
いちばん胸に響く。

それはマリア・カラスの「清らかな女神よ」がそうであるように、
と同じように、シュヴァルツコップの歌唱がそうである。

何度も「清らかな女神よ」は、
マリア・カラスの自画像だ、と書いている。

では「どうしてあなたを忘れられましょうか」は、
シュヴァルツコップの自画像なのか、という自問があった。

黒田先生が「音楽への礼状」で書かれていることを思い出した。
     *
 あなたは、ノルマであるとか、トスカであるとか、表面的には強くみえる女をうたうことを得意にされました。しかしながら、あなたのうたわれたノルマやトスカがききてをうつのは、あなたが彼女たちの強さをきわだたせているからではなく、きっと、彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしているからです。
 ぼくは、あなたのうたわれるさまざまなオペラのヒロインをきいてきて、ただオペラをきく楽しみを深めただけではなく、女のひとの素晴らしさとこわさをも教えられたのかもしれませんでした。
     *
ここでの「あなた」は、マリア・カラスのことである。
ここで書かれていることが、
そっくりそのままエリザベート・シュヴァルツコップにもあてはまる、とは思っていない。

けれど、《彼女たちの内面にひそむやさしさと、恋する女の脆さをあきらかにしている》、
ここのところが、シュヴァルツコップの歌う「どうしてあなたを忘れられましょうか」には、
はっきりと感じられる。

シュヴァルツコップのほかの歌唱からは感じとりにくいことが、
「どうしてあなたを忘れられましょうか」にはっきりとある──、
と私の「耳」にはそう聴こえるのだからしょうがない。

だから、私は「どうしてあなたのことが忘れられましょうか」は、
エリザベート・シュヴァルツコップの自画像だ、と思っている(確信している)。

Date: 12月 9th, 2021
Cate: 1年の終りに……

2021年をふりかえって(その13)

別項「オーディオの想像力の欠如が生むもの(その72)」で、
ゲスの勘ぐり、と書いた。

「バカの壁」は、養老孟司氏、
「アホの壁」は、筒井康隆氏。

そろそろ、誰か「ゲスの壁」を書いてくれてもよさそうなのに……、
そんなことを何度か感じた一年でもあった。

Date: 12月 8th, 2021
Cate: アンチテーゼ, 平面バッフル

アンチテーゼとしての「音」(平面バッフル・その7)

十年ほど前に、QRDの拡散型を前後逆にして、
平面バッフルにしたら──、ということを書いている。

QRD(当時はRPG)が登場したころから、そんなことを考えているのだから、
もう四十年くらい経つわけだが、試したわけではない。

友人が、平面バッフルに鳴らしている人に、このアイディアを話した、とのこと。
興味を持ってくれたようで、実行するようだ、という連絡が昨晩あった。

2m×2mのバッフルをQRDの拡散型で構成する、らしい。
すごい、と思う。

完成した暁には、ぜひ聴かせてほしい、と友人には伝えた。
それがうまくいったら、私もやっと重い腰をあげることになるのだろうか。