Date: 1月 14th, 2022
Cate: 老い
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老いとオーディオ(若さとは・その8)

心に近い音について、あれこれ書いているところだ。
耳に近い音より心に近い音──、
私が嫌う老成ぶる若いオーディオマニアのなかには、
心に近い音を求めています、という人がきっといるように思えてならない。

若いうちから、心に近い音がほんとうにわかるものだろうか。
私は、この三年ほどぐらいから、心に近い音をなんとなく考えるようになってきて、
すこしばかり自信をもって心に近い音と書けるようになってきた。

若いオーディオマニアにいいたいのは、
若いうちから心に近い音を求めることはやらないほうがいい。

耳に近い音を求めてもいいのだ。
むしろ積極的に求めていってもらいたいぐらいだ。

その耳に近い音にしても、さまざまな音を求めて、そして出してきてこそ、
ようやくわかることのはずなのだ。

無理に、自分自身を小さな枠にはめ込もうとしない方がいい。
小さな壺のなかにこもってしまい、孤高の境地を味わうのが老成ぶることなのかもしれないが、
そんなことを若いうちにやっていて、何になるというのだ。

若いうちはお金もあまりなかったりする。
そのため、あえてそういうところに身をおいて、自分を誤魔化し続けているのが、
ラクといえば楽なのだろう。

それでしたり顔ができるのならば、その人的には満足なのかもしれない。
でも、それはオーディオでなくてもいいはずだ。

あえて、いまの時代にオーディオを趣味としているのであれば、
無茶無理をしてほしい。老成ぶるのだけはやめてほしい。

そんなオーディオをやっていては、どんなに齢を重ねても、
心に近い音は見つけられないようにおもえてならないからだ。

1 Comment

  1. TadanoTadano  
    1月 22nd, 2022
    REPLY))

  2.  大変恐縮ですが、宮崎さんは具体的に何歳くらいになれば人は老成さを周囲に示してもよいとお考えでしょうか?
     私は、若者が老成ぶることについては、ごく自然な成長の過程を示すものであり、自然なことなのではないか感じています。
     岡潔は彼が62歳の時に出版した「春宵十話」の中で「すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎる方がよい」と述べました。たしかに、生物学的見地から見ても、成長期が長いほうが知能の発達にのびしろがあることは疑う余地はありません。
     「孔子は四十にして立つ」とよく聞いたものです。孔子でも40でやっと立ち上がったのかと子供心に思ったものでした。ですがそれも、今考えてみれば大器晩成というのは生物学的に見れば、知能の高さを示す要素のひとつだったわけです。
     孔子が大器晩成型かどうか分かりませんが、年齢的に見た一般的な老成のラインとはどのあたりにあるのでしょうか。ネオテニー度の強い東アジア人は、コーカソイドやニグロとはちょっと違うかもしれませんが、平均すれば、おおよそ40歳あたりが初老、つまり老成への入り口と言えるのではないかと思っています。
     たとえば、世阿弥は風姿花伝を40前後で記しました。その中で、彼は歳を重ねること、老いることについて徹底的に語りました。ニーチェはツァラトゥストラの第一巻を39歳で発表しています。人が真面目に生きれば、このあたりの連例というのが、人間が成熟を過ぎ老成に入る頃合ではないでしょうか。コルトレーンが至上の愛を発表したのも39歳でした。
     初老、すなわち40前後というと、中年の盛りも過ぎる年齢です。ちょうど私が今そのくらいの年齢ですが、どうしたことでしょう。私が今、この齢にして思うのは、いかに自分の積み上げてきた徳や華というものが幼稚で未熟であるかということです。
     子供の頃は四十というと年寄りだと思っていました。もう少し落ち着きのある初老になるつもりだったことを思い出しながら、そろそろ私も老成の手習いを始めようかと思っているところです。
     私事ですが、私の家系は男たちがそろって短命で、50くらいには命を落とします。そんな家系の生まれですから、私くらいの年齢にもなると、死を意識するようにならざるをえません。
     数年前の従兄弟の死のあと、兄は墓を立てました。お前も準備しておけと言われたものですが、実のところ、なかなか重い腰が上がらなのが実情です。もう初老の齢、そろそろ老成の準備に入らなくてはという思いではいるのですが、死を身近に感じることがまだまだ恐ろしいと思うのは、自然から遠ざかってしまった現代人の心の逃避かもしれません。
     まだまだこの世に執着がある私とは対照に、世の中には神童と呼ばれる人も大勢いらっしゃいます。
     ボブ・ディランがフリー・ホイーリンを発表したのは22か、23の頃だったかと思います。成人してますから、神童というほどではありません。しかし、彼の当時の年齢に比較すれば非常に成熟した内容のアルバムを作ったと思えます。普通の学生なら恋にバイトに大忙しという年齢です。実際のところ、本物の老人でも「あなたはそれでも老人か」と言いたくなるほど若作りで頭がいっぱいという人が多いのも現実です。まことに嘆かわしいことですが、人間とはそんなものでしょう。
     1960年代ころのディランは才能ある若者でした。詩人のアレン・ギンズバーグと対等に議論を交わす知性溢れる詩人であり、インタビュアーに対しは雄弁に振る舞い、確固とした意見と哲学を持っているようでした。どの時代の一般的な23歳の青年と比べても、その頃のディランの成熟の度合いの高さは目を見張るものです。
     私は、子供でも心に近い音が分かると信じています。心を知るのは老人の特権ではないと思うからです。高齢社会ですから、老人のアイデンティティーの保全のためには、老人にしか感じられない世界や、老人ならではの価値を見出そうとする姿勢も大事だとは思うのですが、それとはもっと違う角度に老人の世界やその価値というのを見出したほうが良いような気がします。
     私は、いくらか楽器をたしなみ、作曲も行うのですが、今の私よりはるかに音に対し深く理解していると思える少年や、少女は数を知れません。もちろん、下を見ても切りはありません。世の中には色んな面白い方が大勢いらっしゃいます。
     ちなみに芸事では実際の年齢ではなく、芸暦によって関係性の上下が決まる世界というのがありますよね。芸暦の長い人には、例え相手が子供でも、頭を下げ敬語で話すという文化は、我々日本の音楽人には慣れ親しんだものです。これは真摯に道を極めし者に対する敬意の表しだと理解しています。

     閑話休題。本を読んでも音楽を聴いても、何の影響も受けず、まったく成長の見られない人がいる一方で、普通の人ならば煩わしいと思うような蛙の鳴き声を美しい楽音のように感じることができたり、自然の中の些細な生き死にからも、もののあはれや、ものの理を知る人もいらっしゃいます。教育の現場を見ると、人の成長とはまことに様々であることが分かります。おぼれている蚊を助けようという子供もあれば、戦争映画を笑って見る子供もいます。
     老成ぶる若者に対する私の意見はこうです。私が思うに、若者が老成ぶるというのは遊びだ言うことです。そして、人が老成ぶるという遊びに耽るということは、人間の中に本質的に備わっているものなのではないかと考えるのです。

     「ずっと子供でいたい」と歌う玩具店のテレビ・コマーシャルがありますが、私は以前よりこれに違和感を感じていました。ヨハン・ホイジンガが言うように、人間は遊びによって叡智を育み、文化を築いてきたものと信じています。本物の子供は「子供でいたい」などとは思わないものです。むしろ、本物の子供は常に大人になろうとしているものです。真に純粋な子供は、大人の真似をするのが大好きです。ですから、私にはあのコマーシャルが、大人目線で見た真実とは異なるものに写るのです。いうなれば、エセ子供を描いているようにも感じられるのです。
     子供が思春期を迎えると、冷笑主義を身につけるようになります。その時、少年は大人の真似を中断します。第二次反抗期です。これには「自我を身につけ、社会の不条理や改善点に目を向けさせる」という役割もあります。父殺しは古代の神話の中でもたびたび登場します。農耕や貨幣がある社会の場合、社会が発展するために必要なことなのでしょう。スター・ウォーズが我々の心を打つのも、父と子という普遍的な確執を描いているからでしょう。少年は青少年となったとき、世界を疑問視し、そののちに、自らの冷笑主義から解放され、再び成長を再開します。これが成熟です。
     ニーチェは、成熟について次のように述べていました。「成熟とは、子供のとき遊戯の際に示したあの真剣味をふたたび見出したことである」つまり、冷笑主義の殻を脱ぎ捨て、自らの意思で再び成長しようと遊び耽る姿こそが、曰く成熟した人間の姿というわけです。

     ところがつい先日、妙な話を耳に挟みました。先ほど言いましたこの後期思春期からの卒業が、近代の日本においては40代後半にまでもつれ込んでしまうのだというのです。現代の日本人は、第二次成長が終わっても思春期の青少年が好むような映画や小説に耽り、中年としての文化を取り入れようとしない。そのようにして、現代人は精神を成長させないようにすると言うのです。まるで現代人にとって大人になるということは、思春期の冷笑主義から卒業することではなく、思春期そのものになることであるかようです。どういった理屈でそのようなことが起きているのかは分からないのですが、もしかしたらサイバースペース上に蔓延している冷笑主義的思想が、我々社会に影響しているのかもしれません。あるいは、それとはまた違ったところに、ことの真相は見つかるのかもしれません。
     あるいはこのような疑いも考えられます。不景気とサイバースペースの拡大によって我々大人が「おれたちは頑張っているから、おれたちを敬え。大人になると辛いことばかりで、我慢ばかりで、不幸になるんだ、おれたちはその辛さに堪えてる。だから尊敬しろ。だけど、老人になるとみすぼらしくて、加齢臭は臭くて、だから、永遠にピチピチのギャルでいるのが人間にとって幸せなんだ。」
     そんな矛盾したメッセージを、繰り返し繰り返し刷り込まれた子供たちは、やがて成熟を否定した大人になり、後期思春期を長期化させようとするのではないでしょうか。それが現代の経済社会の末期的な様相と言えるものなのかも知れません。また、この閉塞した現代人の「謙虚になれという言葉で人々をコントロールしようとするその謙虚でない態度」は、無下に人の幼稚さを助長しているようにも思えてなりません。
     マッカーサーが戦後日本に降り立った時、「この国の国民の精神年齢は14歳だ」と言った―。という話を聴いたことがあります。もしかしたら、この現象の発端は戦前の「産業化のために急ぎすぎた公共教育」にあったのかも分かりません。
     後期思春期の長期化が今後どのような影響を世界に与えるのかは分からないことです。ただ、本来的に言えば、若者というのは老成ぶる人もいれば、若者ぶる人もいる―というのが自然ではないでしょうか。世の中に善と悪があり、そのために偽善者もいれば偽悪者も存在するように、相反するものが互いに均衡し存在するのが世の理であるように、私は思います。
     昔、ウルルン滞在記というテレビ番組がありました。世界の僻地へ行き、タレントや芸能人が数日現地の生活を体験するというドキュメンタリー番組でした。そこに出てくる未開の地や、近代教育を施されていない場所で育った若者達は、口をそろえたようにこう言っていました。「はやくお父さんのように立派な男になりたいんだ」それもキラキラと目を輝かせて何の疑いもなくそう言うのです。そのような現代人は本当に少なくなりました。彼らの目には老成した父への強い憧れに燃えています。それは人間の素朴でほほえましい自然な情景でした。産業革命以降、公共教育によって失ってしまった人間の本来の姿を、私はそこに見たような気がしました。
     浅間山荘事件より前の学生には、まだ日本にもそういう可愛い若者が残っていたのではないかと想像します。今も、メジャーではありませんが絶滅したわけではありません。ただ、資本主義が一本化されてからは稀有な存在となったと言えるのは言えるのでしょう。若さ至上主義の今の世の中には、「そんな若者がいたら気持ち悪いな」と思う人もいらっしゃるでしょう。ですが、子供の頃より大人たちに囲まれ、大人たちに愛され育ったという若者は、今でもいるようです。そういう方々は、愛されて育った分、老成への憧れが強いように思います。ディランにしてもトム・ペティにしても華奢で可愛い顔をしていました。きっと周囲の大人たちに愛され育ったのでしょう。ジプシーの音楽はこの手の自由人が多い気がします。ジプシーですから親が音楽家で、子も音楽が大好きという、かなり古風な教育形態ですね。江戸時代の職人のような。彼らには、親に生意気だぞと罵られ、ジェネレーションのギャップと戦ってきた近代タイプとは、また一味違った成長ぶりを示すものです。古いところですがヴァイオリニストのアルフレード・カンポーリの奏でる音色に、全時代的な率直な自由さを感じます。
     私は老人の特権を迫害したいわけではありません。しかし、老成ぶる若者を寛容な目で眺めるのが、真に老成した人物ではないのかというのが私の意見です。いかがでしょう。大変恐縮ではありますが、角度を変えてご覧になられてはと思うのです。リビドーに突き動かされたパンクな若者も可愛いものですが、ディランのように周囲のおじ様たちに憧れながら、老成まっしぐら駆け抜けていく姿も、また若者の一つの形だと思うのです。先に述べたことを繰り返すことになりますが、我々人類はホモ・ルーデンスであり、その生き物は、生まれたときから老成ぶるものであり、老成ぶるという遊びを通じて真の老成に至る生物なのだと思っています。
     また、思春期の冷笑主義を引きずった露悪的な悟りが、したり顔の老成に映ることもあるかと思います。これについては、また条件が異なるものと思いますが、人生にはそんな回り道が無駄ではないと思うのです。それは、立派な人の真似をしながら、批判の精神や中庸さを育んでいくことが人間の本質と考えるからです。

    1F

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