老いとオーディオ(若さとは・その10)
(その8)に、Tadanoさんからのコメントがあった。
ぜひ、多くの人に読んでもらいたい。
Tadanoさんのコメントの冒頭に、
《具体的に何歳くらいになれば人は老成さを周囲に示してもよいとお考えでしょうか?》
とある。
こう問われてみて、こんなこと考えたことがなかったことに気づいた。
改めて考えて、いくつでもいいと思うし、
老成さは、果たして周囲に示すものなのだろうか、とも思っているところだ。
Tadanoさんは、
《若者が老成ぶることについては、ごく自然な成長の過程を示すものであり、自然なことなのではないか感じています》
と書かれている。
基本的には私も同じ考えなのだが、
あえて書けば、「若者が老成ぶる」ではなく「若者が背伸びする」と、
私だったら、そうする。
若者が背伸びすることは自然なことだし、
私だって、そうだったし、もっといえば私自身、老成しているとはまったく思っていない。
私が、何度か、しつこいように書いているのは、
老成ぶることについて、である。
それもオーディオに関して老成ぶることに、ついてである。
老成している人について、ではなく、
老成しているオーディオマニア、老成ぶっているオーディオマニアについて、である。
老成ぶっているオーディオマニアを知っている。
彼は20代のころから、そんなポーズをとっていたと、私は感じていた。
若者特有の背伸びであれば、
私にもあんな時期があったなぁ〜、とほほえましくみてられるのだけれども、
彼の場合、そうではなかった。
どんなに好意的にとらえようとしても、彼のは背伸びではなく、
老成ぶっていただけだった。
背伸びと老成ぶるの違いは? となるとうまくいえないもどかしさがあるのだが、
背伸びは、追いつきたい、追い越したい、であり、
老成ぶるは、認められたいの違いではないだろうか。
私が知る老成ぶっているオーディオマニアは、そうだった。