Archive for category ブランド/オーディオ機器

Date: 9月 16th, 2017
Cate: 107, KEF

KEFがやって来た(その4)

KEFのModel 107の不幸は、1986年当時、
輸入元がごく短期間に変った(そのことによる空白もあった)と思うということ以上に、
瀬川冬樹という、最大の理解者が亡くなられていた、ということが大きいと、
いまさらながら思う。

たったひとりのオーディオ評論家の存在が、
どこまでオーディオ機器の評価と売行きに関係してくるのか、
一概にいえないのはわかっていても、まったくないとはいえない。

少なくとも日本におけるModel 105の評価は、
瀬川先生の評論があってのものだ、と私は認識している。

ステレオサウンド 61号で、岡先生が書かれていることを思いだす。
     *
 ぼくの知っている限り、音楽が根っから好きな数すくないオーディオ評論家のなかで、瀬川さんぐらい音楽と演奏の個のみがはっきりしていて、しかもよくききこんでいるひとはいない。それが瀬川冬樹のオーディオ哲学の基礎を形成していた。これが、彼の他にかけがえのないユニークな仕事をなさしめたゆえんでもあった。考え方がまるでちがっていても、理解しあえ、論争をお互いに楽しんできたというのも、音楽という共通の場が存在していたからであった。KEFのレイモンド・クックをはじめ、ヨーロッパのオーディオ・エンジニアリングの専門家に音楽好きが多いから、そういう点で瀬川さんの意見が高く評価されたのは当然である。
     *
ここまで書いて、また思い出すことがあって、
今度はサプリーム 144号をひっぱりだしてきた。

サプリームはトリオ(現ケンウッド)が発行していたオーディオ誌である。
サプリーム 144号の表紙には、「ひとつの時代が消えた 瀬川冬樹追悼号」とある。

ここにレイモンド・クックの「惜しみて余りあり」が掲載されている。
     *
 オーディオ評論という仕事には、天賦の才能と感性との、稀有とも称しうる次元での調和が要求されます。ある人は、この仕事を単なる技術の追求と見做しているようですが、技術的側面のみの追求では、オーディオ製品に不可欠な人間的側面を見失うことになってしまいます。また、ある人は技術的な考察をすべて無視して、まったく主観的なアプローチを試みようといたします。しかしながらこの方法に深入りすると、よくご存知のように、現実の技術的進歩や開発の成果に眼をつむって、音響の神秘的側面のみを語るという陥穽にはまってしまうことになるのです。
 さて、試聴テストと性能測定が終了し、人間工学的追求が終わると、次に、これらすべての情報を明快で魅力的な文章に書きとどめるという、もっとも重要な仕事がまっています。この点についていえば、優れた解説を書くことのできるオーディオ評論家の数はきわめて限られています。
     *
レイモンド・クックの文章は、この書き出しで始まっている。

Date: 9月 15th, 2017
Cate: 107, KEF

KEFがやって来た(余談)

KEFをケフと呼ぶ人は、昔からいた。
なぜケフと、その人たちは呼ぶのか理由はわからない。

KEFはケーイーエフである。
瀬川先生も、熊本のオーディオ店に来られたときに、
「KEFをケフと呼ぶ人がいるけれど、正しくはケーイーエフです」といわれていた。

BSRジャパンの次の輸入元のKEFジャパン。
1988年のステレオサウンドの広告索引をみればわかるが、
ケフジャパンだった。

ケーイーエフジャパンではなかった。
輸入元からしてそうだった。

いまではケーイーエフジャパンになっている。

Date: 9月 15th, 2017
Cate: 107, KEF

KEFがやって来た(その3)

KEFの創立は1961年、
25年目は1986年。

このころはまだステレオサウンドにいた。
だがModel 107を聴いた記憶はない。

1986年に出たステレオサウンドをめくってみたけれど、
新製品紹介ページには登場していない。

Model 104、Model 103、Model 105の時代、
KEFの輸入元は河村電気研究所だった。

1980年ごろ、BSRジャパンにかわった。
はっきりと記憶しているわけではないが、BSRジャパンはKEFの取り扱いをやめたはずだ。
KEFの輸入は一時途絶えていたのかもしれない。

KEFジャパンの広告がステレオサウンドに登場するのは87号である。
1988年になってからだ。
その広告にはUni-Qユニットを搭載したモデルとともに、
Model 107も載っている。ただ扱いとしてはそれほど大きくはなかった。

二年前のモデルなのだし、KEFにとってUni-Qユニットこそ、
これからのKEFを背負って立つ技術なのだから、当然だろう。

なので私にとってModel 107は、写真で存在を知っているだけの存在だった。
しかも1988年は、B&Wの801がSeries2になり、かなり高い評価を得るようになった。

801の、あのスタイルはKEFのModel 105がオリジナルなのに……、と私などは思っていたが、
KEFの、このスタイルは影が薄くなりつつあった。
KEFも、Uni-Qに力を注いでいる印象だったから、
よけいに影が薄くなっていた、ともいえよう。

Date: 9月 14th, 2017
Cate: 107, KEF

KEFがやって来た(その2)

私にとってKEFとは、レイモンド・クック時代のKEFである。
いまのKEFもKEFではあっても、
私のなかでは、どこか違ってしまったKEFである。

どちらがいいかといえば、いまのKEFなのかもしれない。
あのころのKEFはそれほど売れている、という印象はなかった。

いまのKEFの方が知名度は高いし、売行きもいい、と思う。
でも私は、いまのKEFには思い入れはない。

思い入れのないKEFが、私のところに八年前にやって来た。
Un-Qを搭載したトールボーイのモデルだった。

悪いスピーカーという気はさらさらない。
でもレイモンド・クックのいないKEFのスピーカーに対して思い入れをもてない私には、
それこそつまらない音にしか聴こえなかった。

くどいようだが、KEFのスピーカーが悪いわけではなく、
私の聴き方ゆえの問題である。
もうどこまでいっても、私にとってKEFはレイモンド・クック時代なのだ。
そのことを音を聴いて、改めて確認しただけだった。
そのKEFは手元にはない。

確認したとともに、あのころのKEFのスピーカーを欲しい、というおもいが芽生えてきた。
当然、中古しかない。

中古というモノは、売れたモノしか出廻らない。
さほど売れなかったモノの中古は、ほとんどないのが当り前である。

KEFの中古を見たことがないわけではないが、
数えるほどしかない。
Model 105の中古は見たことがない。

いまでこそそんなことはいわれなくなっているが、
当時は、上にモノを乗せられないスピーカーは売れない、といわれていたし、
オーディオ店も扱うのを嫌がっていた、ときいている。

Model 105は、改良モデルを含めて、日本ではどれだけ売れたのだろうか。
売れていないモノの中古はめったに出ない。

けれど、今日、Model 107がやって来た。
KEF創立25周年モデルのModel 107は、
Model 105の後継機でもある。
そのスピーカーが、やって来た。

Date: 9月 14th, 2017
Cate: 107, KEF

KEFがやって来た(その1)

KEFとJBL。
イギリスのスピーカーメーカーとアメリカのスピーカーメーカー。

ダイレクトラジエーション型をメインとするKEF、
ホーン型を得意とするJBL。

どちらもアルファベット三文字のブランド。

私より上の世代では、
JBLの反対の極にあるスピーカーといえば、タンノイがあった。
JBLでジャズを、タンノイでクラシックを、
ピアノはJBL、弦はタンノイ、
そんなことが語られていた時代があったし、
そのころのオーディオ雑誌に登場するオーディオマニアは、
確かにJBLとタンノイが同居していた。

私は、といえば、JBLとタンノイという気持がある。
でも同時にJBLとBBCモニターという気持が、同じかそれ以上に強い。

BBCモニターの中に含まれるといえば、そうなのだが、
でも私のなかでは少し違うところにあるメーカーとして、
そしてJBLとKEFという気持が、はっきりとある。

これは瀬川先生の影響である。
KERFのModel 103、Model 104aB、Model 105、Model 303、
これらの瀬川先生の評価はよかった。
これらはすべて聴く機会があった。

Model 105は瀬川先生が調整された音を聴けたことは、以前書いている。

そのころのKEFのスピーカーは、真面目な音である。
決してハメをはずすことのない、
聴く人によっては、つまらない、という、そのくらいにイギリスのスピーカーとして、
アキュレートサウンドを目指したスピーカーである。

それにLS5/1Aを市販したのはKEFである。
私にとってKEFは、JBLの一方の極として、あのころ常に気になっていたブランドだった。

Date: 7月 29th, 2017
Cate: BBCモニター, LS3/5A

BBCモニター考(LS3/5Aのこと・その30)

QUADのESLのダブルスタック、トリプルスタックのことを書いていて思い出したのは、
LS3/5Aのダブルスタックのことだ。

私は試したことがないけれど、
ステレオサウンド 55号に、マラソン試聴会の記事が載っている。
1ページ、モノクロの記事である。写真は九点。
どれも不鮮明な写真ばかりだが、一枚だけ目を引くものがあった。

ロジャースの輸入元オーデックスのブースで、
写真の説明には「ダブルLS3/5Aがガッツな音を聴かせてくれた」とある。

写真は小さく、くり返しになるが不鮮明。
はっきりとは確認できないが、上下二段スタックされたLS3/5Aは、
上側のLS3/5Aは上下逆さまになっているように見える。

サランネットについているネームプレートが、上側のLS3/5Aは左下にあるように見えるからだ。
ユニット配置は、下からウーファー、トゥイーター、トゥイーター、ウーファーとなっているはずだ。

ESLのスタックもそうだが、最大出力音圧レベルの不足を補うための手法である。
LS3/5Aもその点ではESLと同じであり、ESLがダブルスタックにするのであれば、
LS3/5Aも……、と輸入元の人が考えたのかどうかははっきりしないが、
この時のダブルLS3/5Aの音は、取材した編集者の耳も捉えていたようだ。

55号の編集後記の最後に、《小さな一室でLS3/5Aのダブルが良く鳴っていた》とある。

Date: 4月 29th, 2017
Cate: 4345, JBL

JBL 4345(4347という妄想・その3)

JBLの4343の前身は4341。
4341という型番を43と41に分けると、どちらも素数である。
4343も同様に43と43に分ければ、当然だけど素数である。
4341、4343は素数ではないけれど。

4345は43と45だから、45は素数ではない。
4345の改良モデルが現実に登場して4347という型番になっていたら、
43と47で、どちらも素数になる。

ただこれだけのことで、4347は、いいスピーカーになりそうな予感を勝手に持っていた。
4347は登場しなかったが、
JBLからは4348という、4343の後継モデルを出した。

43と48だと43だけが素数。
4348も素数ではないが、
この4348が改良されて4349になっていたら、
43と49で49は素数ではないけれど、4349は素数である。

型番の数字など、音とはまったく関係がない──、
確かにそうではあるけれど、何かそこにはひとつの法則があるような気がしている。
昔からずっとそうである。

Date: 3月 6th, 2017
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その19)

いまタンノイのLegacy Seriesのことを書いている。あと少し書く予定である。
書いていて、そうだ、タンノイもBBCモニターもイギリスのスピーカーであることを思い出した。

タンノイはひとつの会社であり、BBCモニターはいくつかの会社であり、
会社の規模はタンノイの方が、いまも昔もBBCモニターをつくっている会社よりも大きい。

同一視できないところがいくつもあるのはわかっていても、
なぜ、いまイギリスで1970年代後半から1980年代前半ごろのスピーカーシステムが復刻されているのか。

単なる偶然なのだろうと思う。
それぞれの思惑が偶然重なっただけなのだろう、と思いつつも、
1970年代後半からオーディオに入ってきた者にとっては、
この時代のスピーカーに対する思い入れは、他の時代よりも強いところがどうしてもある。

これはバイアスでもある。
そういうバイアスが私にはかかっているから、と思いつつも、
やはり、なぜ? と考える。

そしてセレッションは?、とも思う。
セレッションからDittonシリーズが登場してきたら……、と考えている。

ここまで書いてきて、もうひとつあったことに思い出す。
ヴァイタヴォックスがそうだ。

ヴァイタヴォックスは、もう少し前の時代のスピーカーではあるが、
ユニットもエンクロージュアも復刻されている。

ムーブメントといえるのかもしれない。

Date: 1月 24th, 2017
Cate: ESL, QUAD

QUAD・ESLについて(その3・その後)

その3)を書いたのは2008年11月だから、八年ほど前。
いまも押入れで、QUADのESL63Proが眠ったままだ。

ダイアフラムの全交換が必要な状態であるからだ。
このESL63Proは、小林悟朗さんが鳴らされていたモノだ。
いつか修理して……、と思いながらも、けっこう経ってしまった。

(その3)で書いているように、
振動板(膜)をチタンの薄膜に交換したいと考えている。

しなやかな金属箔があれば、可能性はある。
ジャーマン・フィジックスのDDD型ユニットを見た時(触れた時)から、
純チタンの薄膜ならば、コンデンサー型スピーカーの振動板に使えるという確信があった。

けれどインターネットであれこれ検索してみても、
使えそうなチタンは見つけられなかった。

でも時間はずいぶん経っている。
ひさしぶりに検索してみると、使えそうなチタン箔がいくつかある。

ESL63Proの修理(改造)が現実味を帯びてきた。

Date: 1月 14th, 2017
Cate: BBCモニター

BBCモニター、復権か(その18)

その17)で、BBCモニターのライセンス料について触れた。
そのことがあるから、素直にBBCモニター、復権、とは言い切れないもどかしさがつきまとう。

勘ぐりすぎの可能性もわかっている。
ライセンス料はすでになくなっている可能性も十分あるが、
BBCの経営状況に関する記事を数年前に読んでいるから、そう思えないところが残ってしまう。

BBCモニターの新形がまだ登場していた時代、
BBCモニターとしてのヘッドフォンはないのだろうか、と思ったことがある。

小型モニター、可搬型モニターとしてのLS3/5Aの存在があったにしても、
ヘッドフォンをBBCではまったく使っていなかったのだろうか。

使っていたとしても、簡単なチェックのみで、音質にはこだわっていなかったのか。
それとも既製品のヘッドフォンで優秀なモノを選定して使っていたのだろうか。

少なくともBBCモニターとしてのヘッドフォンの存在はなかったようだ。

BBCモニターとしてのスピーカーシステムには、
loudspeakerの略であるLSから始まる型番がつけられている。
アンプの型番はAMで始まる(amplifierの略だ)。

ならばヘッドフォン(headphone)だから、HPで始まるモニターとしてのヘッドフォンはなかったのか。

ここでふと考えるのは、いまはヘッドフォンがブームである。
となると、BBCモニターを謳うヘッドフォンが登場してくるかもしれない。

もしBBCモニター・ヘッドフォンなるものが登場したら、
やはりライセンス料がいまも……、ということにつながっていく。

Date: 11月 23rd, 2016
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その12)

《世の中には男と女しかいない、その男と女が寝室でやることはしょせんきまっている》
と書かれたのは五味先生。

そこでの行為は生殖のためでもあるし、快感を求めてでもあるし、
目の前にいる、いま触れている相手の鼓動を感じる行為でもある。

寝室での男女の行為は、第三者に見せる行為ではない。
なかには見せることに快感を感じるようだが、寝室という密室での行為だから、
鼓動を感じることができるとはいえないだろうか。

オーディオに何を求めるのかは同じようであって、人によって大きく違うこともある。
音楽の鼓動を聴く、という行為を追い求めている聴き手を、
だから肉食系という表現を使った。

肉食系には、もうひとつ、
人にむやみに聴かせない、という意味も込めている。

そこでの行為が見せるものでないように、
そういう意味での肉食系オーディオの音は、むやみに誰かに聴かせるものではない──、
そんなふうに感じているからだ。

同時に草食系という表現を使いたくなる音が増えてきているように感じるのは、
スピーカーの性能向上がその理由ではなく、インターネットのここまでの普及により、
オーディオマニア同士の交流が、以前には考えられないほど活発になってきたこと。
それと無縁とは思えない。

どこかに正確な統計があるわけではないが、
あきらかに互いの音を聴くことは、インターネット以前よりもはっきりと増している、はずだ。

誰かに自分の音を聴いてもらう、
誰かの音を聴きに行くことにもメリット、デメリットがあるだろう。

誰かに聴かせることを意識した途端に、何かが知らぬうちに変っていくようになる。
それは必ずしもいい方向ばかり行くわけではない。

そこに気づかずに聴きに行ったり、聴きに来てもらったりをくり返すうちに、
草食系的面が頭を擡げてる。
そんなことはない、とはっきり否定できる人がいるだろうか。

Date: 11月 22nd, 2016
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その11)

D130の低域を拡充するのにE145が最適なような気がする。
もちろんD130とE145は同口径だから、E145はダブルにしたい。

E145の出力音圧レベルはカタログ発表値で98dB/W/m。
ダブルで使って3dB音圧は上昇するから101dB。
D130の102dB/W/mと近似となる。

エンクロージュアは……。
こんなことを考えていると、楽しい。
実現するか(できるか)は関係なく、愉しくなってくる。

D130もそうだし、2440(2441)といったコンプレッションドライバー、
E145のようなウーファー、この種のJBLのユニットは、妄想をたくましくしてくれる。

私自身が求めている音とは方向が違っていようと、愉しくなってくる。

一時期、肉食系男子、草食系男子といういいかたがあった。
最近ではあまり聞かなくなったようだが、オーディオにもあてはまるところはあると感じている。

私にとって、ここで挙げているJBLのユニットは、
肉食系的性格のユニットといってもいいだろう。

E145を自分で鳴らしたことはない。
150-4Hを採用したDD55000は、何度もステレオサウンド試聴室で聴いている。
ローエンドまで充分にのびている音ではない。
ダブルにしたところでのびるわけではなく、エネルギーが増す。

低域のエネルギーの再現性で、E145ダブルは比類なき音を聴かせてくれそうだ。

結局、音楽を聴く行為は、その音楽の鼓動を聴く、といってもいい。
演奏者の鼓動でもあり、作曲者の鼓動でもある。

私が肉食系の音と感じるのは、まさにここに理由がある。
鼓動を、そのエネルギーをロスなく届けてくれる。

Date: 11月 22nd, 2016
Cate: D130, JBL

ミッドバスとしてのD130(その10)

D130をミッドバスにするのであれば、ウーファーはどうするか。
もっといいウーファーというか、ぴったりくるウーファーがあるような気がしていた。

そうだ、そうだ、と思い出したのがJBLのE145である。
ステレオサウンド 60号の特集でも取り上げられている4676-1。

このシステムはフロントショートホーン型エンクロージュア4550に、
E145-16を二発、中高域には2441(二発)+2350ホーンという組合せ。

4550の重量だけでも88kgあるため、総重量は141kg。
4676-1は型番が示すようにサウンドリインフォースメントおよびシアター用であり、
出力音圧レベルは104dB/W/mと発表されている。

JBLのウーファーでKシリーズは楽器用ということだった。
EシリーズはKシリーズを受け継ぐながらも、サウンドリインフォースメント用としても使われる。

Eシリーズの15インチ口径のウーファーには、E130(フルレンジ)、E140、E145があり、
18インチ口径がE151である。

これらの中でE145のフレームだけが異る。

JBLのウーファーは取付け用金具MA15でフロントバッフルに固定する。
15インチでも18インチでも、その点は同じだ。

だがE145はMA15が使えない。
コーン紙外周のフレームの厚みがボリュウムある形状になっていて、
そのこととも関係しているのが、コーンの頂角だ。

アルテックのウーファーよりも浅めのJBLのウーファーの中で、
E145は深めの頂角になっている。
つまり150-4Cと共通する点をもつウーファーといえる。

E145はDD55000のウーファーとして採用されている。
その際の型番は150-4Hである。

Date: 10月 24th, 2016
Cate: 4343, JBL

4343と1976年(13年後)

ジョージ・ワシントンが初代大統領に就任し、議会政治が発足したのは1789年。

この年をアメリカの真の国家成立だとすれば、
200年後の1989年のオーディオを眺めてみると……。
13年後とは思えぬほど新製品の数は増え、ブランドも増えている。

でもここでもJBLからProject K2 S9500が登場している。
無機的な素材が印象的なデザインのS9500が、象徴的に感じられる。

Date: 10月 24th, 2016
Cate: 4343, JBL

4343と1976年

アメリカは1776年に独立宣言をしている。
1976年、建国200年と、日本でも騒がしかった。
雑誌でもアメリカ建国200年に結びつけの企画がいくつもあった、ように記憶している。

JBLの4343は1976年に登場している。

4343にことさら関心のない人にはどうでもいいことだし、
無理にこじつけようとしたいわけでもないが、
1976年のステレオサウンド四冊をめくっていて、
アメリカからの新製品の中で、象徴的なモノを探していたけれど、
コレ! というモノはなかった。
強いてあげれば、アルテックのModel 19、AGIの511くらいだった。

JBLは建国200年ということを意識しての製品開発ではなかっただろうが、
それでも4343は建国200年の1976年を象徴するアメリカ製品のひとつだと感じる。