KEFがやって来た(その5)
読まれている人の中には、「また瀬川冬樹のことか」と思われる人もいよう。
私にとって、KEFのスピーカーについて語るということは、
その三分の一くらいは瀬川冬樹についても語ることでもある。
だからこそ、Model 105やModel 303のころの時代のKEFと、
いまのKEFについて語るということは、その点で最初から違ってきているわけだ。
レイモンド・クックは、「惜しみて余りあり」で、
瀬川先生について、こう書いている。
*
過去40年近くにわたって、私がオーディオの仕事を通じて出会い、知るに至った数多くの評論家のなかで、瀬川冬樹氏はクリティーカーとしてのあらゆる必要な資質を、まさに申し分のないバランスで併せもった類い稀なる人物の一人でありました。
*
レイモンド・クックは、何も日本のオーディオ評論家にばかり会っていたわけではなく、
KEFのスピーカーが販売されている国のオーディオ評論家(批評家)とあっていた。
そのうえで、そう書いているのだ。
レイモンド・クックは、続いて自身の経験を書いている。
*
1976年のある日、私達はKEFのスピーカーについて長時間の対談と試聴をする機会を得ましたが、そのおり起ったことのすべてを、私は機能の出来事のように記憶しています。
瀬川氏と私は、夕刻7時に、軽い夕食を共にするためにお会いしましたが、その時からすでにふたりの討論は始まっていました。食事を終えて一緒に雑誌社のオフィスに行き、われわれふたりは議論と試聴で一晩を明かしました。私がホテルに帰ったのは、朝が過ぎ、太陽が頭上に昇ってからだったことを覚えています。瀬川氏自身が、まえもってそのスピーカーについて、長時間ヒヤリング・テストを重ねていた事実を考え併せると、記事を書くという実際の仕事(その後、出版されましたが)はさておき、試聴と討議に費やされた全時間数は実に厖大なものでした。
*
レイモンド・クックと瀬川先生が、1976年に長時間の対談と試聴をしたスピーカーは、
おそらくModel 105のはずである。
ステレオサウンド 45号で、
《一年以上まえから試作品を耳にしてきた》と書かれているからだ。
45号では《さすがに長い時間をかけて練り上げられた製品》と、
Model 105のことを評価されている。
Model 107は、その105の延長線上にあるスピーカーだ。
105の登場から約十年。KEF創立25周年記念モデルということも考えあわせると、
Model 107の開発にも長い時間をかけて、練り上げたはずである。
なのにModel 107は、登場時、日本には輸入されなかった
瀬川先生が亡くなられて、五年が経っていた。