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Date: 6月 30th, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・その2)

レコード芸術の1980年11月号に、PM510の記事が載っている。
瀬川先生と音楽評論家の皆川達夫氏、それにレコード芸術編集部のふたりによる座談会形式で、
PM510とLS5/8の比較、PM510を鳴らすアンプの比較試聴を行なっている。
PM510というスピーカーシステム、1機種に8ページを割いた記事だ。

比較試聴に使われたアンプの組合せの以下の通り
QUAD 44+405
アキュフェーズ C240+P400
スレッショルド SL10+Stasis2
マークレビンソン ML6L+ML2L
マークレビンソン ML6L+スレッショルド Stasis2
マークレビンソン ML6L+スチューダー A68
マークレビンソン ML6L+ルボックス A740

この座談会の中にいくつか興味深いと感じる発言がある。
ひとつはマークレビンソン純正の組合せで鳴らしたところに出てくる。
     *
しばらくロジャース的な音のスピーカーから離れておりまして、JBL的な音の方に、いまなじみ過ぎていますけれども、それを基準にして聴いている限り、EMTの旧式のスタジオ・プレーヤーというのは、もうそろそろ手放そうかなと思っていたところへ、このロジャースPM510で、久々にEMTのプレーヤーを引っ張り出して聴きましたが、もうたまらなくいいんですね。
     *
ステレオサウンド 56号の記事をご記憶の方ならば、そこに927Dst、それにスチューダーのA68の組合せで、
一応のまとまりをみせた、と書かれてあることを思い出されるだろう。

このレコード芸術の記事では、スチューダー、ルボックスのパワーアンプについては、こう語られている。
     *
このPM510というスピーカーが出てきて、久々にルボックス、スチューダーのアンプの存在価値というものをぼくは再評価している次第です。
(中略)JBLの表現する世界がマークレビンソンよりスチューダー、ルボックスでは狭くなっちゃうんですね。ところがPM510の場合にはルボックスとスチューダー、それにマークレビンソンとまとめて聴いても決定的な違いというようなものじゃないような気がしますね。コンセプトの違いということでは言えるけれども、決してマークレビンソン・イズ・ベストじゃなくて、マークレビンソンの持っていないよさを聴かせる。たとえばスレッショルドからレビンソンにすると、レビンソンというのは、アメリカのアンプにしてはずいぶんヨーロッパ的な響きももっているアンプだというような気がするんですけれども、そこでルボックス、スチューダーにすると、やっぱりレビンソンも、アメリカのアンプであった、みたいな部分が出てきますね。

Date: 6月 29th, 2011
Cate: PM510, Rogers, 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ロジャース PM510・その1)

瀬川先生の「音」を聴いたことのない者にとって、
その「音」を想像するには、なにかのきっかけ、引きがねとなるものがほしい。
それは瀬川先生が書かれた文章であり、瀬川先生が鳴らされてきたオーディオ機器、
その中でもやはりスピーカーシステムということになる。

となると、多くの人がJBLの4343を思い浮べるだろう。
4341でもいいし、最後に鳴らされていた4345でもいい。
ただ、JBLのスピーカーシステムばかりでは、明らかに偏ってしまった想像になってしまう危険性が大きい。

どうしても、そこにはイギリス生れのスピーカーシステムの存在を忘れるわけにはいかない。

ここに書いているように、瀬川先生はロジャースのPM510に惚れ込まれていた。

瀬川先生ご自身が、PM510を「欲しい!!」と思わせるものは、一体何か? と書かれているのだから、
第三者に、なぜそれほどまでにPM510に惚れ込まれていたのか、のほんとうのところはわかるはずもない。
それでも私なりに、瀬川先生の書かれたものを読んでいくうちに、そうではないのか、と気づいたことはある。

Date: 6月 1st, 2011
Cate: 黒田恭一

「聴こえるものの彼方へ」(続 黒田恭一氏のこと)

「さらに聴きとるものとの対話を」の最終回(ステレオサウンド 64号)に、こう書かれている──、

テーマについて白紙委任されたのをいいことに、オーディオにかかわりはじめた音楽好きの気持を、正直に、そしてできることなら未知なる友人に手紙を書くような気分で、書いてみようと思った。これが出発点であった。

59号の「ML7についてのM君への手紙」からはじまった、
ときおりステレオサウンドに掲載された、黒田先生のオーディオ機器の導入記・顚末記のほぼすべては、
59号のタイトルが示すように、M君(のちにM1になっている)への手紙、というかたちで書かれている。
131号の「ようこそ、イゾルデ姫!」だけが、そうではない。

黒田先生の著書のなかで、私が好きなのは、「音楽への礼状」。
これも礼状という言葉が示しているように、手紙である。

「さらに聴きとるものとの対話を」の最終回には
「さらに聴きとるものとの対話をつづけるために」とつけられている。

対話をしていくために、対話をつづけていくための「手紙」だということに気づく。

「さらにききとるものとの対話をつづけていくために」の最後のほうに、こう書かれている──、

もし音楽をきくという作業がヒューマニスティックなおこないだといえるとしたら、オーディオもまた、ヒューマニズムに立脚せざるをえないであろう。人間を忘れてものにつきすぎたところで考えられたオーディオは、音楽から離れ、限りなく骨董屋やデパートの特選売場に近づく。

だから「対話」なのだと思う。

[追補]
5月29日に公開した「聴こえるものの彼方へ」は、さきほど校正をやりなおしたものを再度アップしました。
できれば、再度ダウンロードお願いいたします。

Date: 5月 29th, 2011
Cate: 黒田恭一

「聴こえるものの彼方へ」(黒田恭一氏のこと・余談)

CDプレーヤーが登場して間もないころ。
何の試聴だったのかもう忘れてしまったが、黒田先生とふたりだけのことがあった。
試聴が終って、雑談していたときに、これも何がきっかけだったのか忘れてしまったが、
CDプレーヤーの使いこなし、というよりも、その置き方を試してみることになった。

実は黒田先生の試聴のすこし前に私なりにいろいろやって、当時としては、
そしてステレオサウンドの試聴において、という条件はつくものの、うまくいったことがあった。

それを、黒田先生に聴いてもらう、と思ったわけだ。
うまくいったときと同じに、少なくとも同じようにセッティングしたつもりだった。
ただ、このときはまた使いこなしも、いまのレベルとは違い、けっこう未熟だったため、
同じ音を再現できなかった。

何をしなかったときと較べるといいけれども、すこし前に聴いたときの変化とは、その変化量が違っていた。
いまだったら、その理由はわかるものの、そのときはどうしてもわからず、
さらにあれこれやって多少は、そのときの音に近づいたものの、私としては満足できず、
自信満々で、黒田先生に聴いてもらおうと思っていた手前、気恥ずかしくもあった。

それでも黒田先生はしっかり聴いてくださっていた。

このとき、いいわけがましく、いいわけめいたことをいった。
前回、うまくいったときには、こんな感じで鳴ったと話したことを、
すごくわかりやすい表現だといってくださった。

それからまたしばらくして、FMfanの臨時増刊として「カートリッジとレコードとプレーヤーの本」が出た。
これに、NECのCD803について、黒田先生が書かれている文章を読んで苦笑いした。

こう書かれていた。
     *
今はNECのCD−803というCDプレーヤーをつかっている。恥をさらすようであるが、そのCD−803をいかなるセッティングでつかっているかというと、なにかのご参考になればと思い、書いておこう。ぼくの部屋に訪ねてきた友人たちは、そのCDプレーヤーのセッティングのし方をみて誰もが、いわくいいがたい表情をして笑う。もう笑われるのにはなれたが、それでもやはり恥ずかしいことにかわりない。
 ではどうなっているか。ちょっとぐらい押した程度ではびくともしない頑丈な台の上にブックシェルフ型スピーカー用のインシュレーターであるラスクをおき、その上にダイヤトーンのアクースティックキューブをおき、その上にCDプレーヤーをのせている。しかも、である。ああ、恥ずかしい。まだ、先が。
 CDプレーヤーの上に放熱のさまたげにならない場所に、ラスクのさらに小型のものを縦におき、さらにその上に鉛の板をのせている。
     *
私が、あのときやったのも、これに近い。
ラックの上にダイヤトーンのアクースティックキューブDK5000を置いて、その上にCDプレーヤー、
たしかソニーのCDP701ESをそこにのせた。
さらにCDP701ESのうえに、またスピーカーの置き台に使っていた角材をのせた。
CDP701ESはCD803と違い放熱の心配はないから、角材の乗せ方に制約はなかった。

黒田先生の部屋を訪ねられた友人の方たちが、いわくいいがたい表情をされるのは、よくわかる。
自分で、そのセッティングをしながら、オーディオに関心のない人からすれば、
頭のおかしい人と思われてもしかたのないようなことをやっているんだ、と思っていた。

DK5000の上にCDP701ES、さらにその上に角材だから、
ラックの上に、なにかができ上がっているような感じで、これでいい音にならなかったら、
ただただ恥ずかしいかぎりの置き方だ。

黒田先生のときには、成功とはいえなかったけれど、
それでも、あの時の音の変化、音楽の表情の変化を聴いていてくださっていたのだとわかり、
苦笑いしながらも、嬉しくなっていた。

Date: 5月 29th, 2011
Cate: 黒田恭一

「聴こえるものの彼方へ」(黒田恭一氏のこと)

黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」のEPUBを公開した。

「さらに聴きとるものとの対話を」と題名を変え、
ステレオサウンド 43号から64号まで連載されたものすべてのほかに、
47号、59号、62号、63号、69号、78号、87号、92号、96号、100号、110号、118号、131号、
これらに書かれた、アクースタットのスピーカーのこと、アポジーのこと、CDプレーヤーのこと、
チェロのパフォーマンスについてのこと、そしてリンのCD12のことなどについての文章も含まれている。

昨年の11月7日と今年の1月10日に瀬川先生の「」を、
3月24日には岩崎先生の「オーディオ彷徨」を公開した。

作業としては、ひたすらキーボードで入力して、Sigilというアプリケーションで、
電子書籍(ePUB)にして、余分なタグを削除したり、校正して、ということでは、
3冊の「本」ともまったく変わりない。

それでも、黒田先生の「聴こえるものの彼方へ」の作業をしているときの心境、とでもいおうか、
そういうものが、瀬川先生、岩崎先生のときとは微妙に違っていた。

瀬川先生とは、熊本のオーディオ店でお会いすることが何度かあり、こちらのことも憶えてくださっていた。
でも、私がステレオサウンドで働くようになったときには、もうおられなかった。
岩崎先生もそうだ。岩崎先生にはお会いすることもできなかった。
瀬川先生、岩崎先生と、仕事をする機会はなかった。

黒田先生とはステレオサウンドで仕事ができた。
リスニングルームで音を聴くことでもできた。
だから作業しながら、想いだすことがいくつもあった、ということが、違っていた。

Date: 5月 19th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(「遠い音」補足)

1938年が、黒田先生にとってどういう意味をもつのかと気づいたうえで、
「遠い音」に書かれてあることをふりかえってみると、ここのところが私の中で浮んでくる。
     *
次第に緊迫の度をましていく「ウォー・オブ・ザ・ワールズ/宇宙戦争」に耳をかたむけながら、ラジオからきこえる空襲警報を告げるアナウンサーの、抑揚のない声をきいて子供心にも恐怖におびえた幼い日のころの気分になっていた。そこできいているのが、遠い日にアメリカでなされた放送の録音であるとわかっていてもなお、古ぼけた音の伝えることを信じはじめていた。人の出入りのまったくない喫茶店が、じっとりと湿った空気の、土の臭いが気になる、戦争中の防空壕に思えてきた。
     *
終戦の年、黒田先生は7歳。
防空壕の土の臭いは、黒田先生の実体験ということになる。

Date: 5月 19th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(「遠い音」)

ステレオサウンド 57号に「遠い音(上)」が、58号に「遠い音(下)」を、黒田先生は書かれている。
23号からはじまった「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」、43号からの「さらに聴きとるものとの対話を」、
これらの一連の連載の中で、この「遠い音」だけが2回にわたっている。

ほかの回と、これだけ雰囲気が異なっているのは、ステレオサウンドに掲載されているときに読んで気がついた。
登場人物は黒田先生自身だということは、すぐにわかる。

ある喫茶店がある。ここでのことを「遠い音」では書かれている。
読んでいけば、黒田先生の創作によるものだとわかってくる。

「遠い音(下)」を読めば、ここに登場してくる、「13」と印字されただけのマッチの意味あいがはっきりとなる。
それで読み手は納得できる。
だから納得したつもりになっていた。

さきほど「遠い音」を入力し終えて、ひとつ気づいた。
「遠い音」の中のふるぼけた喫茶店でかけられていた3組のレコードは、
どれも1938年に録音されたものばかりであることは、「遠い音」の中に書かれている。
1938年が、どういう年なのかも、当然書かれている。

だから、「遠い音」を読んだ30年前、納得したつもりになれた。
「なれた」だけで、「できた」わけでなかったことに、今日気づいた。

1938年には、もうひとつの意味がある。
黒田先生は、1938年1月1日の生れである、からだ。

そのことに気づくと、じつは、このとについてさり気なく書かれていることにも気づく。
「そうか、あの店は、自分が生れたときからずっとああやってひらいていたのかと、あらためて思い」
と書かれている。

「遠い音」を最初に読んだときは、黒田先生の年齢を知らなかった。
写真で見る黒田先生は、実際の年齢よりも若く見えていたから、そう思いこんでしまっていた。
だから、1938年生れとは思っていなかったから、

「そうか、あの店は、自分が生れたときからずっとああやってひらいていたのかと、あらためて思い」
を、そういう意味にはとることができずに、いわば読み流していた。

1938年からある古びた喫茶店は、1963年生れの私にとっても「自分が生れたときから」ある店であり、
そう受けとってしまっていた。
そう受けとってしまったから、1938年のことをそれ以上考えることをやめてしまっていた。

最初に読んだときから30年たち、やっと気づいた。
まだ気づいただけだが、思いだしたことがある。
ブルーノ・ワルターがウィーン・フィルハーモニーを指揮したマーラーの交響曲第九番。
これも1938年にライヴ録音されたものということ。

このワルターのマーラーの第九番を
「時代の証言として、いまもなお、重い」と黒田先生は書かれている。

「遠い音」を書かれたことについての、私なりの答はまだみつかっていない。

Date: 5月 3rd, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(「聴こえるものの彼方へ」のこと)

今月の29日に公開できるように、いま黒田先生の文章の入力にとりかかっている。
すでにaudio sharingで公開している「聴こえるものの彼方へ」をEPUBにするのだが、
そのままEPUBにするよりも、未収録の文章もできるかぎり載せたい、と思い立ったからだ。

「聴こえるものの彼方へ」は、
ステレオサウンドに連載されていた「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」が基本になっている。
「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」はいったん42号で終了し、
43号から「さらに聴きとるものとの対話を」と題名が変り、始まっている。

「聴こえるものの彼方へ」には、「さらに聴きとるものとの対話を」は収められていない。

いま入力しながら、読み返していると、あらためて、
これらの黒田先生の文章を最初に読んだときの気持を思い返すことができることに気づく。
もちろん、ほぼ30年以上前に、どう感じていたかをすべて思い出しているわけではないが、
あのとき、黒田先生の文章から、なにを大事なものとして読んでいたのかは、そのまま思い出せる。

黒田先生は、「オーディオはぼくにとって趣味じゃない。命を賭けている」と言われたことがある。
1988年、ゴールデンウィーク明けの、黒田先生のリスニングルームにおいて、はっきり聞いた。

これがどういうことなのかも、「さらに聴きとるものとの対話を」のなかに書かれていたことに、
いま気づき、音楽を「きく」ということとは
(黒田先生は、聴く、とも、聞く、とも書かれずに、つねに「きく」とされていた)、
いったいどういうことなのか──、
あのときとなにが変ってきて、なにが変ってきていないのかを含めて、
ひとりでも多くの人に読んでもらいたいと思っている。

Date: 4月 6th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その19)

けれど黒田先生は、4343をAPM8にはされなかった。

ステレオサウンド 54号のちょうど2年後に出た62号で、またAPM8を聴かれている。
特集のテーマは「日本の音・日本のスピーカー その魅力を聴く」。
ここでは、パイオニアのS-F1も聴かれている。

APM8もS-F1も、そのころ日本のメーカーが積極的に開発をすすめていた平面振動板を採用、
そしてどちらも4ウェイ構成で、価格もS-F1が875,000円、APM8が1,000,000円と、そう大きな差はない。

このふたつのスピーカーシステムを、
黒田先生はAPM8をアントン・ウェーベルンに、S-F1をアルバン・ベルクに、
さらにAPM8をクラウディオ・アバドに、S-F1をカルロス・クライバーにたとえられている。

つまりAPM8のほうが響きがやや暗めでクール、それにスタティックなのに対して、
S-F1は少し明るく少し温かく、そしてアクティヴだということ。

ただこれらの表現は、あくまでもAPM8とS-F1を対比して、語られているものだということを忘れないでほしい。

1982年の時点で、黒田先生はS-F1に「ゆさぶられている」。
そしてステレオサウンド 63号につづいていく。

Date: 4月 5th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その18)

黒田先生は、APM8のことを試聴記に、
「化粧しない、素顔の美しさとでもいうべきか」と書かれ、
さらに「純白のキャンパスに、必要充分な色がおかれていくといった感じで、音がきこえてくる」と。

この「純白のキャンパス」、「素顔の美しさ」のところが、
ウィーン・フィル、ベルリン・フィルではなく、シカゴ交響楽団を指揮してみたいにかかってくる。

ウィーン・フィル、ベルリン・フィルが化粧しているといいたいわけではないけれど、
ウィーン・フィル、ベルリン・フィルには、ほかのオーケストラにはない色(独自の音色)がある。

21世紀のいまでは、そういう、ウィーン・フィルならではの音色、ベルリン・フィルならではの音色は、
少しずつ薄れてきつつあるようにも感じることもあるけれど、
APM8を黒田先生が聴かれたの1980年である。

シカゴ交響楽団の音楽監督はショルティになっていた。第2期黄金時代を迎えていた。
主席客演指揮者として、カルロ・マリア・ジュリーニ、クラウディオ・アバドが迎え入れられていた。
ショルティとジュリーニ、ふたりの性格はずいぶん違う(ように思う)。顔つきもそうだ。
ショルティとアバドについても同じことがいえる。
それにショルティとジュリーニは世代的にはほぼ同じだが、ショルティとアバドではふたまわり近く違う。
ジュリーニとアバドも、また違う。

にも関わらず、シカゴ交響楽団は、この3人の指揮によっていくつもの名演を残してきていることは、
実演に私は接したことがないけれど、録音だけからでもはっきりといえる。
シカゴ交響楽団の高い技量に裏打ちされた柔軟性、自在性の高さに加え、
伝統というバックボーンをもつヨーロッパのオーケストラは違う、
アメリカならではのオーケストラだから可能なことなのかもしれない。

それに最初の黄金期を築いたフリッツ・ライナーもショルティもハンガリー出身ということもあろう。

ここにシカゴ交響楽団の特色があるといえるし、
だからこそ黒田先生はAPM8をシカゴ交響楽団に例えられたのだと思う。

Date: 4月 4th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その17)

黒田先生は、ステレオサウンド 54号の試聴で聴かれた45機種のスピーカーシステムのなかで、
ソニー/エスプリのAPM8を、
そのときお使いだったJBLの4343を「出してもいいかな?」まで言われるくらいまで気に入られている。

ちなみにこのときの試聴メンバーだった菅野先生は、KEFの303を挙げられている。
客観的にはJBLの4343Bだけれども、すでにJBLの3ウェイ・システムがあるため、
4343を入れるのは大きくてたいへんだ、ということ、
それに編集部からの質問が「自宅に持ち帰るとすれば」ということもあって、大きさと値段が手頃な303を、
「この音ならば、いますぐお金を払って持ち帰ってもいいくらい」とまで言われている。

瀬川先生は、10点をつけたスピーカーシステム、
KEFの303、105II、JBLのL150、4343Bのうち、KEFの2機種はすでに持っておられる、
JBLは4343を使われているということで、9点のスピーカーシステムのアルテックの6041を、
「いままで私の家にはないタイプの音のスピーカー」ということであげられている。

黒田先生が、4343を出してもいいかな、とまで思わせたAPM8については、
瀬川先生は、価格が半値だったら(つまりペアで100万円)、文句なく10点をつけし、
さらに、「あらゆる変化にこれほど正確に鋭敏に反応するスピーカーはない」、と。
菅野先生も、半値なら10点をつけ、最も印象づけられたスピーカー、といわれている。

これらの発言、それに3人のAPM8の試聴記を読めば、
このスピーカーシステムのもつ高性能ぶりが伝わってくる。

その高性能は、黒田先生のオーケストラの例えでいえば、技量にあたるし、
ウィーン・フィルもベルリン・フィルも技量は高い。
黒田先生が指揮者となって振ってみたいオーケストラとしてあげられたシカゴ交響楽団と、
ウィーン、ベリルンのふたつのオーケストラのどれが最高の技量などということは、
誰にもいえない高みにある。

なのに黒田先生は、シカゴ交響楽団をあげられ、APM8をこのオーケストラにたとえられている。

Date: 3月 30th, 2011
Cate: 岩崎千明

「オーディオ彷徨」(「いま」読んで…… さらに補足)

この一条の光を、ときとして神と呼ばれるものとして、感じているのではないか。

「あの時、ロリンズは神だったのかもしれない」が頭の中でリフレインする。

Date: 3月 29th, 2011
Cate: 岩崎千明

「オーディオ彷徨」(「いま」読んで…… 補足)

3本目こそが、一条の光だ、と思う。

Date: 3月 25th, 2011
Cate: 岩崎千明

「オーディオ彷徨」(「いま」読んで……)

「人」という漢字について、よく云われることに、
互いが支え合っているから立てる、というのがある。

現実には2本だけでは立てない。
かろうじてバランスを保つポイントを見つけても、すぐに倒れてしまう。
2本で支え合っている、というのは、あくまでも紙の上に書かれたことでしかない。

「人」が現実においてふらつかずしっかりと立つには、
陰に隠れている3本目がある、ということだ。

この3本目が何であるのかは人によって違うことだろう。
音楽の人もいる。
音楽といっても、ジャズも人もいればクラシックの人もいて、
そのジャズの中でも……、クラシックの中でも……、と、さらに細かくなっていくはず。

「オーディオ彷徨」に「あの時、ロリンズは神だったのかもしれない」がある。
ソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」のことだ。

岩崎先生にとって、「サキソフォン・コロッサス」が3本目だ、と今回読んで気づいた。

Date: 3月 24th, 2011
Cate: 菅野沖彦

菅野沖彦氏のスピーカーについて(その7)

振動板のピストニックモーションということでいえば、コンデンサー型スピーカーもより理想に近い。
ゴードン・ガウはXRT20の開発過程で、コンデンサー型によるトゥイーター・コラムを試した、とのこと。

コンデンサー型は基本的には平面振動板だから、そのままでは平面波が生じる。
XRT20のトゥイーター・コラムが目指したシリンドリカルウェーヴには、そのままではならない。
けれど、ビバリッジのSystem2SW-1は、これを実現している。

System2SW-1はステレオサウンド 50号に登場している。
XRT20は60号。ビバリッジのほうが先に出ている。
しかもSystem2SW-1の前の機種でもビバリッジはシリンドリカルウェーブを実現しているから、
ゴードン・ガウが、ビバリッジのこの手法について全く知らなかったということは、可能性はしては小さい。

シリンドリカルウェーブということにだけでみれば、ビバリッジの手法のほうが、
XRT20のソフトドーム型トゥイーターを多数使用するよりも、ずっとスマートだし、理想には近い。

けれどXRT20のトゥイーター・コラムはコンデンサー型の採用をあきらめている。

いくつかの理由は考えられる。
ウーファー、スコーカーがコーン型であるために、音色的なつながりでの整合性への不満なのか、
オリジナルを大事にするというアメリカ人としては、
他社のマネは、それがどんなに優れていてもやらない、ということなのか。
あとは、昔からその時代時代において、ハイパワーアンプを作り続けてきたマッキントッシュとしては、
コンデンサー型のトゥイーター・コラムでは最大音圧レベルでの不満が生じるのか。

なにが正しい答なのかはっきりしないが、
ゴードン・ガウが求めていたのは、理想的なシリンドリカルウェーブではなく、
結果としてシリンドリカルウェーブになってしまったような気がする。
それに、より理想的なピストニックモーションでもなかった、といえよう。