黒田恭一氏のこと(「遠い音」)
ステレオサウンド 57号に「遠い音(上)」が、58号に「遠い音(下)」を、黒田先生は書かれている。
23号からはじまった「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」、43号からの「さらに聴きとるものとの対話を」、
これらの一連の連載の中で、この「遠い音」だけが2回にわたっている。
ほかの回と、これだけ雰囲気が異なっているのは、ステレオサウンドに掲載されているときに読んで気がついた。
登場人物は黒田先生自身だということは、すぐにわかる。
ある喫茶店がある。ここでのことを「遠い音」では書かれている。
読んでいけば、黒田先生の創作によるものだとわかってくる。
「遠い音(下)」を読めば、ここに登場してくる、「13」と印字されただけのマッチの意味あいがはっきりとなる。
それで読み手は納得できる。
だから納得したつもりになっていた。
さきほど「遠い音」を入力し終えて、ひとつ気づいた。
「遠い音」の中のふるぼけた喫茶店でかけられていた3組のレコードは、
どれも1938年に録音されたものばかりであることは、「遠い音」の中に書かれている。
1938年が、どういう年なのかも、当然書かれている。
だから、「遠い音」を読んだ30年前、納得したつもりになれた。
「なれた」だけで、「できた」わけでなかったことに、今日気づいた。
1938年には、もうひとつの意味がある。
黒田先生は、1938年1月1日の生れである、からだ。
そのことに気づくと、じつは、このとについてさり気なく書かれていることにも気づく。
「そうか、あの店は、自分が生れたときからずっとああやってひらいていたのかと、あらためて思い」
と書かれている。
「遠い音」を最初に読んだときは、黒田先生の年齢を知らなかった。
写真で見る黒田先生は、実際の年齢よりも若く見えていたから、そう思いこんでしまっていた。
だから、1938年生れとは思っていなかったから、
「そうか、あの店は、自分が生れたときからずっとああやってひらいていたのかと、あらためて思い」
を、そういう意味にはとることができずに、いわば読み流していた。
1938年からある古びた喫茶店は、1963年生れの私にとっても「自分が生れたときから」ある店であり、
そう受けとってしまっていた。
そう受けとってしまったから、1938年のことをそれ以上考えることをやめてしまっていた。
最初に読んだときから30年たち、やっと気づいた。
まだ気づいただけだが、思いだしたことがある。
ブルーノ・ワルターがウィーン・フィルハーモニーを指揮したマーラーの交響曲第九番。
これも1938年にライヴ録音されたものということ。
このワルターのマーラーの第九番を
「時代の証言として、いまもなお、重い」と黒田先生は書かれている。
「遠い音」を書かれたことについての、私なりの答はまだみつかっていない。