黒田恭一氏のこと(その18)
黒田先生は、APM8のことを試聴記に、
「化粧しない、素顔の美しさとでもいうべきか」と書かれ、
さらに「純白のキャンパスに、必要充分な色がおかれていくといった感じで、音がきこえてくる」と。
この「純白のキャンパス」、「素顔の美しさ」のところが、
ウィーン・フィル、ベルリン・フィルではなく、シカゴ交響楽団を指揮してみたいにかかってくる。
ウィーン・フィル、ベルリン・フィルが化粧しているといいたいわけではないけれど、
ウィーン・フィル、ベルリン・フィルには、ほかのオーケストラにはない色(独自の音色)がある。
21世紀のいまでは、そういう、ウィーン・フィルならではの音色、ベルリン・フィルならではの音色は、
少しずつ薄れてきつつあるようにも感じることもあるけれど、
APM8を黒田先生が聴かれたの1980年である。
シカゴ交響楽団の音楽監督はショルティになっていた。第2期黄金時代を迎えていた。
主席客演指揮者として、カルロ・マリア・ジュリーニ、クラウディオ・アバドが迎え入れられていた。
ショルティとジュリーニ、ふたりの性格はずいぶん違う(ように思う)。顔つきもそうだ。
ショルティとアバドについても同じことがいえる。
それにショルティとジュリーニは世代的にはほぼ同じだが、ショルティとアバドではふたまわり近く違う。
ジュリーニとアバドも、また違う。
にも関わらず、シカゴ交響楽団は、この3人の指揮によっていくつもの名演を残してきていることは、
実演に私は接したことがないけれど、録音だけからでもはっきりといえる。
シカゴ交響楽団の高い技量に裏打ちされた柔軟性、自在性の高さに加え、
伝統というバックボーンをもつヨーロッパのオーケストラは違う、
アメリカならではのオーケストラだから可能なことなのかもしれない。
それに最初の黄金期を築いたフリッツ・ライナーもショルティもハンガリー出身ということもあろう。
ここにシカゴ交響楽団の特色があるといえるし、
だからこそ黒田先生はAPM8をシカゴ交響楽団に例えられたのだと思う。