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Date: 5月 25th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(エリカ・ケートのこと)

エリカ・ケートの名を知ったのは、瀬川先生の書かれたものであった。
     *
エリカ・ケートというソプラノを私はとても好きで、中でもキング/セブン・シーズから出て、いまは廃盤になったドイツ・リート集を大切にしている。決してスケールの大きさや身ぶりや容姿の美しさで評判になる人ではなく、しかし近ごろ話題のエリー・アメリンクよりも洗練されている。清潔で、畑中良輔氏の評を借りれば、チラリと見せる色っぽさが何とも言えない魅惑である。どういうわけかドイツのオイロディスク原盤でもカタログから落ちてしまってこれ一枚しか手もとになく、もうすりきれてジャリジャリして、それでもときおりくりかえして聴く。彼女のレコードは、その後オイロディスク盤で何枚か入手したが、それでもこの一枚が抜群のできだと思う。
     *
聴いてみたくなった。
できればオイロディスク原盤のドイツ・リート集を聴きたい、と思った。
この瀬川先生の文章にふれた人の多くは、私と同じだったのでは……、と思う。

けれど廃盤で入手できなかった。
一時期中古盤もずいぶん探したけれど、縁がなかった。

瀬川先生は、またこうも書かれている。
     *
 しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ、思ったものだ。
     *
モーツァルトの歌曲 K.523 Abendempfindung

Abend ist’s, die Sonne ist verschwunden,
Und der Mond strahlt Silberglanz;
So entfliehn des Lebens schönste Stunden,
Fliehn vorüber wie im Tanz.

Bald entflieht des Lebens bunte Szene,
Und der Vorhang rollt herab;
Aus ist unser Spiel, des Freundes Träne
Fließet schon auf unser Grab.

Bald vielleicht -mir weht, wie Westwind leise,
Eine stille Ahnung zu-
Schließ ich dieses Lebens Pilgerreise,
Fliege in das Land der Ruh.

Werdet ihr dann an meinem Grabe weinen,
Trauernd meine Asche sehn,
Dann, o Freunde, will ich euch erscheinen
Und will himmelauf euch wehn.

Schenk auch du ein Tränchen mir
Und pflücke mir ein Veilchen auf mein Grab,
Und mit deinem seelenvollen Bli cke
Sieh dann sanft auf mich herab.

Weih mir eine Träne, und ach! schäme
dich nur nicht, sie mir zu weihn;
Oh, sie wird in meinem Diademe
Dann die schönste Perle sein!

夕暮だ、太陽は沈み、
月が銀の輝きを放っている、
こうして人生の最もすばらしい時が消えてゆく、
輪舞の列のように通り過ぎてゆくのだ。

やがて人生の華やかな情景は消えてゆき、
幕が次第に下りてくる。
僕たちの芝居は終り、友の涙が
もう僕たちの墓の上に流れ落ちる。

おそらくもうすぐに──そよかな西風のように、
ひそかな予感が吹き寄せてくる──
僕はこの人生の巡礼の旅を終え、
安息の国へと飛んでゆくのだ。

そして君たちが僕の墓で涙を流し、
灰になった僕を見て悲しむ時には、
おお友たちよ、僕は君たちの前に現われ、
天国の風を君たちに送ろう。

君も僕にひと粒の涙を贈り物にし、
すみれを摘んで僕の墓の上に置いておくれ、
そして心のこもった目で
やさしく僕を見下しておくれ。

涙を僕に捧げておくれ、そしてああ! それを
恥ずかしがらずにやっておくれ。
おお、その涙は僕を飾るものの中で
一番美しい真珠になるだろう!
(対訳:石井不二雄氏)

エリカ・ケートの歌曲集はCDになった。
1990年ごろだったろうか。もちろんすぐに買った。

瀬川先生の文章を読んだ日から30数年、
CDを聴いてから20数年経つ。

エリカ・ケートのことは、何度か書いている。
今日また書いているのは、タワーレコードがオイロディスク音源のSACDを出すからだ。

6月24日に第一弾の三枚が出る。
エリカ・ケートは含まれていない。

《エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、
滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声》を、SACDで聴いてみたい。

Date: 5月 17th, 2016
Cate: 五味康祐

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》(その3)

奇妙な夢、無気味な夢、不思議な夢……、
どんな夢でもいい、夢をみて、それを憶えておきたいがために、
長い昼寝をとり浅い眠りにつくことをあえてすることがある。

先日もそんなふうにして、ある夢を見ていた。
なぜか、私のところにさまざまなスピーカーシステムが届く、そんな夢だった。
しかも、どのスピーカーも大型のモノばかりで、JBLの4550をベースにしたシステム。
4550は15インチ・ウーファーを二発おさめるフロントロードホーン・エンクロージュア。

夢に出てきたのは、15インチ・ウーファーを四発おさめるもので、
その上に2350ホーンが三段スタックで置かれていた。
ドライバーは2440(2441)だった。

このスピーカーの他にもヴァイタヴォックスの劇場用であるBASS BIN、
アルテックの劇場用のA2、こういう大型のモノを筆頭に、
20組くらいのスピーカーシステムが届く。

これらのスピーカーを置くだけのスペースでも、どれだけの広さがいるのか。
そんな、絶対にありえなそうな夢だった。

そのひとつにタンノイのKingdomがあった。
現在のKingdom Royalではなく、以前の堂々としていたKingdomである。

最初のKingdom(18インチ・ウーファー搭載)があった。
その下の15インチ・ウーファーのKingdomもあった。12インチ・ウーファーのもあった。

まさに選り取り見取りである。
その中で、私はKingdomの前に立っていた。

他のスピーカーは、またどこかに行ってしまおうとも、
Kingdomだけは絶対に確保しておきたい、と思って、その前に立ったわけだ。

目覚めているときに、欲しい、と思ったことのあるスピーカーのいくつかは、
その夢の中にも登場していた。
なのに、夢の中の私は、Kingdomを選んでいた。

不思議な夢だった、と思いながら、
     *
今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
     *
この五味先生の文章を思い出していた。

タンノイのスピーカーは、そこそこの数聴いてきている。
けれど、自分のモノとしてきたことはない。

オートグラフが2000年にミレニアム・モデルとして復刻されたときは、欲しい、と思った。
けれど、手が出せなかった。

タンノイへの憧憬(これは私の場合、オートグラフへの憧憬である)を持ちながら、
タンノイを鳴らしてこなかったわけだ。

私はまだ《タンノイのほんとうの音を聴き出す》までに到っていないことを、
夢で再確認していたのかもしれない。

Date: 5月 12th, 2016
Cate: 五味康祐

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》(その2)

「世界のオーディオ」タンノイ号巻頭「わがタンノイ・オートグラフ」のあとには、
瀬川先生の「私とタンノイ」が続いている。

その冒頭に書かれている。
     *
 レコードを聴きはじめたのは、酒を飲みはじめたのよりもはるかに古い。だが、味にしても音色にしても、それがほんとうに「わかる」というのは、年季の長さではなく、結局のところ、若さを失った故に酒の味がわかってくると同じような、ある年齢に達することが必要なのではないのだろうか。いまになってそんな気がしてくる。つまり、酒の味が何となくわかるような気がしてきたと同じその頃以前に、果して、本当の意味で自分に音がわかっていたのだろうか、ということを、いまにして思う。むろん、長いこと音を聴き分ける訓練を重ねてきた。周波数レインジの広さや、その帯域の中での音のバランスや音色のつながりや、ひずみの多少や……を聴き分ける訓練は積んできた。けれど、それはいわば酒のアルコール度数を判定するのに似て、耳を測定器のように働かせていたにすぎないのではなかったか。音の味わい、そのニュアンスの微妙さや美しさを、ほんとうの意味で聴きとっていなかったのではないか。それだからこそ、ブラインドテストや環境の変化で簡単にひっかかるような失敗をしてきたのではないか。そういうことに気づかずに、メーカーのエンジニアに向かって、あなたがたは耳を測定器的に働かせるから本当の音がわからないのではないか、などと、もったいぶって説教していた自分が、全く恥ずかしいような気になっている。
     *
《音の味わい、そのニュアンスの微妙さや美しさを、ほんとうの意味で聴きとっていなかったのではないか。》
とある。

この瀬川先生の文章が、
五味先生の文章
     *
 今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
     *
私の場合、ここにかかってくる。

ほんとうの音を聴き出す──、
それができるようになるのに必要なのは、時間、それも永い時間なのだろう。

Date: 5月 12th, 2016
Cate: 五味康祐

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》(その1)

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》──、
もちろん五味先生の言葉だ。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」タンノイ号の巻頭
「わがタンノイ・オートグラフ」の中に出てくる。
     *
 今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
     *
なにげない文章のように感じる人もいようが、
これは書けないな……、といつも思う。

私なら「タンノイのほんとうの音の聴き出すまでに」のところは、
引き出すまでに、とか、鳴らし出す、とか書いてしまう。
「聴き出すまでに」とは書かない(書けない)から、よけいにそう感じてしまう。

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》もそうだ。
あくまでもここでは《一つのスピーカーの出す音の美しさ》であり、
《一つのスピーカーの出す音の良さ》ではない。

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》、
実はなかなか聴けない。

Date: 4月 19th, 2016
Cate: 五味康祐

「シュワンのカタログ」を読んだ者として

4月14日以降、「実家はどうなの?」ときかれる。
熊本は私の故郷である。
いまたいへんなことになっている。

なにか書こうと思っても、五年前とは違って書けずにいた(書かないでいた)。
今日もそうだった。
ある人にきかれた。その人は続けて言った。

「熊本にいる女性タレントが、甘いものが食べたい、とブログに書いて批判を浴びているけど……」と。
その女性タレントのブログを読んでいないけれど、
こういう状況においても、というよりも、そういう状況だからこそ嗜好品を求めるものではないだろうか。

同じことを同じタイトルで五年前にも書いた
五年前に引用した五味先生の文章をもう一度引用しておこう。
     *
レコードを聴けないなら、日々、好きなお茶を飲めなくなったよりも苦痛だろうと思えた時期が私にはあった。パンなくして人は生きる能わずというが、嗜好品──たとえば煙草のないのと、めしの食えぬ空腹感と、予感の上でどちらが苦痛かといえば、煙草のないことなのを私は戦場で体験している。めしが食えない──つまり空腹感というのは苦痛に結びつかない。吸いたい煙草のない飢渇は、精神的にあきらかに苦痛を感じさせる。私は陸軍二等兵として中支、南支の第一線で苦力なみに酷使されたが、農民の逃げたあとの民家に踏み込んで、まず、必死に探したのは米ではなく煙草だった。自分ながらこの行為にはおどろきながら私は煙草を求めた。人は、まずパンを欲するというのは嘘だ。戦場だからいつ死ぬかも分らない。したがって米への欲求はそれほどの必然性をもたなかったから、というなら、煙草への欲求もそうあるべきはずである。ところが死物狂いで私は煙草を求めたのである。(「シュワンのカタログ」より「西方の音」所収)
     *
熊本はまだ余震が続いている。
そういう状況に人はおかれて、何を欲するのか。

それは贅沢な行為なのだろうか、わがままな要求なのだろうか。

Date: 4月 4th, 2016
Cate: 五味康祐

桜の季節に(坂口安吾と五味康祐)

坂口安吾がいなかったら……、と思ってしまう。

いつのころの週刊文春だったか、1953年の芥川賞で「喪神」が選ばれたのは、
坂口安吾の強い推しがあったからだ、という記事が載っていた。
他の選考委員は「喪神」に否定的だった、ともあった。

坂口安吾が、あの時、芥川賞の選考委員でなかったならば、
「喪神」は芥川賞に選ばれなかっただろうし、五味先生のその後も大きく変っていたことだろう。

仮空の話である。
そんなことはわかりきっている。
その上で書いている。

坂口安吾がいなかったら、ステレオサウンドは創刊されていなかった可能性もある。
五味先生が藝術新潮に連載を持っていなかった可能性があるからだ。

ステレオサウンドが創刊されていたとしても、そこには五味康祐の名前はなかった可能性もある。
五味先生のいないステレオサウンドを想像してみたらいい。

「五味オーディオ教室」も出ていなかっただろう。

もしそうだったら、私はどんなオーディオマニアになっていただろうか。
オーディオマニアになっていただろうか。

なっていたとしても……、と思ってしまう。

Date: 4月 3rd, 2016
Cate: 五味康祐

桜の季節に

毎年この時期に思い出す五味先生の文章がある。
1972年発行の「ミセス」に載った「花の乱舞」だ。
     *
 花といえば、往昔は梅を意味したが、今では「花はさくら樹、人は武士」のたとえ通り桜を指すようになっている。さくらといえば何はともあれ──私の知る限り──吉野の桜が一番だろう。一樹の、しだれた美しさを愛でるのなら京都近郊(北桑田郡)周山町にある常照皇寺の美観を忘れるわけにゆかないし、案外この寂かな名刹の境内に咲く桜の見事さを知らない人の多いのが残念だが、一般には、やはり吉野山の桜を日本一としていいようにおもう。
 ところで、その吉野の桜だが、満開のそれを漫然と眺めるのでは実は意味がない。衆知の通り吉野山の桜は、中ノ千本、奥ノ千本など、在る場所で咲く時期が多少異なるが、もっとも壮観なのは満開のときではなくて、それの散りぎわである。文字通り万朶のさくらが一陣の烈風にアッという間に散る。散った花の片々は吹雪のごとく渓谷に一たんはなだれ落ちるが、それは、再び龍巻に似た旋風に吹きあげられ、谷間の上空へ無数の花片を散らせて舞いあがる。何とも形容を絶する凄まじい勢いの、落花の群舞である。吉野の桜は「これはこれはとばかり花の吉野山」としか他に表現しようのない、全山コレ桜ばかりと思える時期があるが、そんな満開の花弁が、須臾にして春の強風に散るわけだ。散ったのが舞い落ちずに、龍巻となって山の方へ吹き返される──その壮観、その華麗──くどいようだが、落花のこの桜ふぶきを知らずに吉野山は語れない。さくらの散りぎわのいさぎよいことは観念として知られていようが、何千本という桜が同時に散るのを実際に目撃した人は、そう多くないだろう。──むろん、吉野山でも、こういう見事な花の散り際を眺められるのは年に一度だ。だいたい四月十五日前後に、中ノ千本付近にある旅亭で(それも渓谷に臨んだ部屋の窓ぎわにがん張って)烈風の吹いてくるのを待たねばならない。かなり忍耐力を要する花見になるが、興味のある人は、一度、泊まりがけで吉野に出向いて散る花の群舞をご覧になるとよい。
     *
今年は、この「花の乱舞」と坂口安吾の「桜の森の満開の下」が重なり、
桜とは怖ろしいものだ、という感を深くする。

Date: 3月 31st, 2016
Cate: 川崎和男

KK塾が終って……(その4)

これから書くことは蛇足かも……、と思っているところはあるし、
読む人によっては余計なことを、と受け取るだろう。
それでも書く。

草月ホールでの川崎先生の講演のときに、
ステレオサウンドにあのままいたら……、と思わないわけではなかった。

ステレオサウンド編集部という看板があれば、すぐにでも会える、連載を依頼できる──、
そんなことを、少しは思っていたことを白状する。

でも、この時の私には何の看板もなかった。
それにステレオサウンドにいたとしても、その看板は他人(ひと)がつくったものでしかない。

けれど、そのことを勘違いしてしまうことがある。
その看板を利用したとしよう、
おそらく「遠い」という感覚を味わうことはなかったはずだ。

この「遠い」という感覚をもっていない者だから、
あっさりと川崎先生の連載を手離すことをやってしまう。

「人は大切なことから忘れてしまう」と書いた。
けれど「遠い」という感覚を持たぬ者は、
「大切なことにすら気づかない」。

「遠い」という感覚から離れてしまったところでつくられている(編輯されている、とは書かない)が、
現在のステレオサウンドである。

Date: 3月 29th, 2016
Cate: 川崎和男

KK塾が終って……(その3)

いまはどうかといえば、何人かの方と挨拶を交したり、立ち話をしたりすることもある。
六回目のKK塾のとき、会場を出ようとしたら後から「すいません」と呼び止められた。

あれっ、忘れ物か何かを落としたかな、と思い、立ち止り振り返ったら、
「audio sharingの宮﨑さんですか」とたずねられた。
初対面の方だった。

草月ホールでの川崎先生の講演から20年も経つと、変っていく。
それでも、オープニングのカウントダウンが思い出させてくれることがある。

「遠い」という感覚だ。
草月ホールでの講演中に感じ、ホールを後にするときにも感じた「遠い」という感覚。
もっとも強く感じた感覚だ。

「人は大切なことから忘れていく」と、
菅野先生との対談のときに川崎先生がいわれた。

大切なことから忘れていき、忘れたことにすら気づかない。
そういうものかもしれない。
そうやって、私も大切なことを忘れていっているのかもしれない。

だから「遠い」という感覚だけは忘れないようにしている。

Date: 3月 28th, 2016
Cate: 川崎和男

KK塾が終って……(その2)

インパクトのあるカウントダウンのあとに、講演が始まった。
オープニングのカウントダウンが、いまもはっきりと思い出せるのは、
続く講演の内容が素晴らしかったからである。

その講演の途中、スクリーンが白くなり、
Sad Macの表示が出た。

Sad Macといっても、Mac OS X以降のMacしか知らない人はわからないだろう。
Macは起動時にハードウェアのチェックを行う。
ここで異常があると、モトローラ時代のMacでは、イヤな感じのする音とともにSad Macが表示される。
正常であればHappy Mac(ニコニコMacともいっていた)が表示される。

これは川崎先生のジョークである。
Macを使っていた人ならば、動作中のMacでSad Macが出ることはない。
これが表示されるのは、あくまでも起動中においてのみである。
動作中に出てイヤな思いをするのは、いわゆる爆弾マークである。

この人はこういうこともする人なんだ。おちゃめなところもある人なんだ、と思っていた。
手塚治虫のマンガには、ヒョウタンツギやおむかえでゴンスといったキャラクターが、
唐突にコマに乱入する。
それに似た感覚からなのだろうか、とも思っていた。

草月ホールでの講演のころの私は、しんどい生活を送っていた。
草月ホールのロビーでは、川崎先生デザインのタイマー Canoが販売されていた。
たしか、Canoの購入は寄付行為でもあった、と記憶している。

手に入れたかったけれど、3000円ほどの出費がしんどくてあきらめて会場を後にした。

この時、草月ホールに集まっていた人たちは、違う世界の人たちのようにも感じた。
知っている人は、当然のことだけどひとりもいなかった。

場違いの人間が、ひとりぽつんと坐っている……、という感じもしていた。

そんなことがあった。
講演の内容は素晴らしかっただけに、
よけいに「この人に会える日が来るのだろうか」と途方に暮れていた。
ほんとうに、すごく遠い距離を感じていた。

Date: 3月 26th, 2016
Cate: 川崎和男

KK塾が終って……(その1)

KK塾に、七回行った。
一回目は10月末だった。
予定よりも一時間すぎて終了した。
17時半ごろに、DNPホールを出た。

すでに暗くなっていた。
11月、12月はほぼ予定時間どおり16時半ごろに終ったけれど、
日は短くなっているから、DNPホールを出ると暗い。

六回目(3月上旬)、DNPホールを出て最初に感じたのは「明るい」だった。
もう春がそこまで来ているんだな、とあたりまえのことを感じていた。

七回目の昨日、目黒駅までの途中にある微生物研究所の建物がほぼでき上がっていた。
KK塾、最初のころは建築途中で囲いがなされていた。

毎回楽しみにしていただけに待ち遠しいと思うとともに、
充実していただけに短かったようにも感じられるところもあったけれど、
まわりの景色の変化は確実に半年経っていることを教えてくれる。

KK塾のオープニングは、カウントダウンから始まる。
これを見るたびに、草月ホールでの川崎先生の講演を思い出す。
もう条件反射のように思い出してしまう。

ほぼ20年前、私にとっては初めての川崎先生の講演だった。
どんなことを話されるのか、まったく見当がついていなかった。
そこにスクリーンいっぱいに映し出される数字。
カウントダウンが始まった。

その日のことを思い出す。
意識せずとも思い出してしまう。

Date: 3月 25th, 2016
Cate: 川崎和男

KK適塾

今秋からKK適塾が始まる。
詳細はまだだが、もしできれば……、と思うことがひとつある。

出来れば自分でやりたかったことで、
audio sharingを公開した時から考えていることだ。

川崎和男・内田光子 対談だ。
今年の秋、内田光子は来日する。
可能性がゼロというわけではない。

このふたりの対談は、スリリングになると思う。

Date: 3月 25th, 2016
Cate: 川崎和男

KK塾(七回目)

KK塾、七回目の講師は、松岡正剛氏。

KK塾では毎回印刷物が、受付で手渡される。
今回はその中に「松岡正剛 方法と編集」が含まれていた。
最初のページに、こう書いてあった。
     *
知識を編集するのではなく、
編集を知識にするべきである。
編集とは、「方法の自由」と
「関係の発見」にかかわるためのものである。
     *
私がステレオサウンド編集部にいたころに出た話を思い出していた。
具体的なことは、まだ書かないが、確かにそうだ、と納得するしかない指摘だった。

少なくとも、その指摘はいまのステレオサウンド編集部にもいえることだ。

KK塾2015は今回で終った。
オーディオ関係者は、なぜ来ないのだろうかと、毎回思ってしまう。

金曜日の午後、そんな時間に行けるわけないだろう、というのは簡単だ、
バカにでも出来る。

でも、ほぼ毎回来ているオーディオ関係者はいるのだ。

Date: 3月 4th, 2016
Cate: 川崎和男

KK塾(続DNPのこと)

KK塾、六回目の講師、澤芳樹氏が開発されたヒト(自己)骨格筋由来細胞シートは、
テルモから「ハートシート」という名称で製造されていることは知っていた。

ハートシートが実際にどのように製造されるのか、その詳細を知っているわけではないが、
なんなくではあるが印刷が関係しているのではないだろうか、
だとしたらDNPも関係しているんだろうな……、そんなことを思いながら会場に向っていた。

KK塾は六回目。
毎回来ていると会場の雰囲気が毎回微妙に違っていることを感じる。
今日も違っているな、と感じていた。
DNPのバッヂを胸につけていた人がかなり多かった。

やっぱりハートシートにDNPも関係しているんだ、と確信したし、実際にそうであることが話された。

今回DNPの社員によるプレゼンテーションはなかった。
楽しみにしていたので少しがっかりだったが、
今回もDNPという会社の「印刷」に対する取り組みのダイナミクスの大きさを感じる。

DNPの「D」は、Dynamicsであると感じるし、
DNPがオーディオの世界、音の世界に進出してくれることを、期待してしまう。

川崎先生がオーディオのデザインをふたたび手がけられるとしたら、DNPとである可能性が高い──、
前回から感じていることを、今日また、より強く感じていた。

Date: 3月 4th, 2016
Cate: 川崎和男

KK塾(六回目)

KK塾、六回目の講師は、澤芳樹氏。

今回でKK塾は六回目。
今年度は3月25日に七回目(松岡正剛氏)で終る。

七人の講師。
回を重ねるごとに、なぜこの七人の講師なのかを、強く意識するようになる。
今回は、これまで以上にそのことを強く感じていた。

今のところ、毎回行っている。
毎回行くべきだと、思う。