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Date: 7月 12th, 2016
Cate: 瀬川冬樹

AXIOM 80について書いておきたい(その1)

グッドマンにAXIOM 80というユニットがあった、ということは、何かで知っていた。
でも私がオーディオに興味を持ち始めた1976年にはすでに製造中止で、
写真も見てはいなかったし、詳しいことはほとんど知らなかったのだから、
名前だけ知っていた、というレベルでしかなかった。

AXIOM 80をはっきりと意識するようになったのは、
ステレオサウンド 50号の瀬川先生の文章を読んでからだ。
     *
 外径9・5インチ(約24センチ)というサイズは、過去どこの国にも例がなく、その点でもまず、これは相当に偏屈なスピーカーでないかと思わせる。しかも見た目がおそろしく変っている。しかし決して醜いわけではない。見馴れるにつれて惚れ惚れするほどの、機能に徹した形の生み出す美しさが理解できてくる。この一見変ったフレームの形は、メインコーン周辺(エッジ)とつけ根(ボイスコイルとコーンの接合部)との二ヵ所をそれぞれ円周上の三点でベークライトの小片によるカンチレバーで吊るす枠になっているためだ。
 これは、コーンの前後方向への動きをできるかぎりスムーズにさせるために、グッドマン社が創案した独特の梁持ち構造で、このため、コーンのフリーエア・レゾナンスは20Hzと、軽量コーンとしては驚異的に低い。
 ほとんど直線状で軽くコルゲーションの入ったメインコーンに、グッドマン独特の(AXIOMシリーズに共通の)高域再生用のサブコーンをとりつけたダブルコーン。外磁型の強力な磁極。耐入力は6Wといわめて少ないが能率は高く、音量はけっこう出る。こういう構造のため、反応がきわめて鋭敏で、アンプやエンクロージュアの良否におそろしく神経質なユニットだった。当時としてはかなりの数が輸入されている筈だが、AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──を、果してどれだけの人が本当に知っているのだろうか。
     *
AXIOM 80の鮮明な写真と瀬川先生の文章。
このふたつの相乗効果で、AXIOM 80は、その音を聴いておきたいスピーカーのひとつ、
それも筆頭格になった。

けれど瀬川先生が書かれている──
《AXIOM80の本ものの音──あくまでもふっくらと繊細で、エレガントで、透明で、やさしく、そしてえもいわれぬ色香の匂う艶やかな魅力──を、果してどれだけの人が本当に知っているのだろうか。》
ということは、そうでない音で鳴っているAXIOM 80が世の中には少なからずある、ということで、
なまじそういうAXIOM 80の音を聴くよりも、聴かない方がいいのかも……、とも思っていた。

それからというものは、ステレオサウンドに掲載されているオーディオ店の広告、
それも中古を扱っているオーディオ店の広告からAXIOM 80の文字を探してばかりいた。

AXIOM 80を手に入れたいけれど、どの程度中古市場に出ているのか。
どのくらいの価格なのだろうか。
ステレオサウンド 50号の瀬川先生の文章以上の情報はなにも知らなかった。
とにかく、このユニットのことを少しでも知りたい、と思っていた日々があった。

Date: 7月 9th, 2016
Cate: 井上卓也

井上卓也氏のこと(ボザークとXRT20・その1)

1981年春、東京で暮すようになった。
行きたいところがあった。
そのひとつが、日本楽器銀座店だった。
目的はAUDIO CYCLOPEDIA。

AUDIO CYCLOPEDIAのことは、池田圭氏のラジオ技術の記事で知っていた。
そこには日本楽器銀座店の書籍売場にある、とも書いてあった。
1700ページ超の分厚い本で、15800円した。

そのころの私には、かなり高価な買物だったけれど、ためらわず買った。
全文英語である。
読破したとはいわないけれど、この本から学べたことは多い。
AUDIO CYCLOPEDIAがなかったら、いまの私のオーディオの知識はどう違っていただろうか。

AUDIO CYCLOPEDIAを入手した約半年後にステレオサウンド 60号が出ている。
マッキントッシュのXRT20が誌面に登場した号である。

24個のトゥイーターコラムが、ウーファー・エンクロージュアから独立した恰好は、
それまでのスピーカーにはなかった形態であった。

けれど同時に既視感もあった。
AUDIO CYCLOPEDIAに載っていたボザークのP4000Pというスピーカーの写真を見ていたからだ。
P4000Pは、日本に輸入されていたモデルでいえば、B4000A Moorishにあたるはずだ。

ボザークのことは知っていたとはいえ、
井上先生がステレオサウンドに書かれたもので知っていたくらいである。

ステレオサウンドに載っていたボザークの写真は、常にネット付きのままだった。
ユニット構成がどうなっているのかは知っていたけれど、
写真で見るのと文章だけで想像するのとでは、やはり違う。

AUDIO CYCLOPEDIAで、P4000Pのユニット配置の写真を見ていた私は、
XRT20のユニット配置に、近いものを感じていた。

P4000Pは30cmウーファーを縦に二発、その上に少しオフセットして16cmのスコーカー、
その横にコーン型トゥイーターが縦に八発並ぶ。

XRT20はトゥイーターコラムとして独立しているとはいえ、よく似ている。
エンクロージュアは、どちらも東海岸のスピーカーらしく密閉型である。

それからボザークはネットワークは一貫して6dB/octスロープを採用していた。
XRT20の初期型も、基本的には6dBスロープだと聞いている。

他にもいくつかの共通項を、このふたつのスピーカーからは見出せる。
そして思うことがある。

XRT20を、井上先生だったらどう鳴らされただろうか。

XRT20は菅野先生が高く評価、というより惚れ込まれて自宅に導入された。
上杉先生も導入されているけれど、やはりXRTといえば菅野先生のイメージが強く濃い。

こんなことありえないのだが、もし菅野先生がXRT20に惚れ込まれなかったとしたら……、
意外と思われるかもしれないが、井上先生が高く評価されていた可能性を、どうしても考えてしまう。

井上先生はボザークを愛用されていた。
そのボザークに通じるところがあり、より進歩したともいえるところのあるXRT20を、
井上先生はどう鳴らされたのか、どうしても想像してしまう。

ヴォイシングも一から井上先生が手がけられたXRT20の音は、
どこが菅野先生の鳴らし方と同じで、どこが違ってくるのか。

おおまかな音をイメージしながらも、細部についてあれこれ想像し積み重ねていく。

Date: 6月 14th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド 61号・その2)

ステレオサウンド 42号と43号には、
「ステレオサウンド創刊10周年記念オーディオ論文入選発表」という記事がある。

ステレオサウンドが創刊10周年を記念して、オーディオをテーマとした論文を募集したもので、
締切日までに57篇の応募があった、とある。

優秀論文として3篇、佳作として5篇が選ばれていて、
42号と43号に優秀論文が掲載されている。
最優秀論文は該当作品がなかった、ともある。

審査には第一次がステレオサウンド編集部、
第二次が井上卓也、岡俊雄、黒田恭一、菅野沖彦、瀬川冬樹、坂清也、山中敬三、
ステレオサウンド編集長の八氏によって行われている。

ステレオサウンド 59号の158ページには、
創刊15周年を記念しての論文を募集している。
ここではテーマが四つ挙げられている。
 ①筆者への手紙
 ②わが愛するコンポーネント
 ③MY SOUND GRAPHITY
 ④五味康祐論

締切りは1981年の9月1日、12月1日、1982年の3月1日、6月1日の四回で、
それぞれの応募作の中から入選作と佳作を選び、一年間を通しての入賞作の中から、
検出したものには特選賞が与えられる、というものだった。
賞金もついていた。
入選作に10万円、佳作に3万円で、特選賞には30万円だった。

読者の論文募集は、59号が最後だった(と記憶している)。
創刊20周年での募集はなかった。それ以降もなかった。
次号でステレオサウンドは創刊50周年を迎えるが、読者の論文募集はない。

このことをどう捉えるか。
このことだけで考えるのか、他のことと関連付けて考えるのかによっても変ってくる。
ステレオサウンドをどう捉えているかによってもそうだし、
それ以上に、創刊20周年時には瀬川先生はもうおられなかったことが強く関係している。
私は、いまそう考えている。

Date: 6月 13th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(ステレオサウンド 61号・その1)

昨日の「ミソモクソモイッショにしたのは誰なのか、何なのか(その10)」。
こういうことを書くと、どうしても瀬川先生のことを書きたくなる。
一種の反動のようなものかもしれない。

思いついたことを、だから書いておく。
ステレオサウンド 61号。
この号は「特別」な号になってしまった。

248ページから252ページまでの五ページ。
この五ページを、何度読み返したことか。

61号から瀬川先生は、もうステレオサウンドに登場しなくなった。
もう瀬川先生の文章が読めなくなったことを、
61号でもう一度知らされた。

菅野先生が書かれている。
     *
 彼の死のあまりの孤独さと、どうしょうもない世間馬鹿のこの才能豊かな一人の人間の生き様は、多くの人達には解るまい。もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはずだ。彼の中に、自分との共通性を見出すことが出来ない人間なら、彼の死も、その孤独さも、もっと単純な寂しさと悲しさ、そして残念さとして受けきめることが出来るのだろうけれど、僕の気持はもう少し複雑なのである。彼は、ほんとうに、ずば抜けて素晴らしく、また駄目な人間でもあった。彼のような人間は、まず多くの理解者に恵まれることはなかろう。
     *
できれば何度も読み返してほしい。

瀬川先生の生き様は《多くの人達には解るまい》と書かれている。
《もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはずだ。》とも書かれている。

結局、そうなのだ、と思う。
1981年の冬よりも、いまのほうがより強く、そう思ってしまう。
だから悲しいのだ。

《もし解っていたら、世の中、もっとよくなっているはず》ではなかったから、
ああいうことが起っている。
何も、ああいうことは、あの一例だけではない。

そして、ああいう人が、いまでは「先生」なのだ。
世の中(オーディオの世界)が、よくなっていくはずがない……のかもしれない。

Date: 6月 8th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(本のこと)

先日、facebookで教えてもらったのが、佐貫亦男氏の「発想のモザイク」である。
すでに絶版だが、検索すればいまでも入手は容易だ。

教えてくださったA氏(元ステレオサウンド編集者)は、瀬川先生に「読んでみろ」と奨められた、とのこと。

この項の(その18)にも書いているが、菅野先生から、以前教えてもらった本がある。
「オーム(瀬川先生のこと)は、佐藤(信夫)さんのレトリックの本を読んでいたし、影響を受けていたはず」と。

こういう本はまだ、きっとあるはず。

Date: 5月 29th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(何度書かれたのか)

瀬川先生は、オーディオ評論をはじめるにあたって、 
小林秀雄氏の「モオツァルト」を書き写されたことは、これまで何度か書いている。
私も一度やってみたことがある。

原稿用紙を買ってきて、一字一字書き写した。
これはしんどいな、と思った。

いまから30年ちかく前のことだ。
ステレオサウンドを辞めて無職。
何かの目的のために書き写したわけではなかったが、とにかくやってみた。

この時は考えなかったことがある。
瀬川先生は何度書き写されたのか。
一度ではないような気がしている。

映画評論家の淀川長治氏は「同じ映画を十回観れば映画監督になれる」といわれている、ときいた。
優れた映画監督になれるかどうかの保証はないはずだが、
十本の映画を一回ずつ観るよりも、優れた映画一本を十回観た方が、
映画監督を志す人ならば得られるものがある(多い)ということなのだろう。

瀬川先生は「モオツァルト」を何度書かれたのだろうか。

Date: 5月 27th, 2016
Cate: 五味康祐

音楽をオーディオで聴くということ(その3)

美に同化する、ということ。

音楽をオーディオで聴くということとは、そういうことである。
「五味オーディオ教室」と出逢って40年の結論である。

美を享受する聴き方もある。
どちらが高次な聴き方とか、そんなことをいう気はさらさらない。

「五味オーディオ教室」から始まった私のオーディオ(音楽の聴き方)は、
ここを目指している。
やっとそう思えるようになってきた。

Date: 5月 26th, 2016
Cate: 五味康祐

音楽をオーディオで聴くということ(その2)

その1)で書いたことを読み返して、思ったことがある。

事実と真実の違いである。
同じといえばそういえなくもないし、違うといえば違う。
はっきりとその違いについて説明できないにも関わらず、使い分けている。

でも改めて、事実と真実の違いについて考える。
少なくともオーディオ(音)においては、どうなのか、と範囲を狭めて考える。

(その1)で五味先生の文章を引用した。
もう一度引用しておく。
     *
沢庵とつくだ煮だけの貧しい食膳に妻とふたり、小説は書けず、交通費節約のため出社には池袋から新宿矢来町までいつも歩いた……そんな二年間で、やっとこれだけのレコードを私は持つことが出来た。
 白状すると、マージャンでレコード代を浮かそうと迷ったことがある。牌さえいじらせれば、私にはレコード代を稼ぐくらいは困難ではなかったし、ある三国人がしきりに私に挑戦した。毛布を質に入れる状態で、マージャンの元手があるわけはないが、三国人は当時の金で十万円を先ず、黙って私に渡す。その上でゲームを挑む。ギャンブルならこんな馬鹿な話はない。つまり彼は私とマージャンが打ちたかったのだろう。いちど、とうとうお金ほしさに徹夜マージャンをした。数万円が私の儲けになった。これでカートリッジとレコードが買える、そう思ったとき、こんな金でレコードを買うくらいなら、今までぼくは何を耐えてきたのか……男泣きしたいほど自分が哀れで、居堪れなくなった。音楽は私の場合何らかの倫理感と結びつく芸術である。私は自分のいやらしいところを随分知っている。それを音楽で浄化される。苦悩の日々、失意の日々、だからこそ私はスピーカーの前に坐り、うなだれ、涙をこぼしてバッハやベートーヴェンを聴いた。──三国人の邸からの帰途、こんな金はドブへ捨てろと思った。その日一日、映画を観、夜になると新宿を飲み歩いて泥酔して、ボロ布のような元の無一文になって私は家に帰った。編集者の要求する原稿を書こうという気になったのは、この晩である。
     *
結局、事実には倫理は関係・関与しない。
真実はそうではない。
人の感情も倫理も関係・関与してくる。

五味先生の文章を読んで、いまやっとそう思えた。

Date: 5月 25th, 2016
Cate: 瀬川冬樹, 瀬川冬樹氏のこと

瀬川冬樹氏のこと(エリカ・ケートのこと)

エリカ・ケートの名を知ったのは、瀬川先生の書かれたものであった。
     *
エリカ・ケートというソプラノを私はとても好きで、中でもキング/セブン・シーズから出て、いまは廃盤になったドイツ・リート集を大切にしている。決してスケールの大きさや身ぶりや容姿の美しさで評判になる人ではなく、しかし近ごろ話題のエリー・アメリンクよりも洗練されている。清潔で、畑中良輔氏の評を借りれば、チラリと見せる色っぽさが何とも言えない魅惑である。どういうわけかドイツのオイロディスク原盤でもカタログから落ちてしまってこれ一枚しか手もとになく、もうすりきれてジャリジャリして、それでもときおりくりかえして聴く。彼女のレコードは、その後オイロディスク盤で何枚か入手したが、それでもこの一枚が抜群のできだと思う。
     *
聴いてみたくなった。
できればオイロディスク原盤のドイツ・リート集を聴きたい、と思った。
この瀬川先生の文章にふれた人の多くは、私と同じだったのでは……、と思う。

けれど廃盤で入手できなかった。
一時期中古盤もずいぶん探したけれど、縁がなかった。

瀬川先生は、またこうも書かれている。
     *
 しかしその試聴で、もうひとつの魅力ある製品を発見したというのが、これも前述したマッキントッシュのC22とMC275の組合せで、アルテックの604Eを鳴らした音であった。ことに、テストの終った初夏のすがすがしいある日の午後に聴いた、エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声は、いまでも耳の底に焼きついているほどで、この一曲のためにこのアンプを欲しい、とさえ、思ったものだ。
     *
モーツァルトの歌曲 K.523 Abendempfindung

Abend ist’s, die Sonne ist verschwunden,
Und der Mond strahlt Silberglanz;
So entfliehn des Lebens schönste Stunden,
Fliehn vorüber wie im Tanz.

Bald entflieht des Lebens bunte Szene,
Und der Vorhang rollt herab;
Aus ist unser Spiel, des Freundes Träne
Fließet schon auf unser Grab.

Bald vielleicht -mir weht, wie Westwind leise,
Eine stille Ahnung zu-
Schließ ich dieses Lebens Pilgerreise,
Fliege in das Land der Ruh.

Werdet ihr dann an meinem Grabe weinen,
Trauernd meine Asche sehn,
Dann, o Freunde, will ich euch erscheinen
Und will himmelauf euch wehn.

Schenk auch du ein Tränchen mir
Und pflücke mir ein Veilchen auf mein Grab,
Und mit deinem seelenvollen Bli cke
Sieh dann sanft auf mich herab.

Weih mir eine Träne, und ach! schäme
dich nur nicht, sie mir zu weihn;
Oh, sie wird in meinem Diademe
Dann die schönste Perle sein!

夕暮だ、太陽は沈み、
月が銀の輝きを放っている、
こうして人生の最もすばらしい時が消えてゆく、
輪舞の列のように通り過ぎてゆくのだ。

やがて人生の華やかな情景は消えてゆき、
幕が次第に下りてくる。
僕たちの芝居は終り、友の涙が
もう僕たちの墓の上に流れ落ちる。

おそらくもうすぐに──そよかな西風のように、
ひそかな予感が吹き寄せてくる──
僕はこの人生の巡礼の旅を終え、
安息の国へと飛んでゆくのだ。

そして君たちが僕の墓で涙を流し、
灰になった僕を見て悲しむ時には、
おお友たちよ、僕は君たちの前に現われ、
天国の風を君たちに送ろう。

君も僕にひと粒の涙を贈り物にし、
すみれを摘んで僕の墓の上に置いておくれ、
そして心のこもった目で
やさしく僕を見下しておくれ。

涙を僕に捧げておくれ、そしてああ! それを
恥ずかしがらずにやっておくれ。
おお、その涙は僕を飾るものの中で
一番美しい真珠になるだろう!
(対訳:石井不二雄氏)

エリカ・ケートの歌曲集はCDになった。
1990年ごろだったろうか。もちろんすぐに買った。

瀬川先生の文章を読んだ日から30数年、
CDを聴いてから20数年経つ。

エリカ・ケートのことは、何度か書いている。
今日また書いているのは、タワーレコードがオイロディスク音源のSACDを出すからだ。

6月24日に第一弾の三枚が出る。
エリカ・ケートは含まれていない。

《エリカ・ケートの歌うモーツァルトの歌曲 Abendempfindung(夕暮の情緒)の、
滑らかに澄んで、ふっくらとやわらかなあの美しい歌声》を、SACDで聴いてみたい。

Date: 5月 17th, 2016
Cate: 五味康祐

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》(その3)

奇妙な夢、無気味な夢、不思議な夢……、
どんな夢でもいい、夢をみて、それを憶えておきたいがために、
長い昼寝をとり浅い眠りにつくことをあえてすることがある。

先日もそんなふうにして、ある夢を見ていた。
なぜか、私のところにさまざまなスピーカーシステムが届く、そんな夢だった。
しかも、どのスピーカーも大型のモノばかりで、JBLの4550をベースにしたシステム。
4550は15インチ・ウーファーを二発おさめるフロントロードホーン・エンクロージュア。

夢に出てきたのは、15インチ・ウーファーを四発おさめるもので、
その上に2350ホーンが三段スタックで置かれていた。
ドライバーは2440(2441)だった。

このスピーカーの他にもヴァイタヴォックスの劇場用であるBASS BIN、
アルテックの劇場用のA2、こういう大型のモノを筆頭に、
20組くらいのスピーカーシステムが届く。

これらのスピーカーを置くだけのスペースでも、どれだけの広さがいるのか。
そんな、絶対にありえなそうな夢だった。

そのひとつにタンノイのKingdomがあった。
現在のKingdom Royalではなく、以前の堂々としていたKingdomである。

最初のKingdom(18インチ・ウーファー搭載)があった。
その下の15インチ・ウーファーのKingdomもあった。12インチ・ウーファーのもあった。

まさに選り取り見取りである。
その中で、私はKingdomの前に立っていた。

他のスピーカーは、またどこかに行ってしまおうとも、
Kingdomだけは絶対に確保しておきたい、と思って、その前に立ったわけだ。

目覚めているときに、欲しい、と思ったことのあるスピーカーのいくつかは、
その夢の中にも登場していた。
なのに、夢の中の私は、Kingdomを選んでいた。

不思議な夢だった、と思いながら、
     *
今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
     *
この五味先生の文章を思い出していた。

タンノイのスピーカーは、そこそこの数聴いてきている。
けれど、自分のモノとしてきたことはない。

オートグラフが2000年にミレニアム・モデルとして復刻されたときは、欲しい、と思った。
けれど、手が出せなかった。

タンノイへの憧憬(これは私の場合、オートグラフへの憧憬である)を持ちながら、
タンノイを鳴らしてこなかったわけだ。

私はまだ《タンノイのほんとうの音を聴き出す》までに到っていないことを、
夢で再確認していたのかもしれない。

Date: 5月 12th, 2016
Cate: 五味康祐

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》(その2)

「世界のオーディオ」タンノイ号巻頭「わがタンノイ・オートグラフ」のあとには、
瀬川先生の「私とタンノイ」が続いている。

その冒頭に書かれている。
     *
 レコードを聴きはじめたのは、酒を飲みはじめたのよりもはるかに古い。だが、味にしても音色にしても、それがほんとうに「わかる」というのは、年季の長さではなく、結局のところ、若さを失った故に酒の味がわかってくると同じような、ある年齢に達することが必要なのではないのだろうか。いまになってそんな気がしてくる。つまり、酒の味が何となくわかるような気がしてきたと同じその頃以前に、果して、本当の意味で自分に音がわかっていたのだろうか、ということを、いまにして思う。むろん、長いこと音を聴き分ける訓練を重ねてきた。周波数レインジの広さや、その帯域の中での音のバランスや音色のつながりや、ひずみの多少や……を聴き分ける訓練は積んできた。けれど、それはいわば酒のアルコール度数を判定するのに似て、耳を測定器のように働かせていたにすぎないのではなかったか。音の味わい、そのニュアンスの微妙さや美しさを、ほんとうの意味で聴きとっていなかったのではないか。それだからこそ、ブラインドテストや環境の変化で簡単にひっかかるような失敗をしてきたのではないか。そういうことに気づかずに、メーカーのエンジニアに向かって、あなたがたは耳を測定器的に働かせるから本当の音がわからないのではないか、などと、もったいぶって説教していた自分が、全く恥ずかしいような気になっている。
     *
《音の味わい、そのニュアンスの微妙さや美しさを、ほんとうの意味で聴きとっていなかったのではないか。》
とある。

この瀬川先生の文章が、
五味先生の文章
     *
 今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
     *
私の場合、ここにかかってくる。

ほんとうの音を聴き出す──、
それができるようになるのに必要なのは、時間、それも永い時間なのだろう。

Date: 5月 12th, 2016
Cate: 五味康祐

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》(その1)

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》──、
もちろん五味先生の言葉だ。

ステレオサウンド別冊「世界のオーディオ」タンノイ号の巻頭
「わがタンノイ・オートグラフ」の中に出てくる。
     *
 今おもえば、タンノイのほんとうの音を聴き出すまでに私は十年余をついやしている。タンノイの音というのがわるいなら《一つのスピーカーの出す音の美しさ》と言い代えてもよい。
     *
なにげない文章のように感じる人もいようが、
これは書けないな……、といつも思う。

私なら「タンノイのほんとうの音の聴き出すまでに」のところは、
引き出すまでに、とか、鳴らし出す、とか書いてしまう。
「聴き出すまでに」とは書かない(書けない)から、よけいにそう感じてしまう。

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》もそうだ。
あくまでもここでは《一つのスピーカーの出す音の美しさ》であり、
《一つのスピーカーの出す音の良さ》ではない。

《一つのスピーカーの出す音の美しさ》、
実はなかなか聴けない。

Date: 4月 19th, 2016
Cate: 五味康祐

「シュワンのカタログ」を読んだ者として

4月14日以降、「実家はどうなの?」ときかれる。
熊本は私の故郷である。
いまたいへんなことになっている。

なにか書こうと思っても、五年前とは違って書けずにいた(書かないでいた)。
今日もそうだった。
ある人にきかれた。その人は続けて言った。

「熊本にいる女性タレントが、甘いものが食べたい、とブログに書いて批判を浴びているけど……」と。
その女性タレントのブログを読んでいないけれど、
こういう状況においても、というよりも、そういう状況だからこそ嗜好品を求めるものではないだろうか。

同じことを同じタイトルで五年前にも書いた
五年前に引用した五味先生の文章をもう一度引用しておこう。
     *
レコードを聴けないなら、日々、好きなお茶を飲めなくなったよりも苦痛だろうと思えた時期が私にはあった。パンなくして人は生きる能わずというが、嗜好品──たとえば煙草のないのと、めしの食えぬ空腹感と、予感の上でどちらが苦痛かといえば、煙草のないことなのを私は戦場で体験している。めしが食えない──つまり空腹感というのは苦痛に結びつかない。吸いたい煙草のない飢渇は、精神的にあきらかに苦痛を感じさせる。私は陸軍二等兵として中支、南支の第一線で苦力なみに酷使されたが、農民の逃げたあとの民家に踏み込んで、まず、必死に探したのは米ではなく煙草だった。自分ながらこの行為にはおどろきながら私は煙草を求めた。人は、まずパンを欲するというのは嘘だ。戦場だからいつ死ぬかも分らない。したがって米への欲求はそれほどの必然性をもたなかったから、というなら、煙草への欲求もそうあるべきはずである。ところが死物狂いで私は煙草を求めたのである。(「シュワンのカタログ」より「西方の音」所収)
     *
熊本はまだ余震が続いている。
そういう状況に人はおかれて、何を欲するのか。

それは贅沢な行為なのだろうか、わがままな要求なのだろうか。

Date: 4月 4th, 2016
Cate: 五味康祐

桜の季節に(坂口安吾と五味康祐)

坂口安吾がいなかったら……、と思ってしまう。

いつのころの週刊文春だったか、1953年の芥川賞で「喪神」が選ばれたのは、
坂口安吾の強い推しがあったからだ、という記事が載っていた。
他の選考委員は「喪神」に否定的だった、ともあった。

坂口安吾が、あの時、芥川賞の選考委員でなかったならば、
「喪神」は芥川賞に選ばれなかっただろうし、五味先生のその後も大きく変っていたことだろう。

仮空の話である。
そんなことはわかりきっている。
その上で書いている。

坂口安吾がいなかったら、ステレオサウンドは創刊されていなかった可能性もある。
五味先生が藝術新潮に連載を持っていなかった可能性があるからだ。

ステレオサウンドが創刊されていたとしても、そこには五味康祐の名前はなかった可能性もある。
五味先生のいないステレオサウンドを想像してみたらいい。

「五味オーディオ教室」も出ていなかっただろう。

もしそうだったら、私はどんなオーディオマニアになっていただろうか。
オーディオマニアになっていただろうか。

なっていたとしても……、と思ってしまう。

Date: 4月 3rd, 2016
Cate: 五味康祐

桜の季節に

毎年この時期に思い出す五味先生の文章がある。
1972年発行の「ミセス」に載った「花の乱舞」だ。
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 花といえば、往昔は梅を意味したが、今では「花はさくら樹、人は武士」のたとえ通り桜を指すようになっている。さくらといえば何はともあれ──私の知る限り──吉野の桜が一番だろう。一樹の、しだれた美しさを愛でるのなら京都近郊(北桑田郡)周山町にある常照皇寺の美観を忘れるわけにゆかないし、案外この寂かな名刹の境内に咲く桜の見事さを知らない人の多いのが残念だが、一般には、やはり吉野山の桜を日本一としていいようにおもう。
 ところで、その吉野の桜だが、満開のそれを漫然と眺めるのでは実は意味がない。衆知の通り吉野山の桜は、中ノ千本、奥ノ千本など、在る場所で咲く時期が多少異なるが、もっとも壮観なのは満開のときではなくて、それの散りぎわである。文字通り万朶のさくらが一陣の烈風にアッという間に散る。散った花の片々は吹雪のごとく渓谷に一たんはなだれ落ちるが、それは、再び龍巻に似た旋風に吹きあげられ、谷間の上空へ無数の花片を散らせて舞いあがる。何とも形容を絶する凄まじい勢いの、落花の群舞である。吉野の桜は「これはこれはとばかり花の吉野山」としか他に表現しようのない、全山コレ桜ばかりと思える時期があるが、そんな満開の花弁が、須臾にして春の強風に散るわけだ。散ったのが舞い落ちずに、龍巻となって山の方へ吹き返される──その壮観、その華麗──くどいようだが、落花のこの桜ふぶきを知らずに吉野山は語れない。さくらの散りぎわのいさぎよいことは観念として知られていようが、何千本という桜が同時に散るのを実際に目撃した人は、そう多くないだろう。──むろん、吉野山でも、こういう見事な花の散り際を眺められるのは年に一度だ。だいたい四月十五日前後に、中ノ千本付近にある旅亭で(それも渓谷に臨んだ部屋の窓ぎわにがん張って)烈風の吹いてくるのを待たねばならない。かなり忍耐力を要する花見になるが、興味のある人は、一度、泊まりがけで吉野に出向いて散る花の群舞をご覧になるとよい。
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今年は、この「花の乱舞」と坂口安吾の「桜の森の満開の下」が重なり、
桜とは怖ろしいものだ、という感を深くする。