Archive for category 黒田恭一

Date: 5月 19th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(「遠い音」)

ステレオサウンド 57号に「遠い音(上)」が、58号に「遠い音(下)」を、黒田先生は書かれている。
23号からはじまった「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」、43号からの「さらに聴きとるものとの対話を」、
これらの一連の連載の中で、この「遠い音」だけが2回にわたっている。

ほかの回と、これだけ雰囲気が異なっているのは、ステレオサウンドに掲載されているときに読んで気がついた。
登場人物は黒田先生自身だということは、すぐにわかる。

ある喫茶店がある。ここでのことを「遠い音」では書かれている。
読んでいけば、黒田先生の創作によるものだとわかってくる。

「遠い音(下)」を読めば、ここに登場してくる、「13」と印字されただけのマッチの意味あいがはっきりとなる。
それで読み手は納得できる。
だから納得したつもりになっていた。

さきほど「遠い音」を入力し終えて、ひとつ気づいた。
「遠い音」の中のふるぼけた喫茶店でかけられていた3組のレコードは、
どれも1938年に録音されたものばかりであることは、「遠い音」の中に書かれている。
1938年が、どういう年なのかも、当然書かれている。

だから、「遠い音」を読んだ30年前、納得したつもりになれた。
「なれた」だけで、「できた」わけでなかったことに、今日気づいた。

1938年には、もうひとつの意味がある。
黒田先生は、1938年1月1日の生れである、からだ。

そのことに気づくと、じつは、このとについてさり気なく書かれていることにも気づく。
「そうか、あの店は、自分が生れたときからずっとああやってひらいていたのかと、あらためて思い」
と書かれている。

「遠い音」を最初に読んだときは、黒田先生の年齢を知らなかった。
写真で見る黒田先生は、実際の年齢よりも若く見えていたから、そう思いこんでしまっていた。
だから、1938年生れとは思っていなかったから、

「そうか、あの店は、自分が生れたときからずっとああやってひらいていたのかと、あらためて思い」
を、そういう意味にはとることができずに、いわば読み流していた。

1938年からある古びた喫茶店は、1963年生れの私にとっても「自分が生れたときから」ある店であり、
そう受けとってしまっていた。
そう受けとってしまったから、1938年のことをそれ以上考えることをやめてしまっていた。

最初に読んだときから30年たち、やっと気づいた。
まだ気づいただけだが、思いだしたことがある。
ブルーノ・ワルターがウィーン・フィルハーモニーを指揮したマーラーの交響曲第九番。
これも1938年にライヴ録音されたものということ。

このワルターのマーラーの第九番を
「時代の証言として、いまもなお、重い」と黒田先生は書かれている。

「遠い音」を書かれたことについての、私なりの答はまだみつかっていない。

Date: 5月 3rd, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(「聴こえるものの彼方へ」のこと)

今月の29日に公開できるように、いま黒田先生の文章の入力にとりかかっている。
すでにaudio sharingで公開している「聴こえるものの彼方へ」をEPUBにするのだが、
そのままEPUBにするよりも、未収録の文章もできるかぎり載せたい、と思い立ったからだ。

「聴こえるものの彼方へ」は、
ステレオサウンドに連載されていた「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」が基本になっている。
「ぼくは聴餓鬼道に落ちたい」はいったん42号で終了し、
43号から「さらに聴きとるものとの対話を」と題名が変り、始まっている。

「聴こえるものの彼方へ」には、「さらに聴きとるものとの対話を」は収められていない。

いま入力しながら、読み返していると、あらためて、
これらの黒田先生の文章を最初に読んだときの気持を思い返すことができることに気づく。
もちろん、ほぼ30年以上前に、どう感じていたかをすべて思い出しているわけではないが、
あのとき、黒田先生の文章から、なにを大事なものとして読んでいたのかは、そのまま思い出せる。

黒田先生は、「オーディオはぼくにとって趣味じゃない。命を賭けている」と言われたことがある。
1988年、ゴールデンウィーク明けの、黒田先生のリスニングルームにおいて、はっきり聞いた。

これがどういうことなのかも、「さらに聴きとるものとの対話を」のなかに書かれていたことに、
いま気づき、音楽を「きく」ということとは
(黒田先生は、聴く、とも、聞く、とも書かれずに、つねに「きく」とされていた)、
いったいどういうことなのか──、
あのときとなにが変ってきて、なにが変ってきていないのかを含めて、
ひとりでも多くの人に読んでもらいたいと思っている。

Date: 4月 6th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その19)

けれど黒田先生は、4343をAPM8にはされなかった。

ステレオサウンド 54号のちょうど2年後に出た62号で、またAPM8を聴かれている。
特集のテーマは「日本の音・日本のスピーカー その魅力を聴く」。
ここでは、パイオニアのS-F1も聴かれている。

APM8もS-F1も、そのころ日本のメーカーが積極的に開発をすすめていた平面振動板を採用、
そしてどちらも4ウェイ構成で、価格もS-F1が875,000円、APM8が1,000,000円と、そう大きな差はない。

このふたつのスピーカーシステムを、
黒田先生はAPM8をアントン・ウェーベルンに、S-F1をアルバン・ベルクに、
さらにAPM8をクラウディオ・アバドに、S-F1をカルロス・クライバーにたとえられている。

つまりAPM8のほうが響きがやや暗めでクール、それにスタティックなのに対して、
S-F1は少し明るく少し温かく、そしてアクティヴだということ。

ただこれらの表現は、あくまでもAPM8とS-F1を対比して、語られているものだということを忘れないでほしい。

1982年の時点で、黒田先生はS-F1に「ゆさぶられている」。
そしてステレオサウンド 63号につづいていく。

Date: 4月 5th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その18)

黒田先生は、APM8のことを試聴記に、
「化粧しない、素顔の美しさとでもいうべきか」と書かれ、
さらに「純白のキャンパスに、必要充分な色がおかれていくといった感じで、音がきこえてくる」と。

この「純白のキャンパス」、「素顔の美しさ」のところが、
ウィーン・フィル、ベルリン・フィルではなく、シカゴ交響楽団を指揮してみたいにかかってくる。

ウィーン・フィル、ベルリン・フィルが化粧しているといいたいわけではないけれど、
ウィーン・フィル、ベルリン・フィルには、ほかのオーケストラにはない色(独自の音色)がある。

21世紀のいまでは、そういう、ウィーン・フィルならではの音色、ベルリン・フィルならではの音色は、
少しずつ薄れてきつつあるようにも感じることもあるけれど、
APM8を黒田先生が聴かれたの1980年である。

シカゴ交響楽団の音楽監督はショルティになっていた。第2期黄金時代を迎えていた。
主席客演指揮者として、カルロ・マリア・ジュリーニ、クラウディオ・アバドが迎え入れられていた。
ショルティとジュリーニ、ふたりの性格はずいぶん違う(ように思う)。顔つきもそうだ。
ショルティとアバドについても同じことがいえる。
それにショルティとジュリーニは世代的にはほぼ同じだが、ショルティとアバドではふたまわり近く違う。
ジュリーニとアバドも、また違う。

にも関わらず、シカゴ交響楽団は、この3人の指揮によっていくつもの名演を残してきていることは、
実演に私は接したことがないけれど、録音だけからでもはっきりといえる。
シカゴ交響楽団の高い技量に裏打ちされた柔軟性、自在性の高さに加え、
伝統というバックボーンをもつヨーロッパのオーケストラは違う、
アメリカならではのオーケストラだから可能なことなのかもしれない。

それに最初の黄金期を築いたフリッツ・ライナーもショルティもハンガリー出身ということもあろう。

ここにシカゴ交響楽団の特色があるといえるし、
だからこそ黒田先生はAPM8をシカゴ交響楽団に例えられたのだと思う。

Date: 4月 4th, 2011
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その17)

黒田先生は、ステレオサウンド 54号の試聴で聴かれた45機種のスピーカーシステムのなかで、
ソニー/エスプリのAPM8を、
そのときお使いだったJBLの4343を「出してもいいかな?」まで言われるくらいまで気に入られている。

ちなみにこのときの試聴メンバーだった菅野先生は、KEFの303を挙げられている。
客観的にはJBLの4343Bだけれども、すでにJBLの3ウェイ・システムがあるため、
4343を入れるのは大きくてたいへんだ、ということ、
それに編集部からの質問が「自宅に持ち帰るとすれば」ということもあって、大きさと値段が手頃な303を、
「この音ならば、いますぐお金を払って持ち帰ってもいいくらい」とまで言われている。

瀬川先生は、10点をつけたスピーカーシステム、
KEFの303、105II、JBLのL150、4343Bのうち、KEFの2機種はすでに持っておられる、
JBLは4343を使われているということで、9点のスピーカーシステムのアルテックの6041を、
「いままで私の家にはないタイプの音のスピーカー」ということであげられている。

黒田先生が、4343を出してもいいかな、とまで思わせたAPM8については、
瀬川先生は、価格が半値だったら(つまりペアで100万円)、文句なく10点をつけし、
さらに、「あらゆる変化にこれほど正確に鋭敏に反応するスピーカーはない」、と。
菅野先生も、半値なら10点をつけ、最も印象づけられたスピーカー、といわれている。

これらの発言、それに3人のAPM8の試聴記を読めば、
このスピーカーシステムのもつ高性能ぶりが伝わってくる。

その高性能は、黒田先生のオーケストラの例えでいえば、技量にあたるし、
ウィーン・フィルもベルリン・フィルも技量は高い。
黒田先生が指揮者となって振ってみたいオーケストラとしてあげられたシカゴ交響楽団と、
ウィーン、ベリルンのふたつのオーケストラのどれが最高の技量などということは、
誰にもいえない高みにある。

なのに黒田先生は、シカゴ交響楽団をあげられ、APM8をこのオーケストラにたとえられている。

Date: 12月 10th, 2010
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その9)

カラヤンのベートーヴェンの精妙さは、どこから生れてくるものだろうか。

録音された時期は、ちょうどマルチマイク・マルチトラックの録音手法が十分に消化された時代でもあり、
その前の録音と比べると、真空管を使った録音機材からトランジスターへの転換も経て、
初期のトランジスターを使った機材にあった音の不備(音の固さやノイズの多さ)もほぼ消えたころでもある。

真空管時代の名録音──マイクの数もすくなくことも関係して、暖かく柔らかい響き──に対して、
この時代には、細部に音のピントをあわせていき、やや冷たい肌ざわりながら、
混濁感のない解像力の良さ、周波数レンジ、ダイナミックレンジの広さなど、新しい音の魅力を安定して、
聴き手に届けてくれるようになっていた。

録音の歴史の中で、この時代は、録音(機材をふくめて)の、ひとつの完成度の高さがあった。
新しい録音が完成された、ともいえよう。
そういう時代に、たっぷりの時間をかけて、カラヤンのベートーヴェンは録音されている。
しかもカラヤンは、録音に知悉していた、といわれている。

どちらも同じドイツ・グラモフォンによるカラヤンとバーンスタインのベートーヴェン全集。
このふたつの録音の違い、つまりスタジオ録音とライヴ録音の違いは、枠の有無だと感じる。

バーンスタインのライヴ録音にも、枠はある。
けれど、カラヤンのスタジオ録音の枠とは、性質が違う。

いわゆる「枠」は、録音の限界によってどうしても生じてしまう。
だから録音機材、録音手法が向上にともなって枠が広がり薄れていくことはあっても、なくなることはない。
そういう意味での枠が、バーンスタインのベートーヴェンにある枠だ。

一方カラヤンの録音にある枠は、制作者側が、ではなく、演奏者(つまりカラヤン)がはっきりと意識している。
だから、あの精妙さが生れてきたのだと思う。

Date: 12月 9th, 2010
Cate: 黒田恭一

バーンスタインのベートーヴェン全集(その8)

(その6)に引用したカラヤンの、(その7)に引用したブレーストの発言からわかることは、
同じベートーヴェンを録音しても、カラヤンとバーンスタインの対照的な姿である。

カラヤンのやりかたでは、バーンスタインと同じライヴ録音はとうていできないだろうし、
バーンスタインにカラヤンがやったような緻密なスタジオ録音をやらせたら、
もちろんプロの音楽家としてやりとげるであろうが、ブレーストの発言にあるように、
エキサイティングな要素は失われていたはす。

ブレーストは徹底した完璧主義者のカラヤンだから、ライヴ・レコーディングは望めない、と、
だからバーンスタインは演奏会場(ライヴ)で、カラヤンはスタジオでというのが、
DGGの基本的な姿勢だともつけ加えている。

バーンスタインのベートーヴェンの全集は持っている。
カラヤンの、1975年から’77年にかけて録音されたカラヤンの全集は持っていない。
ずっと以前に、いくつかの曲を聴いた記憶で書けば、
カラヤンのこの時代のベートーヴェンは、精緻なスタジオワークだからこそ可能になった精妙な表現、
バーンスタインのベートーヴェンには、カラヤンの精妙さはないかわりに、熱気が伝わってくる。

カラヤンを静、とすれば、バーンスタインは動、であり、
カラヤンの演奏を楷書とすれば、バーンスタインのは草書、でもある。

音楽通信の取材には、動であり草書であるバーンスタインの演奏が選ばれている。

この取材がおこなわれていたころに録音されていたカラヤンの三度目(最後)のベートーヴェン全集は、
精妙さという言葉では語れない印象を受ける。

Date: 11月 26th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その16)

サウンドコニサーの取材でアクースタットのスピーカーを聴かれる2年前のステレオサウンド 54号は、
スピーカーの試聴テストが特集記事で、菅野沖彦、瀬川冬樹、黒田恭一の3氏が参加され、
巻頭座談会として「スピーカーテストを振り返って」が掲載されている。

そこで、次のことを語られている。
     *
結局、時代の感覚への対応のしかただという気がするのです。たとえば、ぼくは♯4343の旧タイプを持っていますが、新旧で、これはちょっと考え直さなければいけないかなというくらい違っていると思うのです。かつての♯4343の音というのはかなり煮詰まった音だとしますと、Bタイプはもう少し開放された音の方向に向かっている。
     *
新タイプの4343、つまり4343BWXの黒田先生の試聴記はこちらをご覧いただくとして、
このスピーカー試聴テストで、黒田先生が惚れ込まれたのは、ソニー/エスプリのAPM8だ。
APM8について、座談会の中で、シカゴ交響楽団に例えられている。
     *
エスプリというのはとてもまじめに音楽を聴く気持にさせる音ですね。
たとえて言いますと、ぼくが指揮者で、メイジャー・オーケストラのどこでも指揮させてくれる、というのと似ていると思うのです。すると、エスプリはシカゴ交響楽団ですね。非常に技量が高くて、しかしウィーン・フィルでもベルリン・フィルでもない、シカゴ交響楽団だと思うのです。
聴いている人をウキウキさせるとか、そういう言葉ではちょっと言いにくいスピーカーなのですが、音場感の広がりとかノイズと楽音の分離などのクォリティ面で、やはり素晴らしいスピーカーだと思いました。
     *
ひじょうに興味深い例えだと思う。

Date: 9月 24th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その15)

いまにして想えば、黒田先生は、アクースタットの試聴の最中に、ほぼ決心されていたのではないだろうか。

こう語られている。
「静電型のスピーカーということで、ぼくの先入観からパーカッシヴな音は不得意であろうとたかをくくっていたのですが、ほとんど不満のない反応を聴かせてくれたことも意外でした。
たとえば『トスカ』の第一幕の幕切れのところで鐘が鳴ります。これが甘い響きになるかと思ったんですけど、非常に硬質な音がしたでしょう。」

「トスカ」の硬質な鐘の音が鳴らなかったら、
「スーパー・ギター・トリオ」のレコードをリクエストされることはなかったのではないか。

不得意であろうと思われていたパーカッシヴな音が、しっかり響いてきたことで、
最後の駄目押し的な確認の意味をこめての「スーパー・ギター・トリオ」だったような気がする。

その「スーパー・ギター・トリオ」を、アクースタットは期待と予想を上廻る音で提示してきた。
これで、黒田先生は決心されたはずだ。

Date: 9月 24th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その14)

アクースタットのモデル3で聴く「スーパー・ギター・トリオ」のレコードは、すさまじかった。
黒田先生が、「このレコードを」と言われた理由が、見事に音になってあらわれていた。

「ギターの音が弾丸のごとく」と黒田先生の発言にあるように、飛び交っていた。

なんてすごいスピーカーだろうと思い、なんてすごいレコード、ということ以上に、
なんてすごいギターの名手たちだろう、と思った。

この「一度のめりこんでしまうと自閉症になって」しまいそうなスピーカーを、
黒田先生は、JBLの4343の後釜として導入される。
そして一緒に試聴に参加していたステレオサウンドの原田勲編集長(当時)も、
ヴァイタヴォックスのCN191を追いだし、アクースタットを導入されたのだから、
サウンドコニサーの取材・試聴に参加した者に、アクースタットのモデル3は、強烈な印象をのこした。

試聴後、みな、静かな興奮状態にあった。

Date: 9月 16th, 2009
Cate: 黒田恭一

ステレオサウンド(黒田恭一氏のこと)

ステレオサウンド 172号に、傅さんが追悼文を書かれている。

それにしても、なぜ傅さんだけなのか。

時間の余裕はあったのだから、他の人にも依頼してほしかったと、編集部に注文をつけたくなる。
私が編集者だったら、傅さんと黛健司さんに依頼する。
黛さんこそ、黒田先生の文章にたびたび登場する「M君」「M1」で、
編集者として、ふかく黒田先生とのつきあいがあった人なのに……、と思った。

今回載っていないということは、
黛さんが、黒田先生について書かれる文章を読む機会は、もうないかもしれない。

もったいないことだと思う。

Date: 9月 7th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その13)

「スーパー・ギター・トリオ」は、はじめて聴くレコードだった。

でも、このレコードの鳴りかたは、アクースタットが素晴らしいスピーカーであることを、
シャシュのレコードの時とは、別の角度から確認できた。
黒田先生は、こう発言されている。
     *
このレコードの聴こえ方というのも凄かった。演奏途中であれほど拍手や会場ノイズが絡んでいたとは思いませんでしたからね。拍手は演奏が終って最後に聴こえてくるだけかと思っていたのですが、レコードに針を降ろしたとたんに、会場のざわめく響きがパッと眼の前一杯に広がって、がやがやした感じの中から、ギターの音が弾丸のごとく左右のスピーカー間を飛び交う。このスペクタキュラスなライヴの感じというのは、うちの4343からは聴きとりにくいですね。
     *
大げさでなく、まさに、私もこう感じていた。
「スーパー・ギター・トリオ」のレコードに針を降ろしたとたんに、
ステレオサウンド試聴室の雰囲気がかわった。

いまでは、そういう音は当たり前のものとして、驚きを持って受けとめられることはないだろうけど、
1982年当時は、違っていた。

Date: 9月 7th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その12)

試聴レコードにない、聴きたいレコードを聴けるわずかな機会に、シャシュのレコードをかけたわけだ。
ノルマの「カスタディーヴァ」を一曲聴く時間は十分にあると思っていたし、
さらに二、三曲聴く余裕は、前日までの感じでは、あるはずだったが、
意外にはやく黒田先生、上杉先生たちが戻ってこられた。
あと20分ぐらいは、戻ってこられないと思っていただけに、いそいでボリュウムを絞り、針を上げようとしたら、
黒田先生が、「そのまま聴かせて」といいながら、椅子に坐られた。
聴き入られていたようすだった。

途中からだったので、もう一度最初からかけ直すことになった。
午後の試聴が、こうしてはじまった。

シャシュのあとに試聴レコードの三枚、そして黒田先生が、「これを鳴らしてほしい」ということで、
アル・ディ・メオラ、ジョン・マクラフリン、パコ・デ・ルシアの「スーパー・ギター・トリオ」を聴くことになった。

Date: 7月 8th, 2009
Cate: 黒田恭一

サライ(黒田恭一氏のこと)

サライ、7月16日号に、「黒田恭一さんからのメッセージ」が載っている。
葬儀の際、参列者の方々に手渡しされた、14行ほどの手書きのメッセージが、そのまま写真で掲載されている。

Date: 6月 30th, 2009
Cate: 黒田恭一

黒田恭一氏のこと(その11)

Acoustat Xは、おそらく実際に使う場合に、10〜20 cm程度の高さの台が必要となるはずだ。
Model 3は、ステップアップトランスなどが収納された台座にあたる部分があり、
その上にコンデンサーパネルが取り付けられているので、よほどのことでもなければ、台は不必要だ。

信号経路からトランスをなくしたAcoustat Xは製品としてのコンセプトは意欲的だが、
製品ではなく商品としてみたとき、パワーアンプが自由に選択できるおもしろさもある、
設置に関しても台を必要としない、など、完成度はModel 3のほうが上といえよう。

サウンドコニサーの試聴では、最初、輸入元ファンガティの推奨アンプ、
オーディオリサーチのSP8(コントロールアンプ)とD79B(パワーアンプ)の組合せで鳴らした。
いうまでもなく、オーディオリサーチのアンプは管球式である。

管球式といっても、ラックスとは、かなり性格の異るものではあるが……。