日本の歌、日本語の歌(その6)
「愛の讃歌」という歌がある。
エディット・ピアフの歌である。
日本でもよく歌われる。
日本人歌手によって日本語の歌詞で歌われている。
私はグラシェラ・スサーナの歌で「愛の讃歌」を聴いた。
その後である、日本人の歌手による「愛の讃歌」を聴いたのは。
「愛の讃歌」は、いわゆる大御所といわれる歌手の人たちも歌っている。
当然、グラシェラ・スサーナよりも流暢な日本語で歌っている。
それらのいくつかは聴いている。
上手い、とはもちろん思うし、日本語も問題はない。
グラシェラ・スサーナ、ホセ・カレーラスの日本語の歌がダメな人たちは、
この人たちの「愛の讃歌」を高く評価するだろう。
けれど、私の耳にはグラシェラ・スサーナの「愛の讃歌」ほどには、心に響かない。
上手いなぁ、でいつも終ってしまう。
三浦淳史氏の「20世紀の名演奏家」にジネット・ヌヴーの章がある。
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翌年、ヌヴーはウィーンで催された国際コンクールに参加したが、第4位にとどまった。お金の工面をしてウィーンまで出向いた母と娘にとっては大きな失望だった。ところが、彼女の演奏に感銘した審査員の一人が、名詞の裏に「ベルリンに来られたら、お嬢さんのヴァイオリン教育を私が責任をもって、無償でやらせてもらいます」としるして、ホテルに届けさせた。その人の名は、当時ヨーロッパ随一のヴァイオリン教師として知られていたカール・フレッシュだった。
すぐベルリンに行くことは、家計が許さなかった。2年後にフレッシュ宅を訪ねたヌヴーに向かって、フレッシュはこういった。「お嬢ちゃん、君は天賦の才能に恵まれている。私にできることは、純粋に技巧上のアドヴァイスをしてあげるだけだ」
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おそらくカール・フレッシュのそれまでの教え子たちは、
技巧上的にはヌヴーよりも優れていたのだろう。
コンクールに出場する人たちも、またそうなのだろう。
だからそのころのヌヴーは、ウィーンでの国際コンクールで四位に終ってしまったのだろう。
ここが、他の教え子たちとヌヴーはまるで違うということでもある。
カール・フレッシュのことばは、演奏の本質をついている。
演奏は歌とおきかえられる。