日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その20)
グラシェラ・スサーナの日本語の歌と出逢ったのは1976年秋だった。
「五味オーディオ教室」とほぼ同じころに出逢っている。
そのころも歌のうまい歌手はいた。
テレビから流れてくる日本人の歌手の歌唱を聴いて、うまいと思ったことはある。
いい歌だ、と思ったこともある。
でもグラシェラ・スサーナの日本語の歌を聴いたとき、
これが歌なのか、とまいってしまった。
たった一枚のシングル盤を、その日を何度も何度も聴いた。
それから夢中になって聴いてきた。
聴けば聴くほど、不思議に思うことがあった。
グラシェラ・スサーナは1953年生れで、
1971年に初来日している。つまり18最で日本に来ている。
翌’72年に最初のアルバム「愛の音」が出ている。
よく知られる「アドロ・サバの女王」は’73年のアルバムだ。
グラシェラ・スサーナが18、19のころの録音である。
1970年代の終りごろ、テレビにもグラシェラ・スサーナは出ていた。
初来日から八年くらい経っていたはずなのに、日本語はたどたどしかった。
「愛の音」「アドロ・サバの女王」のころのスサーナは、
日本語はまったく話せなかったはずである。
なのに、グラシェラ・スサーナの日本語の歌に、
他のどんな歌手による日本語の歌よりも、私は感動した。
感動しながらも、なぜ? と疑問があった。
日本語が話せないのに……、という疑問である。
スサーナは、日本語の歌の「色」を感じとっていたのだろう。
最初に聴いてから40年が経っての結論である。
同時にアルテックでの日本語の歌が素晴らしかったのは、
アルテックのスピーカーが、”The Voice of the Theatre System”だから、
といってしまうと、あまりにも当り前すぎるが、
”The Voice of the Theatre System”の優れているのは、
声の明瞭度だけでなく、言葉の「色」の再現にあるのだろう。