Date: 9月 10th, 2017
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日本の歌、日本語の歌(アルテックで聴く・その24)

瀬川先生の「オーディオの系譜」に、こう書いてある。
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 日本のオーディオ界と欧米オーディオ界との交流が少しずつ密になるにつれて、私自身も海外のオーディオ専門家と直接合って、彼らの意見を聞き議論する機会が増えはじめた。そして驚いたことは、アメリカやイギリスやその他の欧州諸国のオーディオの専門家たちが、「日本のスピーカーの音は非常に個性的だ」と、まるで口をそろえたようにいうことだった。
 どんなふうに個性的かを、とても具体的に語ってくれたのは、例えばアメリカの業界誌『ハイファイ・トレイドニューズ』の編集長、ネルソンだった。彼はこういった。
「はじめて日本製のスピーカーの音を聴いたとき、私の耳にはそれはひどくカン高く、とても不思議な音色に聴こえた。ところがその後日本を訪問して、日本の伝統音楽(例えばカブキ)や日本のポップミュージック(演歌など)を耳にしたとき、歌い手たちの発声が日本のスピーカーの音ととてもよく似ていることに気づいて、それで、日本のスピーカーがあんなふうに独特の音に作られている理由がわかったように思った。だが、日本のスピーカーが欧米に進出しようとするなら、欧米の音楽が自然な音で鳴るように改良しなければならないと思う」
 全く同じ意味のことを、イギリス・タンノイの重役で、日本にも毎年のように来ているリヴィングストンもいう。「日本のスピーカーは、日本の伝統音楽や日本のポップミュージックを再生するために作られているように私には思える。だが、もしも西欧の音楽(クラシックでもポップスでも)を、われわれ(西欧の人間)が納得するような音で再生するためには、日本のスピーカーエンジニアたちは、西欧のナマの音楽を、できるだけ多く聴かなくてはならないと思う」
 同じくイギリスのスピーカーメーカー、KEFのエンジニアであり社長であるクックは、もっと簡単に「日本のスピーカーの音はとてもアグレッシブ(攻撃的)だ」とひとことで片づける。
 これらの話は、もうあちこちで何度も紹介したのだが、しかし、彼らのほかにも、私が会えた限りの欧米のオーディオの専門家の中に、日本のスピーカーの音を「自然」だという人はひとりもいなかった。
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また、こうも書かれている。
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 もう何年か前、まだ4チャンネルの話題が騒々しかったころ、イギリスの有名なオーディオメーカー数社の人たちが、研究のため、日本のあるレコード会社を訪れて、4チャンネルの録音を聴かされた。そのときのあまりの音量の大きさに、中のひとりが、「(オレたちがオーディオの専門家と知っていて、あえてこの音量で聴かせるというのは)きっとジョークに違いない」といったという、それこそイギリス人一流のジョークが伝わっているほどだ。日常、非常に穏やかな音量でレコードを鑑賞するという点で、イギリス人は世界でも一、二を争う国民かもしれない。
 そうしてもうひとつ、彼らは、生の音、むき出しの音、品のない音、攻撃的にきつい音をひどく嫌う。日本のスピーカーの音を「攻撃的(アグレッシブ)だ」と指摘したKEFの社長レイモンド・クックの話は、既に書いたが、彼らイギリス人の耳には、JBLのモニターの音も、アグレッシブとまではゆかないにしても、やや耳ざわり(ハーシュ)に聴こえる、という。
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1980年ごろに書かれたもののであり、1970年代の日本のスピーカーはアグレッシヴと、
海外のオーディオ関係者の耳には聴こえていたことがわかる。

JBLの音がやや耳ざわりで、日本のスピーカーがアグレッシヴということは、
そうとうに個性的な音を鳴らしていた。
もっとも、この傾向は、瀬川先生が亡くなられた1981年以降もしばらく続いている。

確かにそういう音を、あの時代の日本のスピーカーは出していた。
けれど、それ以前はどうだったのか。

アメリカやイギリス、ドイツなどの古い時代のスピーカーを聴く機会はあっても、
日本のスピーカーの、その時代のモノを聴く機会は私にはほとんどなかった。

なので、はっきりとしたことはいえないのだが、
輪島祐介氏の『創られた「日本の心」神話』を読んでいて結びついていったのは、
現在「演歌」と呼ばれる歌が登場し、流行りだした時代とオーディオブームの到来、
そしてアグレッシヴといわれる音のスピーカーの登場は無関係ではないような気がしてきた。

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