Archive for category High Resolution

Date: 2月 25th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたいシゲティの無伴奏ソナタとパルティータ

シゲティの、バッハの無伴奏ソナタとパルティータが、
3月下旬にLPで復刻されるのを、タワーレコードのページで知った。

《VANGUARD社所蔵のオリジナル・マスターテープからの最新リマスタリング》とある。
さらにマスタリングエンジニア、マスタリングに使われた器材の表記もある。

これを見て気づくのは、一度デジタルに変換してのマスタリングである、ということだ。
これを批判する人も少なからずいるだろうが、
私はむしろ、同じマスターでMQAで配信、もしくはMQA-CDで出してくれないか、
そういうことを思ってしまう。

いまのところシゲティは、MQA-CDもないし、e-onkyoでも配信されていない。
今回のLP復刻を機に出てこないものか、とちょっぴり期待している。

Date: 2月 18th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるミケランジェリのドビュッシー(e-onkyoの価格)

ミケランジェリのドビュッシーが、e-onkyoで配信が始まったのが1月3日。
約一ヵ月後の2月7日には、ミケランジェリのドビュッシー集が、
CD(二枚)+Blu-Ray Audio(一枚)で、ドイツ・グラモフォンから発売になった。

CDとBlu-Ray Audioの組合せは、これまでもドイツ・グラモフォンは積極的だった。
すべてをチェックしたわけではないが、
Blu-Ray Audioはほぼすべて96kHz、24ビットである。

今回のミケランジェリのドビュッシーは192kHz、24ビットである。
しかも収録内容は、
「前奏曲集」の第一巻と第二巻、
「映像」第一集と第二集、
「子供の領分」である。

この内容で、タワーレコードなどでは三千円を切る価格になっている。

e-onkyoでの価格は、というと、
それぞれ分売で、四千円を超える。
「前奏曲集」は第一巻のみである。
二タイトル購入すれば、九千円近く、と、CD+Blu-Ray Audioの組合せの三倍。

それでも「前奏曲集」第二巻は含まれていない。

e-onkyoでの価格は、どうやって決定されるのかは知らない。
レコード会社の意向が強いのかもしれない。
それにしても……、とどうしても思ってしまう。

私の場合は、MQAで購入している。
Blu-Ray Audioは、MQAではない。
なのでしかたないといえばそうなのか、納得するしかないのか……、と思いつつも、
flacで購入する人は、CD+Blu-Ray Audioの組合せのほうが、お買い得である。

e-onkyoがMQAに積極的であるのは高く評価したい。
でも、一部のタイトルの価格には、納得できなかったりする。

Date: 2月 18th, 2020
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MQAで聴けるバルバラ(その4)

「コンポーネントステレオの世界 ’77」でのそれぞれの組合せの記事中には、
すべての組合せではないが、試聴風景の写真が使われている。

写真の下にはネーム(説明文)がある。
たとえば、
《少し古いレコードを聴くためにはタンノイのレベルコントロールも活用する。調整中の瀬川氏》、
《ソニー、タンノイ、ヤマハの3機種のスピーカーを慎重に試聴する岡氏》、
《アンプの音の違いを真剣に聴き入る菅野氏》、
たいていはこんな感じのネームである。

井上先生の組合せ、
山崎ハコ、ジャニス・イアン、絵夢などのレコードをしんみり聴くための組合せでは、
《山崎ハコなど人前で聴くとやはりテレるのです》とある。

あきらかに、ほかの組合せとは違う。

オーディオのことはまだ何もわかっていないといえた中学二年の私でも、
この写真のネームの違いにはすぐに気づいた。

それだけに、キャバスのBrigantinかロジャースのLS3/5Aの組合せには、
ほかの組合せとは違うなにかを感じたものだった。

そういうことがあったからこそ、
バルバラを、いまMQA-CDで聴いていると、LS3/5Aのこととか、
井上先生のこととかをおもい出すことになる。

Date: 2月 17th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、知名度と普及ということ

先日、ほぼ十年ぶりくらいに、ある人と電話で話した。
オーディオ好きの人である。
熱心にオーディオをやっている人である。

私より少し上の世代の人である。
もうステレオサウンドをはじめオーディオ雑誌は何も読んでいない人である。
インターネットはやっているけれど、それほど情報収集に熱心でもない人である。

そういう人と三十分ほど話していた。
以前はよく話していた。
久しぶりということもあって、
それにMQAのエヴァンジェリストを自認しているわけだから、
話の途中で「MQA、いいですよ」と切り出した。

その人は「MQA?」という感じだった。
MQAのことをまったく知らない様子だった。

私だって、MQAが登場したのと同時に知ってはいたけれど、
知ってはいた──、にとどまるレベルでしかなかった。

MQAの音を聴いたのは、2018年9月のaudio wednesdayにおいて、だ。
それに、いまのところメリディアンのULTRA DACと218でしか聴いていない。

オーディオ雑誌も読まず、インターネットも熱心でなければ、
「MQA?」という反応も当然かもしれない。

私が熱心に、audio wednesdayでMQAを鳴らすようになったから、
audio wednesdayに来てくれる人たちはMQAのことを知っているし、
その良さも感じとっているわけだが、
冷静にながめてみれば、MQAの知名度、普及はまだまだなのかもしれない。

Date: 2月 15th, 2020
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MQAで聴けるバルバラ(その3)

MQA-CDでバルバラを聴いていると、
ふとLS3/5Aで聴いたら、どんな雰囲気でバルバラが歌ってくれるのだろうか、と思った。

20代の一時期、ロジャースのLS3/5A(15Ω)を持っていた。
狭い部屋だったこともあって、メインとして鳴らしていたわけではなかったこともあって、
通常は部屋の片隅に置いていて、聴きたい時だけ設置してという聴き方だった。

譲ってくれ、という友人がいて、手離した。
なのでバルバラをLS3/5Aでは聴いていない。

MQA-CDで聴いていると、LS3/5Aだったら、
インティメイトな感じがより濃く鳴ってくれそうな気がする。

それは、きっとぞくぞくするような鳴り方のはずだ。

LS3/5Aといえば、私にとっては井上先生がまず思い浮ぶ。
1976年12月のステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」で、
井上先生がLS3/5Aの組合せをつくられている。

カートリッジはAKGのP8ES、
コントロールアンプはAGIの511、パワーアンプはQUADの405だった。

当時は、この組合せで聴いてみたい、と思うだけだった。
でも、いまはこの組合せの記事は、井上先生の素の部分が出たものだと思う。

井上先生に確認したわけではない。
でも、井上先生はLS3/5Aをもっておられたはずだ。

Date: 2月 12th, 2020
Cate: High Resolution,

MQAで聴けるバルバラ(その2)

昨年秋に発売予定だったバルバラのMQA-CDは延期になって、
今年1月15日にやっと発売になった。

このMQA-CDは、オリジナルマスターテープからのものではなく、
国内にあるマスターテープからによるものだ。

このへんのことも、発売が延期になったことと絡んでいるのだろうか。
国内のマスターテープということは、ちょっとかっかりでもあった。

それでも買って聴いた。
発売日が15日だったので、1月のaudio wednesdayには間に合わなかった。
間に合っていれば、持っていった。

私にとってバルバラのイメージは、
瀬川先生が熊本のオーディオ店に来られていたときの音によってつくられている。

バルバラのレコード(録音)は、LPで聴いたのが最初だ。
フランス盤で、何枚か聴いている。

そうやってつくられたバルバラのイメージ通りの音が、MQA-CDから鳴ってきた。
国内のマスターテープということで、色褪た印象になるのでは……、と危惧していた。
そんなことはなかった。

「孤独のスケッチ」に聴き惚れていた。
色香のある音がする。

日本にあるマスターテープよりも、
フランスにあるオリジナルのマスターテープの音が、ずっといいに決っている。

そう思い込んでいた。
事実、そうなのだろう。

それでもバルバラのMQA-CDを聴けば、
日本に送られてきたマスターテープも、かなり良質なコピーのような気さえする。

Date: 2月 11th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるポリーニのベートーヴェン

今月下旬に、ポリーニのベートーヴェンの新録音の第一弾が、
MQA-CDで発売になる。

ポリーニの旧録音に、五味先生は激怒されていた。
     *
 ポリーニは売れっ子のショパン弾きで、ショパンはまずまずだったし、来日リサイタルで彼の弾いたベートーヴェンをどこかの新聞批評で褒めていたのを読んだ記憶があり、それで買ったものらしいが、聴いて怒髪天を衝くイキドオリを覚えたねえ。近ごろこんなに腹の立った演奏はない。作品一一一は、いうまでもなくベートーヴェン最後のピアノ・ソナタで、もうピアノで語るべきことは語りつくした。ベートーヴェンはそういわんばかりに以後、バガテルのような小品や変奏曲しか書いていない。作品一〇六からこの一一一にいたるソナタ四曲を、バッハの平均律クラヴィーア曲が旧約聖書なら、これはまさに新約聖書だと絶賛した人がいるほどの名品。それをポリーニはまことに気障っぽく、いやらしいソナタにしている。たいがい下手くそな日本人ピアニストの作品一一一も私は聴いてきたが、このポリーニほど精神の堕落した演奏には出合ったことがない。ショパンをいかに無難に弾きこなそうと、断言する、ベートーヴェンをこんなに汚してしまうようではマウリッツォ・ポリーニは、駄目だ。こんなベートーヴェンを褒める批評家がよくいたものだ。
(「いい音いい音楽」より)
     *
別項で書いているように、ハタチぐらいのころ、
ポリーニのベートーヴェンを聴いた。
そこに感動はなかったけれど、五味先生がそこまで激怒される理由もはっきりとはつかめなかった。

それからずいぶん時間が経ち、
ポリーニの平均律クラヴィーア曲集を聴く機会があって、
音が濁っている、と感じた。

音が濁っている、といっても、オーディオ的な意味ではない。
ポリーニの平均律クラヴィーア曲集の録音は、2008年9月、2009年2月である。
優秀な録音といえる。

なのに濁っているように感じてしまった。
五味先生の《汚してしまう》とは違うのかもしれないが、
五味先生の激怒の理由は、こういうことなのかもしれない、とも感じていた。

そのポリーニがベートーヴェンを弾いている。
しかも第一弾は第30番、31番、32番だ。

ほんらいならば聴こうとは思わなかった。
それでもMQA-CDなのだ。

たったこれだけの理由で、聴いてみたい、に変ってしまった。

Date: 2月 6th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その3)

○○だから、音がよい、
その反対に、○○だから、音が悪い──、
そんなことは私がオーディオに興味をもった以前からいわれ続けていることだ。

1980年ごろ、日本のオーディオメーカーは平面振動板のスピーカーの新製品を出してきた。
ステレオサウンド 54号の特集はスピーカーシステムで、
そこには平面振動板のモデルがいくつも登場していた。

特集の巻頭座談会で、瀬川先生は、
《試聴するときも、特に平面だからどうという意識は持っていない》、
《平面型を否定はしませんが、平面型にすればすべてが良くなるということはないと思う》、
他にも平面型について語られているが、
要約すれば、平面型だから──、ということをまったく意識しないで聴いている、ということだ。

たとえば真空管でいえば300Bが、音のよい真空管としてよく知られているが、
だからといって300Bを使ってさえいれば、すぐれた音のパワーアンプにすべてが仕上がるわけではない。

他にもいくつもある。
すべてを書いていくのは無理があるほどに、この「○○だから」というのはうんざりするくらいある。

最近の例では、ハイレゾだから、というのがあるといえよう。
ハイレゾだから、音がいい、とは必ずしもいえない。

それでも、これから先も、いろんな「○○だから──」というのは登場してくるはずだ。

まったくあてにならない「○○だから……」なのだが、
ここにきて、私のなかでは「MQAだから、音がよい」といえる、
そうおもえてきている。

ただし条件つきである。
私が「MQAだから、音がよい」とするのは、
これまで録音されてきたものについて、である。

つまりアナログ録音にしてもデジタル録音にしても、
これまでLPやCDで聴いてきて、よい音の録音と感じてきたものにかんしては、
MQAになることで、音はよくなっている。

MQAだから、MQA-CDだから、といって、すべての録音がいい、とは思っていない。
MQAを前提にした録音のすべてを聴いているわけではない。
いいものもそうでないものもあろう。

それは録音というものがそうであるように、である。

だからくり返すが、名録音、優秀録音とこれまでいわれてきたものが、
MQA-CDになったり、MQAで配信されるようになって、
それらを聴いていると、いままでのところ、私の期待が裏切られたことはない。

Date: 1月 24th, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴きたい“Charlin Disques”

2010年だったか、シャルラン レコードのCDがまとめて復刻された。
といってもマスターテープは破棄されているので、
サブマスターからの復刻であった。

この時は輸入盤であったが、2016年にエリック・ハイドシェックのCDが新たに発売になった。
この時は国内盤のみで、輸入盤の発売はない、とのことだった。

ハイドシェックのベートーヴェン(二枚)とブラームスは、
いまでも入手できる。

2010年に発売になったCDは、廃盤ではないようだが、いまのところ入手は難しいようだ。
2010年復刻のCDは、五枚ほど買った。

正直、幻の録音には感じなかった。
2010年の復刻は、シャルランの遺族によるレーベルからだった。
はっきりと確認したわけではないが、どうもLPからの復刻だったようだ。

マスターテープがこの世に存在していないのだから、
本来の音を聴くのは、難しいことなのだろう。

オリジナルのLPを探して出して聴くしかないのだろう。

遺族によるレーベルは、いまもある。
ウェブサイトもあり、CDだけでなくLPでも復刻されている。
さらにFLACの配信も始めている。

もっと丁寧な復刻であれば、LPからの復刻でもいい。
ハイドシェックのCD復刻のように、
良質のサブマスターを探し出しての復刻でもいい。

シャルランの録音を、MQAで聴きたい、と思う。

Date: 1月 21st, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、オーディオのこと(その2)

「比較ではなく没頭を」──フルトヴェングラーの言葉である。

同じ書き出しで、しかも「比較ではなく没頭を」をタイトルにしたものを、
2008年9月に書いている。

オーディオには比較する楽しみが、はっきりとある。
いろんなモノを比較する。

スピーカーの比較もあれば、ほんのわずかな長さのケーブルの比較もある。
それからセッティングの違いの比較もある。

何かをかえれば音はかわるのだから、そこでどうしても比較という行為がいやおうなしにはいってくる。
それを面倒だ、と思うのか、楽しめるのかが、オーディオマニアかどうかなのかもしれない。

それでも「比較ではなく没頭を」を忘れてはならない。
比較することに没頭するのではなく、
没頭できるようになるための比較である。

MQAを、あいかわらず否定する人がいる。
MQAで音楽を聴いていて感じていることが、「比較ではなく没頭を」である。

いまでは、あるアルバムを複数のフォーマットで聴ける。
以前もそうだったけれど、いまの方が数は多くなってきている。

こっちがいい、あっちがいい。
そんなことが、いろんなところで書かれたり、いわれたりしている。

世評が高いのがどれでもいいじゃないか、となれないのだろうか。
自分で聴ける範囲で、もっとも没頭できるのを見つければいいだけである。

Date: 1月 19th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その7)

ユニバーサルミュージックのMQA-CDのサンプリング周波数が、
帯に記載してある176.4kHzではなく、出荷されたMQA-CDは352.8kHzだったこと、
変更理由は、音質的優位が認められたから、らしい、と(その6)に書いた。

192kHzと352.8kHzとでは、後者のほうが音がよくて当然と受け止められがちだ。
私もそう思う。

けれど、このユニバーサルミュージックのMQA-CDで考えたいことは、
マスターには2.8MHzのDSDが使われている、ということだ。

2.8MHzと表記されることが一般的だが、
正確には2.8224MHzである。
CDのサンプリング周波数の44.1kHzの64倍である。

196kHzは48kHzの4倍であって、44.1kHzの4.444…倍である。
48kHzの整数倍であっても、44.1kHzの整数倍ではない。

352.8kHzは、44.1kHzの8倍(整数倍)である。
2.8224MHzは352.8kHzの8倍だから整数倍の関係でもある。

なので私が聴いてみたいのは、
DSDマスターからつくられた176.4kHzのMQA-CDと192kHzのMQA-CDの比較試聴である。

数値的には後者のほうが上だが、音は前者のほうが上かもしれない。
ここにも、別項「Hi-Resについて(その14)」で引用したジョン・デイヴィスの、
《時々オーディエンスは数字が大きいほど良い音だと誤解している》があらわれている、
といえそうだ。

Date: 1月 18th, 2020
Cate: High Resolution

Hi-Resについて(その14)

ジョン・デイヴィス特別インタビュー 英メトロポリスのエンジニアが語ったマスタリングのトレンド。スマホやインスタ対応が必須に」という記事が、
PHILE WEBで公開されている。

おもしろい記事だ。
たとえば、次のようなことが語られている。
《スタジオに要求されるいろんな工程があるけれど、今一番重要なのはインスタグラム向けのマスタリングだ。つまりスマホ向けのマスタリング。かつてはCDとヴァイナル(アナログ・レコード)の二つだけだったけど、今はそれに加えSpotify、Apple Music、TIDAL、そしてInstagramがある。》

スマートフォン向けのマスタリングは《流行りというよりトレンド》ということだ。
さらに《ターゲットが18歳以下と18歳以上の場合とで、マスタリングのEQ(イコライズ)を変えている。18歳以下はダイナミックス(音の強弱)を忘れて音量を大きく、ブライトネス(高域)を上げる。18歳以上はダイナミックスとブライトネスは普通に。ま、50歳以上はどちらも必要ないかもしれないがね(笑)。》

マスタリングは、いまではこんなふうにたいへんなことになっているのか、と驚く。

《ちなみに近頃のレーベルのA&Rは、スマホを使ってサウンドチェックをしているって話だ》、
ずっと以前、ヤマハのNS10Mを使ってサウンドチェックしている、とうい話はよくきいた。
その十年後ぐらいには、ラジカセでチェックしている、という話があたりまえになってきたように感じた。

そういえば少し前のテレビで、若い世代を対象に死語を調査したところ、
一位はLD(レーザーディスク)だったのを、SNSで見た。
LDといっても、まったく通用しない、らしい。

二位は、コンポだった。コンポーネント、つまりオーディオ・コンポーネントのことだ。
そういう時代だから、スマートフォンでのサウンドチェックもあたりまえになっていくのか。

この記事がさらにおもしろいのは、2ページ目である。
     *
ーーメトロポリスはDA/ADにプリズム・サウンドを使っていますが、192kHzで収録したアーカイブと異なり、96kHzでマスターを作ったのは何故ですか。

ジョン・デイヴィス アーカイブはジミー・ペイジに何かあっても困らないように192kHzで細心の注意を払って作り上げた。これはビートルズのジャイルズ・マーティンのケースでも全く同じ。しかし、ツェッペリンのリマスタリング・プロジェクトのマスター・テープは96kHzにしている。DA/ADに使ったプリズム・サウンドの真価は96kHzで発揮されるからだ。聴き比べても96kHzの方がずっと良い音がする。

ーーレッド・ツェッペリンのリマスタリング・プロジェクトの場合、96kHzがベストのソリューションというわけですね。

ジョン・デイヴィス 時々オーディエンスは数字が大きいほど良い音だと誤解しているようだが、ツェッペリンのアルバムが集中的に録音された60年代末から70年代前半の録音機材に192kHzは明らかにオーバースペック。ファイルは倍以上に大きくなるし、DAWの負荷も半端ない。192kHzは不要だ。
     *
ここのところを読んで、首を傾げる人、頷く人、どちらもいるはずだ。

Date: 1月 16th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、音の量感のこと(その9)

時間軸の精度の高さだけでは、どうもみずみずしい音はえられそうにないようだ。
MQAも時間軸の精度の高さを謳っているとともに、
時間軸のぼけのなさ(少なさ)も、そこに加えている。

この「ぼけ」が具体的にどういう現象を示すものなのか、
私には完全に理解できているわけではないが、
感覚的には「ぼけ」という表現は、直感的ともいえる。

たとえばアンプの歪には、いくつもの種類の歪がある。
それと同じようにデジタルにおける時間軸に関する歪(揺れ、不正確さ)のようなものにも、
いくつかの種類が存在しているのではないだろうか。

そんなことを考えると同時に思いだすこともある。
以前書いていることだ。

サウンドボーイの編集長のOさんが話してくれたことだ。

ウェスターン・エレクトリックの真空管の音は、ぼけている。
トランジスターアンプのほうが、音の輪郭はぼけずに鮮明である。
けれど、ウェスターン・エレクトリックの音は、芯がきちんとあるし、
そこはぼけていない。
トランジスターアンプの鮮明な音は、反対に音の芯がぼけていることが多い──、
ということだった。

なるほどな、と思ってきいていた。
もう四十年近く前の話で、そのころのトランジスターアンプと、
その後のトランジスターアンプとでは変ってきているところも少なくないから、
そのままいまのアンプに当てはめようとは思っていないが、
音のどの部分がぼけているのか、どこがぼけていないのかは、重要なところだ。

時間軸の「芯」とのところがぼけていないのが、MQAだ、
といいたいところなのだが、
だからといって時間軸の「芯」とはこういうものだ、といえるわけでもない。

時間軸のぼけという表現から、感覚的にこういうことではないのか、と感じているし、
経験論からいえば時間軸のぼけこそがみずみずしい音を失わせるようだ、とはいえる。

Date: 1月 9th, 2020
Cate: High Resolution

MQAのこと、MQA-CDのこと(その6)

その5)で、MQAでも、e-onkyoでの配信、MQA-CD、
それからユニバーサルミュージックのサンプラー盤で、
サンプリング周波数が違う場合がある、と書いた。

不思議だったのは、同じユニバーサルミュージックのMQA-CDでも、
サンプラー盤の方がサンプリング周波数が高い場恣意があるのか、ということだった。

サンプラー盤には、352.8kHz/24ビットとある。
なのにいくつかのMQA-CDのアルバムでは、176.4kHz/24ビットとある。

メリディアンの218は、MQA再生時にはフロントパネルのLEDが点灯する。
けれどディスプレイをもたない218では、サンプリング周波数を表示することはできない。

けれどiPhone用のIP Controlを使えば、サンプリング周波数が表示される。
なんとういことはない、サンプラー盤だけでなく、それぞれのアルバムも352.8kHz/24ビットである。

どうも帯を制作時点では176.4kHz/24ビットだったらしいのだが、
352.8kHz/24ビットに音質的優位性を認めて変更になった、らしい。

とにかく聴き手にとってはうれしい仕様変更である。

けれどe-onkyoとMQA-CDではサンプリング周波数が違うアルバムは少なからずある。

Date: 1月 3rd, 2020
Cate: High Resolution

MQAで聴けるミケランジェリのドビュッシー

ミケランジェリの録音は、アナログディスクのころから聴いている。
なのに最後まで聴き通すことが、私にとってこれほど難しいと感じさせるピアニストは他にいない。

どうでもいい存在のピアニストならばそれでいいけれど、
ミケランジェリはそうではないどころか、素晴らしいピアニストだと思っている。

なのに、どこか苦手意識が、初めて聴いた時からつきまとい続けている。
ミケランジェリのピアノの音は美しい。
完璧主義者といわれるのも頷ける美しいピアノの音なのだが、
そこにミケランジェリというピアニストの肉体をほとんど感じない。

それでも、スピーカーから鳴ってくるピアノの音は、
まさしくミケランジェリによるピアノの音である。

このことがふとしたきっかけで頭か心のどちらかにひっかかってくると、もういけない。
気になってしまい、途中でボリュウムを絞ってしまう。

そうであっても、ミケランジェリをMQAで聴きたい、と思うのは、
どこか確認したい気持も強いからなのかもしれない。

e-onkyoにはショパンとベートーヴェンのピアノ協奏曲(ジュリーニの指揮)があった。
ミケランジェリのドビュッシーを、まずMQAで聴きたい、と思っていた。

いつの出るのだろうか、と思っていたら、今日出ていた。
Préludes IImages 1 & 2; Children’s Cornerがあった。

どちらも192kHz、24ビットである。
ショパンとベートーヴェンは96kHzだっただけに、このこともあわせて嬉しい。

まだ聴いていない。
MQAならば、素直に素晴らしい──、
そう思えるようになるのだろうか。