Archive for category ジャーナリズム

Date: 10月 12th, 2014
Cate: ジャーナリズム

Mac Peopleの休刊(softwareについて)

Mac関係の雑誌があちこちの出版社から出されていたとき、
仕事で大田区池上に行ったことがある。
仕事が終り、池上駅から電車に乗る際、売店をふとふり返ったら、Mac Peopleが置いてあった。
こんな小さな売店でも売るようになったのか、と驚いた。

Mac関係の雑誌がこれだけ減っていたのは、インターネットの普及と無関係ではない。
でも、それだけが理由とも思えない。

昔、岡先生が瀬川先生を評して「ソフトウェアの達人」と書かれていたことがある。
ここでのソフトウェアとは、オーディオの世界のことだから使いこなしということになる。

コンピューターの世界ではソフトウェアは、OS、アプリケーションのことを指す。
もちろんオーディオの世界でも、使いこなしの意味だけでなく、
プログラムソースのこともソフトウェアである。

オーディオにおけるソフトウェアとは、プログラムソースと使いこなしのことを意味する。
そして、オーディオの世界では「音は人なり」と以前からいわれ続けている。

この「音は人なり」は、オーディオにおけるソフトウェアがどういうことであるのかを含んでいる。
この考え方、捉え方がパソコン関係の雑誌にはなかったのではないだろうか。

Mac関係の雑誌の編集は、もっと違うやり方があったのに……、とだから思っている。

Date: 10月 11th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その9)

2000年8月16日に、audio sharingを公開した。

audio sharingは、菅野先生と川崎先生の対談を実現するためにつくった「場」である。
audio sharingをつくった理由はそれだけではない、他にも大きな理由がある。

とにかく「場」をつくらないことには(持たないことには)、対談をやることはできない。
この「場」をつくるために、1999年12月末に仕事を辞めていた。

仕事を続けながら、毎日少しずつこつこつとやっていくのが、
賢明といわれるやり方なのはわかっていたけれど、それではいつになるのかはわからない。
とにかく公開できるようなかたちを早くつくっておきたかった。

2000年5月には人に見せられるぐらいにはなっていた。
ちょうどそのころ、五反田の東京デザインセンターでE-LIVEが開催された。
E-LIVEは、ディスプレイ専門メーカーのEIZO主催で、川崎先生のトークショーがある。

ここで、菅野先生との対談のことを話すことができるのではないか、と考えた。
それでPowerBook G3を携えてE-LIVEに行った。

この日、会場には増永眼鏡のMP690が展示されていた。
アンチテンションのフレームである。

このMP690を見て、おじけづいた。
まだ見せられない、と。

Date: 10月 10th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(余談)

1998年12月に、ひとつだけ実行したことがある。
メガネを川崎先生のデザインのモノにした。

アンチテンションのMP690の発売をきっかけに取扱店が一気に増えたが、
それまでは日本橋の三越本店別館のメガネサロンだけでしか取り扱っていなかった。
十数年前まで、東京でもただ一店のみだった。
(アンチグラヴィティのMP621だけはサングラスとして、六本木AXISのLIVING MOTIFでも取り扱ってはいた)

だから、そこへ行った。
行けばわかるのだが、ここは他のメガネ店とはちょっと違う。
売れているフレームの多くはかなり高価なモノばかりで、
私が行った時も、隣の人が払っていた金額は私が払った金額の約十倍だった。

そんな三越のメガネサロンに、たしかに川崎先生のフレームが並べられていた。
けれどお目当てのフレームはなかった。
店員にたずねた。
増永眼鏡に問い合せてくれて、どのフレームなのかを確認して取り寄せてもらうことになった。

私が欲しかったのはMP649。
それまでMP649は入荷していなかった。店員も知らなかったそうだ。

私が注文して初めて入荷したことになる。
つまりMP649に関しては、東京でのただ一店の取扱店ですら初めての入荷ということは、
私が少なくとも東京では最初に手にしたことになる。
しかも、おそらくしばらくは他の人は誰もMP649をかけていなかった。

Date: 10月 10th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その8)

ステレオサウンド編集部にまだ勤めていたら、この人に会えるのに……、と思った日がもう一度あった。
1998年11月18日である。
毎月18日はMAC POWERの発売日である。
12月号のDesign Talkは、「得手」とつけられていた。

ここでオーディオについて書かれていた。
いつになくオーディオについて長く書かれている、嬉しいな、と思いながら読み進めていくうちに、
「レコード演奏家」という言葉が出てた。そして「オーディオ評論家のS・O氏」ともあった。

オーディオ評論家のS・O氏、菅野先生のことである。
     *
同氏には、車・パイプ・西洋人形という収集品についても彼なりの美学を聴かせていただいた。生意気盛りの私は、そこからモノの美学性を衝撃的に学ぶことができた。
 S・O氏からいただいたLPレコードは宝モノになっている。また、日本でもトップのミキサーである彼の推薦新譜批評は読み続けてきた。いずれ、また会える機会が必ずあると思って楽しみにしている。
 当時はイヤなオーディオ評論家もいた。そんなやつに限って私のデザインを全面否定した。否定されたからイヤな評論家だというのではない。その評論家の趣味性や音・音楽・音響の「得意」性を疑っていたのだ。S・O氏は、初対面でこの人はデザインが語れると直感できた人物である。
 もう私などS・O氏には忘れられてしまっているかもしれない。オーレックス(’70年代の東芝のハイファイ・システム)ブランドで、エレクトレットコンデンサー・カートリッジのアンプ「SZ-1000」のデザインについてアドバイスをいただいた。その機種が私の東芝時代最後のデザインとなった。
     *
MAC POWER、1998年12月号のDesign Talkを読んで、もう一度そう思ったわけだ。
ステレオサウンド編集部にいたら、すぐさま菅野先生と川崎先生の対談を企画するのに……と。

なんとかして自分で対談を実現したい気持とともに、
おそらくMAC POWERかステレオサウンドが先に実現してしまうだろうな、とも思っていた。

だが一年建っても、どちらの編集部もやらなかった。
やらなかったから、やろう、とようやく決心した。
1999年が終ろうとしていた。
草月ホールで川崎先生の講演から五年半が経っていた。

Date: 10月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その7)

五味先生がオーディオマニアの五条件として、
金のない口惜しさを痛感していることを挙げられている。

ハイドンの交響曲第四十九番について書かれている。
こう結ばれている。
     *
少々、説明が舌たらずだが、音も亦そのようなものではないのか。貧しさを知らぬ人に、貧乏の口惜しさを味わっていない人にどうして、オーディオ愛好家の苦心して出す美などわかるものか。美しい音色が創り出せようか?
     *
金のない口惜しさは、それまでも何度か痛感している。
それでも、このときほど、痛感したことはなかった。
いままでの痛感は、痛感といえるほどではなかった、と思うほど、
この日、Design Talkを読みながら、金のない口惜しさを痛感していた。

同時に、五味先生が書かれていた「金のない口惜しさを痛感していること」は、
こういうことなのかもしれない、ともおもっていた。

そういえば、あの日も雨が降っていたな、と思い出していた。

名古屋市立大学に行きたい……、けれど無理である。
また遠く感じた日だった。

Date: 10月 7th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その6)

何をしてきたのか。
ある日からしてきたことは、Design Talkを読みつづけることだった。

読んでいくうちに、オーディオマニアだということがわかった。
草月ホールでの講演をきいたとき、もしかしてオーディオマニアなのだろうか、とおもいはしたけれど、
確信は持てなかった。

Design Talkには、真空管アンプのことも書かれていた。
モノーラルで一台のみ、とあった。
少しずつわかってきた。
JBLの4343を鳴らされていることもわかった。

オーディオという共通項がある。
そのことで会えるようになるのかどうかはわからなかったけど、わかっただけで嬉しかった。

それでもDesign Talkを読むしかなかった。
1996年、名古屋市立大学大学院芸術工学研究科教授に着任されることをDesign Talkに書かれていた。
この号のMAC POWERを読んだ日のことも、はっきりと憶えている。

雨が降っていた。
車の助手席で読んでいた。

この日ほど、金のない口惜しさを痛感した日はない。

Date: 10月 4th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その5)

この日、感じていた「遠さ」は、
「プラトンのオルゴール」展の直後に、講演をきいたということもある。

ステレオサウンドを辞めてから五年以上が経っていた。
この日だけは、ステレオサウンド編集部にまだ勤めていたら、この人に会えるのに……、
と正直にいえば、そうおもった。

デザインを勉強してこなかった私に、壇上にいる人に会える日はくるのだろうか。
そう思うと、ますます遠く感じていた。

ステレオサウンドにいれば、記事を依頼するという形で、すぐにでも会えたであろう。
それでも、「ステレオサウンドの」という看板なしに会いたい気持が強かった。

人は生れた時代、生れた場所によって、会えない人がいる。
これはどうすることもできないことである。
私は、五味康祐、岩崎千明のふたりに会うことは出来なかった。
1977年は中学生だったし、1980年は高校生だった。東京ははるか遠いところであった。

この「遠さ」はどうすることもできなかった。
受け入れるしかない。

けれど、この日感じた「遠さ」は、自分でなんとかしなければならない遠さであることはわかっていた。
だからといって、その日から、何かを始めたわけではなかった。

Date: 9月 22nd, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その4)

Design Talkを読んで、そこに書かれていることをすべて理解できていたわけではなかった。
MAC POWERの次号が出るまでの一ヵ月、何度か読みなおしていた。

次号が出る。Design Talkを読む。
一度読んだだけではすべてを理解できないから、また次の号が出るまでの一ヵ月、何度か読むことになる。

これをくり返していた。
そうやって一年、二年がすぎ、1994年に「デジタルなパサージュ」がやっと出た。
これで読み逃していた数回分のDesign Talkが読める。

1994年はそれだけではなかった。
乃木坂にあるギャラリー間で、川崎先生の個展「プラトンのオルゴール」展が開催された。
そして赤坂の草月ホールで講演会もあった。

「プラトンのオルゴール」展に行った後で、草月ホールに行った。
この日の、私の受けた衝撃は大きかった。

衝撃が大きかったから、遠い……、と感じていた。
ほんとうに遠い、と。

この人に会いたい(この人の前に立ちたい)と思っていたから、遠いと感じていた。

Date: 9月 20th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 川崎和男

Mac Peopleの休刊(その3)

Design Talkというタイトルの下に、こう書いてあった。

ドリームデザイナー
川崎和男

ドリームデザイナーは初めてきく言葉だった。
どういう職業なのか。
言葉通りならば、夢をデザインする人、夢を形にする人になる。

川崎和男、どういう人なのかまったく知らなかった。

いまならば、インターネットで検索して、どういう人なのか知ることができる。
1991年か1992年当時は、そんなことはできなかった。
ただそこに見知らぬ名前があるだけだった。

だがイニシャルがKKだ、と思った。
同じアルファベットがふたつ続く。
グレン・グールドもGG、同じアルファベットがふたつ続く。

Design Talkを読んだ。
私が読んだDesign Talkは一回目ではなかった。
少なくとも数回は連載されていた。
一回目から読まなければ、とも思った。

そして、この人の書くものはすべて読もう、と思っていた。

私にとって五味先生の文章は、オーディオの始まりになった。
いわば第一章のはじまりである。

Design Talkとの出逢いは、第二章の始まりである。

Date: 9月 18th, 2014
Cate: ジャーナリズム

Mac Peopleの休刊(その2)

友人は私よりも二、三年はやくMacを仕事に使っていた。
友人は録音スタジオで働いていて、そこに遊びに行くたびにMacをすすめられた。

とはいえ、あのころmacは高かった。
友人が仕事で使っていたIIciと外部ディスプレイ、その他いくつかの周辺機器を揃えるだけで、
かるく100万円はこえていた。それにアプリケーションも買わなければならない。

すぐに買えるわけがなかった。
それならば、と友人はmac関係の雑誌を読めとすすめる。
いつかMacを使うことになるから、そのためにも読んでおけ、と。

友人はMAC POWERをすすめた。
掌田津耶乃氏が書いている、のが理由だった。

MAC POWERが、だから最初に買ったMacの雑誌である。

そうやって買ったMAC POWERを最初から理解して読んでいたわけではない。
Macに関する知識はないに等しかったし、
友人がすすめる掌田氏の記事はhyperCardに関する記事だったから、Macがなければおもしろさは伝わってこない。

それでも伝わってくるものはあった。
特集記事を読み、連載記事を読み、読み進めていった。
巻末に近いところに、2ページ見開きの連載があった。
それがDesign Talkだった。

Date: 9月 14th, 2014
Cate: ジャーナリズム

Mac Peopleの休刊(その1)

漢字Talk7が出る一年ほど前からMacを使っている。
私にとって最初のMacはClassic II。OSは漢字Talk6だった。

これより少し前からMac関係の雑誌を読みはじめた。
1991年ごろからだろうか。
当時はMAC POWER、Mac Life、Mac World、Mac Japanがすでにあった。
すべて買っていた。
それから数年後、Mac User、日経Mac、Mac Fanなどが続いた。

MAC POWERの姉妹誌としてMac People、Mac Japanの姉妹誌としてBrosとActiveが出た。
これらすべてを買って読んでいた時期もある。

このころだったと記憶しているが、コンビニエンスストアにMAC POWERが売られていたこともある。

そのころよりもMacを含めてAppleの製品は売れている。
けれどMac関係の雑誌は、Mac PeopleとMac fanの二誌だけに減ってしまった。

20年の変化を読者としてみてきた。

今月末発売の号でMac Peopleが休刊になる。
Mac fanだけになる。

Mac PeopleはMAC POWERが休刊になってから、
いつのまにか誌面をリニューアルしてMAC POWERのようになっていた。
MAC POWERは、Mac関係の雑誌の中で、もっとも長く買いつづけていた。
だからといって、MAC POWERのようになったMac Peopleを買うことはなかった。

Design Talkがないからだった。

Date: 9月 11th, 2014
Cate: ジャーナリズム, 書く

毎日書くということ(続・実感しているのは……)

自分が属している業界の色に染まってしまったのかどうか、ということは、
なかなか本人にはわからない。
誰かに指摘されたとしても、本人は納得がいかないのではなかろうか。

結局のところ、自分で気づくしかない。
ではどうすれば、気づくのか。

各軸なことは、いまのところなにひとついえない。
ただいえることが、ひとつある。

その人は毎年11月には瀬川先生の墓参に行く。
オーディオ業界に長くいる人であり、きいたところによると身内の墓参にはあまり行かない人らしい。
そういう人が、毎年11月に瀬川先生の墓参には行くという。

墓の前に立てば自然と手を合せて目をつむる。
その時の気持は、その人だけのものである。

なぜ、その人は行くのか。
理由は知らない。あえて聞こうとも思っていない。

私が、だから勝手に思うのは、
瀬川先生の墓参に行くという行為は、自分で気づく行為のはずだ、ということである。

Date: 8月 14th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その41)

ステレオサウンドというオーディオ雑誌に何も求めるのかは、読み手によって違う。
私のように、オーディオの読み物としての読み応えを期待する人もいるだろうし、
オーディオ機器の購入の参考としてステレオサウンドを購入する人もいるだろう。

それが雑誌であると私は思っているし、
同時にすべての読み手を満足させることはまずできない、といえよう。

私が読み応えを感じる内容のステレオサウンドがこれから先出て来たとしても、
オーディオ機器の購入のガイドブック的な読み方をしている人は、
私が読み応えを感じる記事は、ほとんど役に立たない記事ということにだってなる。

そういう人にとって、いまのステレオサウンドのベストバイは、
購入ガイドとしては役に立つ記事になるのかもしれない。

ここでもう一度考えたいのは、いまのステレオサウンドは、
ベストバイという企画をどう考えているのか、ということだ。

ベストバイが始まった35号は1975年に出ている。
すでに40年近く続いているだけに、オーディオというシステムの存在も、
時代に時代によって変化していっている面もあり、ベストバイということばの意味、
ベストバイという企画の意味も変化していっている。

Date: 8月 9th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その40)

そう思ってしまうのは私だけだろうか。
もちろん私と正反対に、またこの人が書いている、よかった、と思う人もいることはわかる。
それでも、なんのために何人もの筆者がいるのか、ともいいたくなる。

人は勝手なものだから、私などは、書いている人が瀬川先生だったら、
まったくそういうことは思わないわけで、
また同じ人が書いている……、と思ってしまうのは、書き手として信用できない人であるからだ。
(これも私にとって信用できない人であって、逆に信用できるという読み手がいることはわかっている)

すべての読み手を満足させることは、一冊のステレオサウンドではできない、ともいえる。
だからこそ、毎年12月に発売になる号での特集、
ステレオサウンド・グランプリとベストバイがあるといえるし、私はそう受けとっている。

新製品紹介で、あるブランドについてほぼ毎回同じ人が書いている。
それを喜ぶ人もいれば、私のように感じる人もいる。
それでもベストバイで、そのオーディオ機器について他の人が書いていたらどうだろうか。

ベストバイで、43号、47号のやり方と同じように、
その機種をベストバイに選んだ人のコメントすべて読めるようになっていたら。
あるスピーカーシステムを五人の人が選んでいたら、五人のコメントが載っている。

だが残念ながら、いまのステレオサウンドのベストバイは59号でのやり方と基本的に同じで、
選んだ人全員が書いているわけではない。
一人ということはないが、何人かだけであり、ここでも前述した不満が残ることもある。

新製品紹介を担当していた人が、ベストバイのコメントも担当していたりする。
他に選んだいる人がいて、その人は書いていないにも関わらずだ。

読みたい人のコメントが載っていない。
私にとって、読み応えのある内容とは到底言えない。

Date: 8月 8th, 2014
Cate: ジャーナリズム,

賞からの離脱(その39)

ベストバイの記事として、ステレオサウンド 51号のやり方は、私はまったく評価しない。
けれど、ひとつだけ評価する、というか、
51号によって気づいたことがある、という意味で、51号のベストバイを完全否定するわけではない。

ステレオサウンドは雑誌である。
雑誌は、ひとりの筆者だけで成り立つものではない。
何人もの筆者がいるからこそ、雑誌は雑誌としての輝きを得ることができる。

何人もの筆者(書き手)がいるのは、だから理解できる。
これはいまだから理解できることではなく、高校生、中学生であってもわかることだ。
それでも、読み手の勝手な心情としては、私の場合は、できるだけ瀬川先生に書いてほしかったわけで、
それが望めないと頭ではわかっていても、どうしてもそう思ってしまう。

いまのステレオサウンドの筆者で、この人の書くものは読みたい、と思う人はいなくなった。
そんなステレオサウンドの読み手であっても、ステレオサウンドを手に取るたびに思うことがある。

なぜ、この人に書かせるのか、だ。

あるブランドから新製品が出る。
いまのステレオサウンドだと、本を手に取らなくとも、
このブランドのこの価格帯の新製品ならば、この人が担当して新製品紹介の記事を書いているだろう、と思うし、
たいていそれは外れることはない。

そういう時に、またか……、と思ってしまう。
また、この人が書いているのか……、と。

なぜ、この人に書かせるのか、は、そういう意味である。