Mac Peopleの休刊(その12)
きもちを思い出すとともに、もうひとつ思っていたことがある。
義を見てせざるは勇なきなり、である。
勇(勇気)は、長い時間持っておく必要はない。
川崎先生の正面に座っていたのだから、
そこから川崎先生のところに歩いていき、挨拶をして、菅野先生との対談をお願いするだけ。
時間にすれば、一分とかからない。三十秒もあればいい。
その短い間だけ勇をもっていればいいだけのことである。
だから、川崎先生の話が終った後、二年前にはおじけづいてしまったことがやれた。
それに私が菅野先生と川崎先生の対談をやろうと思った川崎先生の文章のタイトルは「得手」である。
私の「得手」はオーディオである。
「得手」に川崎先生が書かれている。
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すでに郷愁かもしれないが、オーディオは私が得意とする分野だ。
デジタル時代になって、アナログ再生に深く関与できた青春は終わったと思っていた。しかし、今この得意領域に立ち戻るつもりだ。それは、20年間もの醸造時間をかけてきた祈念ですらあるわけだ。
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2000年のE-LIVEでは、川崎先生のところへ行き、名刺交換し話されている人たちを羨ましくも思えた。
この人たちは、デザインの仕事をしているんだろうな……、と。
この時気づかなかったこと、
川崎先生の「得手」も私の「得手」もオーディオである。
オーディオマニアとしての川崎先生に、オーディオマニアとして会いに行けばいいことに、気づいた。
「得手」を、川崎先生はこう結ばれている。
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まだまだ不得手なことがあることに気付いた。しかもそれは得手だった音響についてのデジタル化のデザインがテーマだ。最も得手になる、それもトップクラスの得手になる自分を早く発見したい。
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「トップクラスの得手になる自分」──、
だからこそDesign Talkとの出逢いは、私にとって第二章の始まりである。