Mac Peopleの休刊(その11)
三回目のE-LIVEで、川崎先生の講演が終ってすぐに、川崎先生のところに行った。
この日、最前列の中央の席に座っていた。川崎先生にもっとも近い距離の席である。
2000年のE-LIVEのときもそうだったが、講演終了後、何人かの人が川崎先生のところへ行く。
すごい行列ができるわけではないから、しばらく待っていればいいことなのだが、
待っている間に気持が萎えるか、2000年のときのようにおじけづくのをさけるためにも、その席に座っていた。
名詞を渡した。
名刺といっても、前日にMacとプリンターでつくったもの。
audio sharingの文字を大きくして、
あとはURLとメールアドレスだけの名刺だった。
そして「オーディオ評論家の菅野先生と対談をしていただけないでしょうか」と切り出した。
この時の川崎先生の表情は、いまもはっきりと憶えている。
──こう書くと、これまでの逡巡は何だったか、と思われるかもしれないが、
実を言うと、まったく迷っていなかったわけではない。
この日、川崎先生は「いのち・きもち・かたち」について話された。
これをきいてしりごみしそうになっていた。
けれど、「いのち・きもち・かたち」が背中を押してくれもした。
「いのち・きもち・かたち」。
川崎先生の話をききながら、自分にあてはめていた。
私のいのちはなにか。
答はすぐに出た。オーディオマニアである。
きもちは──。
すぐに出なかった。
かたちは──。
すぐに出た。audio sharingがそうだ、と。
もう一度、きもちは──、と問う。
audio sharingをつくろうとおもいたったときの「きもち」を思い出した。