Archive for category ショウ雑感

Date: 9月 1st, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その3)

今月末にはインターナショナルオーディオショウが始まる。
ドイツではIFA 2016が始まっている。

Phile-webAV Watchでショウの模様が伝えられている。

IFA 2016で初お披露目の新製品の中で、
おっ、と思ったのは、B&OのBeoSound 1BeoSound 2である。

別項「瀬川冬樹氏のこと(ヴィソニック David 50)」で、B&OのCX100について書いているところ。
そこに今回のBeoSound 1とBeoSound 2の登場。

CX100の登場は1985年か86年ごろだったと記憶している。
約30年後に、BeoSound 1とBeoSound 2が出てきた。
形は大きく変っている。
でも、CX100同様、アルミ製エンクロージュアを採用している。
ユニット構成はまるっきり同じとはいえないが、近いところがある。

個人的な思い入れだけで、BeoSound 1とBeoSound 2が、
CX100の後継機として見えてくる。

CX100は壁にかけられたり、自由度のあるセッティングがあった。
今回のBeoSound 1とBeoSound 2は、さらにそのことを発展させている。
スピーカーケーブルが、まず要らない。

Bluetooth、無線LAN機能を備えていて、当然アンプ内蔵。
しかも電源はバッテリーなので、ワイヤレスを実現している。
こういうところもCX100の後継機といえるように思えてくる。

肝心なのは音。
CX100の後継機といえる音が聴けることを期待している。

Date: 5月 2nd, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その2)

正式名称は何というのだろうか。
宴会場の扉のところに用意されているもの。
その宴会場を利用している客の名前が書かれているもののことだ。

先日、ヘッドフォン祭に行ってきた。
それぞれのブースの入口には、そこの会社名が書かれたそれがあった。
いわゆる案内板の一種だ。

オーディオテクニカのブースにも、それはあった。
けれどそれには「オーディオテクニカブース」と本来あるはずなのに、
「オーディオテク二カブース」と書いてあった。

テクニカの「ニ」が漢字の「二」になっていた。

些細なことじゃないか、そんなこと書くようなことじゃないだろうと思う人もいるであろう。
でも、この間違いは些細なことであり、どうでもいいことなのだろうか。

それを用意したのは、おそらく会場である中野サンプラザだと思う。
間違いは誰にでもある。
問題なのは、誰も気づかないのか、だ。

ヘッドフォン祭の朱際者であるFUJIYA AVICの担当者は気がつかなかったのか。
こういう間違いをされたオーディオテクニカの人たちはどうだったのか。
気づいていたけれど、そのままにしていたのか。

「オーディオテクニカブース」であっても「オーディオテク二カブース」であっても、
「おーでぃおてくにかぶーす」と読める。
読めれば案内板として機能しているといえるのか。

「オーディオテクニカブース」を「オーディオテク二カブース」のままにしておくことと、
オーディオという趣味(行為)とのあいだに、なにも違和感を感じないのだろうか。

Date: 4月 13th, 2016
Cate: ショウ雑感

2016年ショウ雑感(その1)

2016年のインターナショナルオーディオショウの概要が先日発表になった。

9月30日、10月1日、2日に開催される。
そして今年はテクニクスが出展する。

一昨年、昨年とオーディオ・ホームシアター展(音展)に、
テクニクスは出展していた。

一昨年はテクニクス復活のニュース直後ということもあって、
そこでの音出しに不満を感じたけれど、あれこれ言おうとは思わなかった。

でも昨年に関しては違う。
テクニクス復活から一年。
なのにオーディオ・ホームシアター展(音展)での音出しは、一昨年と同様だった。

お茶を濁す、とでもいおうか、逃げ腰の音出しであり、
とりあえず来場者に対して音を聴かせれば、いいわけが立つ──、
そんな印象しか残らないものだった。

会場となった場では満足な音出しはできない、ともいいたいのだろうか。
それとも他に理由があったのか。
ほんとうのところはわからない。

けれど、今年はインターナショナルオーディオショウに移ってくる。
一昨年、昨年のような音出しは、インターナショナルオーディオショウでは、相手にされない。

テクニクスはそのことがわかっていてインターナショナルオーディオショウに来るのか、
それともオーディオ・ホームシアター展(音展)と同じような音出しに終始するのか。

テクニクスの本気度が、ようやくはっきりするのであろう。

Date: 1月 25th, 2016
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その8)

ダイヤトーンのふたつのスピーカーシステム、DS1000とDS10000は、
前者をベースに、まるで別モノとおもえるレベルまで磨き上げたのが後者である。

ステレオサウンド 77号には、
菅野先生による「日本的美学の開花」と題されたDS10000についての詳細な記事が載っていて、
そこには囲みで、「DS10000誕生の秘密をダイヤトーンスピーカー技術陣に聞く」もある。

ダイヤトーンの技術陣は、
DS1000と10000は別モノといえるから新規でまったく別の製品を開発したほうがよかったのではないか、
という質問に対して、こう語っている。
     *
ダイヤトーン DS1000は、システムの基本構成の上で非常に高い可能性を持っていると、我々は確信していたのです。基本構成においてもはや動かし難いクリティカルポイントまで煮詰めた上で完成されたDS1000のあの形式で、どこまで音場感が出せるかという技術的な興味もありました。また、システムを再検討するにあたって、ベースとなるデータが揃っているということも大きな理由のひとつでした。まったく別ものにしたとすると、その形態の問題が加速度的に表れてきて、本質を見失ってしまう可能性が出てくる。そこで、既製のものでいちばん可能性の高いものとしてDS1000を選んだのです。
     *
このことはヤマハがNS5000において、
ごく一般的といえる日本独特の3ウェイ・ブックシェルフ型のスタイルをとった理由も、同じのはずだ。
まったく新しい形態のスピーカーシステムの開発に取り組むのもひとつの手であり、
むしろその方が購買層には歓迎されるであろうが、オーディオ雑誌も喜ぶであろうが、
だからといっていいスピーカーシステムになるとは限らない。

「日本的美学の開花」は、そのへんのところも含んでのものといえる。

Date: 1月 24th, 2016
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・その7)

ダイヤトーンのDS10000の評価は高かった。
DS10000には、それまでのダイヤトーンのスピーカーシステムからは感じとりにくかった響きの良さがあった。

ベースとなったDS1000は、優秀なスピーカーシステムではあった。
けれどその優秀性は、悪い意味での優等生のような面ももっていた。
融通がきかないというか、ふところが浅い、とでもいおうか、
そういいたくなるところがあって、システムのどこかの不備をそのまま鳴らしてしまう。

それゆえ当時、DS1000は低音が出ない、といわれることがあった。
それは一般ユーザーだけの話でなく、オーディオ評論家のあいだでもそういわれていた。

DS10000はステレオサウンドのComponents of The yearのゴールデンサウンド賞に選ばれている。
77号の座談会をみてみよう。
     *
柳沢 これだけチェロが唄うように鳴るスピーカーは、いままでのダイヤトーンにはなかったと思う。
菅野 低音がフワッとやわらかくていいですからね。いいチェロになるんですよ。
上杉 同じダイヤトーンのスピーカーでも、他のものは低音が出にくいですからね。
柳沢 たしかに、出ない。というよりも、ぼくには、出せなかったというべきかもしれない。井上さんが鳴らすと出るという話はあるけどね(笑い)。
井上 きちんとつくってあるスピーカーなんですから、正しい使い方さえしてやれば、低音は出るはずなんですけれどね。
     *
77号は1985年だから、いまから30年前のことだ。
いまなら、ここまで低音が出ない、とはいわれないかもしれない、と思いつつも、
でもやっぱり……、とも思ってしまうが、ここではそのことは省略しよう。

低音に関してだけでも、DS1000とDS10000の評価は違っていたし、
スピーカーシステム全体としての音の評価においては、さらに違っていた。

Date: 11月 3rd, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(続々続ヘッドフォン祭)

思い出していたのは、チェロのスピーカーシステム、Amati(アマティ)だった。
Amatiは外観からすぐにわかるように、アコースティックリサーチのスピーカーシステムLSTをベースとしたもの。

このAmatiを目の前にして、マーク・レヴィンソンはアメリカ東海岸の人だということも思い出していた。
レヴィンソンの出身がコネチカットで、どこにあるのかは知っていた。
とはいえ、マークレビンソン時代のアンプは、日本ではJBLのスピーカーと組み合わされることが多かった。

JBLのスタジオモニターを鳴らすアンプとしても、LNP2、ML2などが多かったこと、
それにJBLとマークレビンソンの組合せに強い関心と憧れを持っていたものだから、
レヴィンソンが東海岸の人だということが薄れていた。

そこにAmatiが登場して、マーク・レヴィンソンはアメリカ東海岸の人だということを強く感じた。
Amatiはステレオサウンドの試聴室で、チェロのフルシステムで聴いた。

マーク・レヴィンソンのフルシステムといえば、聴く機会はなかったが、HQD Systemがある。
HQD Systemの規模からするとAmatiを中心とするチェロのシステムは、こぢんまりしている。
実際はけっこうな規模なのだが、HQD Systemの印象と比較してのことだ。

この時の音については書かないが、いま思い出しているのは、試さなかったことだ。
Amatiも完全密閉型のスピーカーシステムである。
ならば思いっきりボリュウムをあげた音を聴いておくべきだった、といまになって後悔している。

パワーアンプはPerformanceだった。
このアンプならば、そうとうなレベルまであげられた。
でも、あの時はやらなかった。

井上先生が例えられていたとおりの音、
高回転・高出力のエンジンの車のように、大音量(高速回転)時の音は、
驚くほどの低音を聴かせてくれたのかもしれない。

聴いておくべきだった……

Date: 10月 27th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(続々ヘッドフォン祭)

昔からスピーカーの鳴り方・鳴りっぷりは、車の乗心地に例えられることがある。
時速50kmで走っていたとしても、小型車と大型車では乗心地が違うのと同じように、
同じ音量においても、小型スピーカーと大型スピーカーの鳴り方・鳴りっぷりは違ってくる。

完全密閉型(アコースティックサスペンション方式)時代のARのスピーカーシステムを、
井上先生は高回転・高出力のエンジンの車にたとえられていた。

大音量(つまりエンジンを高速回転させている)時は、
驚くほどの低音を聴かせてくれる。
パワーを上げれば上げるほど、活き活きと鳴ってくれる。
オーディオ的快感ともいえる鳴りっぷりがある。
一方で音量を絞ってしまうと、バランスは崩れやすく、
ウーファーの反応も鈍く感じられてしまう──、そんな話を井上先生から聞いている。

ARのスピーカー(正確にはプロトタイプ)がデビューした1954年、
ニューヨークのホテルで開催されていたオーディオフェアで、
250ℓのエンクロージュアのスピーカーシステムを出品していたワーフェデールのベースに、
ARのエドガー・M・ヴィルチュアは、一辺が40cmに満たない立方体のスピーカーを持ち込んでいる。
公開試聴をヴィルチュアは申込んでいる。

この時、ハイプオルガンのレコードで、充分な量感を聴かせたのは、大型のワーフェデールではなく、
小型のヴィルチュアのスピーカーだったことは、
ワーフェデールのブリッグスとともに会場の多くの人が認めている。

この公開試聴の音量はどれほどの大きさだったのかはわからない。
かなり大きな音量だったのではないか、と推察できる。

音量をかなり絞った状態であれば、ワーフェデールのスピーカーに軍配をあげる人もいたかもしれない。
想像でしかないが、このふたつのスピーカーは大きさだけでなく、鳴りっぷりと、
その鳴りっぷりの良さが活きる音量も大きく違っていたはずだ。

現行のARのスピーカーシステムには、そういう点はないであろう。
もう完全密閉型ではないし、時代も技術も変っているから。

こんなことをARのヘッドフォンアンプを見て思い出していたし、
そういえば……、と思い出したことがもうひとつある。

Date: 10月 25th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(続ヘッドフォン祭)

ヘッドフォン祭に、アコースティックリサーチのヘッドフォンアンプAR-M2があった。

ARのロゴは以前のロゴに少し変更が加えられていたが、一目で、あのARとわかる。
正直、ARはなくなっていたと勝手に思っていた。
だからARのロゴを見て、まだあったのか、が先にあった。

そこにはAR-M2のみの展示だったから、さっそく他の製品は出していないのか、
スピーカーシステムはどうなのか、ヘッドフォンアンプを出すくらいだから、ヘッドフォンも出しているのか、
そんなことが気になって、すぐにiPhoneで検索していた。

ARはあった。
本国のサイトには、D/Aコンバーターもあり、やはりヘッドフォン、イヤフォンもあった。
スピーカーシステムもあった。

ARSP80TGWNというモデルが、現在のARのスピーカーのトップモデルのようだ。
トールボーイの、このスピーカーシステムはリアバッフルにポートをもつバスレフ型である。

時代の変化とともに会社も変っていくのか……、と思う。

ARの完全密閉型のスピーカーシステムが、うまく鳴っているのは聴いたことがない。
コンディションもあまりよくなかったこともあっただろう。

私はARのスピーカーシステムに関心をもつことはなかった。
そんな私なのに、いまARのことを書いているのは、以前井上先生が話されたことが残っているからだ。

どの機種だったのかは聞いていないか、忘れてしまったか、
ARの完全密閉型をハイパワーアンプで思いっきり鳴らした音は、凄かった、と聞いている。

Date: 10月 24th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(ヘッドフォン祭)

今日から中野で開催されているヘッドフォン祭に行ってきた。
今年は聴いておきたいモノがあった。
シュアーが先日発表した、同社初のコンデンサー型のKSE1500が聴きたかった。

注目の新製品ということとイヤフォンという性格上、
試聴するには整理券が必要だった。
私が行った時間がタイミングが悪かったのか、
いちばん早い時間の整理券でも二時間後だった。

あの会場で二時間待つのはちょっとつらいので、結局聴かずに帰ってきた。
タイムスケジュールをみながら、二時間待とうかどうか思案していた私の横で、
シュアーのブースの受けつけの人に、ぶしつけなことを言っている人がいた。

見た感じ四十代後半か、それより上の世代の人。
スタッフの人に「シュアーにコンデンサー型なんてないでしょ。どこに作らせたの?」と言っていた。

KSE1500は発表になったばかりだから、その存在を知らなくともかまわないけれど、
訊ね方というものがある。
こんな訊ね方をされても、シュアーのスタッフはイヤな顏ひとつせずにきちんと説明されていた。

ヘッドフォン祭は若い人たちが圧倒的に多い。
今回もやはり多かった。女性ひとりで来場されている人もいる。

その中に昔からのオーディオマニアと思われる世代の人がいる(私もここに属する)。
インターナショナルオーディオショウやオーディオ・ホームシアター展(音展)と違い、
そういう世代の人たちのほうが少数であり目立つように感じている。

その中のひとりが、横柄ともとれる訊ね方をしている。
本人にはそういうつもりはなかったのかもしれない。
ただ単に、ものを知っていると思われたくての発言だったかもしれない。

それでも傍にいた私には、そういうふうには聞けなかった。
シュアーのスタッフは若い人だった。
もっと年輩の人がスタッフだたら、違う訊ね方をしていたのかもしれない。
そうだとしたら、この人は若い、オーディオに関心を持ち始めた人に対して、
今回と同じような話し方をするのかもしれない──、そんなことを思ってしまった。

数ヵ月前に、若者のバイク離れは、上の世代が原因のひとつという記事を読んでいた。
オーディオにも同じことがいえるのではないか、とその時思っていたから、
他の人からすれば、どうでもいいことに反応してしまったのかもしれない。

2015年ショウ雑感(その6)

こういう試聴方法で何が聴きとれるのか。
五味先生の「五味オーディオ教室」にも書いてある。
     *
 音の味わい方は、食道楽の人が言う〝味覚〟とたいへん似ているように、思う。
 佳い味つけというのは、お吸物(澄まし)の場合なら、ほとんどが具の味をだしに生かしてあり、一流の腕のいい板前ほど塩加減でしか味つけをしない。したがって、たいへん淡白な味だが、その淡白さの中に得も言えぬ滋味がある。でもこれを、辛くて粗雑な味の味噌汁を飲んだあとで口にすると、もう滋味は消え、何かとても水っぽい味加減に感じるものだ。
 腕のいい板前はだから、他の料理が何であるかも加味して、吸物の味をつけるという。淡白で、しかもたいへん上品な味加減のその素晴らしさは、粗悪な味のあとでは賞味できないものだから。
 人間の舌はそれほど曖昧——というより、他の味つけの影響をとどめやすいものなので、利き酒を咽喉に通さず、一口ふくんでは吐き出す理由もここにあろう。
 ヒアリング・テストも同じだ。よほど耳の熟練した人でも、AのスピーカーからBのスピーカーに変わった瞬間に聴き分けているのは、じつは音質の差(もしくは音クセ)なので、そのスピーカー・エンクロージァがもつ独自な音色の優秀性(また劣性)は、BからAにふたたび戻されたときには、もう聴き分け難いものとなるのがしばしばである。
     *
私がオーディオに興味を持ち始めた1976年の時点で、
すでに瞬時切り替え試聴の問題点は指摘されていた。

それでも……、と反論する人がいると思う。
いるからこそ、今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)での、あのやり方が行われたのだろう。

Aの音とBの音の違いが聴きとれれば、何の問題もないじゃないか、という人がいるだろう。
だが、このやり方で聴きとれるのはAの音とBの音の違いではなく、あくまでも差である。

くり返すがA-Bの音という差、B-Aの音という差であり、
違いではなく差であるからこそ、A-Bの音とB-Aの音は、人間の感覚として同じになることはない。

味覚では、この話は通用するのだが、
なぜか聴覚となると、私の耳はそうではない、といいはる人がいて、通じない場合もある。

違いと差は決して同じではない。
そして試聴(特に比較試聴)では、
何が聴きたいのか、何を聴こうとしているのか、何を聴いているのか、
これらのことを曖昧にしたままでは、何を聴いているのかがわからなくなってしまう。

それできちんとしたデモ、プレゼンテーションができるわけがないし、
ましてスピーカーの開発は……、である。

2015年ショウ雑感(その5)

瀬川先生が「コンポーネントステレオのすすめ」の中で、
この瞬時切り替え試聴の注意点について書かれている。
     *
 たくさんのスピーカーが積み上げられ、スイッチで瞬時に切換比較できるようになっている。がそこには大別して三つの問題点がある。
 第一、スピーカーの能率がそれぞれ違う。アンプのボリュウムをそのままにして切換比較すると、能率の高いスピーカーは大きな音で鳴り、能率の低いスピーカーは小さな音になってしまう。馴れない人は、大きな音が即、良い音、のように錯覚しやすい。スピーカーを切換えるたびに、同じような音量に聴こえるよう、アンプのボリュウムを調整しなおすこと。
 第二、AからB、BからCと切換えて聴くと、その前に鳴っていた音が次の音を比較する尺度になってしまう。いままで鳴っていた音が、次の音を聴く耳を曇らせてしまう。この影響をできるだけ避けるため、A→B→Cと切換えたら、こんどはB→A→C、次はC→B→A、B→C→A……と順序を変えながら比較すること。もしも少し馴れてきたら、切換比較をやめて、あるレコードをAで聴いたらそこで一旦やめて、Bのスピーカーで同じ部分を改めて反復する。そして、音色の違いを比較しようとせずに、どちらがレコードをより楽しく、音楽の姿を生き生きとよみがえらせるか、という点に注意して聴く。
 第三、スピーカーの置かれてある場所によって、同じスピーカーでも鳴り方が変る。下段は概して低音が重くなり、音がこもり気味になる。冗談は低音が軽くなり、音のスケール感が失われがち。中段が大体いちばん無難、というように、本当に比較するなら、抜き出して同じ場所に置きかえなくてはわからないが、それが無理なら、一ヵ所に坐って聴かずに、鳴っている二つのスピーカーの中央に自分の頭を移動させる。めんどうくさがらずに、立ったりしゃがんだりして聴く。あるべくスピーカーのそばに近づいて聴いてみる。別の店で、同じスピーカーの置き場所が違うと音がどう変るか聴いてみるのも参考になる。
     *
今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)での、
そのブースではふたつのスピーカーシステムの音量はほぼ同じに感じられるようになっていた。
なので、ここでは第一の問題点について取り上げる必要はない。

第三のスピーカーの置かれている場所による音の違い。
これは厳密には試聴のたびにスピーカーを移動して、という作業をする必要がある。
ステレオサウンドの試聴室ではそうやっていた。
だが、今回のケースはいわばオーディオショウという場であり、
限られた時間でのデモということを考慮すると、しかたないという面もある。
だから、この問題点についても、とやかくいわない。

問題としたいのは、第二のことである。
今回は比較対象となるスピーカーシステムは二組だから、AとBということになる。
10秒ごとのスピーカーの瞬時切り替えということは、
A、B、A、B……となるわけで、そこで聴いているのは
Aの音、Bの音というよりも、A-Bの音、B-Aの音である。

A-Bは、前に鳴ったAの音とBの音の差であり、
B-Aは、前に鳴ったBの音とAの音の差である。

AとBは交互に鳴っているわけだから、A-Bの音とB-Aの音は同じじゃないか、と考える人もいよう。
だが人間の感覚として、A-Bの音とB-Aの音は同じではない。

A-Bの音とB-Aの音が同じだと考えているから、
そのブースでは10秒ごとの瞬時切り替えを行っていたのではないのか。

2015年ショウ雑感(その4)

そのブースに入ると、正面のディスプレイに、どういうプログラムで試聴を行うかが表示してあった。
そこで鳴らされるソースは鑑賞曲と試聴曲とにわけられていて、交互にかけられていた。

鑑賞曲ではそのメーカーのスピーカーシステムだけで鳴らされる。
試聴曲で他社製のスピーカーシステムとの比較ができるというわけである。

このやり方は問題はない。
問題があるのは、試聴曲の鳴らし方だった。
10秒ごとに自社製と他社製のスピーカーシステムを切り替える。
曲を再生しながらである。

いわゆる瞬時切り替えによる試聴である。
それも切り替えて、曲の頭に戻るのではなく、
一曲を流したままでの瞬時切り替えを、このブースではやっていた。

この試聴は、ずっと昔、オーディオ販売店でみられたやり方だ。
多くの販売店にはスピーカーが壁一面に積み上げられていて、
アンプも棚に何台も収納されていた。

これらはすべて切り替えスイッチに接続されていて、
ボタンを押すだけで、希望するスピーカー、アンプに切り替えられる。
いまでもこのシステムを使っているところはある。

どんなモノでもそうだが、問題はどう使うかである。
ボタンひとつで切り替えできるからといって、
曲を流したままにして、ボタンを押してAB比較をやる。

これが昔々のやり方だった。
このやり方は、ずいぶんとまずいもので、
当時からこの比較試聴に対しては、心ある人たちが問題視していた。
そして、いつしかそういう比較試聴はなくなっていった。

なくなってずいぶん経つ。
それをやっているメーカーがある。

このことに驚いたわけである。
少なくとも彼らは、自社製と他社製のスピーカーの音の違い(優劣)を、
来場者にはっきりと示したい、と考え、
もっとも有効なやり方として、今回の方法をとったのだろう。

ということは、彼らはそのスピーカーシステムの開発においても、
同じ聴き方をしているということにもつながっていく。

2015年ショウ雑感(その3)

去年のオーディオ・ホームシアター展(音展)で驚いたのはNHKの8Kのデモだった。
今年もNHKは8Kをやっていた。
今年は8Kのロゴの下に”SUPER Hi-VISION”とあった。

8KがSUPER Hi-VISIONなら、次に登場するであろう16KまではSUPER Hi-VISIONのままで、
その次の32Kまでいくと”ULTRA Hi-VISION”となるのかなと思いながら、8Kのデモを観ていた。

去年の驚きがあるから、今年はそれほど驚いたわけではなく、じっくりとみていた。
やっぱり8Kはいいな、と思う。
来年には試験放送がはじまり、2020年までには本格的普及を目指すということだった。

その展開の速さに今年は驚いていた。

今年のオーディオ・ホームシアター展(音展)で驚いたのは、
どこかのメーカーの製品の音ではなく、あるブースの比較試聴のやり方だった。

そこではスピーカーのデモが行われていた。
そのメーカーのスピーカーの他に、
ほぼ同サイズの他社製のスピーカー(世評の高い者)を並べての比較試聴である。

こういうデモをやるということは、それだけ自信があるということであり、
そのこと自体はとやかくいうことではない。

ただ、その比較試聴のやり方に驚いてしまった。
いまどき、こんな比較試聴をやるのか、
だとしたら、このスピーカーの開発過程における試聴でも、
彼らはそういう試聴をやっているのではないか──、
そう思って驚いていた。

それは昔々の比較試聴のやり方だった。

Date: 10月 16th, 2015
Cate: ショウ雑感

2015年ショウ雑感(その2)

今日から開催のオーディオ・ホームシアター展(音展)に行ってきた。

先月聴いたヤマハのNS5000がまた聴けるということで行ってきた。
だが残念ながらNS5000はなかった。

出かける前にヤマハのウェブサイトにあるNS5000のイベント情報で確認していた。
そこにはオーディオ・ホームシアター展(音展)の日程が書いてある。
誰だって、こう書いてあればオーディオ・ホームシアター展(音展)でNS5000が聴けると思ってしまう。
さきほどまた確認したが、やはりオーディオ・ホームシアター展(音展)のことがイベント情報で表示されている。

ヤマハのブースに入ろうとしたら、ヤマハの人に「NS5000は聴けないんですか」と訊ねている人がいた。
NS5000の音が聴けるのを楽しみにされていたのだろう。

そのやりとりを横で聴いていた私は、ヤマハのブースには入らなかった。
NS5000をオーディオ・ホームシアター展(音展)に持ってこないのは事情、理由があってのことだとしても、
それならばNS5000のイベント情報を更新しておくべきだ。

ヤマハの人に「NS5000は聴けないんですか」と訊ねていた人、私以外にもNS5000を目的で、
オーディオ・ホームシアター展(音展)に行かれる人がいると思う。
だからもう一度書いておく。

今回のオーディオ・ホームシアター展(音展)では、NS5000は聴けないし見ることもできない。

Date: 10月 7th, 2015
Cate: ショウ雑感, 日本のオーディオ

2015年ショウ雑感(日本のオーディオ、これから・余談として)

私がオーディオに興味を持った1970年代後半、
ヤマハのスピーカーユニットはトゥイーターのJA0506とウーファーのJA5004ぐらいしかなかった。

そのヤマハが1979年にスピーカーユニットのラインナップを一挙に充実させた。
20cm口径のフルレンジユニットJA2071とJA2070、
トゥイーターはJA0506の改良型のJA0506IIの他に、
同じホーン型としてJA4281、JA4272、またドーム型のJA0570、JA0571、JA0572。
スコーカーはホーン型のJA4280、ドーム型のJA0770、JA0870。

コンプレッションドライバーはJA4271、JA6681、JZ4270、JA6670があり、
組み合わせるホーンはストレートホーンのJA2330、JA2331、JA2230、
セクトラルホーンのJA1400、JA1230が用意されていた。

ウーファーは30cm口径のJA3070、
38cm口径のJA3881、JA3882、JA3871、JA3870と揃っていたし、
これらの他にも音響レンズのHL1、スロートアダプター、ネットワークもあった。

このラインナップに匹敵するモノを、いまのヤマハに出してほしいとは思っていない。
ただひとつだけNS5000と同じ振動板の、20cm口径のフルレンジユニットを出してほしいと思っている。

JA2071とJA2070のコーン紙は白だった。
NS5000の振動板も白(微妙な違いはあるけども)である。
素性のとてもいいフルレンジユニットとなりそうな気がする。

それはこれからにとって必要なモノだと考えるし、
出来次第では重要なモノ、さらには肝要なモノへとなっていくことを夢想している。