ステレオサウンドについて(瀬川冬樹氏の原稿のこと)
この項で、瀬川先生の未発表原稿(書きかけの原稿)の一部を公開した。
続きを読みたい、という要望があれば、全文公開するつもりだったが、
誰一人、そういう人はいなかった。
そういうものか……、と思っている。
この項で、瀬川先生の未発表原稿(書きかけの原稿)の一部を公開した。
続きを読みたい、という要望があれば、全文公開するつもりだったが、
誰一人、そういう人はいなかった。
そういうものか……、と思っている。
ステレオサウンド 58号の、927Dst vs Referenceの文章は、
次の書き出しではじまる。
*
すでに56号386ページ「話題の新製品」欄で詳細をご報告したトーレンスのプレーヤー「リファレンス」。EMT930と、同一のTSD15型カートリッジをつけかえながらの比較試聴では、明らかに930を引離した素晴らしい音を聴かせてくれた。こうなると、価格的にも同格の927Dstとの一騎打ちだけが、残されることになった。「リファレンス」358万円、「927Dst」350万円。これが、いま日本で、一般の愛好家に入手できる最高のプレーヤーシステムということになる。
*
別の書き出しも、実はある。
書き出しだけの短い原稿が残っている。
*
すでに本誌56号(386ページ「話題の新製品」欄)で、スイス・トーレンス社の驚異的なプレイヤー「リファレンス」システムについて、詳細をお報せした。その折の試聴では、参考比較用に、エクスクルーシヴP3、マイクロ5000(2連)+オーディオクラフトAC3000MC、それにEMT♯930stの三機種を用意したことはすでに書いた。
そして、これら三機種のどれよりもいっそう、「リファレンス」の音のズバ抜けて凄いこともすでに書いた。
一式358万円という「リファレンス」に、その1/3ないし1/7と価格に違いはあるにしてもP3のよくこなれた形とDDモーター、マイクロの2連糸ドライブ、EMTのスタジオ仕様のアイドラードライヴ……と、三者三様ながらそれぞれのコンセプトの中でのベストを選んでいるのだから、ここまできてもなお、プレイヤーシステムを変えるだけで、全く同一のカートリッジとレコードの、音質や音のニュアンスないし味わいがびっくりするほど変化するという事実は、非常に考えさせられる。
*
同じようなところもあるが、そうでないところもある。
この書き出しで始まったとなると、続く内容は58号掲載のもと違ってくるはずだ。
それにしても、なぜ、この書き出しの原稿は残っているのだろうか。
さらに瀬川先生はもう一本、書かれている。
こちらも途中までであるが、けっこう長い。
*
すでに本誌56号(386ページ、話題の新製品)で、スイス・トーレンス社の特製プレイヤー「リファレンス」については、詳細をお知らせしたが、その折の試聴では、エクスクルーシヴP3、マイクロ5000(二連)、それにEMTの930stを比較用として用意した。だが、文中でもふれたように、「リファレンス」の桁外れの物凄い音を聴くにつけて、これはどうしても、EMTの927Dstを同一条件での比較試聴をしてみなくてはなるまい、との感を深めた。
*
この書き出しも同じといっていいが、このあとに続くのは、
927Dstと930stの音の違いが、どこから生じるのかについて書かれている。
58号の文章には、
《 それぐらい、927Dstと930stは違う。そのことが殆ど知られていないし、その違いがどこから生じるのかについても、実は詳しく書きたいのだが、ここでのテーマは「リファレンス」と927Dstの比較であって、与えられた枚数が非常に少なく、残念乍ら927Dstそのものについては、これ以上説明するスペースがない。》
とある。
私の手元にある瀬川先生の原稿は、そこのところを書かれたものだ。
書きたかったけれども、原稿枚数が足りなくて書けなかったのか──、
と58号を読んだ時には思ったが、実際は書かれていたのだ。
書いた上で、枚数が足りなくなってしまい削除されている。
瀬川先生が担当されていたのは、一本だけだった。
927Dst vs Referenceである。
「The Match いま気になるライバル製品誌上対決!」は、
タイトルはともかくとして、企画そのものは間違っていない。
事実、瀬川先生の担当分はおもしろかった。
他のものにしても、機種の選定は、いま見ても間違っていない。
にも関わらず、読んでいても、わくわくしてこない。
手抜きされているわけではない。
伝わってくるものが、瀬川先生のにくらべると明らかに少なく感じる。
こちらの読み方が悪いのか、と当時は思って、何度か読み返した。
それでも同じだった。
このライバル対決は、その後のステレオサウンドでも、何度か行われている。
けれど、それほどおもしろいとは感じなかった。
結局、この企画は書き手にとってかなり難しいものだといえる。
瀬川先生のがおもしろいのは、瀬川先生の文章が優れているからではなく、
瀬川先生自身、927Dst、Reference、そのどちらも惚れ込まれたモノだからである。
この点が、他の方の、他のライバル機種とで、決定的に違っている。
瀬川先生以外は、みな冷静に比較されている。
それでいいといえるのかもしれない。
だがこの企画の最初にあるのは、
瀬川先生の927Dst vs Referenceである。
まず最初に、これを読んでいる、ということを忘れてはならない。
いま、同じライバル対決を行うのであれば、
どうやればいいのかは自ずとはっきりしてくる。
そう難しいことではない。
ステレオサウンド編集部が気づいているかどうかは、私は知らない。
《STATE OF THE ART》賞だけでは特集としてのボリュウムが少ないため、
58号には特集2がある。
「The Match いま気になるライバル製品誌上対決!」である。
どういったライバル機種が取り上げられているか、というと……。
EMT:927Dst vs トーレンス:Reference
スペンドール:BCII vs ハーベス:Monitor HL
パイオニア:S955 vs ダイヤトーン:DS505
エスプリ:APM8 vs パイオニア:S-F1
ビクターA-X7D vs サンスイ:AU-D707F
ラックス:PD300 vs ビクター:TT801+TS1+CL-P10
パイオニア:Exclusive P3 vs マイクロ:RX5000+RY5500
フィデリティ・リサーチ:FR7 vs テクニクス:EPC1000CMK3
これらのライバル機種を、
上杉佳郎、岡俊雄、瀬川冬樹、柳沢功力の四氏が担当されている。
この企画は、それまでのステレオサウンドにはなかった。
新しい試みであり、扉ページをめくると、927DstとReferenceの写真が出てくる。
瀬川先生の担当である。6ページある。
おもしろかった。
927Dstは3,500,000円、Referenceは3,580,000円。
学生にはとても手の届かないアナログプレーヤーではあっても、
それまで瀬川先生の書かれてきたものを熱心に読んできた者にとっては、
このふたつの比較記事は、なによりも読みたかった、といえる。
期待外れではまったくなく、期待以上におもしろかった。
だから、この新企画はおもしろい、とも感じた。
そうなると、続くライバル機種のページへの期待も高まるのだが……。
ステレオサウンド 58号の表紙はスレッショルドのSTASIS 1だった。
57号の表紙と同じで天板をはずしての撮影で、アングルも近い。
57号表紙のハーマンカードンのCitation XXもいいアンプのひとつなのだが、
STASIS 1が次号の表紙となると、フロントパネルに色気(のようなもの)が足りないことに気づく。
58号の特集は《STATE OF THE ART》賞である。
三回目の《STATE OF THE ART》賞ということもあって、
一回目の49号とは特集自体のボリュウムも違う。
12機種が選ばれている。
一回目が49機種、二回目が17機種である。
一回目は現役の製品すべてが対象だったため、選ばれた機種が多いのは当然で、
二回目以降はいわゆる年度賞的に変っているのだから、機種数が減って当然である。
何が選ばれたのかについて、ひとつだけ書いておく。
オーディオクラフトのトーンアームAC3000MCのことである。
AC3000MCは1980年に登場した新製品ではない。
二回目の《STATE OF THE ART》賞選定で洩れてしまっている。
*
実をいえば、前回(昨年)のSOTAの選定の際にも、私個人は強く推したにもかかわらず選に洩れて、その無念を前書きのところで書いてしまったほどだったが、その後、付属パーツが次第に完備しはじめ、完成度の高いシステムとして、広く認められるに至ったことは、初期の時代からの愛用者のひとりとして欣快に耐えない。
*
と瀬川先生は書かれている。
これを読んで、なんだか嬉しくなったのを憶えている。
オーディオクラフトのトーンアームは、そのころは触ったこともなかった。
58号の《STATE OF THE ART》賞では、SMEの3012-R Specialも選ばれている。
特集の巻頭にカラーのグラビアページがある。
そこではAC3000MCと3012-R Specialが並んで写っている。
レギュラー長のトーンアームとロングアーム。
違いはそれだけではない。
単体のトーンアームとして見たときに、SMEはなんと美しいのだろう、と思う。
一方AC3000MCは単体で見た時以上に、洗練されていないことを感じてしまった。
ここにメーカーとしての歴史の違いが出てくるというのか、
それ……、いくつかのことを考えながらも、
AC3000MCは、いかにも日本のトーンアームだと思っていた。
オーディオクラフトのトーンアームは、アームパイプ、ウェイト、ヘッドシェルなどのパーツが、
豊富に用意されている。
これらをうまく組み合わせることで、
使用カートリッジに対して最適な調整ができるように配慮されている。
もっともパーツ選びと調整を間違えてしまっては、元も子もないわけで、
そのことについては瀬川先生が58号で、
メーカー側にパンフレットのようなカタチで明示してほしい、と要望を出されている。
SMEとは違うアプローチで、それは日本的ともいえるアプローチで、
ユニヴァーサルアームの実現を、オーディオクラフトは目指していた。
3012-R Specialは、ナイフエッジ採用のトーンアームとしての完成形ともいっていい。
AC3000MCは、その意味では完成形とはいえない。
まだまだ発展することで、完成形へと近づいていくモノである。
SMEとオーディオクラフトは、
受動的といえるトーンアームにおいて、実に対照的でもある。
瀬川先生が、こう書かれている。
やはりこういうキャリアの永い人の作る製品の《音》は信用していいと思う、と。
瀬川先生の文章を、いま読み返すと、
賞に対して、何をおもうか、を考えてしまう。
41号から読みはじめて57号。
四年ステレオサウンドを読んできて、気づいたことがあった。
特集に山中先生はあまり登場されないことだった。
《STATE OF THE ART》賞、ベストバイなどは書かれている。
けれど総テストとなると、なぜか登場されない。
プリメインアンプの時も、スピーカーの時も、モニタースピーカーの時も……。
最初のころは気づかなかったが、あれっ、と思うようになっていた。
理由はステレオサウンドで働くようになってわかった。
山中先生は、そのころ、他の筆者の方から、セメントと呼ばれていた。
?だった。なぜにセメント?
最初は聞き間違いとも思ったが、やはりセメントである。
セメントは、あのセメントのことである。
自分なり理由を考えてみたけど、まったくわからなくて訊いたことがある。
山中先生は1982年春ごろには辞められていたけれど、
それまで(57号のころも)日立セメントの社員だったから、ということだった。
会社勤めをしながら、オーディオ評論家もされていたわけだ。
ステレオサウンド 57号は、実のところ印象が薄い。
なにか手抜きをしているとか、そういうことではなく、なんとなくそう感じていた。
それでも特集のプリメインアンプの総テストはよく読んだ。
瀬川先生が、JBLの4343以外のスピーカーとしてロジャースのPM510も使われいてるからだった。
57号の試聴記を読んでも、テストの方法を読んでもわかるように、
常時鳴らされたのは4343と620Bで、このふたつのスピーカーを鳴らした結果で、
PM510をうまく(なんとか)鳴らしてくれそうなプリメインアンプだけ、試されている。
瀬川先生の試聴記には「スピーカーへの適応性」という項目がある。
ここにPM510の型番が登場するのは、ビクターのA-X7Dだった。
108,000円の中級機である。
「スピーカーへの適応性」のところにはこう書いてあった。
*
アルテック620BカスタムやロジャースPM510のように、アンプへの注文の難しいスピーカーも、かなりの満足度で鳴らすことができた。テスト機中、ロジャースを積極的に鳴らすことのできた数少ないアンプだった。
*
56号で、いつの日かPM510と思うようになっていた。
4343とPM510、両方欲しい、と思うようになっていた。
PM510を買えるようになったとしても、
すぐにこれに見合うだけのアンプを買えるわけでもないから、
当面はプリメインアンプで鳴らすことになるだろう、
なるほどビクターのA-X7Dだったら、そこそこ満足できそうだ……、
そんなことを夢見ながら、A-X7Dの試聴記を何度も読み返していた。
瀬川先生は特選とされている。
しかも試聴記の最後に、
《今回のテストで、もし特選の上の超特選というのがあればそうしたいアンプ》
とまで書かれている。
PM510にA-X7D、カートリッジに何にしようか。
カートリッジだけは少し奢って、EMTのXSD15か。
瀬川先生の試聴記には、
《ハイゲインイクォライザーも、ハイインピーダンスMCに対して十分の性能で、単体のトランスよりもむしろ良いくらいだ》とまで書かれている。
EMTのカートリッジは出力も大きい。
ゲインだけでなく、音質的にも問題なく使えるはずである。
この組合せが、57号のころの目標でもあった。
ステレオサウンド57号の表紙は、ハーマンカードンのパワーアンプ、
Citation XXである。
55号のBestBetsに、ハーマンカードンについての情報があった。
「ハーマン・カードン(ジャパン)設立のお知らせ」だった。
新白砂電機がハーマン・カードンを買収し、
同ブランドの国内市場への本格的参入が進められる、とあった。
日本ブランドとなったハーマンカードンのフラッグシップが表紙になっている。
ただし新製品紹介のページにはまだ登場していない。
設計者のマッティ・オタラのインタヴュー記事が、57号には載っていたし、
プリメインアンプA750が、特集で取り上げられている。
このことからわかるように57号の特集は「いまいちばんいいアンプを選ぶ・最新34機種テスト」で、
ようするにプリメインアンプの総テストである。
52号、53号もアンプの総テストだった。
こちらではセパレートアンプ、プリメインアンプ、含めての総テストだったのに対し、
57号はプリメインアンプのみであり、42号以来といえる。
56,800円のモノ(オンキョーIntegra A815)から、
270,000円のモノ(ケンウッドL01A)までの34機種。
42号では53,800円(オンキョーIntegra A5)から195,000円(マランツModel 1250)までの35機種。
上杉佳郎、菅野沖彦、瀬川冬樹の三氏で、個別試聴である。
スピーカーは4343は三氏共通で、
上杉先生は五万円台のアンプにはテクニクスSB6、六〜七万円台にはデンオンSC306、
八〜十万円台にはハーベスMonitor HL、十万円以上にはダイヤトーンDS505もあわせて使われている。
菅野先生は4343の他に、参考としてKEFのModel 303を、
瀬川先生はアルテックの320BとロジャースのPM510をあわせて使われている。
ステレオサウンド 56号の巻末、BestBetsというページがある。
各メーカー、輸入商社のキャンペーンや、
ショールームでのイベントなどの情報を伝えるページである。
お詫びと訂正もここに載る。
このページにひっそりとあった。
「瀬川冬樹氏によるJBL4343診断のお知らせ」とある。
4343ユーザーで使いこなしに困っている人のところに瀬川先生が出向いて、
診断の上、調整してくれる、とある。
当時の私は夢のような企画だと思った。
高校生の私は、4343は憧れるだけだった。
いつかは4343、と夢見ていた。
この時は、十年くらい早く生れていれば、4343を買っていただろう。
そうすれば瀬川先生に来てもらえるかもしれない──、
そう思ったことを、忘れてはいない。
結局、この企画が誌面に登場することはなかった。
応募はどのくらいあったのだろうか。
ステレオサウンド 56号には、もうひとつ書評が載っている。
安岡章太郎氏による「オーディオ巡礼」の書評がある。
ここに「〝言葉〟としてのオーディオ」という言葉が登場している。
安岡章太郎氏だからの書評だ、と改めておもう。
*
この本の『オーディオ巡礼』という著名は、まことに言い得て妙である。五味康祐にとって、音楽は宗教であり、オーディオ装置は神社仏閣というべきものであったからだ。
*
この書き出しで、「オーディオ巡礼」の書評は始まる。
全文、ここに書き写したい、と思うが、
最後のところだけを引用しておく。
*
しかし五味は、最後には再生装置のことなどに心を患わすこともなくなったらしい。五味の良き友人であるS君はいっている。「死ぬ半年まえから、五味さんは本当に音楽だけを愉しんでましたよ。ベッドに寝たままヘッド・フォンで、『マタイ受難曲』や『平均律』や、モーツァルトの『レクイエム』をきいて心から幸せそうでしたよ」
*
書き出しをもう一度読んでほしい。
「オーディオ巡礼」と「虚構世界の狩人」の書評は、
見開きページにあわせて載っている。
この約一年後に、瀬川先生も亡くなられるとは、まったくおもっていなかった。
岡先生による「虚構世界の狩人」の書評の見出しには、
「瀬川さんの知られざる一面がわかるエッセイ集」とつけられている。
*
オーディオ評論を純粋にハードの面からやっている人は別として、聴いて何かを書くという(それがわが国のオーディオ評論のほとんどなのだが)場合、音についてのいろいろなことを文章でいうということは本当にむずかしい。聴感で何かをいうとき、どうしても音楽がどういうふうに鳴ったか、あるいは聴こえたか、ということを文章に表現するために苦労する。そのへんのことで一ばん凝り性なのが瀬川さんであることはいうまでもない。しかし、その背後に、どういう音楽観をもっているかということがわからなくては、評価にたいする見当はつけられないわけである。だから、何らかのかたちで、音楽やレコードについて語ってくれると、手がかりになる。ある音楽なりレコードなりを、こういうふうにきいたとか、作品を演奏・表現についての見解が具体的に書かれたものが多ければ多いほど、そのひとがオーディオ機器についてものをいったときの判断の尺度の見当がついてくるものである。大ていのオーディオ評論家はそういう文章をあまり書かないので、見当をつけることもむずかしいどころか、何のことかわからぬ、というヒアリング・テストリポートが多いのである。
瀬川さんが、音楽をよく知り、のめりこんでいることは、一緒にテストをやる機会が多いぼくは、いつも感心している。いろんな曲の主題旋律をソラでおぼえている点ではとてもぼくなんかかなわないほどで、細かいオーケストレーションの楽器の移りかわりまで口ずさんだりするのにおどろかされる。そういう瀬川さんの知られざる一面が、本書によってかなり明らかにされているのである。
本書を読んで、瀬川さんのテストリポートを読みなおしてごらんなさい。きっと納得されるところがおおいはずだ。
瀬川さんは何か気にいったことにぶつかると、ひととおりやふたとおりでないのめりこみかたをする。時にははたで見ていてハラハラするようなこともある。そんな瀬川冬樹の自画像としての本書は、最近やたらと出ているオーディオ関係の本のなかでも、ひときわユニークな存在となっているのである。
*
岡先生らしい書評だ、いま読んでもそう思う。
瀬川先生の文章からは、背後にある音楽観が伝わっていた。
いまのオーディオ評論家と呼ばれている人たちも、音楽について書いてはいる。
それで、その人がどんな音楽を好きなのかはわかる(わからない人もいるけれど)。
けれど、それで音楽観がこちらに伝わってくるわけではない。
ステレオサウンド 56号の特集には不満があるといえばある。
55号の特集ベストバイに対する大きな不満とは違うけれども。
それでも56号はよく読み返していた。
特集の瀬川先生の文章だけでなく、
ザ・ビッグサウンドではJBLのパラゴンが取り上げられていて、
これも瀬川先生が書かれている。しかも、いわゆる解説記事ではなかった。
この記事の最後に、書かれている。
*
本当なら、構造の詳細や、来歴について、もう少し詳しい話を編集部は書かせたかったらしいのだが、美しいカラーの分解写真があるので、構造は写真で判断して頂くことにして、あまり知られていないパラゴンのこなしかたのヒントなどで、少々枚数を費やさせて頂いた次第。
*
それまでのザ・ビッグサウンドよりも文章の量は多く、詳細な製品解説ではなかった。
瀬川先生らしい、と思って読んでいた。
いまおもうと、50号での座談会でのご自身の発言を実現されての文章なのか、と思う。
熱っぽく読む。
そのために必要なこと。
それが、56号には感じられる。
それは新製品紹介の文章にもいえる。
瀬川先生はトーレンスのReferenceとロジャースのPM510について書かれている。
このどちらからも、同じことを感じた。
56号は、私にとって瀬川先生の文章を堪能できた一冊だった。
そして巻末には、岡先生による「虚構世界の狩人」の書評も載っている。
ステレオサウンド 56号特集の山中先生の組合せで、気になるところがあった。
*
これは最初の組合せのところでも触れたことだが、最近の高級アンプは、組合せるスピーカーシステムをより効果的に生かすようにドライブしてくれるという、広い対応性を備えてきている。この組合せで選んだビバリッジのRM1(+RM2)プリアンプとスモのザ・ゴールドというパワーアンプも、先のマーク・レビンソンとスレッショルドの組合せと似たような意味で、広い対応性をもったシステムだといえる。特にスモのザ・ゴールドというクラスAのパワーアンプは、使うスピーカーを選ばないという点で優れた能力をもっている製品である。しかも、アンプとしての性能の点でも、スレッショルドやマーク・レビンソンのパワーアンプに匹敵するどころか、むしろそれをしのぐとさえいえるクォリティの高さをもったパワーアンプである。
*
いまでは、というか、The Goldを手にしてからは、まったくそのとおり、と思えたことも、
当時はまだ高校生で、憧れのパワーアンプはマークレビンソンのML2であり、
スレッショルドのSTASIS 1であった。
The GoldはSTASIS 1よりもML2よりも安いパワーアンプだった。
山中先生は具体的な型番を言われていないが、
マークレビンソンのパワーアンプはML2、スレッショルドはSTASIS 1のはずだ。
なぜ、このふたつのパワーアンプをThe Goldが凌ぐのか。
山中先生のいわれることを疑うわけではなかったけれど、
なにかの間違いではないか、と思い込もうとしていた。
実は55号の新製品紹介のページに、The Goldは登場していて、
そこでは井上先生が語られていることが気になっていた。
*
井上 レコードの録音の差も明瞭にわかります。あるコントラストをつけて録ったもの、コンサートホール独特の雰囲気をもつものなどその通りに出してくれる。こういうアンプは言葉で表現しにくいですね。一定の姿形がありませんからあらゆるいい言葉がいえてしまう。以前紹介したスレッショルドのステイシス1とよく似た印象がありますが、このアンプはもっと反応が速いしより変化自在だと思います。
*
この時もSTASIS 1の方がいいはずだ、と思い込もうとした。
つまり55号、56号と二号続けてThe Goldの優秀さを読まされたことになる。
いまではそれはほんとうだった、と実感しているわけだが、
そういう時期が私にはあった。
瀬川先生の原稿は、続いている。
黄金の組合せについて、触れられている。
ここまでで約5000字ほどある。
そして録音の変遷について触れられている後半といえる文章(約6000字)がある。
*
ここで少し、クラシック以外の音楽の録音について補足しておく必要がある。アメリカでは、かつて50年代に全盛を迎えたモダン・ジャズが、1960年、オーネット・コールマンらの登場によって前衛ジャズになり、いっときは混迷期に入り、やがてクロスオーヴァー、フュージョンという形でこんにちにいたる。また、プレスリーの登場でロックンロールが、またイギリスでのビートルズに刺激を受けて新しく誕生したポップ・ミュージックのグループが、さまざまに分裂し展開してゆくプロセスで、演奏される楽器は、その大半が電気楽器、電子楽器に置き換えられ、エレクトリック・サウンドがこんにちのポップ・ミュージックのひとつの核を形成している。シンセサイザーの性能もますます複雑化してゆく。
ビートルズ、及びそれ以後のロックやポップのグループ・サウンズの、初期のステレオ録音を聴いてみると、明らかに、アクオンエンジニアの戸惑いが聴きとれる。ピアノ、ウッドベース、それに各種金管やギターあたりまでの、在来の楽器の録音で腕をみがいた技術者も、エレキベースをはじめとして、ドラムスもキーボードも、すべてスピーカーから相当の音量で再生される電気・電子楽器を、マイクロホンでどうとらえるか、については、ずいぶん頭を悩ませたらしい。電気・電子楽器は、スピーカーから出る音自体がナチュラルな楽器よりもはるかに音量が大きく、しかもすでに歪んでいたりする。そういう音を、マイクロホンで拾ってテープに録音してみると、音の歪はいっそう強調される。とくに低音楽器の音量が大きい。それが、トランジスター化された初期の録音機材では、録音系のダイナミックレインジで頭打ちになって、音がつぶれて、よごれて、実にきたない音になる。そうした音が、どうやらそれらしく録音されるようになってきたのもまた、70年代に入ってからのことで、ことに最近は完全に新しい録音技術が定着して、素晴らしく聴きごたえのする録音が続出している。ロックのレコードを、オーディオ機器の音質判定のプログラムソースに使うなどということは、60年代には考えられなかった。かつては音の悪いレコードの代表だったのだから。
いまアメリカでは、アメリカン・ポップスの新しい流れ、たとえばデイヴ・グルーシンなどに代表される新しい曲が、シェフィールドなどの手で作られると、これはもう、クラシックのレコードでは全く想像のつかない音の世界だという気がする。パーカッションのダイナミックレインジの伸びのすごさ。そして、かつてのようにデッドなスタジオで演奏者を分離してマルチトラック録音した時代とは逆に、ライヴなスタジオで、十分に溶け合う音で演奏され、録音される。つまり音楽が生きている。レコードの音は、クラシックもポップスも、ほんとうに自然な姿を表現できるようになりはじめた。歌謡曲、艶歌、あるいはニューミュージックの分野でも、それを聴く人たちが良い再生装置を持つ時代に、古いままの録音技術ではいけないということで、本格的に音を採りはじめるようになっている。レコードの録音は、ほんとうに変りはじめている。そういう変化を前提として、そこではじめて、これからの再生装置のありかたが、浮かび上ってくる。
──以下次号──
*
前半を後半をつなぐ部分が、まるでない。
そこをどう書かれようとされていたのか。
前半のおわり、黄金の組合せのところでも、
録音について触れられている。
なので、まったく想像がつかないわけではないが、それでもどう展開されていかれたのか。
明日は11月7日だ。
ステレオサウンド 56号の組合せ特集で、瀬川先生は組合せ例をつくられていない。
けれど、特集巻頭に
「いま、私がいちばん妥当と思うコンポーネント組合せ法、あるいはグレードアップ法」を、
15ページにわたって書かれている。
これが56号の組合せ特集の特色であり、
最後にこうある。
*
スピーカー選びについて、いくつかのケースを想定しながら、具体例をいくつかあげてみた。次号では、これらのスピーカーを、どう鳴らしこなすのか、について、アンプその他に話をひろげて考えてみる。
*
57号以降、連載になるわけで、
これから先ステレオサウンドの発売が、いっそう楽しみになる、と思った。
けれど、57号に続きは載っていなかった。
58号にも、59号にも、そして60号にも……。
けれど瀬川先生は続きを書かれていた。
書き終えられてたわけではないが、書かれていた。
*
いまもしも、目前にJBLの4343Bと、ロジャースのPM510とを並べられて、どちらか一方だけ選べ、とせまられたら、いったいどうするだろうか。もちろん、そのどちらも持っていないと仮定して。
少なくとも私だったら、大いに迷う。いや、それが高価なスピーカーだからという意味ではない。たとえばJBLなら4301Bでも、そしてロジャースならLS3/5Aであっても、そのどちらか一方をあきらめるなど、とうてい思いもつかないことだ。それは、この二つのスピーカーの鳴らす音楽の世界が、非常に対照的であり、しかも、そのどちらの世界もが、私にとって、欠くことのできないものであるからだ。
前回(56号)の終りのところ(110ページ)で、仮にたったひとつだけスピーカーを選ぶとしたら、結局JBLの4343あたりしかないではないか、と書いたことと、これは矛盾するではないかと思われそうなので、急いで補足しなくてはならないが、それは次のような意味だ。
クラシック、ポップス、ジャズ、艶歌……およそあらゆる分野の音楽を、しかも音量の大小や録音の新旧や音色の好みなどを含めて、聴き手の求める音のありかたの多様性に対して、たった一本のスピーカーで応えようとすれば、結局のところ、再生能力の可能性のできるだけ大きなスピーカーを選ぶしか方法がない。音量をどこまで上げても音がくずれず、思いきり絞り込んで聴いたときでも音がぼけない。周波数レインジは、こんにちの最新の録音に十分に対応できるほど広いこと。そして低音から高音までの音のバランスに、とくに片寄りのないこと。硬い音、尖った音、尖鋭な音も十分に鳴らすことができる反面、柔らかく溶け合う響きも鳴らせること。etc、etc……と条件を上げてゆくと、たいていのスピーカーはどこかで脱落してゆき、これが決して最上とはいえないまでも、対応力の広さという点で、結局4343あたりに落ちつくのではないか。
しかしまた、仮に4343とロジャースPM510を聴きくらべてみれば、4343ではどうしても鳴らせない音というもののあることに気づかされる。たとえば、オーケストラの弦楽器群がユニゾンで唱うときのあの独特のハーモニクスの漂うような響きの溶け合い。そしてホールトーンの奥行きの深さ。えもいわれない雰囲気のよさ。そうした面を、なにもPM510でなくともあの小っぽけなLS3/5Aでさえ、いや、なにもここでロジャースにこだわるわけではなく、概してイギリスの新しいモニター系のスピーカーたち──たとえばハーベスやKEFやスペンドールやセレッションや──なら、いとも容易に鳴らしてくれる。そして、一旦、その上質の響きの快さを体験してみると、それがJBLではついに鳴ることのない音であることを、いや応なしに納得させられてしまう。これらイギリスのスピーカーの、いくぶんほの暗いあるいは渋い印象の、滑らかで上質で繊細な響きの美しさが、私の求める音楽にかけがえのない鳴り方であるものだから、私はどうしてもJBLの世界にだけ、安住しているわけにはゆかないのである。けれど反面、イギリスのスピーカーには、JBLのあのピンと張りつめた、新鮮で現代的な肌ざわりと、音の芯の確かさが求められないものだから、どうしてもまたJBLを欠かすわけにもゆかないという次第なのだ。
*
この書き出しから始まる。