Archive for category ステレオサウンド

Date: 5月 26th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その40)

ステレオサウンド 49号の表紙はマッキントッシュのパワーアンプMC2300である。
光沢のあるタイルの床に置かれたMC2300の姿は、
当時、このパワーアンプに対して繊細なイメージをまったくもっていなかった私でも、
いいな、と思ってながめていた。

どことなく暑苦しいイメージを感じていたMC2300なのに、
49号の表紙では、どこか涼しげである。

49号の特集は「Hi-Fiコンポーネント《第1回STATE OF THE ART賞》選定」。
STATE OF THE ART賞は、ステレオサウンドにとって初めての企画である。

私が最初に手にしたステレオサウンド 41号の特集に近いといえばそういえるけれど、
それでもステレオサウンドにとって初めての企画といえよう。

49号のちょうど二年前に出た41号の特集は「コンポーネントステレオ──世界の一流品」だった。
特集の冒頭にある「ステート・オブ・ジ・アート選定にあたって」で、
瀬川先生が書かれている。
     *
 ステート・オブ・ジ・アートという英語は、その道の専門家でも日本語にうまく訳せないということだから、私のように語学に弱い人間には、その意味するニュアンスが本当に正しく掴めているかどうか……。
 ただ、わりあいにはっきりしていることは、それぞれの分野での頂点に立つ最高クラスの製品であるということ。その意味では、すでに本誌41号(77年冬号)で特集した《世界の一流品》という意味あいに、かなり共通の部分がありそうだ。少なくとも、43号や47号での《ベストバイ》とは内容を異にする筈だ。
     *
41号と49号は誌面構成も近い。
それでも41号と49号は、違う。

まず41号はあくまで「世界の一流品」であり、それは賞ではなかった。
49号の特集がステレオサウンドにとって初めての企画なのは、
STATE OF THE ARTだからではなく、それが賞であるからだ。

Date: 5月 24th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その39)

ステレオサウンド 48号の第二特集は低音再生だった。
当時、ふたたびブームの兆しのあった3D方式の実験的試聴を行っている。

この第二特集の冒頭には、
井上先生による「音楽再生における低音の重要性を探る」があり、
低音再生の歴史、方式を俯瞰的にまとめたものだ。

三通りの試聴がある。
ブックシェルフ型スピーカーをベースにしたもの。
フロアー型スピーカーをベースにしたもの。
小型スピーカーをベースにしたものだ。

試聴風景の写真を見ると、相当数のスピーカーが集められているのがわかる。
これにサブウーファーが加わるのだから、かなり大変な試聴だったはずだ。

48号の新製品紹介の記事でも、サブウーファーが六機種取り上げられている。

記事だけではない。
このころ小型スピーカーの良質なモノが、各社から出てくるようになっていた。
そういう小型スピーカー専用として、コンパクトなサブウーファーも出てきはじめていた。

これはダイレクトドライブプレーヤーの普及により、
アナログディスク再生のS/N比の向上が一般化したためかもしれない。

ゴロの出るようなプレーヤーで聴いていたら、
低音の拡充はデメリットのほうが大きいのだから。

だから48号の中に、アナログプレーヤーと低音再生が、
第一、第二特集としてあるのは、編集部が意図したことなのか、たまたまなのか、
はっきりしないけれど、いい組合せであることは確かだ。

そうは思うのだが……、ここでもアナログプレーヤーの第一特集に共通する何かを感じていて、
読もうとすればするほど、何もつかめない感じさえしていた。

41号から読み始めたのだから、48号で丸二年読んでいた、
別冊も買っていた。
まだ二年であっても、それなりに読んできた。

にも関わらず48号は、くり返すが、私の中で決着がついていない。

Date: 5月 24th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その38)

ステレオサウンド 47号の「続・五味オーディオ巡礼」に関してはまだまだ書きたいことがある。
満足いくまで書いていたら、次(48号以降)に進めない。
それに「続・五味オーディオ巡礼」に関しては、まとめて書きたいことがあるので、
いつかあらたに書く予定だ。

48号にうつろう。
表紙はEMT・930stだ。
真上から撮ったカットであり、
930stがあらわしているように、48号の特集はアナログプレーヤーである。

タイトルは「ブラインドテストで探る〝音の良いプレーヤーシステム〟」。
ページ数も多い。

試聴方法もただ単にブラインドフォールドテストということに満足していない。
編集部が、ブラインドフォールドテストを復活させるとともに、試行錯誤がそこにあるようにも感じた。

試聴はかなりの手間だったと思う。
けれど、48号がそれまでのステレオサウンドと同じように読めたかというと、違った。

知りたいことが、伝わってこない感じがしていた。
これだけのことをやっているのだから、48号は面白いはず……、そう思い込もうとしていた。

その「知りたいこと」が自分でもはっきりとしないまま、48号を、それでもくり返し読んだ。
その意味では、私の中で決着のついていない号が、48号である。

Date: 4月 2nd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その37)

五味先生は「続・五味オーディオ巡礼」の後半、こう書かれている。
     *
 JBLでこれまで、私が感心して聴いたのは唯一度ロスアンジェルスの米人宅で、4343をマークレビンソンLNPと、SAEで駆動させたものだった。でもロスと日本では空気の湿度がちがう。西洋館と瓦葺きでは壁面の硬度がちがう。天井の高さが違う。4343より、4350は一ランク上のエンクロージァなのはわかっているが、さきの南口邸で「唾棄すべき」音と聴いた時もマークレビンソンで、低域はスレッショールド、高域はSAEを使用されていた。それが良くなったと言われるのである。南口さんの聴覚は信頼に値するが、正直、半信半疑で私は南口邸を訪ねた。そうして瞠目した。
     *
この部分を読んで、やっぱりそうなのか、と思っていた。
そうなのか、と思った部分は、アンプのところだ。
マークレビンソンのLNP2とSAEのパワーアンプ、とあるところだ。

SAEの型番はわからないが、勝手にMark 2500だろうと思っていた。
LNP2とMark 2500で、JBLの4343を鳴らす──、
この時代のステレオサウンドを読んできた人ならば、それは瀬川先生の組合せと同じであることに気づく。

組合せだけで音は決まるわけではないことは重々わかった上で、
そうなのか、と思っていたし、
なにか五味先生と瀬川先生の共通点のようなものを感じとろうとしていたのかもしれない。

南口重治氏の4350Aの音は、どう変ったのか。
     *
 プリはテクニクスA2、パワーアンプの高域はSAEからテクニクスA1にかえられていたが、それだけでこうも音は変わるのか? 信じ難い程のそれはスケールの大きな、しかもディテールでどんな弱音ももやつかせぬ、澄みとおって音色に重厚さのある凄い迫力のソノリティに一変していた。私は感嘆し降参した。
 ずいぶんこれまで、いろいろオーディオ愛好家の音を聴いてきたが、心底、参ったと思ったことはない。どこのオートグラフも拙宅のように鳴ったためしはない。併しテクニクスA1とスレッショールド800で鳴らされたJBL4350のフルメンバーのオケの迫力、気味わるい程な大音量を秘めたピアニシモはついに我が家で聞くことのかなわぬスリリングな迫真力を有っていた。ショルティ盤でマーラーの〝復活〟、アンセルメがスイスロマンドを振ったサンサーンスの第三番をつづけて聴いたが、とりわけ後者の、低音をブーストせず朗々とひびくオルガンペダルの重低音には、もう脱帽するほかはなかった。こんなオルガンはコンクリート・ホーンの高城重躬邸でも耳にしたことがない。
 小編成のチャンバー・オーケストラなら、あらためて聴きなおしたゴールド・タンノイのオートグラフでも遜色ないホール感とアンサンブルの美はきかせてくれる。だが大編成のそれもフォルテッシモでは、オートグラフの音など混変調をもったオモチャの合奏である。それほど、迫力がちがう。
     *
この音がどうだったのかを、何度も読み返しては想像していた。
南口重治氏の音を想像するには、そのころの私にはとにかく読むしかなかった。
記憶せんばかりに読み返した。

《気味わるい程な大音量を秘めたピアニシモ》、
この部分を、とくに想像していた。

いったいどういう音なのだろうか、どういうレベルの音なのだろうか、と。
同時に、五味先生への信頼も増していた。

五味先生はタンノイのオートグラフを、マッキントッシュのC22とMC275で鳴らされている。
高能率のスピーカー(ラッパ)を真空管アンプで鳴らす。

五味先生はオーディオ愛好家の五条件のひとつとして、「真空管を愛すること」とされている。
ステレオサウンドに以前に書かれていたことだし、「五味オーディオ教室」にも載っていた。

47号でも、こんなふうに書かれている。
     *
ヴァイオリンの合奏は、ただ高音が鳴ればいいというものではない。あの飴色の胴をした一挺一挺のヴァイオリンが馬の尻尾に擦られて調和を響かせねば、ユニゾンとはいえまい(高音をここちよく鳴らすだけならシンセサイザーでこと足りるのである。そして矢鱈シンセサイザー的ヴァイオリンがちかごろ多すぎる。いいトランジスター・アンプで、トゥイーターをうまく鳴らした時ほどそうだから皮肉な咄だ)。
     *
その五味先生が、南口重治氏の4350Aの音、
つまり高能率のラッパを真空管アンプで、というありかたとは違うありかたのシステムの音に、
《感嘆し降参した》と書かれている。

オーディオマニアの中には、五味先生のことを古いシステムに固執している人と捉えている人がいる。
新しい音を認めない人だ、と思い込んでいる人がいる。

そんなことはないのだ。

Date: 3月 29th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その36)

ステレオサウンド 47号の「続・五味オーディオ巡礼」の扉の写真は、
五味先生の後にタンノイのオートグラフがある。
ということは、この部屋の持主のメインスピーカーは、別にあるということを、
扉の写真は暗に語っているし、五味先生はそのスピーカーに対峙しての表情だともいえる。

そのスピーカーが何であるのかは本文を読んでいけばわかる。
JBLの4350Aである。
4ウェイ5スピーカーのバイアンプ駆動のスピーカーシステムである。

「続・五味オーディオ巡礼」の冒頭に、
4ウェイ・スピーカーシステム、マルチアンプシステムを頑なに却ける理由が述べられている。
にも関わらず、4350Aの部屋に訪問されている。

五味先生のJBL嫌いは「五味オーディオ教室」を読んで知っていた。
つまり4350Aをよくいわれるはずがない、わけだ。

訪問先の南口重治氏のリスニングルームは、
当時、田舎の高校生には想像がつかないものだった。
写真の説明には「奈良東大寺の庭に隣接する南口邸の裏庭に建てられたリスニングルーム全景」とある。
奈良東大寺の庭に隣接する……、いったいどういうところなのだろうか、
想像しても想像できなかったのを憶えている。

オートグラフと4350Aがおさまっている部屋は約24畳とある。
天井も高そうである。
床もコンクリートはで固められ、と書いてある。
そうとうにしっかりとした造りの部屋であることはわかる。

アンプはマークレビンソンのLNP2に、
低域にスレッショルドの800A、中高域にSAEのMark 2600。

そういう南口氏の4350Aの音を、こう書かれている。
     *
「ひどすぎますね」私は南口さんに言った。4350は芸術を鑑賞するスピーカーとは思えない。何という、それに無機的な音だろう、と。「こんなものは叩き返しておしまいなさい」
 南口さんは失笑して、
「たしかにこれでいいとは私も思いませんが、まだ良くなる余地はあるように思います」
     *
ここまで読んで、やっぱりそうなのか……、と思ってしまった。
けれど「続・五味オーディオ巡礼」は、ここで終っているわけではない。

Date: 3月 23rd, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その35)

ステレオサウンド 47号の特集、ベストバイ・コンポーネントの構成には疑問を感じながらも、
すべてが43号と比較して不満というわけではない。

43号では選考者がひとりだけの機種に関しては、
「その他、1票を得たベストバイ・コンポーネント」として表になっているだけで、
なんのコメントもなかった。

でもその1票しか得られなかったコンポーネントの中に、
もっと票を得ているコンポーネントよりも、興味をもっていたモノがいくつかあったし、
この人が、どう評価しているのかを読みたかった。

47号では43号よりもコメントの文字数が減っている。
ほぼ一行といえる文量しかない。
けれどそのおかげとでもいおうか、1票だけのコンポーネントでもコメントがついている。

とはいえ、やはり読み応えということでは47号はもの足りなかった。
けれど、その47号でさえ一年後の51号でのベストバイ・コンポーネントよりは、ずっとましだったのだ。
この点に関しては、51号、55号についてふれるときに書くことにする。

そんな47号ではあったのだが、
私にとって47号は、嬉しい一冊だった。
それは巻頭に、「続・五味オーディオ巡礼」のタイトルとともに、
ソファにあぐらをかいて坐っている五味先生の写真があったからだ。

五味先生が以前ステレオサウンドに書かれていたことは、
「五味オーディオ教室」を読んで知っていた。
だが41号から買いはじめた私にとって、
五味先生不在のステレオサウンドが続いていた。

もうステレオサウンドには書かれないのか……、と少しずつ思いはじめていたころに、
「続・五味オーディオ巡礼」が始まった。
この嬉しさが、いかほどであったかは想像していただくしかない。

47号当時のステレオサウンドは1600円だった。
「続・五味オーディオ巡礼」だけで、あとはつまらない記事ばかりだとしても、
私はためらうことなくステレオサウンド 47号を購入したであろう。

何度も何度も、文字通り買って暫くは毎日読み返していた。
読み返すことで、そこでの「音」を想像していた。

Date: 3月 21st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その34)

41号からステレオサウンドを読みはじめた。
ほぼ二年間、夢中になってステレオサウンドを読んでいた。

私にとっての七冊目にあたる47号。
これが私にとって、はじめて疑問を感じたステレオサウンドである。

47号の特集は、ステレオサウンド三度目のベストバイ・コンポーネントである。
この他の記事として、新連載の「ロングラン・コンポーネントの秘密をさぐる」がはじまり、
連載対談として、菅野沖彦、保柳健、二氏の「体験的に話そう──録音と再生のあいだ」もはじまった。

巻末には「物理特性面から世界のモニタースピーカーの実力をさぐる」もある。
この記事は、三菱電機郡山製作所/三菱電機商品研究所の協力を得て、
46号に登場したモニタースピーカーのいくつかと4343を加えた10機種の測定が載っている。

44、45、46号での測定協力は日本ビクター音響研究所だった。
それが三菱電機にかわり、測定項目も違っている。

音楽関係の記事では、
黒田恭一、坂清也、河合秀朋(キングレコード第二制作室プロデューサー)三氏の座談会、
「イタリア音楽の魅力」もあった。
私はこの記事で、オルネラ・ヴァノーニを知り、聴きはじめた。

一冊のステレオサウンドとして読むと面白かった、といえる。
けれど肝心の特集に、私は疑問を感じたのだった。

読み手の勝手な期待なのだが、
同じ企画ならば前回よりも今回のほうがより面白くなる、
そういうものだと思い込んでいた。

47号のベストバイ・コンポーネントは43号のベストバイ・コンポーネントよりも面白くなっているはず、
より充実して読み応えのある特集となっているはず……、
そう思い込んでいた、というより信じ込んでいた。

その期待が裏切られたから、疑問を感じたということもあるのだが、
もっと違うところでの疑問を感じていたのだが、その疑問がどこに起因してのものなのかがはっきりするのは、
もっと後のことだ。
ステレオサウンドで丸七年働き、辞めて数年経ったころだった。

47号は、現在のステレオサウンドがそうであるし、さらに色濃く(ある意味巧みに)なっているのだが、
誌面の幕の内弁当化のはじまりの号といえる。

Date: 3月 21st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その33)

ステレオサウンド 46号の奥付のところにあるアンケートハガキは、
1978読者の選ぶベストバイ・コンポーネントの投票用紙だった。

46号を買った時点で、47号の特集はベストバイ・コンポーネントだとわかる。
また43号のようなベストバイ・コンポーネントが読めるのか、と思っていた。

投票用紙への記入も、一年前とは少し違う意味でずいぶんと考えた。
一年前には「ベストバイ」の意味を深く考えずに記入したけれど、
高校一年生にとってのベストバイとして記入すべきなのか、
それともそういった年齢的なことを考慮せずにベストバイ・コンポーネントと思うモノを記入すべきか、
そのことについても考えていた。

47号への関心は、46号の特集を読み返すたびに多くなっていった。
間違いなく瀬川先生はスピーカーのベストバイとして、
UREIのModel 813、K+HのOL10を選ばれるはず。

ここに疑問はなかった。
どう書かれるのか、そのことに強い関心があった。

それに45号に登場したKEFのModel 105も同じだ。
間違いなくベストバイ・コンポーネントして選ばれる……。

こんなふうに43号の時点では登場していなかったオーディオ機器のどれを選ばれ、
それらについてどう評価されるのかを、一方的に予測しながら発売をまった三ヵ月だった。

そしてSMEの3009/SeriesIIIにシュアーのV15 TypeIVを組み合わせた表紙の47号が出た。

Date: 3月 21st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その32)

ステレオサウンド 46号の特集は、もうひとつある。
井上先生による「最新MC型カートリッジ 昇圧トランス/ヘッドアンプ総テスト」だ。

スピーカーの特集が三号続いたからこその、音の入口にあたるカートリッジの特集だったのか。
カートリッジの記事はこれだけではない。
「オーディオの名器にみるクラフツマンシップの粋」でも、カートリッジが取り上げられている。

井上卓也、長島達夫、山中敬三の三氏による鼎談で、
製造中止になっているカートリッジが紹介されている。

「フォノカートリッジの名門」と題された、この記事の最初に登場するのは、
ウェストレックスの10Aである。
10Aが紹介されているページの右側のカラー口絵では、ノイマンのDST、DST62、PA2aがある。

ウェストレックスの10A、ノイマンのDST、
どちらもカッターヘッドを開発・製造していたメーカーのカートリッジであり、
ラッカー盤のモニター用として開発されたモノだ。

当時の編集部がどれだけ意図してのものだったのかはわからないが、
音での出口であるスピーカーシステム、
その中でもモニタースピーカーは、プログラムソースをつくるための音の出口であり、
その音の出口によって確認されたモノを、再生側ではカートリッジでトレースする。

つまりモニタースピーカーが、通常のスピーカーとは違うのは、
カートリッジの前段階のスピーカーというところにある。

そして10A、DSTも通常のカートリッジの前段階にあるモノであり、
モニターカートリッジとも呼べるモノでもある。

カートリッジとスピーカーという対照的なモノでありながらも、
プロフェッショナル用として、モニター用としての共通点ももつスピーカーとカートリッジが、
同じ号で取り上げられているいたわけだ。

Date: 3月 21st, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その31)

瀬川先生の「モニタースピーカーと私」の終りちかくに、こう書かれている。
     *
 リファレンス・スピーカーとしてJBL♯4343を参考にしたが、それは、このスピーカーがベストという意味ではなく、よく聴き馴れているためにこれと比較することによって試聴スピーカーの音の性格やバランスを容易に掴みやすいからだ。そして興味深いことには、従来のコンシュマー用のスピーカーテストの場合には、大半を通じてシャープ4343の音がつねに最良に聴こえることが多かったのに、今回のように水準以上の製品が数多く並んだ中に混ぜて長時間比較してみると、いままで見落していた♯4343の音の性格のくせや、エネルギーバランス上での凹凸などが、これまでになくはっきりと感じられた。少なくとも部分的には♯4343を凌駕するスピーカーがいくつかあったことはたいへん興味深い。
     *
JBL・4343のもつ《音の性格のくせ》、《エネルギーバランス上の凹凸》が、
これまでになくはっきりと感じられた、つまり感じさせたスピーカーがあったということで、
その筆頭はK+HのOL10のことだと、(はっきりとは書かれていないけれど)そう受け取った。

44号、45号、この46号とスピーカーの特集が三号続いて、
なぜ、こうもスピーカーシステムというモノは、これほどまでにすべて違うのか──、
それを知ることができた、といっていい。

スピーカー特集の三号に登場したスピーカーシステムをすべて聴いたことのある人は、
ステレオサウンド関係者を含めても、そう多くはないはずだ。

これとあれは聴いているけれど……、
聴いていない機種の方が多いという人が大半だと思う。

私もそのひとりであり、聴いたことのあるスピーカーの数は少ないほうだった。
音は活字で、どこまで表現できるのか。
そのことを考えれば、スピーカーシステムというモノを、ほんとうのところはわかっていないともいえるのだが、
そうであっても、違いの多様さは確実に知ることができた。

46号の特集のおわりには、岡先生による「その他の世界のモニタースピーカー紹介」がある。
デンオンのDS103、ガウス・オプトニカのCP3830、KEFのModel 5/1AC、フォノゲンのPhonogen 1、
シーメンスのEurophon、ウェストレークのTM2が紹介されている。

ガウス・オプトニカ、フォノゲン、KEF、シーメンス、ウェストレークが、
特集の本編で取り上げられていないのは少し残念だった。

瀬川先生も《そして試聴できなくて残念だったスピーカーはウェストレーク、ガウス、シーメンスなどであった》
と書かれている。

瀬川先生が、これらのモニタースピーカーをどう評価されたのか、
それが読めなかったのはほんとうに残念である。

Date: 3月 20th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その30)

ステレオサウンド 46号、瀬川先生のK+HのOL10の試聴記を読んでいて、
まず感じたのは、このスピーカーのバランスは、瀬川先生にとってかなり理想に近いものだということ。

OL10の価格は80万円(一本)。
エンクロージュアに三台のパワーアンプ(低域120W、中域60W、高域30W)が内蔵されているとはいえ、
JBLの4343よりも高い。

ユニットはウーファーが25cm口径のメタルコーン型を二発、
スコーカーもメタルコーン使用の13cm口径、トゥイーターがホーン型で、
ユニット単体の写真はないけれど、
おそらくというか、ほぼ間違いなくJBLのユニットと比較すると、
物量の投入のされ方などに、モノとしての凄みは感じられないはずだ。

オーディオマニア心をくすぐるユニット群ではない、といえる。
見た目もそっけない。
同じプロフェッショナル機器(モニタースピーカー)であっても、
JBLの4343に代表される4300シリーズとは洗練のされ方が違う。

写真だけを見ていてはそれほど魅力的なスピーカーとは思えてこなかったのが、
瀬川先生の試聴記を読むにつれて、
これ(OL10)はホンモノのモニタースピーカーだ、ということが伝わってきた。

《ブラームスのベルリン・フィル、ドヴォルザークNo.8のチェロ・フィル、ラヴェルのコンセルヴァトワル、バッハのザルツブルク……これらのオーケストラの固有のハーモニィと音色と特徴を、それぞれにほどよく鳴らし分ける。この意味では今回聴いた17機種中の白眉といえるかしれない。》
《いわばアトモスフィアを大切にしたレコード場合に、OL10では、とても暖い雰囲気がかもし出される。》
《またバッハのヴァイオリン協奏曲の場合にも、独奏ヴァイオリンの音色の良さはもちろんだが、バックの室内オーケストラとの対比もきわめてバランスがよく、オーケストラがとても自然に展開してディテールがよく聴き分けられる。》

このあたりを読みながら、その音を想像していた。
そして試聴記の最後に、もう一度引用するが、
《私がもしいま急に録音をとるはめになったら、このOL10を、信頼のおけるモニターとして選ぶかもしれない。》
が来る。

瀬川先生がオーディオのプロフェッショナルとして、
OL10というモニタースピーカーを信頼されていることが、強く伝わってきた。

Date: 3月 19th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その29)

ステレオサウンド 46号の特集は、
44号、45号から三号続いてのスピーカーであり、
既に書いているようにモニタースピーカーという枠をもうけている。

モニタースピーカーと、簡単に口にしてしまうが、
モニタースピーカーの正確な定義となると、いまも非常に難しいところがある。

46号の特集は、
 モニタースピーカー私観(岡俊雄)
 レコーディング・ミキサー側からみたモニタースピーカー(菅野沖彦)
 モニタースピーカーと私(瀬川冬樹)
という三つの文章からはじまる。

じっくり読んでも、読み返しても、モニタースピーカーの正確な定義を簡潔に述べることは、
いまも難しいと感じる。

46号に登場するモニタースピーカーでもっとも小型なのはロジャースのLS3/5Aであり、
大きいモノではダイヤトーンの4S4002Pがある。
前者は5.3kg、後者は135kgと、カタログには載っている。
価格ではJBLの4301がもっとも安価(65000円)で、ダイヤトーンの4S4002Pがもっとも高価(100万円)だ。

日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツのモニタースピーカー17機種が載っている。
その中でもっとも聴いてみたい、と思ったのはK+HのOL10である。

UREIのModel 813も聴いてみたい、と思った。
キャバスのBrigantinにも興味をもっていた。

それでもOL10の、瀬川先生の試聴記を読むと、聴いてみたい、というよりも、
聴かなければ……、という気持のほうが強くなってくる。

OL10の試聴記の最後にこう書かれている。
《私がもしいま急に録音をとるはめになったら、このOL10を、信頼のおけるモニターとして選ぶかもしれない。》

残念ながら、聴く機会にめぐまれずいまにいたっている。

Date: 3月 18th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その28)

このころのステレオサウンドの表紙は安齊吉三郎氏が撮られていた。
46号の約一年前野別冊「コンポーネントステレオの世界 ’77」の表紙も、
アルテックの同軸型ユニットで、安齊吉三郎氏による撮影だ。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」のアルテックは604-8Gではなく、601-8Eだ。
アルテックのユニットにあまり関心のない人だと、
604-8Gだと勘違いされるように、604シリーズ同様マルチセルラホーンをもつ。
セルの数は同じだが形状、大きさに違いがあり、ユニットの口径も12インチと小さい。

「コンポーネントステレオの世界 ’77」では、この601-8Eを真正面から撮られている。
背景も46号とは対照的に明るい。

601-8Eの背面は、604シリーズとはずいぶん違う。
口径も含めてスケールダウンしたユニットであり、
46号の604-8Gと同じアングルでは、604のようには映えない。

どういう理由で、「コンポーネントステレオの世界 ’77」と46号のアングルの違いなのか。
正確なところはなんともいえないが、
約一年のあいだに、安齊吉三郎氏によるアルテックの同軸型ユニットの写真を、
この時代のステレオサウンドの読者であった人は見てきているわけだ。

Date: 3月 17th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その27)

ステレオサウンド 46号の表紙はアルテックの同軸型ユニット604-8Gだった。
ユニットの全景をとらえた写真だ。

604-8Gを構成している色は黒だ。
コーン紙も黒、エッジも黒、フレームも黒。
もちろんそれぞれの黒には微妙な違いがあって立体的な陰翳を醸している。

こういうモノは被写体としてどうなんだろう。黒以外の色はない。
46号の表紙では604-8Gの下にはアルミ(と思われる板)が敷かれている。

604-8Gの写真は、これでいくつもみてきた。
46号の表紙は、その中でのベストといえる。
この表紙をみているだけで、アルテック604-8Gがほしくなる。

604-8Gからは、私が求める音は決して出て来そうにないと感じながらも、
それでも手元にあってほしいユニット(カタチ)である。

古くからのアルテックの使い手は、604-8Gを低く評価する傾向がないわけではない。
604Eまでがアルテックの音であり、
604-8Gになり、それまで受け継がれてきた604シリーズに共通する音の美点が消えてしまった……、という。

それにフレームの形状も604-8Gから変更された。
フレームの塗装もそうだ。
604Dのアルテックグリーンでもなく、604Eのグレー(磁気回路)とホワイト(フレーム)でもない。
武骨な黒になってしまった。

そんなバイアスのかかった目には46号の表紙は、どう映るのか。

46号の特集は、表紙の604-8Gが象徴しているように「世界のモニタースピーカー そのサウンドと特質を探る」。
46号を書店で手に取ったとき、確かに表紙は604-8G以外にない、と思った。

でもいまはUREIのModel 813も表紙の候補に挙がっていたのではないか、とも思う。
Model 813は特集でも、新製品紹介でも取り上げられている。
どちらでも高い評価を得ている。

Model 813の中核を成すのは604-8Gであり、オリジナルのマルチセルラホーンが、
UREI独自の青いホーンに換装されている。
この青のホーンは、これはこれで映えた表紙になった、と思う。
それでも46号の表紙は604-8Gであり、それでよかった、と私は思う。

Date: 3月 14th, 2016
Cate: ステレオサウンド

ステレオサウンドについて(その26)

ステレオサウンド 45号で田中一光氏は、コントロールアンプについて語られている。
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 マークレビンソンにすると音が細くなるね。ジェリー・マリガンの太いバリトンサックスの感じが出てこない。音楽ソースにもオーディオ機器にも、それが生れた時代の世代観みたいなものがあるように思う。その機械がつくられた時代とレコードが録音された時代が近いとうまく鳴る。そのへんのジェネレーションギャップがあるとどうもうまく鳴らない。
 最近の録音が優れているといわれる新しいレコードの音、僕はあまり好きになれない。レンジは広いけれど、音に芯がないように僕には感じられる。僕が好きなのは、モノーラルの後期からステレオの初期、つまり50年代の終りごろの音。コンテンポラリーとかブルーノート、音がしっかりしているでしょ、音に厚みがあって……。
(中略)
 スピーカーに世代があるように、アンプにも世代がある。アンプだけグレイドアップして新しいのを持ってきても合わない。
(マッキントッシュのC22につなぎかえて)
 どうですか、アートペッパー・ミーツ・ザ・リズムセクション(コンテンポラリー)、だんぜん生き生きとして躍動感が出てくる。やはり古いスピーカーにはこういう球のアンプが合うね。昔大阪で通いつめたバードランド、あの頃に僕はマッキントッシュを聴きすぎたかな。マッキンの音が骨の髄まで滲みこんじゃったとか……。
(中略)
 こうしてLNP2とC22を聴いてみたけれど、それぞれに良し悪しがあって、マークレビンソンにすぐ飛びつくということにはならないね。かといって昔なつかしいC22は、高音が少し粗くてがさつになるところがある。しかしね、演奏会に行くとオーケストラでも案外音は粗いものだね。レコードの音はきれいすぎるかもしれない。
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45号当時の田中一光氏のシステムは、スピーカーはJBLのハークネス、
001システムだから130Aウーファーと175DLHドライバー/ホーン/レンズ、
N1200ネットワークということになる。

パワーアンプはマランツの510M。
これは当時のステレオサウンドがリファレンスとして使っていた。

コントロールアンプはマークレビンソンのLNP2とマッキントッシュのC22を比較されているところ。
アナログプレーヤーはヤマハのYP800で、カートリッジはピカリングのXSV/3000である。

別冊「SOUND SPACE 音のある住空間をめぐる25の提案」でも、
《プレーヤーのグレイドアップで音の腰をしっかりさせることと、良いプリアンプを見つけることが当面の課題です》
と述べられている。

《良いプリアンプ》は、
ステレオサウンド 59号の黒田先生の「ML7についてのM君への手紙」へとつながっていく。
田中一光氏のハークネスと部屋は、1993年のステレオサウンド別冊「JBLのすべて」へとつづいていく。