ベートーヴェン(「いま」聴くことについて・補足)
今日(3月18日)の川崎先生のブログを読んだ。
そこに、
〝真に「命がけ」、平成の特攻隊という比喩は不謹慎ではありません〟
と、ある。
ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタを聴いて、
送り出す側の音楽、送り出される側の音楽、と書いたのは、
そういうことである。
今日(3月18日)の川崎先生のブログを読んだ。
そこに、
〝真に「命がけ」、平成の特攻隊という比喩は不謹慎ではありません〟
と、ある。
ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタを聴いて、
送り出す側の音楽、送り出される側の音楽、と書いたのは、
そういうことである。
「ベートーヴェンの音楽は、ことにシンフォニーは、なまなかな状態にある人間に喜びや慰藉を与えるものではない」
と五味先生の「日本のベートーヴェン」のなかにある。
ベートーヴェンの後期の作品もそのとおりだと思う。
五味先生は戦場に行かれている。
高射砲の音によって耳を悪くされた。
そして焼け野原の日本に戻ってこられた。
レコードもオーディオ機器も焼失していた。
そういう体験は、私にはない。
だからどんなに五味先生の文章をくり返し読もうと、
そこに書こうとされたことを、どの程度理解、というよりも実感できているのかは、
なんとも心もとないところがある。
五味先生が聴かれていたようにはベートーヴェンを聴けない──、
これはどうすることもできない事実であるけれども、
そこになんとしても近づきたい、
近づけなくとも、同じ方向を視ていたい、と気持は決して消えてなくなるものではない。
ベートーヴェンの後期のピアノ・ソナタ(30、31、32番)を聴いた。
2日前のことだ。イヴ・ナットの演奏で聴いた。
これらのピアノ・ソナタを、なまなかな状態で聴いてきたことはなかった、と自分で思っていた。
けれど、「いま」聴いていて、いままでまったく感じとれなかったことにふれることができた。
送り出す側のための音楽でもあり、送り出される側の音楽だと思えた。
五味先生の「日本のベートーヴェン」をお読みになった方、
ベートーヴェンの音楽をなまなか状態では決して聴かない人には、これ以上の、私の拙い説明は不要のはずだ。
2005年の6月から8月にかけての約2ヵ月のあいだに、菅野先生の音を3回聴く機会があった。
ステレオサウンドで働いていたときでさえ、こう続けざまに聴けることはなかった。
最初は私ひとりでうかがった。だからリスニングルームには、菅野先生と私のふたり。
2回目と3回目は二人の方をお連れしてうかがったので、4人である。
お客様に音を聴いていただくときは3人を限度としている、と菅野先生が言われていたことを何度か聞いている。
人がはいれば、そのだけ音は吸われる。
菅野先生がひとりで聴かれる音と、ひとりでも誰かがそこに加わった音は、微妙に違ってくる。
ひとりがふたりになり、ふたりが三人になれば、それだけ音の違いもより大きくなってくる。
厳密にいえば、たとえひとりでうかがっても、
菅野先生がひとりで聴かれているときとまったく同じ音は聴けない道理となる。
それでもひとりでうかがったときの音は、菅野先生がひとりで聴かれている音とほぼ同じといってもいいはず。
わずか2ヵ月のあいだで、菅野先生をいれてふたりのときの音、
4人のときの音(これは2回)をたてつづけて聴いて、
菅野先生が、3人が限度と言われているのが理解できる。
もちろん菅野先生の音も毎日同じわけではないし、
うかがうたびに音は良くなっているけれども、この2ヵ月のあいだの変化は、
とくに前回(私がひとりでうかがったとき)から何も変えていない、と言われていたから、
その差は、ほぼ無視してもいいだろう。
となると、私は菅野先生のリスニングルームにおいて、人が増えたときの音の差を確実に実感できていた。
どこがどう違うのかについてはふれない。
言いたいのは、私がひとりでうかがったときの音と、3人でうかがったときの音は、まったく同じではない。
音のバランスに微妙な違いはあったし、ほかにも気がついたことはある。
だが、どちらの音も、見事に菅野先生の音であったということ、を強調しておきたい。
あれだけ細かい調整をされていると、往々にして人がふえていくことに極端に敏感に反応して、
音が大きく崩れることも、ときにはある。
そんなひ弱さは、菅野先生の音にはなかった。そんな崩れかたはしない。
つまり音の構図がひじょうに見事だからだ。
菅野先生の音を聴かれたことのある人は、私の他にも、かなりの数の人がおられる。
それでも、CDを一枚、最初から最後まで聴かれた方となると、ほとんどおられないかもしれない。
ほぼすべての場合、鳴らされるのCDの中の一曲、
クラシックでその一曲(一楽章)が長いときには、途中でフェードアウトされる。
一曲で終るわけではないから、菅野先生の音を聴いている時間としては、CD一枚分よりも長くなるわけだが、
CDを一枚通して聴く、もしくはその曲のすべての楽章を通して聴くという機会は、私は2度だけ体験できた。
菅野先生の音の素晴らしさは、一曲聴いただけで、というよりも鳴り出した瞬間に瞬時に感じとれる。
それでも、ケント・ナガノ、児玉麻里のベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を通して聴くことで、
菅野先生がベートーヴェンをどう聴かれているのか、
(もちろん、すべてではないけれど)そのことを感じとれた、と思えた。
「まさしくベートーヴェンなんだよ」という菅野先生のことばが、ひとつの共通体験として理解できた。
菅野先生のところで、クラシックの1曲、はじめからおわりまで聴いたのは、このぺートーヴェンで2回目だ。
またステレオサウンドで働いていた頃、菅野先生のお住まいから徒歩で15分くらいのところに住んでいた。
だから出社前に原稿を受け取りに、仕事の帰りに資料などを届けに伺うことは多かった。
その日は、たまたまその日購入したばかりのCDを持って、夜伺った。
資料を渡してすぐに帰るつもりだったが、「あがっていきなさい」と言われた。
私が持っていたWAVEの袋に気がつかれた菅野先生は、「何のCDを買ったんだ?」。
アバドによるシューベルトのミサ曲第6番 D950だった。
入荷したばかりの輸入盤だから、菅野先生は、まだ聴かれてなかった。
聴くことになった。
3人掛けのソファの真中に菅野先生、そのとなりに私。
ミサ曲がはじまった。
じつは私は、試聴室ですでに聴いていた。その日、2度目のシューベルトのミサ曲。
でも、試聴室で鳴っていたミサ曲と、菅野先生のリスニングルームで鳴り響いているミサ曲は、
同じ音楽でもありながらも、決してその日、2度目の演奏とはいえない、なにかが違うものだった。
ミサ曲第6番は16曲からなり、アバドの演奏では約56分。
不思議な緊張感のともなった56分間だった。
3人掛けのソファの真中に私、
真後ろに菅野先生が腰かけられて、ベートーヴェンのピアノ協奏曲の第1番が鳴った。
鳴った瞬間、「すごい!」と思った。
第1楽章が終った。
通常なら、ここでCDプレイヤーのストップ・ボタンをおさえるのだが、
この日の「音」、それに「音楽」は見事に鳴っていたようで、
菅野先生から「最後まで聴くか」と。
うなずいた。
ケント・ナガノ指揮、児玉麻里のピアノによるベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を聴いたのは、
3年前、菅野先生のリスニングルームにおいて、である。
「これ、聴いたことあるか?」と言いながら、このCDを目の前に出された。
正直、ケント・ナガノと児玉麻里……と思っていた。
菅野先生は、熱い口調で「まさしくベートーヴェンなんだよ」と語られた。
菅野先生の言葉を疑うつもりはまったくなかったけど、
それでも素直には信じられない気持があった。
菅野先生のところでもう何度も、いろんなディスクを聴かせていただいたけれど、
聴く前にディスクを手渡されたのは、このときがはじめてだった。
音はいいんだろうな、と思っていた。
このディスクは、ノイマンがデジタルマイクロフォンを開発して、
そのデモンストレーション用として作られたものだということだったからだ。
でも菅野先生は「まさしくベートーヴェンなんだよ」と言われたのだから、
それが優れているのは録音のことだけでなく、演奏も含まれているわけだ。
とにかく、このCDが鳴りはじめた。
イコライザーだけでなく、マルチアンプドライブで、エレクトロニック・クロスオーバー・ネットワークに、
デジタル信号処理のものを使っていたら、そこでのパラメーターをも、
やろうと思えば、音源ごとにこまかい設定の補整もできる。
最初こそめんどうだろうが、そこさえ厭わなければ、いちど設定してしまえば、パソコンに記憶させて、
あとは再生のたびに、自動的に呼び出すだけですむのだから。
ディスクごと(音源ごと)にイコライジングカーヴだけでなく、各スピーカユニットのカットオフ周波数、
スロープ特性、レベルなど、いじろうという意欲があれば、どこまでどこまでもキメこまかくできる。
デジタルプロセッサーが、1台のパソコンに接続され、それを一括してコントロールできるソフトウェアがあれば、
夢物語でもなんでもない。すぐに実現できる環境はほぼ整っている。
アナログだけの時代では、やろうという意欲はあってもできなかったことが、
リスニングポイントから動かずにできるのだから、
この種のことが好きな人にとっては、どこまでもどこまでも、キリがなくはまってゆくことだろう。
はまればはまるほど、「動的平衡」からどんどん遠ざかっていく。
「静的平衡」の徹底的な追求になってしまう。
機械の助け(デジタルゆえの助け)のおかげで、静的平衡をきわめることができる日がくるだろう。
そこで思うのは、果して音楽が鳴るのだろうか、
もっといえばベートーヴェンの音楽が鳴り響くのだろうか、という疑問である。
ここでもういちど冒頭に書いた福岡氏のことばをくりかえす。
「絶え間なく流れ、少しずつ変化しながらも、それでいて一定のバランス、つまり恒常性を保っているもの。」
「絶え間なく流れ、少しずつ変化しながらも、それでいて一定のバランス、つまり恒常性を保っているもの。」
オーディオにおけるすぐれたバランスのよさを、いいあらわしたかのように思えるこれは、
福岡伸一氏の「動的平衡」について語られたもの(「週刊文春」2月25日号より)。
けれど、これこそオーディオのバランスの、もっとも理想のかたち、と私は思う。
音のバランスは大切だ、とずっとずっと以前から、多くの人がいってきている。
だが、その音のバランスには、「動的平衡」と「静的平衡」があるのではなかろうか。
いまデジタル信号処理の発達とハードウェアの進歩により、
いくつものイコライジングカーヴをメモリーを記憶させておけば、
ボタンひとつ(いまやボタンなどなくてタッチひとつ、か)で、すぐに記憶させておいたカーヴを呼び出せる。
この手の機能は、これから先、もっと便利になっていくはず。
CDをリッピングしたり、配信からのタウンロードによって入手した音源を再生するとき、
いちどその音源向きにイコライジングカーヴをつくり出して設定しておけば、あとは再生時に自動的に読み込んで、
聴き手はなにもいじることなく、ひとつひとつの音源に、最適のカーヴで再生される。
これは、ほんとうに素晴らしいことなのだろうか。
じつは、それぞれのイコライジングカーヴは、「静的平衡」でしかない、そんな気がする。
「動的平衡」でなく「静的平衡」だから、ディスク(音源)が変れば、そのたびにいじらなければならない。
ときには再生している途中に、カーヴをいじる人もいる。
そんな行為をどう捉えるかは、人さまざまだろう。
これこそ音楽に対して誠実に、そしてアクティヴに聴いている(接している)という人がいてもいいけれど、
いつまでも、そんなことをやっていては、いつまでたっても「静的平衡」から抜け出すことはできない。
「静的平衡」を、あらゆる音源に対して実現するには、それこそこまめにいじる必要がある、
という皮肉さがここにあり、その皮肉さが使い手にここちよい嘘をついている。
そう感じさせてくれた演奏は、おそらくカザルスのものだったような気もする。
それも第7番ではなく、第8番だったのではなかろうか。
人にすすめられて聴いたカザルスの7番で、うすうすながらも、そう感じていたのが、
カザルスの8番によって、はっきりと気づかされた、と曖昧の記憶はそう言っている気がする。
「音楽は、案出されたり構築されたりしたものではなく、成長したもの、
いわば直接に『自然の手』から生まれ出たものである。この点において、音楽は女性に似通っている。」
フルトヴェングラーのこの言葉も、
いま鳴っている音が、続く音を生み出していく、ということを語っているのだろうか。
そうだとしたら、ベートーヴェンの音楽は、「女性に似通っている」ということになるのだろうか。
ベートーヴェンの音楽は、とくに交響曲で顕著であるが、いま鳴り響いている音が、
あとにつづく音を生み出している。
そう感じたのは、20代のなかばごろのことだった。
誰の演奏を聴いて、そう感じたのかはいまとなっては思い出せないけれど、
20代よりも30代、30代よりも40代になって、ますますベートーヴェンの音楽が好きになってきているいまも、
やはりそう感じている。
いま鳴っている音はひとつではない。だからそこから生み出される音も、ひとつではない。
それらの音が生み出されるときに、なにがしかの「熱」が生じているような気も、最近してきた。
そして、モーツァルトの曲の終りかたの見事さが、ベートーヴェンの曲にあまり感じられないのは、
ここに、その理由のひとつがあるのではないか。
いま鳴っている音が次の音を生み出し、その音が、また次になる音を生み出していく、
それらが有機的に絡んでいき、音の構築物をつくりあげる。
その連鎖は、どこかで打ち切れなければ、ベートーヴェンの才能があれば、
延々と続いていくのかもしれない、と、ふと想うときがある。
ベートーヴェンの「第九」をコンサートで聴いたのは、小沢征爾/ボストン交響楽団によるもので、
1982年か83年のどちらか、人見記念講堂におけるものが最初である。
実は、このときが、生のオーケストラを聴いた、はじめてのことだった。
それもあってだろう、第4楽章には涙した。
ベートーヴェンの巨きさに、感動してのことだった。いまでも、その感動だけははっきりと残っている。
あれから20数年。ふり返って見ると、「第九」をコンサートで聴いたのは、これ一度きりである。
バーンスタインもジュリーニも、いまは、もういない。
この人の演奏ならば、聴きたい、ホールに足を運んで聴きたい、
そう思える指揮者が、いまはすぐに頭に浮かんでこない。
それもさびしいものだなぁ、と思っていたら、数日前、ある名前を目にした。
グスターボ・ドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ。
今日も、この名前を目にした。
彼らが、この先、日本で、「第九」をやってくれるかなんて、わからない。
でも、もし聴けるのであれば、ぜひとも行きたい。
ジュリーニ/ベルリン・フィルの「第九」のCDを見かけたのは、
リハビリからの帰りに立寄った吉祥寺のレコード店の新着コーナーの棚だった。
11月の半ばごろの、小春日和の天気のいい日だった。
1990年の夏の終わりに左膝の高原骨折と内側靭帯損傷で一カ月半ほど入院。
このころは毎日リハビリで通院していた。仕事は、していなかった。
(正直、こんなにリハビリが大変だとは思っていなかった。)
部屋にあったオーディオ機器はすべてなくなり、
アナログディスクもCDも、ほんとうに愛聴盤と呼べるディスク以外はなくなっていた。
だから、このCDを買っても聴く術がない。
それでも無性に聴きたい衝動におそわれ、
余分なお金は使えない、使いたくない状況にも関わらず、手を伸ばしてしまった。
CDプレーヤーは、当時住んでいた西荻窪駅近くの質屋に、新品同様の携帯用のモノがたまたまあったので、
他に選択肢があるわけでなく、やっぱりすこし迷ったものの、購入した。
モノが極端に少なくなった部屋に、南向きの窓からは暖かい日差しがはいってくる。
ぽつんとひとりで坐り聴いた。
この日、この瞬間から、ジュリーニ/ベルリン・フィルによる、このディスクは愛聴盤になった。
いまも聴き続けている。
フルトヴェングラーの1942年の「第九」は、1951年のバイロイト祝祭よりも、
感嘆させられる、円熟期の完成度の高い演奏だと感じている。
とはいえ、「第九」を聴くとき、このディスクばかり聴いているわけではない。
むしろ、あまり聴かないように心掛けている。
フルトヴェングラーは「その時代時代の聴衆が求めているものを演奏している」、
そんな意味合いのことを言っている。
1942年の演奏は、1942年の聴衆が求めていたからなし得た「第九」ということになる。
その当時のドイツの聴衆が求めていてたものは、はたしてなんだろうか。
確かに第二次大戦中のフルトヴェングラーの、とくにベートーヴェンの演奏には
──第三番は44年のウィーンフィルとの演奏、第五番はベルリン・フィルとの43年の演奏──
言葉では言表し難い、凄みと言っていいのだろうか、なにか強烈な底知れぬものを秘めているかのようだ。
だから、あえて聴かない。
「第九」で、よく聴いているのは、ライナー盤であったり、ジュリーニ/ベルリン・フィル盤だ。
写真は、光景の一瞬を切り取る。
川や滝を撮った同じ写真でも、水の流れ、落ちる様、水しぶきをまったく感じさせない写真もある。
構図が悪いといったことではなく、それは撮影者が、川や滝をどう捉えているのか、
センスとしか言いようがない。
フィギュア(ここで言うフィギュアは人型のもの)も、一瞬を切り取って立体化している。
フィギュアは、すべて何らかのポーズをとっている。ボーズというよりも姿勢といったほうがいい。
姿勢という単語は、姿と勢いから成っている。
フルトヴェングラーのフィギュアには、この姿勢が感じられなかった。
水の流れ、水しぶきを感じさせない写真と同じように。
勢いを失った姿は、それこそポーズ(poseではなく、一旦休止のpause)だ。