ベートーヴェン(動的平衡・その2)
イコライザーだけでなく、マルチアンプドライブで、エレクトロニック・クロスオーバー・ネットワークに、
デジタル信号処理のものを使っていたら、そこでのパラメーターをも、
やろうと思えば、音源ごとにこまかい設定の補整もできる。
最初こそめんどうだろうが、そこさえ厭わなければ、いちど設定してしまえば、パソコンに記憶させて、
あとは再生のたびに、自動的に呼び出すだけですむのだから。
ディスクごと(音源ごと)にイコライジングカーヴだけでなく、各スピーカユニットのカットオフ周波数、
スロープ特性、レベルなど、いじろうという意欲があれば、どこまでどこまでもキメこまかくできる。
デジタルプロセッサーが、1台のパソコンに接続され、それを一括してコントロールできるソフトウェアがあれば、
夢物語でもなんでもない。すぐに実現できる環境はほぼ整っている。
アナログだけの時代では、やろうという意欲はあってもできなかったことが、
リスニングポイントから動かずにできるのだから、
この種のことが好きな人にとっては、どこまでもどこまでも、キリがなくはまってゆくことだろう。
はまればはまるほど、「動的平衡」からどんどん遠ざかっていく。
「静的平衡」の徹底的な追求になってしまう。
機械の助け(デジタルゆえの助け)のおかげで、静的平衡をきわめることができる日がくるだろう。
そこで思うのは、果して音楽が鳴るのだろうか、
もっといえばベートーヴェンの音楽が鳴り響くのだろうか、という疑問である。
ここでもういちど冒頭に書いた福岡氏のことばをくりかえす。
「絶え間なく流れ、少しずつ変化しながらも、それでいて一定のバランス、つまり恒常性を保っているもの。」