ベートーヴェン(その6)
菅野先生の音を聴かれたことのある人は、私の他にも、かなりの数の人がおられる。
それでも、CDを一枚、最初から最後まで聴かれた方となると、ほとんどおられないかもしれない。
ほぼすべての場合、鳴らされるのCDの中の一曲、
クラシックでその一曲(一楽章)が長いときには、途中でフェードアウトされる。
一曲で終るわけではないから、菅野先生の音を聴いている時間としては、CD一枚分よりも長くなるわけだが、
CDを一枚通して聴く、もしくはその曲のすべての楽章を通して聴くという機会は、私は2度だけ体験できた。
菅野先生の音の素晴らしさは、一曲聴いただけで、というよりも鳴り出した瞬間に瞬時に感じとれる。
それでも、ケント・ナガノ、児玉麻里のベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を通して聴くことで、
菅野先生がベートーヴェンをどう聴かれているのか、
(もちろん、すべてではないけれど)そのことを感じとれた、と思えた。
「まさしくベートーヴェンなんだよ」という菅野先生のことばが、ひとつの共通体験として理解できた。