Archive for category 新製品

Date: 11月 16th, 2021
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MC3500・その4)

MC3500が業務用アンプであり、
今回のMC3500 Mk IIが家庭用アンプとして開発されたものであることは、
マッキントッシュのMC3500のサイトの写真からもはっきり伺える。

新旧二台のMC3500が並んで写っている。
MC3500は、当然古いわけだけど、ここでの写真では、
どこかで使っていたMC3500を持ってきてそのまま撮影している感じである。

冷却ファンをもつMC3500の内部はホコリがたまりがちである。
写真のMC3500は、まさにそのとおりであって、
写真撮影にあたって内部のクリーニングを行っていない。

そのとなりに新品のMC3500 Mk IIである。

この写真をみて、二台のMC3500は、
出力こそ、そしてアンプとしての規模こそ同じであっても、別物であることを、
マッキントッシュは提示している、と感じた。

だからこそ新型のMC3500は、
フロントパネルにもリアにも、型番の表記がMC3500 Mk IIではなく、MC3500なのだ。

MC3500 Mk IIとするのであれば、
業務用のMC3500の改良版でなければならない。

今回発表されたMC3500は家庭用アンプである。
いまのマッキントッシュは、MC3500を発表した時のマッキントッシュはとは違い、
業務用アンプメーカーではなく、家庭用アンプの専業メーカーである。

Date: 11月 11th, 2021
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MC3500・その3)

ステレオサウンドで働くようになる数ヵ月前に、
ある会社で一ヵ月ほどアルバイトをしたことがある。

店舗の音響機器の面倒を請け負っている会社だった。
社長が一人、あとはアルバイトが数人。小さな規模の会社だった。

その仕事で赤坂見附にあるナイトクラブに行ったことがある。
仕事はすぐに終った。

そのクラブにはステージがあって、仕事はそこで行っていたのだが、
ふと横をみると、巨大なアンプがある。
マッキントッシュのMC3500だった。

MC3500の写真は見たことがあったが、実物を見たのは赤坂見附のクラブが最初だった。
いまでこそMC3500を超える規模のパワーアンプは珍しくないが、
当時はMC3500は最大規模のアンプであった。

業務用ということは知っていたけれど、
実際に使われている実例は、私はここだけしか知らない。

1981年のことだった。
MC3500は1971年まで製造されていたわけだから、
最低でも十年は使われ続けているMC3500である。

そのMC3500はラックに収められていたわけではなく、
床に無造作にごろんと置かれていた。

こういう使われ方が可能な管球式アンプが、MC3500である。

Date: 11月 10th, 2021
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MC3500・その2)

マッキントッシュはここ十年くらいか、
往時の管球式アンプの復刻を積極的に行っている。

C22とMC275が、その最初だった。
好評なのだろう。
何度も行っているし、MC275のスタイルを他の製品にまで広げている。

そこに、今回のMC3500 Mk IIである。

MC3500とMC3500 Mk II、違う点はいくつもあるが、
私がいちばん違うと感じているのは、冷却ファンの有無である。

オリジナルのMC3500には冷却ファンがリアパネルに取り付けられていた。
ブロックダイアグラムが印刷された天板が特徴であり、
MC3500をソリッドステート化したMC2300にも、これは受け継がれている。

ちなみにMC2300の後継機MC2500の初期のモデルには、
天板にブロックダイアグラムがなくなっていた。

そのことを残念がる声が日本ではあった。
しばらくするとMC2500でも、ブロックダイアグラムが復活した。

日本からの要望にマッキントッシュが応えたようなふうにみえるが、
事情通の人によると、初期のMC2500の天板にブロックダイアグラムがないのは、
単純にミスだった、とのこと。

オリジナルのMC3500は業務用アンプである。
だからこそMC275とは全面的に異る筐体構造を採用している。

真空管を物理的な破損から守るために、六面すべてパネルで蔽われている。
MC275のスタイルだと、上から何かモノが落ちてきたら、真空管が破損しやすい。
MC3500ではそういうことへの配慮がなされている。

けれど今回のMC3500 Mk IIは家庭用のアンプである。
真空管の上部と両サイドにはパネルはなく、金属のメッシュである。
なので冷却ファンはない。

Date: 11月 10th, 2021
Cate: 新製品

新製品(マッキントッシュ MC3500・その1)

マッキントッシュからMC3500が新製品として発表されている。

MC3500とは1968年に登場したモノーラルの管球式パワーアンプで、
出力は350Wという、当時としては最大パワーだったし、
パネルフェイスからもMC275やMC240といったラインナップではなく、
業務用として誕生した製品でもあった。

MC3500は1971年まで製造されていたから、
製造中止から50年後の2021年に、再び登場することになる。

マッキントッシュのサイトのMC3500のページの本文には、
MC3500 Mk IIと表記されているが、
新製品MC3500の写真をみる限りは、フロントパネルにもリアにも、
表記はMC3500となっている。
なので便宜上、新製品のMCC3500は、MC3500 Mk IIとする。

MC3500 Mk IIの出力は、オリジナルのMC3500と同じ350Wである。
外観は今風のアピアランスになっている。
とはいうものの、MC3500の型番ということを知らなくても、
MC3500を知っている人ならば、MC3500の新型か、と思うであろう。

私がMC3500というアンプがあったことを知ったのは、「五味オーディオ教室」だ。
     *
 ところで、何年かまえ、そのマッキントッシュから、片チャンネルの出力三五〇ワットという、ばけ物みたいな真空管式メインアンプ〝MC三五〇〇〟が発売された。重さ六十キロ(ステレオにして百二十キロ──優に私の体重の二倍ある)、値段が邦貨で当時百五十六万円、アンプが加熱するため放熱用の小さな扇風機がついているが、周波数特性はなんと一ヘルツ(十ヘルツではない)から七万ヘルツまでプラス〇、マイナス三dB。三五〇ワットの出力時で、二十から二万ヘルツまでマイナス〇・五dB。SN比が、マイナス九五dBである。わが家で耳を聾する大きさで鳴らしても、VUメーターはピクリともしなかった。まず家庭で聴く限り、測定器なみの無歪のアンプといっていいように思う。
 すすめる人があって、これを私は聴いてみたのである。SN比がマイナス九五dB、七万ヘルツまで高音がのびるなら、悪いわけがないとシロウト考えで期待するのは当然だろう。当時、百五十万円の失費は私にはたいへんな負担だったが、よい音で鳴るなら仕方がない。
 さて、期待して私は聴いた。聴いているうち、腹が立ってきた。でかいアンプで鳴らせば音がよくなるだろうと欲張った自分の助平根性にである。
 理論的には、出力の大きいアンプを小出力で駆動するほど、音に無理がなく、歪も少ないことは私だって知っている。だが、音というのは、理屈通りに鳴ってくれないこともまた、私は知っていたはずなのである。ちょうどマスター・テープのハイやロウをいじらずカッティングしたほうが、音がのびのび鳴ると思い込んだ欲張り方と、同じあやまちを私はしていることに気がついた。
 MC三五〇〇は、たしかに、たっぷりと鳴る。音のすみずみまで容赦なく音を響かせている、そんな感じである。絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つひとつを、くっきり描いている。もとのMC二七五は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。
     *
そのころは写真も見たことがなかった。
どんなアンプなんだろう、と想像するしかなかった。

Date: 11月 3rd, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その22)

facebookのコメントに、山本浩司氏がHiVi 12月号で、
JBLのSA750とアーカムのSA30の比較記事を書かれるそうだ、とあった。

山本浩司氏がステレオサウンドに書くようになってしばらく経ったころ、
KEFのサブウーファーの紹介記事を書かれていた。

いま出ているモデルではなく、けっこう前のモデルである。
そつのない文章だった。
けれど、読んでいて、そのモデルを聴いてみたい、という気持にはなれなかった。

オーディオ評論家は編集者の経験があったほうがいい、と考えている。
いまはそうでもなくなっているが、
昔はかなりの人が編集経験を経たうえでの評論家活動だった。

とはいえ弊害もある、と考えている。

山本浩司氏のKEFのサブウーファーの記事を読みながら感じていたのは、
編集者として長すぎた経験の弊害であった。
それゆえのそつのない文章だった。

山本浩司氏は、私がステレオサウンドで働いていたころ、
サウンドボーイ、HiViの編集者だった。
それからHiViの編集長になり、評論家に転身されている。

KEFの記事を読んでいると、
これが、あの山本さんが書いた原稿? と思っていた。
そつのない文章と書いたが、つまらない文章を書くなぁ、と思っていた。

個人的なつきあいがあったわけではないが、
どういう人なのかはある程度は知っているわけで、
そのキャラクターとKEFの記事とが一致しなかった。

だから弊害と感じたわけだ。
でも、そのことは書いている本人がいちばん感じていたのではないのか。

山本浩司氏の書かれたものをすべてを読んでいるわけではないし、
熱心に読んでいるわけでもないが、ここ数年、ステレオサウンドでの文章は、
KEFの記事のころとは違って、弊害をうまく自分のなかで消化できたのではないか、
そんなふうに感じるようになってきた。

その山本浩司氏がSA750とSA30の記事を書くのであれば、楽しみだ。

Date: 10月 17th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(コメントを読んで)

(その21)へのfacebookのコメントで、
SA600の価格を現在の物価で換算すると、数百万円でしょう、とあった。

数百万円で、どのくらいの価格帯を想像するのかは人によって違ってくるだろうが、
百万円台を数百万円とする人は、ほとんどいないだろう。

私の感覚では、三百万円以上が、数百万円といったときの下限であり、
五百万円以上が、なんとなくではあるが数百万円となる。

SA600の1967年当時の、日本での価格は200,100円である。
1967年当時初任給は、検索すると26,200円だそうだ。
いまは200,000円ほどだから、単純計算では1967年当時の200,100円は、
1,500,000円を超えることになる。

ちなみにSA600が特集に登場しているステレオサウンド 3号の定価は580円である。

3号の特集に登場している国産プリメインアンプで、もっとも高価なのは、
ソニーのTA1120Aで96,000円だ。
SA600の約半分の定価である。

SA600に近い価格のアメリカ製のアンプは、
マランツのModel 7Tが160,000円、Model 15が195,000円、
マッキントッシュのC22が172,000円、MC275が274,000円、
JBLのSG520が248,000円、SE400Sが143,550円などがあった。

SA600は高価なプリメインアンプであったのは確かなのだが、
現在の物価では数百万円というふうには、まったく思えないし、感じられない。

コメントは、数百万円をアンプに出す人は、JBLのアンプを選ばないでしょう、
とも続く。

数百万円もするのであれば、私も同じ感覚だが、百数十万円ならば違ってくる。
真にSA600の現代への復活を感じさせてくれるJBLのプリメインアンプであるならば、
百数十万円を払う人は、けっして少なくないはずだ。

Date: 10月 17th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その21)

ゴールドムンドのEidos 20は、ステレオサウンドの新製品紹介記事で取り上げられている。
166号あたりだったと記憶しているが、手元にないので確認していない。

モノクロ1ページの扱いだったはずだ。
傅 信幸氏が担当されていたはずだ。

Eidos 20の中身がパイオニアのDV600であることは、
ステレオサウンドの記事の前からインターネットでは話題になっていた。

だからこそ記事では、そのへんのことをどう触れているのかは、
少なからぬ人が興味を持っていたと思う。

傅 信幸氏はまったく触れていなかったわけではないが、
あくまでもさらっとした触れ方だった、と記憶している。
少なくとも問題となるような書き方ではなかった。

ここでいう問題となる、とはクライアントから苦情がくる、という意味である。

ちなみにきいたところによると、
ゴールドムンドはパイオニアから直接DV600を購入できたわけではなかった、ようだ。
市販されたモノを購入してのEidos 20であったそうだ。

とにかくレッド・ローズ・ミュージックの件も、
ゴールドムンドの件も、オーディオ雑誌は問題というふうには取り上げなかった。

Eidos 20に関しても、記事の前に話題になってしまっていたから、
傅 信幸氏は触れざるをえなかったのではないのか。
話題になっていなかったら(発覚していなかったら)、
そのことにはまったく触れずにいたように思ってしまう。

こういうことはオーディオ雑誌にとっても、オーディオ評論家にとっても、
やっかいなことでしかない。
触れずにおくのが、いちばん楽である。

触れざるをえない場合でも、さらっと触れるだけにしておく。
説明から逃げる態度こそ、オーディオ業界で喰っていくため、とでも、
彼らは口を揃えるかもしれない。

つまり、JBLの新製品であり、
JBLの創立75周年モデルのSA750は、
こういったオーディオ業界が抱える問題点を具象化し提示したモデルといえる。

JBLというよりも、ハーマンインターナショナルという大企業は、
こういったオーディオ業界が抱えている問題をあえて指摘するために、
もしくはオーディオ業界を試すなのか。

そんなふうに思ってしまうのは、SA750が単なる新製品ではなく、
75周年モデルでもあり、SA600のオマージュモデルということが前提としてあるからだ。

SA750がオーディオ雑誌で賞をとったとしよう。
そのことをJBL(ハーマンインターナショナル)を含めて、
オーディオメーカーは、どう捉えるだろうか。

SA750は存在価値というより、そういう意味で存在意義がある、といえる。
少しでも、なにかをあぶり出してくれるのか、それともまったくなのか。

そのどちらかであってもSA750の存在意義は変らない。

Date: 10月 16th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その20)

JBLのSA750とアーカムのSA30。
十数年前のことを思い出す人も少なくないだろう。

マーク・レヴィンソンがマークレビンソンを辞め、チェロを創立。
そのチェロからも離れてレッド・ローズ・ミュージックを始める。

日本に最初に紹介されたレッド・ローズ・ミュージックの製品は、
オーディオ・プリズムの真空管アンプを、
マーク・レヴィンソンがチューンした、というモノだった。

それから数年後だったか、
レッド・ローズ・ミュージックのソリッドステートアンプも出てきた。

これが中国のDUSSUNというブランドのアンプそのままだ、
というウワサが出てきた。
アンプだけでなく、レッド・ローズ・ミュージックのスピーカーシステムも、
Aurum Cantusというブランドの製品そのままだ、というウワサもあった。

DUSSUNとAurum Cantus、どちらも中国のメーカーである。
Aurum Cantusのほうは、中国での価格がどの程度だったかは知らないが、
DUSSUNのアンプは、かなり安かった。

これらにレッド・ローズ・ミュージックのブランドがつくだけで、
けっこうな価格の製品になっていた。

マーク・レヴィンソンが、多少はチューンしていたというウワサもある。
でも、当時は、インターネットで検索してみても、
内部写真の比較ができなかったので、実際はどうだったのかはっきりとしない。

同じような例で、もっと知られているのがゴールドムンドのEidos 20の件である。
Eidos 20は百万円を超えるユニバーサルプレーヤーなのだが、その内部は、
パイオニアのユニバーサルプレーヤーDV600(実売は二万円を切っていた)である、と、
こちらも十数年前に、けっこう話題になった。

Eidos 20とDV600は内部写真が、当時でも比較できた。
まったく同じではない。
それに筐体は別物である。

レッド・ローズ・ミュージックを基準に考えると、良心的といえなくもない。

これらの件を、オーディオ雑誌はどう説明しただろうか。

Date: 10月 15th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その19)

(その18)へのfacebookでのコメントに、OEMのことが出てきた。
過去のオーディオ機器にもOEMだったモノはいくつかある。
それらは、当時、OEMであることが、オーディオ雑誌に載ってたりしていたのか、とあった。

私が読み始めたころは、載っていた。
隠すようなことではなかったからだろう。

OEMとは、original equipment manufacturingの略であることは知られている。
私の認識では、OEMとは開発・設計などは自社で行い、
製造を他社に依託することだ。

アンプを中心につくってきたメーカーがカートリッジを手がけようとする。
けれどまったく異る部門ゆえに、カートリッジ専門メーカーと共同で開発していく。
そして製造も、そのカートリッジ専門メーカーにまかせる。

これもOEMである。

だから何も隠すようなことではないから、
すべてではないだろうが、当時は割とオープンに知られていた。

けれどJBLのSA750はOEMなのかというと、そうではない。
すでに発売されている他社の製品をもってきて、外装のみをつくりなおしただけといえる。

少なくともステレオサウンド 220号掲載のSA750の内部写真と、
インターネットで見ることのできるアーカムのSA30の内部写真を比較すれば、
同一のアンプとしかいいようがない。

他社が開発したモノが優れていて、
自社ブランドで出すことになんのためらいのない場合、
それが他社ブランドで市場に出ていなければ、
そして独占的に自社ブランドのみで売るのであれば、それも一つのやり方とは思うが、
JBLのSA750は、そういう例でもない。

まるごとアーカムのSA30といえる内容でしかない。
アーカムとJBLは、いまでは同じハーマンインターナショナルの傘下なのだから、
こういうやり方もありなのか。

ありだよ、という見方をしたとする。
それでもSA750が、単なるJBLの新製品ということであれば、まだいい。
けれどSA750は、JBL創立75周年記念モデルである。

しかもSA600のオマージュモデルということになっている。

このことが、どうしてもひっかかる。

Date: 10月 14th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その18)

ベイシーの菅原正二氏は、JBLのSA750を購入されている。
ステレオサウンドの冬号(221号)の菅原氏の連載には、
SA750のことが登場してくるであろう。

おもしろく読めることを期待している。

菅原正二氏はオーディオ評論家ではないから、
アーカムのSA30がSA750のベースになっていることなんか、
音が良ければいい、ということになるはずだ。

そんなことにはまったく触れられてはずだし、
関心もないはずだ。

菅原正二氏の場合、それでいい。
くり返すが、菅原正二氏はオーディオ評論家ではないからだ。

説明することから逃げている──。
オーディオ評論家に感じている不満の一つが、このことだ。

Date: 10月 11th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その17)

JBLの新製品SA750について書いている。
このSA750は、発明を聴く、という新製品ではない。
そのことが頭に浮んできた。

別項「新製品(発明を聴く・その1)」で、新製品を聴く、ということは、ときとして発明を聴くことである、
と書いた。

発明を聴ける新製品が、発明を聴けない新製品よりも上とは、もちろん考えていない。
だからこそ、なにか新製品が出るたびに、この新製品は何か発明を聴けるのか──、
そういう視点で捉えることはしないし、それで評価が変るわけでもない。

それでもSA750について書いていて、
SA750は発明を聴くという新製品ではないことが浮んできたのは、
SA750がSA600のオマージュモデルとして扱われているからであろう。

SA750のパワーアンプの出力段はG級動作と謳っている。
アーカムのSA30がベースモデルだし、SA30もとうぜんG級動作である。

G級動作はアーカム独自の技術のようなので、この方式そのものは発明といえよう。
とはいえ、信号レベルに応じて、出力段の電源電圧を切り替えているようなので、
だとしたら既に製品化したモノがいくつか存在している。

もっとも信号レベルの検出、どのレベルで切り替えるのか、
そういった細かいところでの独自技術なのだろうか。

G級動作を発明とみなせば、SA30は発明を聴ける新製品といえるわげだが、
SA750は、そのへん微妙といえば微妙だ。

日本にはSA750のほうが先に発売になっているはずだ。
アーカムの取り扱いが再開されたのは、つい最近のことだ。

となるとSA30よりもSA750を聴いた人にとっては、
SA750で発明を聴いた、ということもいえる。

こんなどうでもいいことを書いているのは、
SA600はどうだったのか──、そのことを思い出してほしいからである。

Date: 10月 8th, 2021
Cate: High Resolution, 新製品, 日本のオーディオ

日本のオーディオ、これから(MQAのこと・その3)

CHプレシジョンの新製品D1.5。
MQA対応である。

ほぼ間違いなく、11月開催のインターナショナルオーディオショウで聴けるだろう。
今年は行かないと決めたものの、D1.5の登場は、その決心が揺らいでしまうほどだ。
それでも今年は行かないのだが、今年のショウの目玉はD1.5といってしまいたくなる。

日本のメーカーは、どうなのだろう。
今年のインターナショナルオーディオショウに向けての新製品で、
新たにMQAに対応するブランドはあるのだろうか。

いまの時点ではなんともいえないけれど、ないような気がする。

今年のインターナショナルオーディオショウでは、
MQAに対する日本と海外の温度差をより感じることになるのだろうか。
どうもそんな気がしてしまう。

Date: 10月 5th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その16)

先月、ハーマンインターナショナルがアーカムを取り扱うことが発表になった。
SA750のベースモデルであるアーカムのSA30も取り扱う。

ステレオサウンドの次号(221号)の新製品紹介の記事で、
SA30は取り上げられるのだろうか。

SA750はカラー2ページだったが、
SA30も同じくカラー2ページになるのか──。

おそらくモノクロページ扱いだろう。
それも2ページではなく、1ページになるかもしれない。

誰が担当するのだろうか。
SA750と同じ小野寺弘滋氏なのだろうか。
その可能性は低いだろう。

となると誰なのか。
誰になっても、書きにくいだろうな──、と同情してしまう。

JBLもアーカムもハーマンインターナショナルだから、よけいに書く側は困る。
けれど読む側からしたら、おもしろい読み方ができる新製品紹介の記事になるはずだ。

当り障りのないことだけを書いた、さらっとした紹介記事になっていたとしても、
それはそれで、220号のSA750の小野寺弘滋氏の記事と比較しながら読めば、
面白くなるはずだ。

SA750の記事、SA30の記事、それぞれ単体の記事として読むのではなく、
並べて読むことで浮び上ってくることに気づくはずだ。

Date: 10月 4th, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その15)

SA600の時代とSA750の時代は違う。
製品数もまるで違う。
大きく違っている。

SA750にSA600と同じことを求めることは無理だ、ということは百も承知だ。
SA750は、SA600とまったく違うアピアランスで登場していたら、
こんなことは書いていない。

JBLの創立75周年モデルであり、SA600を意識したモデルであるから、
やっぱりあれこれいいたくなる、というか、期待したくなる。

アーカムのSA30をベースとしていることは、音さえ良ければどうでもいいことだ。
すべての音楽を夢中になって聴ける──、
そんなことまで望んでいるわけではない。

ある特定の音楽ジャンルだけでもいいし、
特定の楽器だけでもいい。

たとえばピアノを鳴らしたら、夢中になって聴いてしまった──、
そういう存在であってほしい。

なぜJBLは75周年モデルとして、SA750を企画したのだろうか。
SA600のオマージュモデルという意図自体は素晴らしいことなのに、
なぜ、こんなに中途半端に出してきたのだろうか。

いまのJBLの開発陣に、SA600を聴いた人はどれだけいるのだろうか。
SA600が当時どう評価されていたのかを知っている人はいるのだろうか。

どのメーカーかは書かないが、JBLよりも古いあるオーディオメーカーは、
企業買収されたことで、古株の社員がみないなくなってしまった。
そのため古い製品について知っている社員が一人もいない。

そのメーカーの広報の人が日本に来て、オーディオ雑誌の取材を受けた際に、
古い製品についてたずねたところまったく知らない。
むしろインタヴュアーから教えられていた──、
そんな話を十年以上前に、ある人から聞いている。

JBLもそうなのかどうかは、私は知らない。
けれどSA750の記事を読んで思うのは、それに近いのかも、ということだ。

Date: 10月 3rd, 2021
Cate: 新製品

JBL SA750(その14)

別項「Falstaff(その3)」で、
夢中になって聴くことについて触れた。

JBLの新製品SA750は、夢中になって楽しめる新製品なのだろうか。
SA750についての関心は、私の場合、ただこの一点のみにある。

それというのも、瀬川先生の影響である。
(その11)で書いているように、
瀬川先生はSA600を借りてきての自宅での試聴(もう試聴ではないのだけれど)をされている。

ステレオサウンド 52号の特集の巻頭で、
《SA600を借りてきて最初の三日間というものは、誇張でなしに寝食を惜しみ、仕事を放り出して、朝から晩までその音に聴き耽った》と、
1981年、ステレオサウンド別冊の巻頭では、
《およそあれほど無我の境地でレコードを続けざまに聴かせてくれたオーディオ機器は、ほかに思い浮かばない》
と書かれている。

まさしく夢中になって聴かれていたわけだ。

ステレオサウンド 220号掲載のSA750の記事をようやく読んだ。
小野寺弘滋氏が書かれている。

そこには《本機SA750は、SA600へのオマージュモデル》とある。
ステレオサウンドよりも先に出ていたオーディオアクセサリーの記事(小原由夫氏)にも、
オマージュモデルとある。

何をもってオマージュなのか。
アピアランスが似ていれば、そういえるのか。

オマージュモデルに関しては項を改めて書きたいぐらいだが、
私には、ステレオサウンド(小野寺氏)とオーディオアクセサリー(小原氏)、
どちらを読んでも、まったくそうとは感じなかった。

私にとってSA750がSA600のオマージュモデルであるためには、
《最初の三日間というものは、誇張でなしに寝食を惜しみ、仕事を放り出して、朝から晩までその音に聴き耽った》
そういう音を、いまの時代に聴けるかどうかである。

夢中になって音楽を聴ける音。
ただそれだけをSA750には求めていた。

でも、それは無理なこと、とは最初からわかっていたといえばそうである。
それでも、どこか期待していた。

だから音はどうなのか。
小野寺弘滋氏の文章は、あっさりしたものだ。
まったく熱っぽさがない。

小野寺氏を責めたいのではない。
SA750が、そういう音であった、というだけのことだ。