Archive for category マルチアンプ

Date: 12月 6th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その14)

メリディアンのM20の音を聴くたびに、
そんなことは邪道であるとわかっていても、
トゥイーターがLS3/5Aについてるのと同じKEFのT27だったら……、と思ってもいた。

そうすればLS3/5Aの、神経質ともいえる魅力がM20に加わる。
トゥイーター単体としてみればM20についているトゥイーター(おそらくKEF製)のほうが優れている。
T27固有の、ときに神経質的に響く印象につながるキャラクターは、まず感じられない。
それだけクセの少ないトゥイーターといえるわけなのだが、
個人的に魅力的と感じるかどうかとなると、T27をとる。

T27にM20のトゥイーターを交換するぐらいなら、
LS3/5Aをマルチアンプ駆動したらどうか、といわれるかもしれない。
こうやって書いているから、こんなことを思いついたのだが、
当時はLS3/5Aをマルチアンプ駆動しよう、などとはまったく考えなかった。

M20のトゥイーターの交換は、けっこう真剣に考えていたのに、
LS3/5Aのマルチアンプ化はまったく考えなかったのは、
LS3/5Aが、そういうスピーカーシステムである、という認識が私の中には強くあったからなのかもしれない。

M20のようにメーカーが最初からマルチアンプ駆動しているものはすんなり受けとめても、
イギリスの、ことにBBCモニターの流れを汲むモノを自分で鳴らすとなると、
マルチアンプで鳴らそうなんてことは、考えもしなかった。

たとえばスペンドールのBCII。
これも好きなスピーカーであるし、BCIIを鳴らすシステムをあれこれ夢想していたこともある。
スペンドールのD40で鳴らしたら……、それから一度試したことのあるラックスのLX38との音、
そんなことを思い浮べながら、他のアンプ候補を思い浮べては、どんな音が鳴ってくれるのか想像はしていても、
マルチアンプで鳴らす想像は一度もしなかった。

Date: 12月 4th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その13)

メリディアンのM20は、好きなスピーカーのひとつである。
かなり心は動いた。
何度かステレオサウンドの試聴室で聴く機会があり、聴くたびに、買おうかなぁ、と思っていた。

M20の音、
それもメリディアンのCDプレーヤーとコントロールアンプで統一したときの音は、
私の好きな音を出してくれる。
しかも、その好きな音というのは、LS3/5Aに感じている魅力と同じ流れのものだから、
よけいに心が動いていた。

LS3/5Aに対する不満、
というよりもないものねだり、とでもいうべきか、願望として、
あとすこしスケールの豊かな音がしてくれれば、思わないわけではない。

メリディアンのM20は、その「あとすこし」というところを、
私にとってはうまい具合に満たしてくれていた。

LS3/5Aと M20の違い、
ユニット構成はすでに書いているように共通するところがある。
ウーファーがシングルかダブルかの違い、
エンクロージュアが密閉かバスレフかの違い、容積・プロポーションの違いなどがあり、
内蔵ネットワークかマルチアンプか、という違いもある。

これらのことが、どう音に関係してきて、LS3/5AとM20の音の違いとなってあらわれるのかは、
なんともいえない。

M20はLS3/5Aと共通する音色をもちながらも、LS3/5Aよりも安心して音楽を聴ける。
LS3/5Aの、少し神経質なところが、その魅力となっているわけだが、
そういうあやうい魅力はM20には感じなかった。

Date: 11月 30th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その12)

LS3/5Aをマルチアンプシステム化して鳴らす。
LS3/5A内蔵のネットワークをパスして、
パワーアンプが直接ウーファーのB110とトゥイーターのT27を鳴らすことになる。

LS3/5Aのネットワークはコンデンサーとコイルがひとつずつというような簡単な構成ではない。
15Ωタイプと11Ωタイプとではネットワークの設計に変更がみられるが、
どちらにしても部品点数は少なくないし、それらの部品はすべて一枚のプリント基板に取り付けられている。

それらをすべてパスしてLS3/5Aを鳴らす。

実際に試したわけではないけれど、いわゆる音の鮮度は向上するだろうし、
より細かな音まで聴き分けが容易になるだろう。
他にも部分的には良くなるはずだ。

けれどそうやって得られる音が、
ネットワークを通して鳴らしていたときのLS3/5Aの音の魅力をこえているだろうか。

メリディアンのスピーカーシステムにM20というモデルが、1980年代の終りにあった。
ウーファーはどうみてもLS3/5Aと同じB110である。
これをM20は縦に二本配置して、そのあいだにトゥイーターを置くという、
いわゆるヴァーティカルツイン型であった。
トゥイーターはソフトドームではあっても、T27ではなかった。

M20はウーファーを70W、トゥイーターを35W出力のアンプで駆動するマルチアンプシステムである。

Date: 11月 29th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その11)

気に入ったスピーカーシステムというのは、たいていそうであるのだが、
他に変え難い魅力をもっているモノである。

たとえばBBCの小型モニターのLS3/5A。
大きな音は出ないし、低域もそれほど低いところまで出せるわけではない。
それでも、このスピーカーシステムに惚れ込んでいる人は、
古いスピーカーシステムにも関わらず、いまも少なくない。

だからこそ復刻モデルがいまも出ているわけだ。

LS3/5Aは万能のスピーカーシステムとは言い難い。
使い手が、このスピーカーシステムのことを理解していなければ、
欠点のほうが多いではないか、ということになるだろう。

実際、インターネットの掲示板で、LS3/5Aが高く評価させれている理由がまったく理解できない……、
そんな書き込みを目にしたのは一度や二度ではない。

それはそれでいい。
わからなければそれでいいじゃいか。
わかる人だけで楽しむモノだから、と思っている。

私もLS3/5Aには惚れ込んだ一人である。
この小型スピーカーをできるだけよく鳴らしたい、と考えていた。

瀬川先生はステレオサウンド別冊「コンポーネントステレオの世界」で、
LS3/5Aに対して、アナログプレーヤーにEMTの928、
パワーアンプにルボックスのA740を組み合わせられていた。

そこまでしたくなる気持は、この小さなスピーカーの魅力にまいってしまった人ならば、
そこまでやるかやらないかは別として、心情的に理解できよう。

価格的に不釣合いの高価なプレーヤー、アンプを持ってくる。
どこまでがLS3/5Aが限界なのかは、そこまで試したことはない。
オーディオ的楽しみとして、試してみたい候補はある。
やはりLS3/5Aよりもずっと高価な組合せとなる。

でも、だからといって、LS3/5Aをマルチアンプ駆動で鳴らしたい、とはまったく思わない。

Date: 11月 28th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その10)

オーディオの再生系における主役は、スピーカーである、と。
ずっと昔からそういわれてきていたし、そうだと思う。

とはいえ、マークレビンソンが、私にとって全盛期と感じられていた時代、
ちょうどステレオサウンド 53号あたりの時代は、
アンプが主役でもいいのではないだろうか、と考えたことはあった。

53号の瀬川先生の、オール・マークレビンソンの記事は、
カラー口絵をみれば、多くの人が感じることだと想うが、
4343が主役というよりもマークレビンソンのアンプ、それもML2が主役という感じを受ける。

あくまでも4343の限界がどこにあるのかを確かめるための、それを引き出すための企画であるのに、
システム全体が醸し出す視覚的な雰囲気は、アンプこそがオーディオの中心である、
とマーク・レヴィンソンが主張しているような気さえしてくる。

スピーカーをよく鳴らすためにアンプは存在しているはずなのに、
アンプの優秀性・凄さを証明するための存在としてスピーカーが接続されている──、
マルチアンプシステムのあやうさが、まずここにある、といえよう。

Date: 11月 26th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その9)

ステレオサウンド 53号の瀬川先生の記事を読み終ってからも、あれこれ考えていた。

53号ではバイアンプであった。
つまりウーファー専用のパワーアンプとミッドバスより上の帯域にもう一台というマルチアンプである。
だからミッドバス、ミッドハイ、トゥイーターには4343に内蔵されているネットワークを通る。

バイアンプシステムで、ここまで凄いのであれば、
ミッドバスにもML2をもってきて、
計八台のML2によるマルチアンプシステムの音は、いったいどういう音がするのだろうか、とか、
さらには4ウェイのマルチアンプシステムとして、すべてのユニットに対してML2をあてがう、
つまり計十台のML2を必要とし、消費電力は4kWにもなるし、
さらにLNC2は2ウェイのディヴァイディングネットワークだから4ウェイのマルチアンプシステムには、
あと四台(モノーラルで使うため)追加しなければならない(LNC2は計六台になる)。

これだけのアンプをどう並べ、どう設置するのかだけでも大変なことになる。
しかも電源の極性合せもやらなければならいし、セッティングだけでもそうとうな手間がいる。
システムを揃えるための金額もそうとうなもので、
自分でこんなシステムを構築することはないだろうから、
ステレオサウンドで、また瀬川先生が、こういう個人ではやれそうにないことをやってくれないものだろうか、
そんなことも考えていた。

そして53号の冒頭には、
《アキュフェーズのC240とP400の組合せを聴いたが、マーク・レビンソンの音が対象をどこまでもクールに分析してゆく感じなのに対して、アキュフェーズの音にはもう少しくつろいだやわらかさがあって、両者半々ぐらいで鳴らす日が続いた。》
と書かれている。

アキュフェーズのC240とP400(このアンプはA級動作に切替えられる)の組合せで、
オール・マークレビンソンと同じようなバイアンプシステムを構築したら、
その音は、オール・マークレビンソンの音のように、
《ここまでレビンソンの音で徹底させてしまった装置の音は、いかにスピーカーにJBLを使っても、カートリッジにオルトフォンを使っても、もうマーク・レビンソンというあのピュアリストの性格が、とても色濃く聴こえてくる。》
となってしまうのか。

どんなカートリッジとスピーカーをもってきても、アキュフェーズの音が色濃く聴こえてくるのか、
それとも、色濃く聴こえてきたのは、やはりオール・マークレビンソンだったからなのか。

Date: 11月 26th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その8)

瀬川先生が、ステレオサウンド 53号当時は、JBLの4343を鳴らされていた。
その4343をオール・マークレビンソンによるバイアンプ駆動、
しかもパワーアンプのML2、それにコントロールアンプのML6がモノーラル仕様ということで、
ヘッドアンプのJC1からデヴァイディングネットワーク(チャンネルデヴァイダー)のLNC2まで、
二台ずつ用意して片チャンネルを遊ばせてのモノーラル使い、という徹底した鳴らし方だった。

まさに「ベストサウンドを求めて」というタイトルにふさわしい実験といえる。
この記事の終りに、こう書かれている。
     *
「春の祭典」のグラン・カッサの音、いや、そればかりでなくあの終章のおそるべき迫力に、冷や汗のにじむような体験をした記憶は、生々しく残っている。迫力ばかりでない。思い切り音量を落して、クラヴサンを、ヴァイオリンを、ひっそりと鳴らしたときでも、あくまでも繊細きわまりないその透明な音の美しさも、忘れがたい。ともかく、飛び切り上等の、めったに体験できない音が聴けた。
 けれど、ここまでレビンソンの音で徹底させてしまった装置の音は、いかにスピーカーにJBLを使っても、カートリッジにオルトフォンを使っても、もうマーク・レビンソンというあのピュアリストの性格が、とても色濃く聴こえてくる。いや、色濃くなどというといかにもアクの強い音のような印象になってしまう。実際はその逆で、アクがない。サラッとしすぎている。決して肉を食べない草食主義の彼の、あるいはまた、おそらくワイ談に笑いころげるというようなことをしない真面目人間の音がした。
 だが、音のゆきつくところはここひとつではない。この方向では確かにここらあたりがひとつの限界だろう。その意味で常識や想像をはるかに越えた音が鳴った。ひとつの劇的な体験をした。ただ、そのゆきついた世界は、どこか一ヵ所、私の求めていた世界とは違和感があった。何だろう。暖かさ? 豊饒さ? もっと弾力のある艶やかな色っぽさ……? たぶんそんな要素が、もうひとつものたりないのだろう。
 そう思ってみてもなお、ここで鳴った音のおそろしいほど精巧な細やかさと、ぜい肉をそぎ落として音の姿をどこまでもあらわにする分析者のような鋭い迫力とは、やはりひとつ隔絶した世界だった。
     *
4343のウーファー2231AにはML2をブリッジ接続して割り当てられている。
だからMl2が計六台必要になるシステムだし、
ML2の消費電力は一台400Wだから、1.6kWの電力を電源を入れた瞬間から消費するし、
それだけの電源の余裕も求められる。

そういうシステムゆえに、出てきた音は瀬川先生も書かれているように、
「飛び切り上等の、めったに体験できない音」であったし、
「常識や想像をはるかに超えた音」であったわけだ。

4343が、ある方向のひとつの限界に近いところで鳴った、という意味では、
たしかに「ベストサウンドを求めて」ではあったけれど、
瀬川先生個人にとっての「ベストサウンドを求めて」であったのかどうかは微妙なところがある。

Date: 11月 25th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その7)

HIGH-TECHNIC SERIESというタイトルは、実は別冊に使われたのが最初ではない。
ステレオサウンド 37号から連載が始まった「ベストサウンドを求めて」が最初になる。

「ベストサウンドを求めて」は37号が岩崎先生、38号が岡先生。
残念なことに、この二回で終ってしまっている。

37号の一回目には「ベストサウンドを求めて」のタイトルの前に、
HIGH-TECHNIC SERIES-1と、
38号のときにはHIGH-TECHNIC SERIES-2、とついている。

そして岩崎先生の「ベストサウンド」はJBLのユニットとマルチアンプシステムによるもの、
岡先生の「ベストサウンド」はARのフラッグシップモデルLSTの、やはりこちらもマルチアンプ駆動である。

37号は1975年12月、38号は1976年3月に出ている。

ステレオサウンドでのHIGH-TECHNIC SERIESはここまでだったけれど、
HIGH-TECHNIC SERIESは別冊として復活したことになり、
その一冊目(一回目)がマルチアンプだったのは、だから当然だったといえる。

53号での瀬川先生の、オール・マークレビンソンによる4343のバイアンプ駆動は、
だからHIGH-TECHNIC SERIES-3「ベストサウンドを求めて」ともいえる記事である。

Date: 11月 24th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その6)

HIGH-TECNIC SERIES-1の二年後、ステレオサウンド 53号が出た。
特集は52号から続いているアンプ。

個人的に、53号でわくわくしながら読んだのは、特集ではなく、
瀬川先生による「4343研究」のページだった。

51号から始まった「4343研究」は、53号がひとつのピークだった。
ここでは、瀬川先生のリスニングルームにおいて、
オール・マークレビンソンによるバイアンプ駆動が行われていたからだ。

この記事の書き出しはこうだ。
     *
 ♯4343を鳴らすアンプに何がよいかというのが、オーディオファンのあいだで話題になる。少し前までは、コントロールアンプにマーク・レビンソンのLNP2L、パワーアンプにSAEの♯2500というのが、私の常用アンプだった。SAEの♯2500は低音に独特のふくらみがあり、そこを、低音のしまりが弱いと言う人もあるが、以前の私の部屋では低域が不足しがちであったこと、また、聴く曲が主としてクラシックでありしかもあまり大きな音量を出せない環境であったため、あまり低音を引締めないSAEがよかった。そのSAEが、ときとして少しぜい肉のつきすぎる傾向になりがちのところを、コントロールアンプのマーク・レビンソンLNP2Lがうまく抑えて、この組み合わせは悪くなかった。
 いまの部屋ができてみると、壁や床を思い切り頑丈に作ったためか、低音がはるかによく伸びて、また、残響をやや長めにとったせいもあってか、SAEの低音をもう少し引締めたくなった。このいきさつは前号(140ページ)でもすでに書いたが、そうなってみると、以前の部屋では少し音が締りすぎて聴こえたマーク・レビンソンのML2L(パワーアンプ)が、こんどはちょうど良くなってきた。しばらくしてプリアンプがML6×2になって、いっそうナイーヴで繊細な音が鳴りはじめた。それと前後してアキュフェーズのC240とP400の組合せを聴いたが、マーク・レビンソンの音が対象をどこまでもクールに分析してゆく感じなのに対して、アキュフェーズの音にはもう少しくつろいだやわらかさがあって、両者半々ぐらいで鳴らす日が続いた。けれどそのどちらにしても、まだ、♯4343を鳴らし切った、という実感がなかった。おそらくもっと透明な音も出せるスピーカーだろう、あるいはもっと力強さも出せるスピーカーに違いない。惚れた欲目かもしれない。それとも単に無意味な高望みかもしれない。だが、♯4343の音には、これほどのアンプで鳴らしてみてなお、そんなことを思わせるそこの深さが感じとれる。
 ♯4343というスピーカーが果してどこまで鳴るのか、どこまで実力を発揮できるのか、その可能性を追求する方法は無限に近いほどあるにちがいないが、そのひとつに、マルチアンプ(バイアンプ)ドライブがある。
     *
 このころのステレオサウンドは年末に別冊として「コンポーネントステレオの世界」を出していた。
1976年末、77年末、78末の「コンポーネントステレオの世界」で、
瀬川先生は4343の組合せをつくられている。

53号の、この記事は、「コンポーネントステレオの世界」の続きでもあり、
ひとつの区切りでもあったようにおもう。

Date: 11月 23rd, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その5)

ステレオサウンド別冊「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」で、
瀬川先生はマルチアンプシステムに向くか向かないの見極めるための四つの設問をされている。

 あなたは、音質のわずかな向上にも手間と費用を惜しまないタイプか……
 
 あなたは音を記憶できるか。音質の良否の判断に自信を持っているか。
 時間を置いて鳴った二つの音のちがいを、適確に区別できるか

 思いがけない小遣いが入った。
 あなたはそれで、演奏会の切符を買うか、レコード店に入るか、それともオーディオ装置の改良にそれを使うか……

 あなたの中に神経質と楽天家が同居しているか。
 あるときは音のどんな細かな変化をも聴き分け調整する神経の細かさと冷静な判断力、
 またあるときは少しくらいの歪みなど気にしない大胆さと、
 そのままでも音楽に聴き惚れる熱っぽさが同居しているか

瀬川先生はそれぞれの設問について説明をされている。
そして最後にこう書かれている。
     *
 ずいぶん言いたい放題を書いているみたいだが、この項の半分は冗談、そしてあとの半分は、せめて自分でもそうなりたいというような願望をまじえての馬鹿話だから、あんまり本気で受けとって頂かない方がありがたい。が、ともかくマルチアンプを理想的に仕上げるためには、少なくともメカニズムまたは音だけへの興味一辺倒ではうまくいかないし、常にくよくよ思い悩むタイプの人でも困るし、音を聴き分ける前に理論や数値で先入観を与えて耳の純真な判断力を失ってしまう人もダメだ。いつでも、止まるところなしにどこかいじっていないと気の済まない人も困るし、めんどうくさいと動かずに聴く一方の人でもダメ……、という具合に、硬軟自在の使い分けのできる人であって、はじめてマルチアンプ/マルチスピーカーの自在な調整が可能になる。
     *
でも、これらの設問とそれについて書かれた文章は、
瀬川先生のマルチアンプシステムへの本音のような気もする。

「硬軟自在の使い分けのできる人」、
そうできるようになったときにマルチアンプシステムに手を出せばいい、
それでも遅くはない、と、
HIGH-TECNIC SERIES-1を読み、そう思ったものだ。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その4)

ステレオサウンド 47号、
58号の三年前に出た、この号には五味先生のオーディオ巡礼が再開されていた。

その冒頭に書かれている。
     *
 言う迄もなく、ダイレクト録音では、「戴冠式」のような場合、コーラスとオーケストラを別個に録音し、あとでミクシングするといった手はつかえない。それだけ、音響上のハーモニィにとどまらず、出演者一同の熱気といったものも、自ずと溶けこんだ音場空間がつくり出される。ボイデン氏の狙いもここにあるわけで、私が再生音で聴きたいと望むのも亦そういうハーモニィだった。どれほど細部は鮮明にきき分けられようと、マルチ・トラック録音には残響に人工性が感じられるし、音の位相(とりわけ倍音)が不自然だ。不自然な倍音からハーモニィの美が生まれるとは私にはおもえない。4ウェイスピーカーや、マルチ・アンプシステムを頑に却け2ウェイ・スピーカーに私の固執する理由も、申すならボイデン氏のマルチ・トラック毛嫌いと心情は似ていようか。もちろん、最新録音盤には4ウェイやマルチ・アンプ方式が、よりすぐれた再生音を聴かせることはわかりきっている。だがその場合にも、こんどは音像の定位が2ウェイほどハッキリしないという憾みを生じる。高・中・低域の分離がよくてトーン・クォリティもすぐれているのだが、例えばオペラを鳴らした場合、ステージの臨場感が2ウェイ大型エンクロージァで聴くほど、あざやかに浮きあがってこない。家庭でレコードを鑑賞する利点の最たるものは、寝ころがってバイロイト祝祭劇場やミラノ・スカラ座の棧敷に臨んだ心地を味わえる、という点にあるというのが私の持論だから、ぼう漠とした空間から正体のない(つまり舞台に立った歌手の実在感のない)美声が単に聴こえる装置など少しもいいとは思わないし、ステージ——その広がりの感じられぬ声や楽器の響きは、いかに音質的にすぐれていようと電気が作り出した化け物だと頑に私は思いこんでいる人間である。これは私の聴き方だから、他人さまに自説を強いる気は毛頭ないが、マルチ・アンプ・システムをたとえば他家で聴かせてもらって、実際にいいと思ったためしは一度もないのだから、まあ当分は自分流な鳴らせ方で満足するほかはあるまいと思っている。
     *
もっともこのオーディオ巡礼では、奈良の南口氏を訪問されている。
このときの南口氏のスピーカーはタンノイのオートグラフ、それにJBLの4350である。

4350はバイアンプ駆動が前提のスピーカーシステム。
しかも4ウェイの大型システムで、ダブルウーファー仕様ということもあり、ユニットの数は五つ。
五味先生にとって、4350は、まさしく「頑に却け」るスピーカーということになる。

南口氏の音がどうであったのかは、くわしくは「オーディオ巡礼」を読んでもらうしかないのだが、
最終的にどうだったのか。
     *
信じ難い程のそれはスケールの大きな、しかもディテールでどんな弱音ももやつかせぬ、澄みとおって音色に重厚さのある凄い迫力のソノリティに一変していた。私は感嘆し降参した。
 ずいぶんこれまで、いろいろオーディオ愛好家の音を聴いてきたが、心底、参ったと思ったことはない。どこのオートグラフも拙宅のように鳴ったためしはない。併しテクニクスA1とスレッショールド800で鳴らされたJBL4350のフルメンバーのオケの迫力、気味わるい程な大音量を秘めたピアニシモはついに我が家で聞くことのかなわぬスリリングな迫真力を有っていた。ショルティ盤でマーラーの〝復活〟、アンセルメがスイスロマンドを振ったサンサーンスの第三番をつづけて聴いたが、とりわけ後者の、低音をブーストせず朗々とひびくオルガンペダルの重低音には、もう脱帽するほかはなかった。こんなオルガンはコンクリート・ホーンの高城重躬邸でも耳にしたことがない。
     *
マルチアンプシステムの可能性の凄さ、とその大変な難しさを、
この五味先生の文章から感じとっていた。

Date: 11月 21st, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その3)

HIGH-TECHNIC SERIES-1「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」から四年後、
ステレオサウンド 58号が出た。
新製品の紹介ページに、瀬川先生による4345が出ている。

そこにはこうある。
     *
 ひととおりの試聴ののち、次にバイアンプ・ドライヴにトライしてみた。ステイシス2を低域用、ML2L×2を中域以上。また、低域用としてML3Lにも代えてみた。エレクトロニック・クロスオーヴァーは、JBLの♯5234(♯4345用のカードを組み込んだもの)が用意された。ちなみに、昨年のサンプルでは、低音用と中〜高音用とのクロスオーヴァー周波数は、LCで320Hz、バイアンプときは275Hz/18dBoctとなっていたが、今回はそれが290Hzに変更されている。ただし、これはまあ誤差の範囲みたいなもので、一般のエレクトロニック・クロスオーヴァーを流用する際には、300Hz/18dBoctで全く差し支えないと思う。そこで、念のため、マーク・レヴィンソンのLNC2L(300Hz)と、シンメトリーのACS1も併せて用意した。
 必ずしも十分の時間があったとはいえないが、それにしても、今回の試聴の時間内では、バイアンプ・ドライヴで内蔵ネットワーク以上音質に調整することが、残念ながらできなかった。第一に、ネットワークのレベルコントロールの最適ポジションを探すのが、とても難しい。その理由は、第一に、最近の内蔵LCネットワークは、レベルセッティングを、1dB以内の精度で合わせ込んであるのだから、一般のエレクトロニック・クロスオーヴァーに組み込まれたレベルコントロールでは、なかなかその精度まで追い込みにくいこと。また第二に、JBLのLCネットワークの設計技術は、L150あたりを境に、格段に向上したと思われ、システム全体として総合的な特性のコントロール、ことに位相特性の補整技術の見事さは、こんにちの世界のスピーカー設計の水準の中でもきめて高いレヴェルにあるといえ、おそらくその技術が♯4345にも活用されているはずで、ここまでよくコントロールされているLCネットワークに対して、バイアンプでその性能を越えるには、もっと高度の調整が必要になるのではないかと考えられる。
 ともかくバイアンプによる試聴では、かえって、音像が大きくなりがちで、低音がかぶった感じになりやすく、LCのほうが音がすっきりして、永く聴き込みたくさせる。
 ほんとうに良いスピーカー、あるいは十分に調整を追い込んだバイアンプでの状態での音質は、決して、大柄な迫力をひけらかすのでなく、むしろ、ひっそりと静けさを感じさせながら、その中に、たしかな手ごたえで豊かな音が息づいている、といった感じになるもで、今回の短時間の試聴の枠の中では、本来のLCネットワークのままの状態のほうが、はるかにそうした感じが得られやすかった。
     *
私は、この瀬川先生の文章を読んだ時、
まだマルチアンプシステムの音をきちんと聴いたことはなかった。
オーディオ店で店頭で4350が鳴っているのは聴いたことはあっても、
それは決していい状態でなっているとはいえず、マルチアンプの可能性を感じとることはまったくできなかった。

とにかく「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」でも、
マルチアンプシステムの可能性は大きいけれど、
「相当にクレイジイな」マニアのためのものと書かれているし、
4345の試聴記でも、優れたLCネットワークをもつスピーカーシステムの場合、
そうたやすくバイアンプ(マルチアンプ)にしたからといって、トータルの音がよくなるとはいえない、
そのことがはっきりと伝わってくる。

Date: 11月 20th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その2)

ステレオサウンド別冊HIGH-TECHNIC SERIES-1「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」で、
瀬川先生はあえて次のようなことを書かれている。
     *
 ただお断りしておくが、何が何でもマルチアンプ化することをわたくしはおすすめしない。少なくとも、ふつうのLCネットワークによるシステムに音質の上ではっきりした不満または限界を感じるほどの高度な要求をするマニア、そして、後述のようなたいへんな手間とそのための時間や費用を惜しまないようなマニア、そしてまた、長期的な見通しに立って自分の再生装置の周到なグレイドアップの計画を立てているようなマニア……そう、この「マニア」ということばにあらわされるような、相当にクレイジイな、そしてそのことに喜びを感じる救いようのない、しかし幸せなマニアたちにしか、わたくしはこのシステムをおすすめしたくない。むしろこの小稿で、わたくしはアジテイターを務めるでなく、マルチアンプ化に水をさし、ブレーキをかける役割を引きうけたいとさえ、思っているほどだ。
     *
「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」は文字通りマルチアンプシステムを推奨する本であるにもかかわらず、
瀬川先生は、書かれたわけである。
引用した瀬川先生の文章は、「バイアンプシステムの流れをたどってみると……」の章の締くくりである。

マルチアンプシステムはオーディオマニアのための手段である。
それも「相当にクレイジイな」マニアのためのもので本来あったにも関わらず、
日本のオーディオブームは、マルチアンプシステムまでも流行のひとつにしてしまっている。

私はこの時期のオーディオを体験しているわけではないから、
また瀬川先生の文章を引用しておく。
     *
 ところがこの時期になると、日本のオーディオメーカーが、過当競争のあまり、小型のブックシェルフスピーカーにマルチアンプ化用の端子を出すのはまだよいとしても当時の三点セパレートステレオ、こんにちでいえばシスコンのように一般家庭用の再生機までを、競ってマルチアンプ化するという気違いじみた方向に走りはじめる。そういう過熱状態が異常であることは目にみえていて、まもなく4チャンネルステレオの登場とともに望ましくないマルチブームは終りを告げた。前述したようにこの時期には、日本以外の国では、マルチアンプシステムは(時流に流されないごく一部の愛好家を除いては)殆ど話題にされていなかった。騒いだのは日本のマーケットだけだった。
     *
「望ましくないマルチブーム」が1970年ごろの日本のオーディオマーケットにはあった。

Date: 11月 20th, 2013
Cate: マルチアンプ

マルチアンプのすすめ(その1)

1977年秋にステレオサウンドからHIGH-TECHNIC SERIES-1として、
「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」というムックが出た。

ステレオサウンドからこれまでに何冊の別冊が出たのか数えたことはない。
かなりの数が出ている、としかいえない。
その数多い別冊の中でも、HIGH-TECHNIC SERIESの四冊は、
他の別冊になかなか感じとりにくいものがある。

「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」は最初のHIGH-TECHNIC SERIESということもあってだろう、
ステレオサウンドよりもずっと薄い本であっても、当時のステレオサウンドと同じくらいの読みごたえがあった。

マルチアンプシステムがどういうものであるのかについて、
「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」を読まなくても知ってはいた。
このころはまだ中学生。
いつかはマルチアンプシステムを、と夢見てもいた。

「マルチスピーカー・マルチアンプのすすめ」は単なる解説書にはとどまっていない。
巻頭に瀬川先生による「マルチスピーカー マルチアンプのすすめ」という記事がある。
五章からなる、この記事は、
 マルチアンプシステムとはなにか
 バイアンプシステムの流れをたどってみると……
 マルチアンプシステムの魅力
 あなたはマルチアンプに向くか向かないか
 マルチアンプの実際
という項目がたてられ、それぞれに瀬川先生によるこれ以上ないという文章が載っている。