Archive for category James Bongiorno

Date: 9月 14th, 2015
Cate: James Bongiorno

GASとSUMO、GODZiLLAとTHE POWER(その3)

THAEDRAの、初期モデル、それもそうとうに程度のいいモノを使っていた。
自宅に持って帰る前にステレオサウンドの試聴室でいくつかのパワーアンプに接続してみたことがある。
自宅ではSUMOのTHE GOLDにつないで聴いた。

GASのTHAEDRAを、いくつかのパワーアンプと組み合わせて聴いた経験のある人なら、
きっと感じていることがあると思う。

コントロールアンプをTHAEDRAにすると、
パワーアンプの音がずいぶん変る印象を持っている。
こんなに実力のあるパワーアンプただったのか、と見直すようなこともあった。

THAEDRAはかなり熱くなるコントロールアンプである。
AMPZiLLAのごく初期モデルは入力インピーダンスが7.5kΩだった。

いまでは10kΩの入力インピーダンスが一般的になってきているから、
特に低い値とは感じないが、AMPZiLLAが登場した1974年、7.5kΩはそうとうに低い値だった。

たいていのアンプは100kΩか50kΩ(日本は47kΩが多かった)だった。
パワーアンプの入力インピーダンスが低ければ、
それだけコントロールアンプには電流を多く供給することが要求される。

といってもさほと大きな電流値ではない。
THAEDRAほどの発熱(ラインアンプの終段のアイドリング電流の多さ)は、
理屈の上では必要ないということになる。

そんなことは説明されなくともわかっている。
けれどTHAEDRAをつないで聴いたことがあれば、
それは理屈でしかないことを経験できる。

ボンジョルノは、それまでの経験からTHAEDRAを開発したのであろう。
そしてTHAEDRAは、やはりボンジョルノ設計・開発のパワーアンプの魅力・特質を、
実によく抽き出してくれる。

このことをよく知っているからこそ、
ステレオサウンドに掲載されたGODZiLLA、THE POWERの試聴記事を読むと、
GODZiLLAも、ボンジョルノが手がけたモノだという感じを受ける。

Date: 9月 14th, 2015
Cate: James Bongiorno

GASとSUMO、GODZiLLAとTHE POWER(その2)

GASのGODZiLLAを聴く機会はなかった。
実物を一度見たことがあるだけだ。

いったいGODZiLLAは、どれだけ日本に入ってきたのだろうか。
それ以前に、どれだけ製造されたのだろうか。

Googleで画像検索しても、あまりヒットしない。
しかもそれらの写真は実物を撮ったものは、さらに少なくなる。
どうもアメリカでも、それほど売られていなかった(製造されていなかった)のではないか、
と、だから思ってしまう。

おそらくGODZiLLAを聴く機会は、これから先もないようだ。
もしあったとしても、そのGODZiLLAのコンディションが万全であるとはいえないだろうから、
GODZiLLAの音がどうであったのかは、ステレオサウンドに頼るしかない。

それでも一度はGODZiLLAを聴きたいと思っている。
それもGASのAmpzillaの各ヴァージョン、
それにジェームズ・ボンジョルノがGASを去った後に設立したSUMOのアンプ、
そしてコントロールアンプにはGASのTHAEDRAを用意して、これらのパワーアンプを聴いてみたい。

ステレオサウンド 52号にはボンジョルノのインタヴュー記事が載っている。
そこに略歴がある。

ハドレー、マランツ、ダイナコ、SAEでボンジョルノが手がけた製品名とともに、
GAS、SUMOでの製品名もとうぜんのことながら載っている。
だが、そこにはGODZiLLAの表記はないのである。

そういえば51号での新製品紹介記事にもボンジョルノの名前は出て来ていない。
52号の特集の試聴記事にもボンジョルノの名前は出て来ない。

ということはGODZiLLAは、ボンジョルノ設計ではないということになるのか。
ここを自分の耳で確認したいから、昔以上にいまボンジョルノのアンプを集めて聴きたいと思うのだ。

Date: 9月 14th, 2015
Cate: James Bongiorno

GASとSUMO、GODZiLLAとTHE POWER(その1)

ステレオサウンド 51号(1979年6月発売)の新製品紹介のページに、GASのGODZiLLAが登場した。

Ampzillaの上級機としてGodzillaが出る、というウワサはきいていた。
CESでプロトタイプが発表されていた写真も見ていた。

ついにGodzilla(ゴジラ)が登場したのか、と思った。
51号のバブコ(GASの輸入元)の広告には、ゴジラの写真が使われている。

ゴジラ襲来!
日本全域が、その足跡に蹂躙されるのは、時間の問題か!?

とてもオーディオ機器の広告のコピーとは思えないものだった。
けれど、ふしぎなことにGODZiLLAの写真はなかった。

同じ号の記事には登場しているのに、輸入元の広告には写真がない。
理由は52号ではっきりとする。

52号の特集は「いま話題のアンプから何を選ぶか」であり、
GASのアンプは、コントロールアンプのTHAEDRA IIとパワーアンプのGODZiLLA ABが取り上げられている。

GODZiLLAには、二つのヴァージョンがあった。
A級動作で90W+90WのGODZiLLA A、AB級動作で350W+350WのGODZiLLA ABであり、
価格はどちらも1580000円だった。

ただ51号に登場したGODZiLLAと52号に登場したGODZiLLAとでは、外観に少し変更が加えられている。

51号のGODZiLLAにはメーターがある。それからインプットレベルコントロール(左右独立)もあったが、
両方とも52号のGODZiLLAからは省かれている。
左右独立の電源スイッチ、動作状態を示すLEDは共通している。
おそらく51号のバブコの広告にGODZiLLAの写真が載っていなかったのは、
外観の最終版が間に合わなかったためであろう。

メーターもレベルコントロールも省かれたGODZiLLAの外観は、
Ampzillaの、あの独特の外観とは違い、
いたって一般的な、19インチ・ラックマウントのパワーアンプの外観である。

Date: 9月 11th, 2015
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その4)

ジェームズ・ボンジョルノは1943年、マーク・レヴィンソンは1946年生れだから、
同世代といってもいいだろう。

ボンジョルノはその名前からわかるようにイタリア系アメリカ人ときいている。
レヴィンソンはユダヤ系アメリカ人とのことだ。

レヴィンソンはコネチカット州だからアメリカ東海岸。
ボンジョルノは、そのへんのことがよくわからない。

GASを設立する前は、いくつかの会社にいてアンプを設計している。
マランツにもいて、Model 15はボンジョルノの設計である。
だから東海岸に住んでいた時期もあるわけだ。

GASはロスアンジェルスにあった。
GASのあとに設立したSUMOもロスアンジェルスだった(ただし本社は税金対策で香港におかれていた)。
ということはボンジョルノはアメリカ西海岸といえる。

レヴィンソンはアンプの設計はできなかったが、楽器は演奏していた。
ベース奏者としてポール・ブレイとのレコードがあるし、
トランペットもやっていた、と聞いている。

ボンジョルノはピアノとアコーディオンを演奏する。
《その腕前はアマチュアの域を超えている》と菅野先生が、ステレオサウンド 53号に書かれている。

ステレオサウンド 45号にレヴィンソン、52号にボンジョルノのインタヴュー記事がのっている。
ページ数が大きく違うし、聞き手も違うから単純な比較はできないのはわかっていも、
記事から感じられるのは生真面目な性格のレヴィンソンであり、陽気な性格のボンジョルノである。

レヴィンソンは1970年代、完璧主義、菜食主義といったことが伝えられていた。
これはつくられたイメージであることが、その後わかってきたけれども。

ボンジョルノは昔来日したときに、紫色の革靴を履いていた、と井上先生からきいたことがある。
52号には、菅野先生はボンジョルノについて、
《アンプ作りの天才ともいわれるが、そのネーミングのセンスの奇抜さからも想像出出来るように、きわめて個性的な発想の持主だ。エンジニアとしては型破りのスケールの大きな人間味豊かな男である。》
と紹介されている。

ボンジョルノのアンプのネーミングのセンスとは、
レヴィンソンとは正反対ともいえる。

Date: 9月 10th, 2015
Cate: James Bongiorno

AMPZiLLAなワケ

アンプジラは、AmpzillaでもAMPZILLAでもなく、AMPZiLLAとiだけが小文字なのか。
iは上下逆転させると、!(エクスクラメーションマーク)になる。

エクスクラメーションマークのロゴで、すぐに思い浮ぶのはJBLである。
GASの設立者であり設計者であるジェームズ・ボンジョルノ(James Bongiorno)のイニシャルは、JB。

ボンジョルノがGASを興したとき、どんなスピーカーを鳴らしていたのか、まったく知らない。
けれど、JBLではなかったのか、と、
AMPZiLLAの表記を見るたびに、そう思えてくる。

ほんとうはiを上下逆転させ、AMPZ!LLAとしたかったのかも……、と勝手に思っている。
なんの根拠もない、私の勝手な妄想にすぎないのはわかっているけど、
それでも、この妄想を完全に消し去ることができないままでいる。

それにGASは、Great American Soundの略である。
アンプジラがAMPZiLLAであることに気づく前は、
GASのアンプの音のことを、ボンジョルノは”Great American Sound”とするのだな、と思っていた。
けれど、もしかするとボンジョルノが”Great American Sound”と呼ぶのは、JBLの音なのでは……。
(もう確かめようはない)

Date: 9月 10th, 2015
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(余談)

ステレオサウンド 1976年別冊「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の表紙は、
GASのThaedraとAmpzillaを真正面からとらえたものである。
撮影は安齊吉三郎氏。

表紙のThaedraとAmpzillaは、型番の書体が違う。
Ampzillaの書体はサイケデリック調の書体である。

「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の1976年度版は、
カラー口絵のページもある。
こちらの撮影は亀井良雄氏。

GASのペアは301ページにある。
ここでのAmpzillaの書体は表紙のモノとは違い、
Thaedraと同じ書体が使われている。

試聴記と解説があるモノクロのページのAmpzillaは、サイケデリック調の書体である。

試聴に使われたAmpzillaは、どちらの書体のモノだったのだろうか。

ちなみにどちらの書体であっても、AMPZiLLAと書かれている。
Ampzillaでもなく、AMPZILLAでもない。
iだけが小文字である。

1979年に登場したAnpzillaの上級機にあたるGodzilla。
こちらも正しくはGODZiLLAと、iだけが小文字だ。

Thaedraはすべて大文字でTHAEDRAだ。

Date: 9月 10th, 2015
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(その9)

ステレオサウンド 1976年別冊「世界のコントロールアンプとパワーアンプの巻末、
ヒアリングテストの結果から私の推奨するセパレートアンプは、試聴記とは違い、
各人自由な書き方をされている。

黒田先生は音太郎と音次郎の仮空の対談形式で書かれている。
音太郎は、積極的な性格の持主で、レコード新譜をジャンルにこだわらずにあれこれ聴いている。
新しいレコード、新しい音楽を意欲的に聴いている設定。
音次郎は、静的な美しさを求める傾向があり、最新レコードよりも、
1965年ごろまでに録音されたレコードを、ひとり静かに聴くのを好む設定である。

このふたりの対談は、もっとも気に入ったアンプを挙げることから始まる。
音太郎は──、というよりも、音次郎もGASのThaedraとAmpzillaを挙げている。

音太郎は、GASのペアの良さを、鮮明さにあるという。
《レコードに入っている音で、ききてがききたいと思う音はすべてきけるような気がする》し、
《新しいレコードの音に対しての順応性も高い》からである。

音太郎と正反対に近い性格設定の音次郎もGASのペアを選ぶのは、
《響きがひじょうにすっきりしているのに、ききてをつきはなすようなつめたさがない》ためと、
《少し前に録音されたレコードをきいても、そのよさをとてもよくだしてくる》からである。

ここからも黒田先生がGASのアンプを欲しがられていることが伝わってくる。

ただAmpzillaの欠点というか難点として、
試聴記でも音太郎・音次郎の対談でも、冷却ファンの音がうるさいことが気になることを挙げられている。

けれど、この試聴から二年後、黒田先生が購入されたのは、
ソニーのTA-E88とスレッショルドの4000 Customのペアである。

TA-E88と4000 Customは、1976年別冊のころはまだ登場してなかった。
黒田先生がどういうふうに聴かれたのかははっりきとしないし、
このふたつの組合せの音は聴いたことがない。

それでも思うのは、瀬川先生が書かれていたことだ。
《テァドラ/アンプジラをとるか、LNP2/2500をとるかに、その人のオーディオ観、音楽観のようなものが読みとれそうだ。もしもこれを現代のソリッドステートの二つの極とすれば、その中間に置かれるのはLNP2+マランツ510Mあたりになるのか……。》
このところである。

TA-E88と4000 Customの音は、ふたつの極の中間に置かれるのではないか、ということだ。

Date: 9月 9th, 2015
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(その8)

GASのThaedraとAmpzillaが表紙になったステレオサウンド別冊がある。
1976夏に出た「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」である。

最新コントロールアンプ/パワーアンプ 72機種のヒアリング・テストということで、
試聴は井上卓也、岡俊雄、黒田恭一、瀬川冬樹の四氏が、
外観とコンストラクションについて、岩崎千明、山中敬三の二氏、
それぞれ担当、座談会形式で記事が構成されている。

試聴記は見開き二ページで載っている。
瀬川先生は、男性的な音ということで好みとしては女性的な音のアンプを選びたい、とされているが、
《自分の好みは別として、とにかくすごく見事なアンプだと思うし、本当に良い音だと思う。耳の底にしっかりと残る音ですね。》
と高い評価だ。

黒田先生は《ぼくは非常にほしくなったアンプです》と発言されている。
瀬川先生にとって男性的であることが購入対象からはずれるのに対し、
黒田先生は男性的であることが、ほしいと思わせることにつながっている。
     *
 瀬川さんはこのアンプの音を男性的とおっしゃったけれども、それに関連したことから申し上げます。これはぼくだけの偏見かもしれないけれど、音楽というのは男のものだという感じがするんです。少しでもナヨッとされることをぼくは許せない。そういう意味では、このシャキッとした、確かに立派な音といわれた表現がピッタリの音で、音楽を聴かせてもらったことにぼくは満足しました。
     *
「世界のコントロールアンプとパワーアンプ」の巻末には、
ヒアリングテストの結果から私の推奨するセパレートアンプというページがある。
瀬川先生はGASのペアは推選機種とされている。
     *
 耳当りはあくまでもソフトでありながら恐ろしいほどの底力を感じさせ、どっしりと腰の坐った音質が、聴くものをすっかり安心感にひたしてしまう。ただ、試聴記の方にくわしく載るように、私にはこの音が男性的な力強さに思われて、個人的にはLNP2とSAE♯2500の女性的な柔らかな色っぽい音質をとるが、そういう私にも立派な音だとわからせるほどの説得力を持っている。テァドラ/アンプジラをとるか、LNP2/2500をとるかに、その人のオーディオ観、音楽観のようなものが読みとれそうだ。もしもこれを現代のソリッドステートの二つの極とすれば、その中間に置かれるのはLNP2+マランツ510Mあたりになるのか……。
     *
井上先生、岡先生の評価も高い。
岡先生は《これほど音楽の中身を洗いざらいさらけ出してくれるようなアンプは、非常に珍しい》とし、
《曖昧さのない、決まりのはっきりとした音》ゆえに高く評価されている。

井上先生は弱点と指摘しながらも、
GASのペアは、小音量と普通の音量で聴いた時に、音楽的バランスが崩れなかったとして、
立派なアンプだと評価されている。

Date: 9月 8th, 2015
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(その7)

黒田先生は、《いくつかの気になるパワーアンプをききくらべてえらんだ》と書かれている。
いくつかの気になるパワーアンプの具体的な型番についてはなにひとつ書かれていないが、
おそらく、そのひとつにAmpzillaは含まれていたであろう。

あとはマークレビンソンのML2、マランツのP510M、
これらの《いくつかの気になるパワーアンプ》のひとつだったと思われる。

いくつのパワーアンプを聴かれたのかもわからないが、
とにかく黒田先生はスレッショルドの4000 Customを選ばれた。
     *
 ひとことでいえば、スレッショールドのモデル4000というパワーアンプの音を、とても気にいっているわけだが、だからといって、そのパワーアンプのきかせる音にコイワズライをしているかというと、そうではない。決してその音に不満があるからではない。同じようなことは、JBLの♯4343の音についてもいえる。JBLの♯4343は、ぼくがこれまでにきいたスピーカー・システムの中で、ぼくなりにもっとも納得できる音をきかせてくれたスピーカーだが、にもかかわらず──というべきか、そのためにJBLの♯4343というスピーカー・システムに惚れこむことはできない。
(「サンチェスの子供たち」を愛す より)
     *
《いくつかの気になるパワーアンプ》の中から4000 Customを選ばれたからといって、
黒田先生は4000 Customに惚れ込まれていた、とはいえないことが、この文章からわかる。

4000 Customの音に対しても、JBLの4343の音に対しても、
黒田先生は決してコイワズライになることはないのだろうか。

《「サンチェスの子供たち」を愛す》の終りに、こう書かれている。
     *
 チャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」は、輸入盤で三六〇〇円だった。スレッショールドのモデル4000を買う金があれば、「サンチェスの子供たち」の二枚組のレコードを、二〇〇組以上買える。しかし、主は「サンチェスの子供たち」で、従はスレッショールドのモデル4000だ。そこのところをとりちがえると妙なことになる。「道具」は「もの」だ。「道具」という「もの」を、いかに気にいって使ったとしても、そこでとどまる。そういう「もの」に対して、今日はどうもキゲンがわるくてね──とか、なんともかわいくて手ばなせないんだよ──といったような言葉がいみじくもあきらかにする擬人化した考え方は、人形を恋する男のものといえなくもない。
 よく、「自然をありのままに見る」というが、これは人間には不可能な理想を、ただいっているにすぎないのではないか──といった人がいた。この見事な言葉は、人間は知っているものを見る──といったゲーテの言葉と対応する。ききては、知っているものしかきけない。沢山のことをよく知っていれば、不充分な音から山ほどのものをきける。なにをききたいかがわかっているからだ。たいして知らなければ、きけるものにも限度がある。そこで再生装置によりかかっても、再生装置は「道具」でしかないから、そのときの使い手に可能な範囲でしか働かない。
「道具」に恋したら、恋された「道具」が本来の実力以上のものを発揮して、使い手に奉仕すると考えるのは幻想でしかない。いいかげんにあつかえばその本来の実力さえ示さないということはあるかもしれないが、だからといってあれこれ気をつかわねばならないとすれば、その「道具」は充分に「道具」たりえていないということになるだろう。
     *
黒田先生が《人形を恋する男のもの》といえなくもない、
そういうところを私は持っている。
私というオーディオマニアは、もっている。

私だけでないはずだ、オーディオマニアであり続けている人はそうなのではないだろうか。
黒田先生には、そういうところはまったくなかったのかとういと、決してそうではない。

まったくない人が、あれだけオーディオにのめり込まれるはずがない。
オーディオには、心しないといけない大切なことがある。

《「サンチェスの子供たち」を愛す》の終りには、こうも書いてある。
     *
 再生装置は音楽の従順な僕(しもべ)であらねばならない。レコードをきいていて、再生装置のことが意識されるとしたら、それは決して幸福な状態とはいえない。もうしばらくすれば、スレッショールドのモデル4000に対しての、あるいはソニーTA-E88に対しての意識は、かなり薄らぐと思うが、今のところ、なにかというと意識する。ただ、その意識することが不快だというのではないということは、いっておかねばならない。不快どころかむしろたのしい。ああ、いいな、やっぱりいいなと、うれしくなったりする。だからかえって、心しないといけない。いいな、やっぱりいいなと、ひとりでにこにこしているとき、再生装置は、ききてと音楽の間で自己主張しすぎた存在になっている。それを是認するのは、はなはだ危険だ。
     *
黒田先生が、スレッショルドの4000 Customを、
《いくつかの気になるパワーアンプ》の中から選ばれたのは、そういうことなのだと思う。

Date: 9月 6th, 2015
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(その6)

1978年当時、マークレビンソンのアンプは、
コントロールアンプがLNP2とML1、パワーアンプはML2のみだった。

つまり「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」ではなく、
「スピーカーはJBL、アンプはマークレビンソン」とすることでも、いいともいえる。

むしろ「スピーカーはJBL、アンプはマークレビンソン」のほうが、
メーカー名、ブランド名に統一され、型番が出てこなくなるわけだから。
にも関わらず黒田先生は「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」と書かれている。

ステレオサウンド 48号の「旗色不鮮明」での「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」の発言者は、
黒田先生本人とまではいえなくとも、黒田先生のこのときの心情の顕れでもあったように思う。

黒田先生がAmpzillaを高く評価されていたことは、
当時のステレオサウンドの別冊からわかる。

だから「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」は、
黒田先生は4343をAmpzillaで鳴らされようとされているのか──、
そう受け取れる。

黒田先生は、よほどAmpzillaを気に入られているんだ、と私は思っていた。
だが黒田先生はAmpzillaにされることはなかった。
ステレオサウンド 49号を読めば、黒田先生が選ばれたのはGASのペアではなく、
ソニーのTA-E88とスレッショルドの4000 Customだっことがわかる。
     *
 その「サンチェスの子供たち」のレコードを手に入れてしばらくして、アンプをとりかえた。コントロールアンプをソニーのTA-E88にして、パワーアンプをスレッショールドのモデル4000にした。スピーカーは、これまでのままのJ♯4343だ。
 スレッショールドのモデル4000は、とても気にいっている。その音に対してのしなやかな反応は、じつにすばらしい。さりげなく、これみよがしにならずに、しかし硬い音はあくまでも硬く、やわらかい音はあくまでもやわらかくだしてくる。いくつかの気になるパワーアンプをききくらべてえらんだので、それにいかにも高価格なのでえらぶにあたっても慎重にならざるをえなかったが、まちがいはないと思ったが、自分の部屋にもちこんで、さらにそのよさがあらためてわかった。「いやあ、俺もこれで、やっと実力が発揮できるよ」と、JBL♯4343がつぶやいているような気がしなくもなかった。
(「サンチェスの子供たち」を愛す より)
     *
スレッショルドの4000 Customは、49号の新製品紹介のページに登場したばかりのモデルだった。

Date: 9月 6th, 2015
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(その5)

「アンプジラ」はメーカー名、ブランド名でもないことは、
黒田先生のことだから承知のうえで、書かれたのだと思う。

そんなのは勢いで書いたから、「アンプジラ」だけ型番になってしまっただけではないか、
そう思う人もいるかもしれないが、
黒田先生の原稿を読んだことのある人なら、
そういう書き方から遠いところで書かれているのが黒田先生だと知っている。

ステレオサウンド 31号「はやすぎる決着」では、原稿を書くことについて書かれている。
     *
 陽がおちてからは原稿を書かない。原稿はたいてい午前中に書く。夜は、音楽会にいったり、芝居にいったり、映画を見にいったり、外出しない時には、レコードをきいたり、本を読んだり、あるいは翌日書こうと思っている原稿のための下調べをしたりしてすごす。だから、こんな時間に(すでに零時をすぎて、ポリーニをきいたのが昨日になってしまっている)、机にむかっているというのは、例外的なことだ。なぜ、こんな尋常ならざる時間に原稿を書きはじめたかというと、おいおいおわかりいただけると思うが、それにはそれなりの理由がある。
 このように文章を書き、しかもそれを活字にするということは、一種の呼びかけだと思う。書いたものを読んでくださる人への呼びかけだと思う。それが男性なのか女性なのか、ぼくより若い人なのか年配の方なのか、悲しいかなわかりかねる。わからないながらも、呼びかける。ただそこで、相手がわからないからといって、呼びかけが独善的にならないように、気をつけなければならない。ひとりよがりのつぶやきは呼びかけとはいえない。夜は、今日はたまたま雨がふっているのでかすかに雨だれの音がきこえるが、そのひっそりとした気配ゆえに、自分の世界にとじこもるのには適当だが、どうやら呼びかけに適した時間ではないようだ。だから、よほどのことでもないかぎり、夜は、原稿を書かない。
 ただ、今夜は、いささか事情がちがう。というより、そのひとりよがりにおちいりやすい時間を利用して、敢えてひとりよがりのおのれをさらし、ひとりよがりについて考えてみようと思うからだ。多分、朝になって読みかえしたら、赤面するにきまっていることを書いてしまうにちがいない。この原稿を、夜があける前に、封筒に入れて、ポストにほうりこむことにしよう。あとは野となれ山となれといった、いささかすてばちな気持になることが、この場合には必要だ。
     *
その黒田先生が「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」と書かれているのは、あえて、であるはずだ。
「スピーカーはJBL」とある。

この文章が載ったステレオサウンド 48号は1978年に出ている。
当時のJBLのラインナップはJBLとJBL Proとにわかれていて、
コンシューマー用モデルはパラゴンを頂点に、L300、L200、L212といったフロアー型から、
L26A、L36A、L40といったブックシェルフ型を含めて10機種ほどあった。
プロ用モデルは4350Aがあり、4343、4333A、4331Aなどの他に、
4301、4311といったブックシェルフ型、また4681、4682を含めて、こちらも10機種ほどあった。

「スピーカーはJBL」といっても、20機種のうちのどれかとなる。
けれど「スピーカーはJBL」のあとに「アンプはアンプジラ」が続くことで、
ここでの「スピーカーはJBL」は、絞られてくる。

4301という、65000円(1978年、一本の価格)の2ウェイのブックシェルフ型を、
598000円のパワーアンプAmpzilla IIで鳴らすことはないわけではないが、
それでも、こういう組合せは、いわぱ実験的なものであり、
家庭における組合せではまずありえないといえるわけで、
「スピーカーはJBL」とは、コンシューマー用であれば、L200、L300、パラゴンあたりであり、
プロ用であれば4331A、4333A、4343、4350Aといったところになる。

「スピーカーはJBL、アンプはGAS」であったら、ここまで絞ることはできない。
GASのアンプは3ランクあったのだから、
Grandsonであれば4301、4311との組合せはありえるからだ。

「アンプはアンプジラ」ではなく「アンプはGAS」とするならば、
しかも読み手に、どの機種(どのランク)であるのかを意識させるには、
「スピーカーはJBLの4343、アンプはGASのアンプジラ」と書く必要がある。

「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」と
「スピーカーはJBLの4343、アンプはGASのアンプジラ」、
書き手としてどちらを選ぶかとしたら、
「アンプジラ」がメーカー名でもブランド名でもないことは承知のうえで、
「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」になる。

別の選択はないのか。
たとえば「スピーカーはJBL、アンプはマークレビンソン」である。

Date: 9月 2nd, 2015
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(その4)

ステレオサウンド 48号の黒田先生の連載「さらに聴きとるものとの対話を」を、
高校一年の時に読んだ。

「旗色不鮮明」という副題がつけられている。
一ページ三段組みのレイアウト。
一ページはタイトルで二段分がとられている。
一ページ目の文章は一段分のみ。

二ページ目の一段目に、アンプジラの名前が出てくる。
二ページ目の一段目だから、「旗色不鮮明」の冒頭にアンプジラの名前が出てくるわけで、
アンプジラはという単語は12回登場してくる。

こんなふうに出てくる。
     *
「きみ、なにできいているの?」
「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」
「きみ、なにをきいているのの?」
「プログレッシヴ・ロック」
 前の方の会話には、
「へえ、いい装置できいているんだな」
 という言葉がつづくかもしれないし、後の方の会話には、
「最近きいたレコードでなにかおもしろいレコードあった?」
 という言葉がつづくかもしれない。
 いずれにしろ、会話は、「ぼくは──」とか「わたしは──」とか、一人称代名詞が入りこめないようなかたちで、進行する。そして、具合のわるいことに、「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」という、本来は使っている道具をいっただけの言葉が、ひとり歩きをはじめて、その言葉を口にした人物のことを語ろうとさえする。
     *
最初読んだ時は、気にならなかったことが、
数年経ち、もう一度読んでひっかかることがあるのに気づいた。

「旗色不鮮明」の最後はこうまとめられている。
     *
 メーカー名、ブランド名が登場する会話では、なにかが、一瞬鮮明になったような錯覚におちいる。しかし、よくよく考えてみれば、なにひとつ鮮明にはなっていない。
 野に咲く花はみつけやすい。だから鮮明だ。草木の間に身をひそめる野うさぎは、ちょっとやそっとではみつけられない。だから不鮮明だ。──といえるような気もするが、待てよと思う。本当にそうかなと思う。ナルシシズムは、うぬぼれ、ひとりよがりを、そのうちにとりこんでいる。うぬぼれ、ひとりよがりをとりこんだものが、鮮明になりうるのかどうか。野に咲く花がみつけやすいのは、花の方でみつけられたいと思っているからだ。
「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」
 という言葉は、いかにもものほしげな表情をして、
「へえ、いい装置できいているんだな」
 という言葉をほしがっていないか。
 その言葉は、「JBL」なり、「アンプジラ」なりにのっかって、自分をアッピールしたがっている人の顔を浮かびあがらせないか。むろん、その言葉が、いつでもそういう人の顔を浮かびあがらせるということではない。むしろ、そうではないことの方が多いだろう。ただ単純に、自分の使っている道具を相手に知らせる目的だけで、その言葉は発せられたのかもしれない。ただ、ものにつきすぎたところでの言葉は、きわどく似非ナルシシズムと手をつなぐ。そのことは心得ていた方がいい。さもないと、うぬぼれ、ひとりよがりでみちみちたあいまい湖につかって、一向に鮮明とは思えぬ、しかしなんとなくひと目をひく旗をこれみよがしに、結果として、ふっていることになりかねない。
     *
だから「旗色鮮明」では「旗色不鮮明」であるわけだが、
ここで書きたいことは、このこととはほとんど関係がない。

「旗色不鮮明」には「EMT」「グッチ」というブランド名も出てくる。
《メーカー名、ブランド名が登場する会話》なのに、
なぜか「アンプジラ」だけ、メーカー名でもブランド名でもなく、型番なのである。

「JBL」も「EMT」も、さらには「グッチ」もメーカー名、ブランド名であるにもかかわらず、
「アンプジラ」だけが「GAS」ではなく「アンプジラ」と書かれていることに、気づいたわけだ。

Date: 8月 26th, 2015
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(その3)

いまは著作権がとにかく厳しい。
昔は、Ampzillaが登場したころはそうでもなかった。

東宝はゴジラ(Godzilla)の商標には、とにかくうるさい、ときく。
ゴジラをイメージさせるネーミングには、東宝から連絡が行き、使えなくなるそうだ。

なので不思議である。
Ampzillaが登場した当時は見逃してくれたであろう、と思う。
でもいまではAmpzillaというネーミングは、すぐに東宝から連絡が来るはずだ。
なのに、いまもAmpzillaのままである。

著作権といえば、1970年代後半のGASの広告も、
いまでは考えられないような内容だった。

当時はスターウォーズ、未知との遭遇が大ヒットしていた。
当時のステレオサウンドのGASの広告は、
スターウォーズをアンプウォーズにしたものと未知との遭遇そのもの広告があった。

前者はAmpzillaが、他社製のパワーアンプを攻撃しているイラストが使われていた。
他社製のパワーアンプはいくつかあり、どれも実際の製品そのものだった。

比較広告とはいえないものの、
スターウォーズをパロディ化しているとはいえ、
AmpzillaがXウィングで、他社製のアンプが帝国軍のモノを思わせる描き方なのだから、
いま、こんな広告を載せようものなら、いたるところからクレームが来るであろう。

当時の輸入元はバブコだったが、
バブコの広告の担当者が考えたものとは、いまでも思えない。

そのころのアメリカでのGASの広告を見る機会はなかったが、
おそらくアメリカでの広告をそのまま日本にもってきたのだと思っている。

Date: 1月 13th, 2015
Cate: James Bongiorno

ボンジョルノとレヴィンソン(その3)

2013年、ジェームズ・ボンジョルノが逝った。
ステレオサウンドにボンジョルノの記事が載ることはなかった。

数ヵ月後、ソナスファベールの創業者のフランコ・セルブリンが逝ったときは、
ステレオサウンドに記事が載った。

扱いの違いに、腹が立った。
編集者は何をみているんだろうか、と。

マーク・レヴィンソンは生きている。
ダニエル・ヘルツというブランドを興している。
レヴィンソンもいつかは逝く。
数年後か十年後か、いつなのかはまったくわからないけれど、いつかその日はくる。
ステレオサウンドは、きっとマーク・レヴィンソンの記事を掲載することだろう。

その時は、もう腹を立てることはない。
もうわかっていることだから、……その程度だと。

ジェームズ・ボンジョルノには長いブランクがあった。
一時期忘れ去れていた、ともいえる。
けれど、ボンジョルノによるアンプの音を聴いた者(惚れ込んだ者)は、
そんなときでもボンジョルノのことを忘れてはいなかった。

Date: 7月 29th, 2014
Cate: James Bongiorno

Ampzilla(その2)

日曜日に「ゴジラ」を観てきた。
ラストシーンでゴジラは海へと去っていく。
だが最終的にどこへ去っていくのかはわからない。
ただ海へと去っていく。

ゴジラの映画を何本も観てきた者にとっては、見慣れた光景である。

ゴジラは去っていくもの、どこかへと去っていく、という意識がどこかにある。
ゴジラは1954年公開の初代のイメージから、核の象徴といわれてきた。
だが、今回の「ゴジラ」のラストシーンを観ながら、
地球(ガイア)が生み出した生物ということを強く意識していた。

ラブロックによるガイア理論は1960年代にはいってからである。
ゴジラはガイア理論よりも早く生れている。
ボンジョルノも、もしかするとゴジラを核の象徴としてではなく、
地球(ガイア)が生み出した巨大生物として認識していたかもしれない。

ガイア理論のガイア(Gaia)はギリシア神話の女神であり、Gで始まっている。
ゴジラ(Godzilla)もGから始まっている。
だから会社名もGから始まるようにしたのではないだろうか。

ボンジョルノも、この世を去っていった。
あと一年ほど生きていたら、「ゴジラ」を観れたのに……、とおもう。
ボンジョルノは2014年の「ゴジラ」をどう観ただろうか。