「アンプジラ」はメーカー名、ブランド名でもないことは、
黒田先生のことだから承知のうえで、書かれたのだと思う。
そんなのは勢いで書いたから、「アンプジラ」だけ型番になってしまっただけではないか、
そう思う人もいるかもしれないが、
黒田先生の原稿を読んだことのある人なら、
そういう書き方から遠いところで書かれているのが黒田先生だと知っている。
ステレオサウンド 31号「はやすぎる決着」では、原稿を書くことについて書かれている。
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陽がおちてからは原稿を書かない。原稿はたいてい午前中に書く。夜は、音楽会にいったり、芝居にいったり、映画を見にいったり、外出しない時には、レコードをきいたり、本を読んだり、あるいは翌日書こうと思っている原稿のための下調べをしたりしてすごす。だから、こんな時間に(すでに零時をすぎて、ポリーニをきいたのが昨日になってしまっている)、机にむかっているというのは、例外的なことだ。なぜ、こんな尋常ならざる時間に原稿を書きはじめたかというと、おいおいおわかりいただけると思うが、それにはそれなりの理由がある。
このように文章を書き、しかもそれを活字にするということは、一種の呼びかけだと思う。書いたものを読んでくださる人への呼びかけだと思う。それが男性なのか女性なのか、ぼくより若い人なのか年配の方なのか、悲しいかなわかりかねる。わからないながらも、呼びかける。ただそこで、相手がわからないからといって、呼びかけが独善的にならないように、気をつけなければならない。ひとりよがりのつぶやきは呼びかけとはいえない。夜は、今日はたまたま雨がふっているのでかすかに雨だれの音がきこえるが、そのひっそりとした気配ゆえに、自分の世界にとじこもるのには適当だが、どうやら呼びかけに適した時間ではないようだ。だから、よほどのことでもないかぎり、夜は、原稿を書かない。
ただ、今夜は、いささか事情がちがう。というより、そのひとりよがりにおちいりやすい時間を利用して、敢えてひとりよがりのおのれをさらし、ひとりよがりについて考えてみようと思うからだ。多分、朝になって読みかえしたら、赤面するにきまっていることを書いてしまうにちがいない。この原稿を、夜があける前に、封筒に入れて、ポストにほうりこむことにしよう。あとは野となれ山となれといった、いささかすてばちな気持になることが、この場合には必要だ。
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その黒田先生が「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」と書かれているのは、あえて、であるはずだ。
「スピーカーはJBL」とある。
この文章が載ったステレオサウンド 48号は1978年に出ている。
当時のJBLのラインナップはJBLとJBL Proとにわかれていて、
コンシューマー用モデルはパラゴンを頂点に、L300、L200、L212といったフロアー型から、
L26A、L36A、L40といったブックシェルフ型を含めて10機種ほどあった。
プロ用モデルは4350Aがあり、4343、4333A、4331Aなどの他に、
4301、4311といったブックシェルフ型、また4681、4682を含めて、こちらも10機種ほどあった。
「スピーカーはJBL」といっても、20機種のうちのどれかとなる。
けれど「スピーカーはJBL」のあとに「アンプはアンプジラ」が続くことで、
ここでの「スピーカーはJBL」は、絞られてくる。
4301という、65000円(1978年、一本の価格)の2ウェイのブックシェルフ型を、
598000円のパワーアンプAmpzilla IIで鳴らすことはないわけではないが、
それでも、こういう組合せは、いわぱ実験的なものであり、
家庭における組合せではまずありえないといえるわけで、
「スピーカーはJBL」とは、コンシューマー用であれば、L200、L300、パラゴンあたりであり、
プロ用であれば4331A、4333A、4343、4350Aといったところになる。
「スピーカーはJBL、アンプはGAS」であったら、ここまで絞ることはできない。
GASのアンプは3ランクあったのだから、
Grandsonであれば4301、4311との組合せはありえるからだ。
「アンプはアンプジラ」ではなく「アンプはGAS」とするならば、
しかも読み手に、どの機種(どのランク)であるのかを意識させるには、
「スピーカーはJBLの4343、アンプはGASのアンプジラ」と書く必要がある。
「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」と
「スピーカーはJBLの4343、アンプはGASのアンプジラ」、
書き手としてどちらを選ぶかとしたら、
「アンプジラ」がメーカー名でもブランド名でもないことは承知のうえで、
「スピーカーはJBL、アンプはアンプジラ」になる。
別の選択はないのか。
たとえば「スピーカーはJBL、アンプはマークレビンソン」である。