ボンジョルノとレヴィンソン(その4)
ジェームズ・ボンジョルノは1943年、マーク・レヴィンソンは1946年生れだから、
同世代といってもいいだろう。
ボンジョルノはその名前からわかるようにイタリア系アメリカ人ときいている。
レヴィンソンはユダヤ系アメリカ人とのことだ。
レヴィンソンはコネチカット州だからアメリカ東海岸。
ボンジョルノは、そのへんのことがよくわからない。
GASを設立する前は、いくつかの会社にいてアンプを設計している。
マランツにもいて、Model 15はボンジョルノの設計である。
だから東海岸に住んでいた時期もあるわけだ。
GASはロスアンジェルスにあった。
GASのあとに設立したSUMOもロスアンジェルスだった(ただし本社は税金対策で香港におかれていた)。
ということはボンジョルノはアメリカ西海岸といえる。
レヴィンソンはアンプの設計はできなかったが、楽器は演奏していた。
ベース奏者としてポール・ブレイとのレコードがあるし、
トランペットもやっていた、と聞いている。
ボンジョルノはピアノとアコーディオンを演奏する。
《その腕前はアマチュアの域を超えている》と菅野先生が、ステレオサウンド 53号に書かれている。
ステレオサウンド 45号にレヴィンソン、52号にボンジョルノのインタヴュー記事がのっている。
ページ数が大きく違うし、聞き手も違うから単純な比較はできないのはわかっていも、
記事から感じられるのは生真面目な性格のレヴィンソンであり、陽気な性格のボンジョルノである。
レヴィンソンは1970年代、完璧主義、菜食主義といったことが伝えられていた。
これはつくられたイメージであることが、その後わかってきたけれども。
ボンジョルノは昔来日したときに、紫色の革靴を履いていた、と井上先生からきいたことがある。
52号には、菅野先生はボンジョルノについて、
《アンプ作りの天才ともいわれるが、そのネーミングのセンスの奇抜さからも想像出出来るように、きわめて個性的な発想の持主だ。エンジニアとしては型破りのスケールの大きな人間味豊かな男である。》
と紹介されている。
ボンジョルノのアンプのネーミングのセンスとは、
レヴィンソンとは正反対ともいえる。