Date: 9月 8th, 2015
Cate: James Bongiorno
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Ampzilla(その7)

黒田先生は、《いくつかの気になるパワーアンプをききくらべてえらんだ》と書かれている。
いくつかの気になるパワーアンプの具体的な型番についてはなにひとつ書かれていないが、
おそらく、そのひとつにAmpzillaは含まれていたであろう。

あとはマークレビンソンのML2、マランツのP510M、
これらの《いくつかの気になるパワーアンプ》のひとつだったと思われる。

いくつのパワーアンプを聴かれたのかもわからないが、
とにかく黒田先生はスレッショルドの4000 Customを選ばれた。
     *
 ひとことでいえば、スレッショールドのモデル4000というパワーアンプの音を、とても気にいっているわけだが、だからといって、そのパワーアンプのきかせる音にコイワズライをしているかというと、そうではない。決してその音に不満があるからではない。同じようなことは、JBLの♯4343の音についてもいえる。JBLの♯4343は、ぼくがこれまでにきいたスピーカー・システムの中で、ぼくなりにもっとも納得できる音をきかせてくれたスピーカーだが、にもかかわらず──というべきか、そのためにJBLの♯4343というスピーカー・システムに惚れこむことはできない。
(「サンチェスの子供たち」を愛す より)
     *
《いくつかの気になるパワーアンプ》の中から4000 Customを選ばれたからといって、
黒田先生は4000 Customに惚れ込まれていた、とはいえないことが、この文章からわかる。

4000 Customの音に対しても、JBLの4343の音に対しても、
黒田先生は決してコイワズライになることはないのだろうか。

《「サンチェスの子供たち」を愛す》の終りに、こう書かれている。
     *
 チャック・マンジョーネの「サンチェスの子供たち」は、輸入盤で三六〇〇円だった。スレッショールドのモデル4000を買う金があれば、「サンチェスの子供たち」の二枚組のレコードを、二〇〇組以上買える。しかし、主は「サンチェスの子供たち」で、従はスレッショールドのモデル4000だ。そこのところをとりちがえると妙なことになる。「道具」は「もの」だ。「道具」という「もの」を、いかに気にいって使ったとしても、そこでとどまる。そういう「もの」に対して、今日はどうもキゲンがわるくてね──とか、なんともかわいくて手ばなせないんだよ──といったような言葉がいみじくもあきらかにする擬人化した考え方は、人形を恋する男のものといえなくもない。
 よく、「自然をありのままに見る」というが、これは人間には不可能な理想を、ただいっているにすぎないのではないか──といった人がいた。この見事な言葉は、人間は知っているものを見る──といったゲーテの言葉と対応する。ききては、知っているものしかきけない。沢山のことをよく知っていれば、不充分な音から山ほどのものをきける。なにをききたいかがわかっているからだ。たいして知らなければ、きけるものにも限度がある。そこで再生装置によりかかっても、再生装置は「道具」でしかないから、そのときの使い手に可能な範囲でしか働かない。
「道具」に恋したら、恋された「道具」が本来の実力以上のものを発揮して、使い手に奉仕すると考えるのは幻想でしかない。いいかげんにあつかえばその本来の実力さえ示さないということはあるかもしれないが、だからといってあれこれ気をつかわねばならないとすれば、その「道具」は充分に「道具」たりえていないということになるだろう。
     *
黒田先生が《人形を恋する男のもの》といえなくもない、
そういうところを私は持っている。
私というオーディオマニアは、もっている。

私だけでないはずだ、オーディオマニアであり続けている人はそうなのではないだろうか。
黒田先生には、そういうところはまったくなかったのかとういと、決してそうではない。

まったくない人が、あれだけオーディオにのめり込まれるはずがない。
オーディオには、心しないといけない大切なことがある。

《「サンチェスの子供たち」を愛す》の終りには、こうも書いてある。
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 再生装置は音楽の従順な僕(しもべ)であらねばならない。レコードをきいていて、再生装置のことが意識されるとしたら、それは決して幸福な状態とはいえない。もうしばらくすれば、スレッショールドのモデル4000に対しての、あるいはソニーTA-E88に対しての意識は、かなり薄らぐと思うが、今のところ、なにかというと意識する。ただ、その意識することが不快だというのではないということは、いっておかねばならない。不快どころかむしろたのしい。ああ、いいな、やっぱりいいなと、うれしくなったりする。だからかえって、心しないといけない。いいな、やっぱりいいなと、ひとりでにこにこしているとき、再生装置は、ききてと音楽の間で自己主張しすぎた存在になっている。それを是認するのは、はなはだ危険だ。
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黒田先生が、スレッショルドの4000 Customを、
《いくつかの気になるパワーアンプ》の中から選ばれたのは、そういうことなのだと思う。

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