Archive for category 音楽家

Date: 11月 22nd, 2012
Cate: Wilhelm Backhaus

バックハウス「最後の演奏会」(その6)

私が聴くことのできた2回目のとき、レコードをかけ装置を操作された方は、練馬区役所の担当者の方ではなく、
ステレオサウンドの編集部の人だった。

バックハウスの「最後の演奏会」のレコードについて、すこし語られた。
ベートーヴェンのピアノソナタ18番の演奏途中でバックハウスが心臓発作を起して、ということについてだった。
だからこの18番は途中までの演奏です、といわれ、レコードをかけC22のボリュウムを操作された。

当然鳴ってくるのはピアノソナタ18番だと思っていたら、
「最後の演奏会」は二日間の演奏会を収録したもので、LPもCDも2枚組。
1枚目が1969年6月26日の演奏であり、そのときの1曲目のベートーヴェンのピアノソナタ21番が鳴りだした。

あれっと思っていたけれど、かけ直されなかったから、
おそらくクラシックはあまり聴かれない編集者の方なんだな、と思いながら聴いていた。

この日はアンプの調子が万全ではなかった。
片チャンネルのゲインが安定せず、音量が変動することもあった。モノーラルになることもあった。

そんなことはあったけれど、鳴ってきたバックハウスの演奏は堂々としていた。
これみよがしなところはない。
それは岡先生が語られているように、この項の(その1)で引用したように、
演奏家が解釈と技巧をふりかざしてきき手を説得しようとすることから受ける堂々さではもちろんなく、
そういう姿勢のまったく見られない堂々としたベートーヴェンだった。

聴いていて思っていた、私はまだこんなふうにバックハウスを鳴らせていない、と。

練馬区役所でのオートグラフの設置は、私が聴いた時はコーナーに置かれていなかった。
いまはどうなのかわからない。そのままなのかもしれないし、
コーナーに設置されているかもしれない。

そのことひとつとっても、アンプの状態にしても、
レコードをかけられた人は(おそらく)クラシックには興味のない人──、
これだけの決していいとはいえない状況が重なっていても、
五味先生がバックハウスのベートーヴェンを、どう聴かれていたのか、
それを想像するだけの「音」で鳴っていたことは確かである。

この日、来られた人みながそう感じおもわれたのかどうかは私にはわからない。
それでも私にとっては、実感できるものがあった。
行ってよかった、とおもう、聴くことができてよかった、とおもっている。

Date: 11月 18th, 2012
Cate: Wilhelm Backhaus

バックハウス「最後の演奏会」(その5)

2009年1月から続いていてる「五味康祐氏のオーディオで聴く名盤レコードコンサート」。

今年も3回催され、来年もまた開催される。
毎回抽選になるほど申込まれる方が、いまも多い、ときいている。

私は初回に応募したけれど無理で、2回目に行くことができた。
ほぼまる4年開催されているから、私が聴いたときの音といま鳴っている音は変っているところもあるはず。
いいコンディションで鳴っている、ともきいている。

また機会があれば行きたいと思うけれど、いまだ行っていない方も少なくないようだから、
一度行った者がふたたび行くのはもう少し先でもいい、と思っている。

練馬区役所の担当の方が丁寧に、五味先生のオーディオ機器を取り扱われている、とのこと。
そういう人がいてくれるから、単なる催し物、試聴会の域にとどまることなく、
音もよくなってきているのだろう。いいことだと思う。

でも、一部の方は誤解されているようだが、
練馬区役所の一室で鳴っているのは、五味先生が使われてきたオーディオ機器が鳴っているのであり、
その音が良くなってきていても、それは五味先生の音が、そこで再現されているわけではない。

ただ単にタンノイのオートグラフ、マッキントッシュのC22、MC275、EMT930stをバラバラに集めてきて、
それらを結線して音を出すことに比べれば、ずっと五味先生の音に近い、とは言えても、
あくまでも片鱗を感じさせる、であり、4年間鳴らされてきたことによって音が良くなってきているとすれば、
それは担当された方の人となりが音となってあらわれてきたから、と受けとめた方がいい。

それこそが、音は人なり、ではないだろうか。

話がそれてしまったが、
私が行った2回目のとき、最初にかけられたレコードが、このバックハウスの「最後の演奏会」だった。

Date: 11月 13th, 2012
Cate: Wilhelm Backhaus

バックハウス「最後の演奏会」(その4)

骨格のしっかりした音、
いまでは、こういう表現は、見かけなくなっているように感じている。

正直、最近のオーディオ雑誌を丹念に読んでいないから、感じている、としか書けないのだが、
以前は、といっても20年以上前は、骨格のしっかりした音という表現は、そう珍しくはなかった。

音を表現する言葉の使われ方も、また時代によって変化していく。
だから次第に使われなくなっていく表現もあれば、徐々に使われはじめてきて、
いまや一般的に使われている表現だってある。

音を表現する言葉はそうやって増えていっているはずなのに、
使われている言葉の数は、いまも昔もそう変らないのかもしれない。
新しくつかわれる表現・言葉がある一方で、使われなくなっていく表現・言葉があるのだから。

骨格のしっかりした音も、そうやって使われなくなっていく(いった)表現なのかもしれない。

でも、なぜそうなっていたのだろうか。

私の、それもなんとなくの印象でしかないのだが、
クラシックの世界でヴィルトゥオーゾと呼ばれる演奏家が逝去していくのにつれて、
骨格のしっかりした音も、また活字になることが減っていっているような気もする。

このことはスピーカーが提示する音の世界ともリンクしているのではないだろうか。
骨格のしっかりした音のスピーカーが、こちらもまた減ってきているような気がする。

ハイエンド志向(このハイエンドというのが、都合のいい言葉のように思える)のマニアの間で、
高い評価を受けているスピーカーシステムが、
何かを得たかわりに稀薄になっているひとつが、骨格のしっかりした音のようにも思う。

Date: 11月 10th, 2012
Cate: Wilhelm Backhaus

バックハウス「最後の演奏会」(その3)

バックハウスの演奏の再生に必要なこととはなんだろうか、と具体的に考えてみると、
骨格のしっかりした音、という結論になってしまう。

骨格のしっかりした音、とは、どういう音なのか、というと、
これが説明しにくい。

骨格のしっかりした音、ということで、音をイメージできる人もいれば、
まったくできない人もいる、と思っている。

イメージできる人でも、私がイメージしている骨格のしっかりした音とは、
違う骨格のしっかりした音である可能性もあるわけだが、
それでもイメージできる人は、音の骨格ということに対して、なんらかの意識が働いていることになる。

でもまったくイメージできない人は、
スピーカーからの音を聴いているとき、音の骨格ということを意識していない、ということだと思う。

音の聴き方はさまざまである。
なにを重要視するのかは人によって異ってくるし、
ひとりの人間がすべての音を、すべての音の要素を聴き取っているわけではない。

ある人にとって重要な音の要素が、別のひとによってはそれほどでもなかったりするし、
それは聴く音楽によって変ってくることでもあるし、
同じ音楽を聴いていても、人によって違う。

人の耳には、その人なりのクセ、と呼びたくなる性質がある。
ある音には敏感である人が、別の音には鈍感であったりする。
これは歳を重ねるごとに、自分の音の聴き方のクセに気がつき、ある程度は克服できることでもある。

これは人に指摘されて気がついて、どうにかなるものではない。
自分で気がついて、どうにかしていくものである。
そこに気がつくかどうか。

自分の耳が完全な球体のような鋭敏さを持っている、と信じ込める人は、ある意味、シアワセだろう。
でも、オーディオを介して音楽を聴くという行為は、それでいいとは思っていない。
やはり、厳しさが自ずともとめられるし、
その厳しさのないところにはバックハウスはやってこない、といっていい。

Date: 11月 7th, 2012
Cate: Wilhelm Backhaus

バックハウス「最後の演奏会」(その2)

バックハウスの「最後の演奏会」におさめられているのは、
1969年6月25日、28日のオーストリア・オシアッハにある修道院教会の再建記念コンサートの演奏である。

デッカがステレオ録音で残していてくれている。
最新のスタジオ録音のピアノの音を聴きなれている耳には、
これといって特色のない録音に聴こえるだろう。

バックハウスの、このCDをもち歩くことは少ない。
そういうディスクではないからだ。
誰かのシステムで聴いたことは、だからほんの数えるほどしかない。

そのわずかな体験だけでいえば、ときとして、つまらないディスクにしか思えない音で鳴ることがある。
バックハウスの最後の演奏会のライヴ録音だとか、
6月28日のコンサートでのベートーヴェンのピアノソナタ第18番の演奏途中において心臓発作を起し、
いちどステージ裏にひきさがったあと、プログラムを変更してステージに戻っている。

この日の録音には、そのことをつげる男性のアナウンスもはいっている。

バックハウスが最後に弾いているのはシューベルトである。
即興曲D935第2曲。

岡先生が書かれているように、
ここでの演奏でもバックハウスは「解釈と技巧をふりかざしてきき手を説得しよう」とはしていない。
だからなのか、「解釈と技巧をふりかざしてきき手を説得しよう」としている音で鳴らされたとき、
バックハウスの演奏は、ひどく変質してしまうような気がしてならない。

バックハウスの演奏を聴くことにって感じているのは、
バックハウスの演奏を聴くということは、聴き手にも厳しさが求められている、ということである。

バックハウスの演奏がつまらなく聴こえるのであれば、
その装置の音には、そういう厳しさが稀薄なのか、まったく存在していないのかもしれない。

オーディオという世界は、あらゆるところに、聴き手がよりかかれる要素がある。
聴き手は知らず知らずのうちに、どこかによりかかっていることがある。

それは人によって違うところでもあるし、自分では気がつくにくい。
誰かに聴いてもらったとしても、指摘してもらえるとはかぎらない。

それでもひとつたしかにいえるのは、
バックハウスの演奏がつまらなくきこえたり、どうでもいいとしかきこえなかったら、
どこかによりかかったところで音楽が鳴っている、と思っていい。

Date: 11月 6th, 2012
Cate: Wilhelm Backhaus

バックハウス「最後の演奏会」(その1)

CDではブレンデルとグルダが揃っているし、LPではアシュケナージ、バレンボイムと、現役のトップクラスの全集はそれぞれいいのだが、バックハウスの描きだしたベートーヴェンの世界は、これら四人とはまったくちがうもので、演奏家が解釈と技巧をふりかざしてきき手を説得しようという姿勢はまったく見られない。バックハウスは鍵盤の獅子王という異名を与えられてずいぶん損をした人ではないかと思う。豪毅なピアニズムはそういう一面をもっているが、彼はあくまでも音楽そのものに語らせる。したがって、きき手はそこから何を読みとるかということで彼の解釈・表現の評価がわかれるのではあるまいか。後期の作品においてはとくにその感をふかくする。
     *
岡先生がステレオサウンドで連載されていたクラシック・ベストレコードで、
バックハウスのベートーヴェン・ピアノソナタ全集がCD化されたときに書かれたものである。
1986年6月に発行されたステレオサウンド 79号で読める。

ちょうど、このころ、岡先生のクラシック・ベストレコードは私が担当していた。
いまみたいにメールで原稿が送られている時代ではない、
手書きの原稿を鵠沼の岡先生の自宅に取りにうかがったことも何度もある。

岡先生の原稿は読みにくかった。
最初のうちは朱を入れる(文字を読みやすく書き直す)だけでもかなりの時間を要した。
馴れてきてからも、苦労する文字が必ずあった。

岡先生は、アシュケナージとショルティを高く評価されることが多かった。
私は、というと、1986年といえば23だった、若造だった。

ショルティもアシュケナージも、岡先生がいわれるほどいいとは思えなかった。
そんなところが私にはあったけれど、岡先生の原稿は楽しみだった。

このバックハウスのベートーヴェンについて書かれた原稿を読んだ時も、
ふかく頷いてしまった。

とはいっても、岡先生のようにバックハウスを聴きえていたわけではない。
それでも、岡先生の音楽の聴き方を、さすがだ、と思い、
バックハウスの音楽を、いかに聴き得ていなかったことに気づいての頷きであった。

「彼はあくまでも音楽そのものに語らせる」
いまは、ほんとうにそう思えて、頷いている。

12月にバックハウスのCDがユニバーサルミュージックから発売になる。
その中に「最後の演奏会」が含まれている。

この「最後の演奏会」のCDはいつも限定盤で発売される。
数年に一回の割合で、廉価盤としての値段がついての発売である。
市場からなくなって数年たつと、また思い出したように限定盤で出してくれる。

海外盤は手に入らないから、こういう発売のやり方でも、待てば買えるわけで有難いことではある。

バックハウスの「最後の演奏会」は文字通りの内容である。
そこでのバックハウスの演奏を、感傷的に聴くことだってできる。

けれど、そういう聴き方をしてしまったら、
バックハウスの演奏から「何を読みとるか」ということが、あやふやになってしまわないだろうか。

Date: 10月 19th, 2012
Cate: Leonard Bernstein

バーンスタインのベートーヴェン全集(続々・1990年10月14日)

コロムビアに、あれだけの録音を残しているバーンスタインなのに、
モーツァルトのレクィエムだけは残していない。

ドイツ・グラモフォンでの、1988年7月のライヴ録音が、バーンスタインの初録音ということになる。
すこし意外な気もする。
いままでモーツァルトのレクィエムを演奏してなかった、ということはないと思う。
なのに録音は残していない。

1988年7月のコンサートは、愛妻フェリチア没後10年ということによるもの。
それが録音として残され、CDになっている。

1988年7月ということは、バーンスタインは70の誕生日まであと2ヵ月という年齢。
バーンスタインが、このときどう思っていたかは、まったくわからない。
けれど、レクィエムの再録音をすることはない、と思っていたのではなかろうか。

録音して残す、最初で最後のモーツァルトのレクィエムを、
バーンスタインは、そういう演奏をしている。
だから聴き終ると、ついあれこれおもってしまう。

当っていることもあればそうでないこともあるだろう。
でもどれが当っているかなんて、わからない。
それでも、おもう。

おもうことのひとつに、こういうバーンスタインの表現は、いまどう受けとめられているのだろうか、
そして、バーンスタインの演奏をしっかりと鳴らしてくれるスピーカーシステムが、
現代のスピーカーの中に、いったいどれだけあるんだろうか、ということがある。

Date: 10月 18th, 2012
Cate: Leonard Bernstein

バーンスタインのベートーヴェン全集(続・1990年10月14日)

昨夜遅く、といっても正確には今日の午前2時すこし前という時間に、
バーンスタインのモーツァルトのレクィエムを、ひっそりと聴いていた。

スピーカーは、テクニクスの30年以上前の古いモノ。
ヘッドフォンの駆動部をアルミ製のエンクロージュアに収めたモノといったほうがいいSB-F01で聴いていた。

このSB-F01は目の前30cmほどのところに置いている。
もともと大きな音量で聴くためのスピーカーではないから、
このくらいで距離で聴いたときに、このスピーカーの良さは活きてくる。

遮音に優れたところに住んでいるわけではないから、
こんな時間に音楽をスピーカーから聴くには音量を絞らざるをえない。

こういう聴き方もいい。

音量と音像と距離、
この3つのパラメータの関係は、
使っているスピーカー、鳴らしている部屋、聴く音楽、聴く音量によって、
じつにいくつもの組合せがあって、どれが正解とはいえないおもしろさがある。

同じ音量で鳴らしていても距離をとった聴き方とスピーカーにぐんと近づいた聴き方では、
音楽の印象も少なからず変ってくるところがある。

SB-F01による音像は小さい。
その小さな音像を、すこし上から見下ろすように聴いていた。

ひっそりとした音量、小さな音像とは、
およそ似合わない、といいたくなるバーンスタインによるレクィエム。

ここでもバーンスタインはかなり遅めのテンポで劇的なレクィエム、荘厳なレクィエムを表出させている。
これもまた執拗といっていい、そういうレクィエムだと思う。

Date: 10月 14th, 2012
Cate: Leonard Bernstein

バーンスタインのベートーヴェン全集(1990年10月14日)

1990年夏の終りに左膝を骨折して10月10日に退院して、それからリハビリ通いしていた。
バーンスタインが亡くなったのを知ったのも、
病院の待合室に置かれているテレビから流れてくるニュースによってだった。
ニューヨークで亡くなっているから時差を考えると、15日のニュースだったのだろう。

リハビリに通う以外は何もしていなかったころである。
新聞もとってなかったし、テレビはもうずっと所有していなかったから、
病院に通っていなかったら、バーンスタインの死をしばらく知らなかったことかもしれない。
リハビリは想像していた以上に痛かったけれど、
リハビリに通っていたおかげで知ることができた、ともいる。

テレビを見ていたわけではない。
どこか違うところを眺めていたら、バーンスタインという単語だけが耳にはいってきた。
へぇー、珍しいこともあるんだな、とテレビの方を向くと、亡くなったことを知らせていた。

1980年代の後半、現役の指揮者で夢中になって聴いていた指揮者のひとりがバーンスタインだった。
コロムビア時代の録音にはそれほど関心はなかったのに、
ウィーン・フィルハーモニーとのブラームスあたりからバーンスタインに夢中になっていた。

ドイツ・グラモフォンからは次々と新譜がでていた。
フィリップスからもトリスタンとイゾルデが出た。

バーンスタインは1918年生れだから、このころは70になる、ほんの少し前。
こんなにも精力的に録音をこなしていくバーンスタインの演奏は、
若い頃のコロムビア時代の録音と比較して、執拗さが際立っていた。

マーラーはコロムビアとドイツ・グラモフォンの両方に録音を残している。
ずいぶん違う。
どちらが好きなのかは人によって違うもの。

歳のせいか、ドイツ・グラモフォンの再録は聴いていてしんどくなる……、
そんなことも耳にする。
たしかに、ワーグナーのトリスタンとイゾルデもそうだったけれど、
マーラーもしんどくなるほどの執拗さと情念が、渦巻いていると表現したくなるほど、だが、
このころのバーンスタインよりも歳が上の聴き手がそういうことをいうのは、
そうかもしれないと納得できるけれど、
すくなくともこのころのバーンスタインよりも、
まだ若い聴き手が、そんなことを口にして敬遠しているのは、
音楽の聴き方は聴き手の自由とはいうものの、少し情けなくはないだろうか。

執拗ではある、けれど決して鈍重ではないバーンスタインのワーグナーやマーラーを聴いていた、
そのころは私は、バーンスタインに録音してほしい曲がいくつもあった。

いまのバーンスタインだったら……、そんなことを思いながら、
バーンスタイン関係の録音のニュースをいつも期待して待っていた。

それが、この日のニュースによって、すべてすーっと心の中から消えていってしまった。

マタイ受難曲をもういちど録音してほしかった……。

Date: 4月 20th, 2012
Cate: Glenn Gould

グレン・グールド著作集(その1)

今年は2012年、グレン・グールド没後30年だから、ふたたび読みはじめたわけでもないけれど、
今日、ひさしぶりに(ほんとうにひさしぶりに)にグレン・グールド著作集を本棚からとり出した。

グレン・グールド著作集の翻訳本がみすず書房から出たのは1990年、I集、II集ともすぐに買って読んだ。
二冊あわせたボリュウムはけっこうなもので、一度読んだだけだった。
なので、二冊の著作集に書かれてあることがどの程度しっかり頭にはいっているかというと、いささか心もとない。
いつかは、じっくり読もう、と思いながら、
グールドの書いたものを読むのはけっこうなエネルギーを必要とするから、ついついそのままにしていた。

それが、今日、ふと目に留まり手を伸ばした。
すくなくとも一度は読んだ本だから、気になるところだけを読むということもできるわけだが、
22年ぶりの二度目だから、ほとんどはじめて読むに近いといえるところもあるから、
これはもう最初から読み進めていくしかない。

ティム・ペイジによるまえきががあり、
グールドによる文章(内容)は、
 プロローグ
 第一部 音楽
 第二部 パフォーマンス
 間奏曲
 第三部 メディア
 第四部 そのほかのこと
 コーダ
からなっていて、プロローグは、1964年11月にトロント大学王立音楽院の卒業生への祝辞である。

1964年だから、1932年生れのグールドは32歳。
ここで話している内容は──グールドが残した録音で我々は彼がどれだけすごい人かを知っているわけだが──
やはり驚く。

いくつか引用しておきたい。
     *
諸君がすでに学ばれたことやこれから学ばれることのあらゆる要素は、ネガティヴの存在、ありはしないもの、ありはしないように見えるものと関わり合っているから存在可能なのであり、諸君はそのことをもっと意識しつづけなければならないのです。人間についてもっとも感動的なこと、おそらくそれだけが人間の愚かさや野蛮さを免罪するものなのですが、それは存在しないものという概念を発明したことです。
     *
プロローグから、いきなり考え込まされる……。

Date: 3月 16th, 2012
Cate: Herbert von Karajan

プロフェッショナルの姿をおもう(その5)

カラヤンは、帝王と呼ばれていたこともあった指揮者である。
クラシックの指揮者とは思えないほど知名度も高く、
おそらくクラシック界の中でもっとも商業的にも成功したひとりのいえるはず。

そのころのカラヤンと、1988年に来日したときのカラヤンは、
カラヤンという人物は世界に一人しかいないわけだから、その意味では同じカラヤンであっても、
プロフェッショナルとしてのカラヤンは、同じなのだろうか、と考えてしまう。

プロフェッショナルとは、どういう人のことをいうのだろうか。
プロフェッショナル(professional)には、それを職業としている人を指してもいるし、
それの専門家という意味も同時にある。
だが資本主義(いや商業主義)の世の中では、
そのことでお金を稼いでいる人、ということのほうが強いのではないか、と思うことが多い。

となると、ふたりの同じ分野のプロフェッショナルがいたとして、
どちらがよりプロフェッショナルかということになると、
どちらがより稼いでいるか、ということが、もっともわかりやすい判断基準となってしまう。

カラヤンも資本主義(商業主義)の中で生きてきた指揮者である。
カラヤンは、クラシック界の商業主義の頂点に一時期立っていたことはまちがいない。
だからこそ、帝王と呼ばれたのではないだろうか。

こういうプロフェッショナルの姿は、とにかくわかりやすい。
だからクラシックに興味のない人でも、カラヤンの名前は知っている。
それだけに、カラヤンの音楽とは関係のないところでの批判もときとして浴びることにもなっていた。

そんなカラヤンを、特に否定する気はない。
ただ、言いたいのは、そういうプロフェッショナルとしてのカラヤンがいたのは、
事実であるこということだけである。

1988年日本公演の、ひとりで歩けないカラヤンは、帝王と呼ばれていたころのカラヤンとは別人のようでもあった。
誰も──カラヤンに対して批判的な人であっても──
あのときのカラヤンの姿を見て、蔑称として帝王と呼ぶ人はいないと思う。
1988年の日本公演でのカラヤンは、
帝王と呼ばれていたころのカラヤンとは違う意味でのプロフェッショナルとしてのカラヤンであったように思う。

だから、いまオーディオのプロフェッショナルについておもうとき、
1988年日本公演でのカラヤンを思い出してしまうようだ。

Date: 2月 2nd, 2012
Cate: Herbert von Karajan

プロフェッショナルの姿をおもう(その4)

カラヤンは、脊椎の持病があって、何度も手術を受けていた、ときいている。
1988年の来日公演で、ひとりで歩けなかった理由も、この脊椎によるものだろう。
カラヤンの病状の詳しいことは知らないし、このときのカラヤンの体がどうであったのかもわからない。
ただ、カラヤンの姿を見て、勝手にあれこれ思っているだけのことにすぎないのだが、
おそらくそうとうな痛みもあったのではなかろうか。
カラヤンを見ていて、そう感じていた。

カラヤンは1978年に、リハーサル中に指揮台から落ちている。
そういったことのあったカラヤンが、ひとりで歩けない体で指揮台に立つことは、怖くなかったのか。
また指揮台から落ちてしまう危険性は、健康なときの何倍も高いものだし、
落ちたときの体が受けるダメージもずっと大きなものになることは容易に想像できる。

カラヤンがそういう状態・状況だということはベルリン・フィルのメンバーたちはよく知っていたはず。
「展覧会の絵」で音を外してしまったのも、理由として関係していると思う。

カラヤンとベルリン・フィルの関係は、1983年のザビーネ・マイヤーの入団をめぐって対立し、
この軋轢は日本でも報道されていた。ドイツではかなり報道されていたようだ。

そんな関係になってしまったカラヤンとベルリン・フィル。
それがその後、修復されていったのか、そうでなかったのか(結局ザビーネ・マイヤーは入団しなかった)。
ほんとうのところは当事者だけが知るところなのだが、
すくなくとも1988年の日本公演においては、両者の関係に関する問題はなかった、と思う。

むしろ、1981年の来日公演のときにはなかった、カラヤンとベルリン・フィルの関係があったような気もする。
だからこそ、ベートーヴェンの交響曲第4番と「展覧会の絵」とで、響きの音色が変えてしまえたのだろうし、
「展覧会の絵」冒頭でのミスが起ってしまった──、そうではないだろうか。

Date: 2月 1st, 2012
Cate: Herbert von Karajan

プロフェッショナルの姿をおもう(その3)

このときのカラヤン/ベルリン・フィルの公演はテレビでも放映されたようであるから、
ご覧になった方も多いと思う。
私が行った日もテレビで放映されたらしい。

「展覧会の絵」の出だしのトランペットが、音を外した。
ベルリン・フィルのトランペットが音を外した。
(この1988年の日本公演はすべて数年前にCDとして出ているが、この部分はデジタル処理で処理されている。)

唇が乾いていたりすると音を外しやすいのがトランペットだときいている。
そのせいだったのかもしれない。
けれど、そんなことはささいなことでトランペットにつづく響きを聴いて、心底驚いた。

休憩前に聴いたベートーヴェンとは、響きそのものが変っていた。
それこそ、休憩時間の間にベルリン・フィルのメンバーがまるごと入れ替ってしまったかのような、
それほどの響きの変化であった。
同じカラヤンの指揮で、同じベルリン・フィルなのに、20分ほど前に聴いた響きとは違う響きが鳴っていた。

こんな芸当はベルリン・フィルだからこそ、できるのだろう。
ウィーン・フィルではウィーン・フィルの音色が濃いから、こうはいかない、と思う。
ほかの指揮者でも、こうはいかない、と思う。
(だから、この日のCDは、ベートーヴェンの4番と「展覧会の絵」とでは、
響きが驚くほど違ってい鳴り響かなければ十全な再生とはいえないのだが……)

「展覧会の絵」のときも、ベートーヴェンのときと同じで、カラヤンはひとりでは歩けない。
なのに指揮台の上では、そんなことは微塵も感じさせない。
音楽にも、当り前のことだが、まったく感じさせない。

このとき、カラヤンを凄い、と思っていた。
五味先生の影響から、カラヤンに対しては幾分否定的なところがないわけではない。
それでも、この日のカラヤンは、そんなことは関係ない。
この日感じた凄さは、もっとずっと後になってきて、その重さが増してきている。

Date: 1月 31st, 2012
Cate: Herbert von Karajan

プロフェッショナルの姿をおもう(その2)

ひとりで歩けないカラヤンをみていると、どうしてもひとりで立っていられるようには思えない。
立てたとしても指揮台後方のパイプにもたれかからないと無理なのではないか……、
そんなことを考えながらカラヤンが指揮台にたどり着くのを見ていた。

カラヤンは立っていた。ひとりで立っていた。何の助けもなく指揮をはじめた。
ついさきほどまでの、あの姿はいったい何だったのだろうか、
もしかして芝居だったのか……、カラヤンのことだからそんなことはない。

椅子に坐って指揮、という選択もあったのかもしれない。
カラヤンの歩き方をみていると、立っているのが不思議でしかない。
なのに指揮ぶりは、指揮しているカラヤンだけを見た人は、
指揮台にたどり着くまでのカラヤンの姿は絶対に想像できない。

ベートーヴェンの交響曲第4番だから、演奏時間はそれほど長くはない。
それでも、このときのカラヤンの体調からしたら、第4交響曲を演奏しおえる時間は、
そうとうにしんどい時間ではなかったのだろうか。

響いてきたベートーヴェンの第4番は、
7年前に同じ東京文化会館で聴いたベートーヴェンの第5番とははっきりと違っていた。
同じベルリン・フィルであっても響きそのものが違うように感じた。
7年のあいだにベルリン・フィルの楽団員の入れ替えの多少はあったのかもしれないけれど、
ベルリン・フィルはベルリン・フィルである。そのことによって大きく変化することはない。

なのにカラヤンの指揮するベルリン・フィルは、
こんな響きだったのか、と──7年前とは坐っている席は違う、今回はS席だったが──、そんな違いではない。
ベルリン・フィルが、というよりも、カラヤンが変っていたように感じていた。

演奏がおわり引き上げるときも、ひとりでは無理でおつきの人が支えて、だった。
休憩時間がすぎ、「展覧会の絵」がはじまる。

Date: 1月 30th, 2012
Cate: Herbert von Karajan

プロフェッショナルの姿をおもう(その1)

最近、なぜかよくカラヤンの姿を思い出す。
1988年、カラヤン最後の来日となった公演でのカラヤンの姿を、今年になって何度も思い返している。

カラヤンの助言も参考にされたサントリーホールが完成したのは1986年。
こけら落としはカラヤンだったが、結局は小澤征爾が代役となった。
そんなことがあったので、
1988年、ベルリン・フィルとの来日は、これがカラヤンを見れる最後の機会かもしれない、と思い、
音楽評論家の諸石幸生さんに無理をいってチケットを一枚譲っていただいた。
東京文化会館での公演だった。

カラヤンの公演に行くのは、このときが2回目だった。
最初は1981年の、やはりベルリン・フィルとの来日のときだった。
まだ学生でふところにまったく余裕がなかったから、なんとかA席かB席のチケットを買って行った。
ベートーヴェンの交響曲第5番とヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリンはアンネ=ゾフィー・ムター)。
このときのカラヤンは颯爽としていた。

1988年は、ベートーヴェンの交響曲第4番とムソルグスキーの「展覧会の絵」。
1986年の来日をキャンセルにしたカラヤンだから、それに最後の来日なるかもしれない、と思っていたから、
1981年のカラヤンとは変っていることは承知しているつもりだったが、
ステージ脇から出てきたカラヤンの姿は、その予想をこえる衰えぶりだった。

ひとりで歩けない。
横のおつきの人がカラヤンを支えながら、いまにも倒れそうな足どりでカラヤンが表われた。
これで指揮ができるのか、とそのとき誰もが思っていたのではなかろうか。

プライドの高いはずのカラヤンのことだから、こんな姿を聴衆の前にさらしたくないはずだろうに……、
と思うとともに、
プライドの高いカラヤンだからこそ、人の助けを借りながらも自分の足で登場してきたのかもしれない。

指揮台に目を移すと、そこには一般的な指揮台しかない。
指揮者が後に落ちないようにコの字に曲げたパイプがつけられている、よく見る指揮台で、
そこには椅子はなかった。