バックハウス「最後の演奏会」(その1)
CDではブレンデルとグルダが揃っているし、LPではアシュケナージ、バレンボイムと、現役のトップクラスの全集はそれぞれいいのだが、バックハウスの描きだしたベートーヴェンの世界は、これら四人とはまったくちがうもので、演奏家が解釈と技巧をふりかざしてきき手を説得しようという姿勢はまったく見られない。バックハウスは鍵盤の獅子王という異名を与えられてずいぶん損をした人ではないかと思う。豪毅なピアニズムはそういう一面をもっているが、彼はあくまでも音楽そのものに語らせる。したがって、きき手はそこから何を読みとるかということで彼の解釈・表現の評価がわかれるのではあるまいか。後期の作品においてはとくにその感をふかくする。
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岡先生がステレオサウンドで連載されていたクラシック・ベストレコードで、
バックハウスのベートーヴェン・ピアノソナタ全集がCD化されたときに書かれたものである。
1986年6月に発行されたステレオサウンド 79号で読める。
ちょうど、このころ、岡先生のクラシック・ベストレコードは私が担当していた。
いまみたいにメールで原稿が送られている時代ではない、
手書きの原稿を鵠沼の岡先生の自宅に取りにうかがったことも何度もある。
岡先生の原稿は読みにくかった。
最初のうちは朱を入れる(文字を読みやすく書き直す)だけでもかなりの時間を要した。
馴れてきてからも、苦労する文字が必ずあった。
岡先生は、アシュケナージとショルティを高く評価されることが多かった。
私は、というと、1986年といえば23だった、若造だった。
ショルティもアシュケナージも、岡先生がいわれるほどいいとは思えなかった。
そんなところが私にはあったけれど、岡先生の原稿は楽しみだった。
このバックハウスのベートーヴェンについて書かれた原稿を読んだ時も、
ふかく頷いてしまった。
とはいっても、岡先生のようにバックハウスを聴きえていたわけではない。
それでも、岡先生の音楽の聴き方を、さすがだ、と思い、
バックハウスの音楽を、いかに聴き得ていなかったことに気づいての頷きであった。
「彼はあくまでも音楽そのものに語らせる」
いまは、ほんとうにそう思えて、頷いている。
12月にバックハウスのCDがユニバーサルミュージックから発売になる。
その中に「最後の演奏会」が含まれている。
この「最後の演奏会」のCDはいつも限定盤で発売される。
数年に一回の割合で、廉価盤としての値段がついての発売である。
市場からなくなって数年たつと、また思い出したように限定盤で出してくれる。
海外盤は手に入らないから、こういう発売のやり方でも、待てば買えるわけで有難いことではある。
バックハウスの「最後の演奏会」は文字通りの内容である。
そこでのバックハウスの演奏を、感傷的に聴くことだってできる。
けれど、そういう聴き方をしてしまったら、
バックハウスの演奏から「何を読みとるか」ということが、あやふやになってしまわないだろうか。