Date: 11月 7th, 2012
Cate: Wilhelm Backhaus
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バックハウス「最後の演奏会」(その2)

バックハウスの「最後の演奏会」におさめられているのは、
1969年6月25日、28日のオーストリア・オシアッハにある修道院教会の再建記念コンサートの演奏である。

デッカがステレオ録音で残していてくれている。
最新のスタジオ録音のピアノの音を聴きなれている耳には、
これといって特色のない録音に聴こえるだろう。

バックハウスの、このCDをもち歩くことは少ない。
そういうディスクではないからだ。
誰かのシステムで聴いたことは、だからほんの数えるほどしかない。

そのわずかな体験だけでいえば、ときとして、つまらないディスクにしか思えない音で鳴ることがある。
バックハウスの最後の演奏会のライヴ録音だとか、
6月28日のコンサートでのベートーヴェンのピアノソナタ第18番の演奏途中において心臓発作を起し、
いちどステージ裏にひきさがったあと、プログラムを変更してステージに戻っている。

この日の録音には、そのことをつげる男性のアナウンスもはいっている。

バックハウスが最後に弾いているのはシューベルトである。
即興曲D935第2曲。

岡先生が書かれているように、
ここでの演奏でもバックハウスは「解釈と技巧をふりかざしてきき手を説得しよう」とはしていない。
だからなのか、「解釈と技巧をふりかざしてきき手を説得しよう」としている音で鳴らされたとき、
バックハウスの演奏は、ひどく変質してしまうような気がしてならない。

バックハウスの演奏を聴くことにって感じているのは、
バックハウスの演奏を聴くということは、聴き手にも厳しさが求められている、ということである。

バックハウスの演奏がつまらなく聴こえるのであれば、
その装置の音には、そういう厳しさが稀薄なのか、まったく存在していないのかもしれない。

オーディオという世界は、あらゆるところに、聴き手がよりかかれる要素がある。
聴き手は知らず知らずのうちに、どこかによりかかっていることがある。

それは人によって違うところでもあるし、自分では気がつくにくい。
誰かに聴いてもらったとしても、指摘してもらえるとはかぎらない。

それでもひとつたしかにいえるのは、
バックハウスの演奏がつまらなくきこえたり、どうでもいいとしかきこえなかったら、
どこかによりかかったところで音楽が鳴っている、と思っていい。

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